クラス委員選が最悪の展開を与えてくる
それと同時に担任が教室に入ってくる。
「さあ皆、席に着け」
教卓の上から、相変わらず気だるさを隠そうともせずにそう言った。
会話に花を咲かせていた生徒たちは、名残惜しそうに各々の席に戻っていく。
教室が完全に静まり返ると、橋立も流石に呪われたように同じ言葉を繰り返すことはしなくなった。
だが相変わらず顔面蒼白で、死にそうな顔になっている。このまま橋立を放っておいて委員会決めに突入するのは不安でしかないが、もう致し方がない。
こうなったら俺だけでもクラス委員になるしか……。
━━担任がクラス全体を見渡しながら、ゆっくりとこう告げた。
「四限目のLHRでは朝言ってたように、誰がどの委員をやるかってのを決めていきたいと思う」
教師はそこで一呼吸おいた。
俺は唾をごくりと飲み込んで、次に切り出される言葉に細心の注意を払った。
「えーっと、まずはクラス委員だが、この中で誰かやりたいヤツはいるか?」
とうとうこのときが来たか。
俺の━━俺たちの運命を決めるときが。
さっきから緊張と不安が入り混じって、心臓の音が鳴り止まない。
これまでずっとクラスの隅っこで目立たないように過ごしてきた俺にとって、クラス委員に立候補するなんてのは、全く初めての経験だった。
加えて俺は現在進行形で、クラスのほぼ全員から総スカンを食らっている。だからライバルがいたら間違いなく俺はソイツに勝てっこない。
そうでなくとも俺が立候補したら、周りからどんな目を向けられることか━━。
想像しただけでも怖くて、全身の震えが止まらない。
━━クラス委員という役職は、多少内申に影響するとはいえ面倒事も多く、そんなに人気の高い役職ではない。だから進んで立候補したがる人間なんてごく一部だ。
そのごく一部の可能性が極めて高い太秦を抑えたんだから、もう何も心配はないはずだ。━━
そう頭の中でわかってはいるが、百パーセント俺が選ばれるとは言い切れない。
もし高校デビューしたいとかいう理由で予想外の生徒が立候補してきたら?
もし太秦が松島と交わした約束を反故にして後出しで立候補してきたら?
━━そんな不安が次から次へとよぎってくる。
どうか俺以外に男子の立候補者が現れませんように。
今はただ何の根拠もなく、ひたすらそう願うことしかできない。
「いなかったら推薦で決めようと思うんだが……」
周囲を見渡しても、誰かが立候補しそうな気配はない。
よし、これなら大丈夫そうだ。
そう思い、俺は勇気を振り絞って手を挙げた。
もちろん誰か対抗馬がいても手を挙げるつもりだったが、対抗馬がいるならせめてどんなヤツかということだけでも確認してから手を挙げたかった。
「吉行だけか……」
さっきから容赦なく突き刺さってくる皆の視線が痛い。痛すぎる。
休み時間のときとは比べ物にならないくらい痛い。全員の目から殺人光線が放たれているんじゃないかってくらいだ。
全員の目が俺に、立候補を取り下げなかったら容赦しないと訴えている。
だがここは橋立と俺のガタラブ再現のために、何としてでも必死で耐えるんだ。
こんなことくらいで逃げちゃいけないんだ。頑張れ、俺……。
「他に誰もいないか?いないんだったら吉行に任せようと思うんだが、皆それでいいか?」
一秒が無限のように感じられた長い一瞬の間、俺は絶え間なく注がれる殺人光線に命からがら耐え続けた。
その甲斐あって、どうやら俺は無事にクラス委員になれたようだった。
「よっし、とりあえず男子についてはこれで決まりだな」
そんな担任の一言を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
皆かなり不服そうにしてはいるが、反対意見を述べる者は誰もいない。
まあそんなことをすれば自分がクラス委員にされかねないんだから、当たり前っちゃ当たり前だが。
━━担任はクラスに充満する重々しい空気を微塵も気に留めることなく、手際よく話を進めていく。
「じゃあ続いて女子のクラス委員を決めたいと思う」
そう気だるげに言って、担任が挙手を促そうとしたときだった。
「先生」
一人の生徒がそれを遮って、手を挙げた。
その人物は松島ではなく、俺の二つ隣の席にいた━━渡月きょうこだった。
俺はまたしても予想外なことに動揺を隠しきれずにいた。
なぜ松島は立候補しないのか。
そしてなぜ渡月がクラス委員に立候補するのか。
━━だが後半の疑問はこのあとすぐに解決することになる。
「何、お前がやりたいのか?」
眠そうな目をした担任にそう尋ねられた渡月は、首がとれちゃうんじゃないかってくらい激しく首を振った。縦にではなく、横にである。
「ち、違いますよ!なんであんな男とクラス委員やんなきゃいけないんですかたちの悪い冗談やめてくださいよ殺しますよ?」
渡月の淡々としたひどく冷たい口調からは、ほんとに担任を殺りかねない迫力があった。
どこまで本気なんだよ。もう悲しみの向こうへと辿り着いちゃうよ?
