相合傘が最悪の展開を与えてくる(2)
━━静寂の中、傘という非常に窮屈な空間の中で、スタンディングライブで熱狂しまくりの観客同士くらいには二人の体が密着しているというこの状況は、なんだか互いの息遣いが伝わってきてドキドキしちゃうな〜、なんていう、いかにも少女漫画のポジティブな主人公みたいな思考に俺が陥る隙を、神は一瞬たりとも与えてはくれなかった。
というのも、相合傘開始後まもなくして、猫耳の方から先に俺に話題を持ちかけてくれたのである。
「もしかして、光ヶ丘高校の生徒ですか?」
きっと沈黙でお互いが気まずくならないよう配慮してくれたのだろう。
ま、性別も趣味も生き方も、下手すりゃ猫と人で生物学上の分類すらも違いそうな俺らの共通点といえば、今ん所そんぐらいしか見当たらないからな。俺らの会話の間を持たせるには十分妥当な話題だと思う。
「ええ……まあ」
俺がそう答えると猫耳は、おそらく最初から準備していたであろう答えを間髪入れずに返した。やっぱ猫は瞬発力が高いんだな。
「やっぱり!さっきからなんか制服がそれっぽいなあって思っていたんですよ!」
「はあ……」
「実は私も同じ学校に通ってるんです。いやあ、奇遇だなー。偶然傘を共有した相手が光ヶ丘の生徒なんて!」
「そ……そうですね……」
そりゃここは最寄り駅なんだから探しゃいくらでもいるだろ。光ヶ丘の生徒なんて別に珍しくも何ともない。
━━やはりそうとう無理して会話をしようとしてくれてるな、こりゃ。
以降も猫耳と俺の、バイトの面接なら一発で不採用確定フラグが立ちそうなくらいギクシャクした受け答えが続いた。
「私、橋立あまのっていいます。あなたは?」
「あ……俺は吉行幸太です。……よろしく」
「こちらこそよろしく!もしかして、一年生ですか?」
「は……はい」
さっきからまるで個人情報漏洩を恐れるかのように必要最小限の受け答えしかしていないようにみえるが、これでも俺は会話を続けるよう精一杯努力しているつもりだ。
チー牛診断テストを全項目コンプリートする自信がある俺のような陰キャ男子が、たとえ猫耳といえど同世代の異性と話を弾ませるのはそれだけ難易度が高いことなのだ。
「私も一年生なんですよ!じゃあタメ口でいかしてもらうね!」
「まあ」
「ああ、よかった、知り合いができて〜。入学したてだから友達なかなかできなくてなんか不安になっちゃうよね!」
「わかります……」
口では同意を示しつつ、俺は内心複雑な気持ちだった。
猫耳もとい橋立あまのは、根暗でコミュ力のない俺とは真逆で、周囲に明るく振る舞っていけるタイプだ。猫耳だってちゃんとさっきの子に受け入れられていたくらいだし、友達なんて作ろうと思えばすぐに作れるのだろう。俺とは明らかに住んでる世界が違う。だから、今ここで何もなかったら、今後の高校生活で橋立のような人間と俺が関わることは一切ないだろう。
変わらなきゃいけない。今ここで俺からもっと積極的に話しかけて仲良くならなきゃ。ぎこちなくも会話が続いてるというこの絶好のチャンスを逃したら、今後高校生活で俺が友達を作りにいくことなんかできるわけがない。そしたら、また周囲から孤立し、キモいダサいなどと皆に笑われ続ける存在になっちまう。
━━だからこそ、俺はこの後突如訪れた気まずい沈黙を、打ち破りたいと思ってしまった。
高校デビューなんて大それたものじゃなくていい。ただ、橋立のような日向にいる人間とも、臆せずに、話せるようになりたいと。そう思って、俺はタメ口で軽く世間話でもするかのような口調で話を振って━━やらかした。
「いやあ、初めての電車通学ってほんと戸惑うよね〜。俺もさ、電車乗り過ごしたらどうしようとか思ってたし」
「え?どしたの急に?」
「いやさ、君もさっき電車乗り過ごしてたっぽかったから、電車通学に慣れてないのかなと思って」
「……別に乗り過ごしてないけど?」
そのとき、橋立は露骨に眉をひそめていた。
だから本来ならここらで身の危険を感じて引き返しておくべきだったのかもしれない。だがメイド喫茶に通いつめるおじさん並みに異性に対して免疫がない俺は、初対面の異性と会話が続くという珍しい状況にひどく興奮していて、冷静な判断ができなかった。俺はさらに余計なことをペラペラ話した。