「そっそうなのか?やりたくないのならまあ別に構わないが……」
いかにも下積み時代が長そうなこの担任も、まさか生徒に面と向かって殺すと言われる日が来るとは思ってなかっただろうから、絶賛ドン引き中である。
そして思春期真っ只中の女子高生は、自分の倍以上歳の差があるおっさんの感情の変化なんて眼中にあるはずもなく、担任のことなんてお構い無しに続けて、脈絡のないことを言い放った。
「橋立さんがさっきからずっと具合悪そうにしてるんですけど、保健室に連れて行ってあげたほうがいいんじゃないですか?」
……は?突然何言い出しちゃってくれてんの渡月は?
たしかに今の橋立の具合はお世辞にも良好な状態とはいえないが、なんでコイツがそれを知ってるんだ?
渡月の一言をきっかけに、クラスメイトたちが一斉に橋立のほうを振り返る。
そして橋立の異常な様子を目にした彼らは、
「ありゃヤバいんじゃね?」
「うわ、めっちゃ顔色悪そう」
「大丈夫かな」
などと次々とざわつき出した。
担任は面倒な事が起こったと言わんばかりに露骨にため息をつき、「静かにしろ」と周りを制した後で
「おい、大丈夫か、橋立?」
と棒読みで問いかける。
立ち位置もそのままだ。しんどそうな生徒の側に駆け寄ろうともしない。
どこまでやる気ないんだ、この教師は。
「……自力で答えるのもしんどそうだな」
放心状態の橋立を目の当たりにした担任は、顎に手を当ててそう呟いたあと、
「しんどかったら無理せずに保健室に行っていいんだぞ?」
そう提言した。
そんな無難なことを言ってこの場を凌ごうとする担任を、渡月は言葉巧みに誘導していく。
「先生、今の橋立さんはきっと、まともに話ができる状態じゃないんだと思います。しんどすぎて誰かの肩を借りないと一人で立ち上がれない状態なのかもしれません」
「うーん、それは困ったなあ」
「なんだったら、私が橋立さんを保健室に連れていってもいいですよ」
「マジ!?めっちゃ助かるんだけど!」
何五十路が裏声出してテンション上がってんだよ気色悪い。
━━自分でも気恥ずかしく思ったのか、直後、担任は咳払いをしたあと、
「……ほんとに、任せても大丈夫なのか?」
とマジトーンになって言った。
いやもう取り返しはつかないと思うんだが。
「はい、私はどこか適当な委員にあてがっていただければ結構ですから」
そう言うや否や渡月はすっと席を立ち上がった。
━━もしかして、コイツか?
橋立の立候補を阻止するために、コイツが橋立に何らかの精神攻撃をして、こんな状態に陥れたのか?
「ありがとう。じゃあ悪いが渡月、橋立に肩を貸してやってくれ」
担任がそんなふうにお礼を述べ、渡月はうなずいて橋立の席に近づいていく。
マズい。このままじゃほんとに橋立が連行されちまう。なんとかしなければ。
━━そう思っていたとき、
「……大、丈夫だから」
橋立が苦しそうにそう答えた。
渡月のほうばかり注目していた俺は、驚いて橋立のほうを見る。
息も絶え絶えの様子だが、それでも橋立は俺と目が合うと、最後の力を振り絞って、俺に笑いかけてくれた。
その笑顔を見て俺は、橋立が俺に話してくれたことを次々と思い出した。
『ガタラブの再現は、そんなあたしに舞い降りた、最初で最後のチャンスなの!