「いや、乗り過ごしていたはずだよ。だって君がもし乗り過ごさずに俺と同じタイミングで電車を降りて駅で俺を追いかけたとすると、すぐ前にいた俺を見失うとは考えにくいんだ」
「……人混みが多くて途中で見失ったのよ。だからさっき駅に残ってずっと君のことを探したって言ってたんでしょ」
「俺に傘を渡すなら、真っ先に改札付近で俺を探して、俺がいなかったら諦めるか改札で待つかすればいいはず。なのにさっき俺を見つけた君は改札を出ていなかった。これは、君が乗り過ごして今到着したばかりの電車から降りてきた。そう考えるしかないんだ」
「……」
「いやあ、でもほんとに助かったよ。君がたまたま乗り過ごして傘を見つけてくれてなかったら、俺は今ごろ雨の中ずぶ濡れ覚悟で走っていただろうからね。この偶然に感謝だよ」
相手のとってくれた行動に対し、言葉を変えて再度丁寧に感謝を述べる俺。めちゃくちゃポイント高い……と内心自画自賛していたら。
「偶然?笑わせないで何その言い方」
予想の斜め上を行くやけに冷ややかな反応が返ってきた。
「え……?」
そして橋立はその言葉を境に、文字どおり見事に豹変した。
「あのさ?あたしが誰のせいで電車乗り過ごしたと思っているの?これでも急いで引き返してきたほうなんだよ?」
「……?」
「さっきあたしは置いてあったあんたの傘を借りようとしたって言ったけど、ほんとはそんなことする必要なんてどこにもなかったの!」
「どういうこと?」
「……電車の中で今日話しかけて仲良くなった子に、持ってた予備の折りたたみ傘を貸してもらう約束をしていたのよ」
ああ、橋立とアニメの話で盛り上がっていたあの子か。橋立とあの子があの場で初対面だったとは驚きだ。
「……初対面の人とも簡単に打ち解けられるなんてどんだけコミュ力高いんだよ」
「これくらい普通よ。流行りのものとか無難な話題を選んで話を合わせにいきゃ同世代の人間となんてすぐ親しくなれるわ……ていうのはさすがに嘘だけど、」
嘘かい。猫耳ならではの特殊能力かと思っちまったじゃねーか。
「まああれはたまたま運がよかっただけとも言えるかもしれないわ。だけどコミュ力なんてなくても誰もあんたみたいに初対面の人との会話でいきなり地雷級の爆弾投下したりはしないわよ」
「俺もたまたま運が悪かっただけだ!」
「別に会話の話題を変えるタイミングはいくらでもあったわけだし、運の良し悪しはあまり関係ないと思うのだけど━━まあそんなのどうでもいいわ。で、さっきの続きだけど、傘を貸してもらうことにもなってたし、当然あたしはその子と一緒に学校まで向かうつもりだったのよ。会話もそれなりに弾んでいたし、その流れでね」
確かにあのとき二人は初対面だったとは思えないくらい、共通の話題で意気投合していた。
「だけど電車を降りる直前、あんたが仰々しく立った席に傘が置きっぱなしになってるのが見えちゃったのよ。だから、その子に用事あるから先降りてって言って、仕方なく傘を取りにまた人混みの中、わざわざあんたの座席に戻ってきてあげたわけ」
「……そこまでしてくれてたの?」
初対面でちょっと話した程度の相手とは、ちょっと離ればなれになっただけでも縁が切れてしまう可能性が十分にある。
そんな、せっかくできた友達を失うかもしれないリスクを背負ってまで、赤の他人である俺の忘れ物を届けようとしてくれたのか。そんなことをしても何の得もないだろうに。見て見ぬふりをしても誰にも責められなかっただろうに。
━━橋立のした行為の尊さと、それを全く鑑みない先ほどの自分の発言のクズさ加減とを、俺はありありと実感し始めた。
「そうよ。そのせいで乗り過ごしたのよ!寝過ごすなんていうあたしの不注意なんかじゃなくて、あんたのせいでね!」
「……ごめん。そんな事情があったなんて全然知らなくて」
橋立はさらに追い打ちをかけていく。
「だいたいね、あんたと違ってあたしは普段絶対に電車を乗り過ごしたりなんてしないわよ!なのにどうして『俺も経験したことあるから気持ちわかるよー』みたいな感じで上から目線で同情されなきゃいけないわけ?あんまこんなこと言うのもなんだから、ずっと言わないでおいてあげようと思ってたけど、あんたのあまりに無神経な態度にもう我慢の限界だったのよ!」
「……マジで悪いことしたと思ってる」
「悪いことなんてレベルじゃない!極悪非道よ!」
「極悪非道!?」
「だってそうでしょ?入学式の日に友達ができなかったから、せっかく仲良くなれそうな同じ学校の子を電車で見つけて、今日こそ知り合い作るぞって思いで勇気を持って話しかけたってのに、あんたのせいでもう今後一切あの子と関わりがないかもしれないのよ?連絡先すらもまだ交換してなかったんだから!こんなの話しかけ損よ!」
橋立はこの世の終わりだとでもいわんばかりに嘆いた。
「ああ、せっかく同級生で気も合って、貴重な友達になりそうだったっていうのに……あんたのせいで台なしよ!」
「……確かに気の合う友達なんてなかなかできるもんじゃないよな。友達いない暦イコール年齢だからそれはものすごくよくわかる」
「だからその上からの同情はいらないって言ってるでしょ!」
またやってしまった。失敗に関して怒られている真っ只中に同じ失敗を繰り返してしまうとは。何たる愚行……。もうこれ以上失敗するわけにはいかない。最低な人間として本当に嫌われてしまう。だけど。
「今の状況じゃ何を言っても火に油を注ぎそうだけど、でもこれだけは伝えておきたいんだ。俺が傘を忘れてしまったせいでこんなことになってしまってる、……ほんとにすまないと思ってる」
「すまないじゃないわよ!勿体ぶって何言い出すかと思えば……ただ繰り返し謝れば許してもらえるとでも思ってるの?世の中には取り返しがつかないことだってあるのよ?あんたのせいであたしが高校デビューに失敗して、高校三年間ずっとみじめなボッチ生活を送ることになったちゃったらどう責任取ってくれるわけ?」
「俺は生まれてこの方ボッチなんだが別にそれなりに楽しく生きてるぞ?」
「あんたと一緒にしないでくれる?ボッチなんて恥じるべきことでしかないじゃない!」
完全に陰キャを見下した発言に、俺は思わず逆上した。
「そんな言い方ないだろ!」
いくら完全に俺に非があるとはいえ、俺のこれまでの人生まで否定される筋合いはない。
「何よ?」
「別に他人と仲良くするだけが人生じゃねーだろ?人にはそれぞれの生き方ってのがあんだよ!」
単独で狩りをする猫の耳つけてんだったら、単独行動を良しとする心理くらいわかれよ。
「そうかしら?あたしがあんただったらとっくの昔に死んでるわよ」
「それはお前の価値観だろ。俺は一人の時間だって楽しいし」
「全く人に寄り付かれないみじめな自分をただ否定したいだけでしょ?」
「なんだと!?」
俺がここまで冷静さを失ってしまったのは、橋立の指摘したことが図星だったからだろうか。
俺が怒りに任せて声を荒げ、思わず拳を強く握りしめたとき、橋立が一瞬怯えたのがわかった。そんな様子を見て、俺はようやく我に返った。
「……もういい。先行くから。もう学校で会っても絶対にあたしに話しかけないで」
そう吐き捨てると橋立は俺の傘から出て、どしゃぶりの雨の中を早足で歩き出した。
俺はどこか悲しげなその背中を、ただ呆然と見つめ続けることしかできなかった。
━━橋立の姿が見えなくなってからも、俺はずっと先ほどの失態を引きずっていた。
いくら人と話すことが苦手だからって、もう少しうまくやれなかったんだろうか。橋立の親切心を踏みにじって、挙句の果てにあんな風に喧嘩別れしてしまうなんて。俺は、なんて愚かなんだ。
……もしかしたら橋立と友達になれていたかもしれないのに。
いや、何を考えているんだ俺は。あんな俺を見下そうとするヤツと友達になったって仕方がないじゃないか。
それに社交的な橋立とボッチの俺は、きっと根本的に価値観が合わないのだろうからどうせずっと仲良くなんてできっこない。だからあれでよかったんだ。あれで━━。
━━ずっとこんな調子でおぼつかない足取りで歩いていたが、幸い通学路を間違えるようなことはなかった。まだ登校二日目だから道に迷うかもしれないなんて余計なことを考える暇もなく、気がつけば俺は学校に着いていた。