だから、それを実現させるために、あたしにできることなら何だってやらせてほしいの!』
『それでも、立候補させてほしい。あたしの最後の意地を賭けて』
そうだ。橋立はあんなにも必死にクラス委員になりたがっていた。最後の希望になんとかすがりついて、自分の存在価値を皆に認めてもらおうとしていた。
ここで保健室送りにされたらその思いを、希望を、何もかも踏みにじることになってしまう。
そんなの絶対にダメだ。
━━橋立の声は小さすぎて、渡月や他の皆には届いていないようだった。
だから俺が代わりに、
「ダメだ。橋立は連れて行かせない」
渡月の目をしっかりと見つめて、そう言い放った。
渡月は思いがけない俺の発言に、驚いたように身体をビクッとさせて立ち止まった。
「え?何で吉行くんがそんなこと言うの?橋立さんそうとう苦しんでるじゃん」
渡月の抱いている疑問はもっともだ。
この場においては誰がどう見ても、俺より彼女のほうが正統派に映るだろう。
だが俺だって、譲れないものの一つや二つあるんだ。
━━俺は橋立の思いを伝えるために、もうクラスの空気に屈することはなかった。
「何でってそれは……橋立がクラス委員になりたがってるからだ!」
俺はクラス中に響き渡るように、はっきりとそう答えた。
俺の言葉を聞いた渡月は、疑わしげに目を細める。
「へえ、そうなんだ。それ本人に直接確かめたの?」
「ああ、もちろんだ」
「ふうん。ねえ、ほんとにそうなの、橋立さん?」
そんなふうに迫られた橋立は、━━だが怯えたように首を小さく横に振った。
なんでだよ。なんでそんな嘘つくんだよ。
だってあれだけ立候補したいって言ってたじゃないか。自分を変えたいって、そう言ってたじゃないか。
なのに、どうしてそんな自分の気持ちを全否定するようなこと簡単に言えんだよ。
━━渡月は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「ほうら、なりたくないって言ってんじゃん。何あんた変なこと言ってんの?そんなこと言ってる間に橋立さんに何かあったらあんた責任取れるわけ?」
渡月は言いたいことを言い終えるや否や再び歩き出し、橋立の席まで近づいてきた。
「大丈夫?一人で立てる?」
渡月は営業的な笑みを張り付けたまま、強引に橋立の手を引っ張ろうとする。
ダメだ。もう時間がない。ここで俺が何も切り出さなかったら、橋立がクラス委員になるという夢が叶わなくなっちまう。このクラスで、自分を変えたいという夢が━━。
━━そのとき俺に浮かんだのは、またしても最悪の発想だった。
ああ、もうわかったよ。
バカみたいにやりゃいいんだろ、やりゃ。恥もプライドも何もかも捨てて。
あの雨の日にずぶ濡れになったときといい、どうして俺はこんな不器用で、小っ恥ずかしい解決法しか思いつかねえんだろうな。自分が自分で嫌になるぜ。
━━俺は渡月の手を取ろうとしていた橋立に、手を差し伸べて、とびきり大きな声でこう言った。
「橋立、俺はどうしてもお前がいないとダメなんだ!だから俺と一緒にクラス委員になってくれ!」
水を打ったような静寂が教室中を包み込む。
公衆の面前で突然告白じみた言葉を放たれた橋立は、パッと頬を赤く染めた。
「ちょっ、何また突然変なこと言い出すの?」
渡月も戸惑いを隠しきれないまま、俺を睨みつけてくる。
だが、そんなことはどうでもいい。俺は息を飲んで橋立の返事を待った。
もしかして、気に障ってしまっただろうか。
俺はまた余計なことをしてしまっただろうか。
━━一瞬の静寂の後、橋立は行動を起こした。
彼女はどちらの手を取ればいいか迷っているようだったが、俯いて静かに━━俺の手を取った。
「……はい、よろしくお願いします!」
橋立が俺の告白を承諾した途端、クラス中が沸くのがわかった。
「えっ、何これ?公開告白!?」
「でも二人って元々カップルじゃなかったっけ?」
「仲違いしてて、よりを戻すために改めて告ったってことじゃね?」
「そりゃまたお熱いこった」
色々な周囲の憶測が飛び交う中、俺はただ橋立のほうだけを見つめていた。
橋立、ごめんな。手を差し出すのが随分遅くなっちまって。
でも俺はお前の夢を叶えてやれてよかったんだって今、心底思えたよ━━幸せそうなお前の笑顔を見ていたらな。
「……公衆の面前で愛の告白とは。やるな、今どきの高校生は」
俺の黒歴史モノの告白は、五十路のおじさんにもかなり刺激があったようだ。
━━こうしてらめでたく、俺と橋立は委員会選を制すことができたのだった。
なぜ松島が立候補しなかったのか、や、なぜ渡月が橋立を陥れたのか、については疑問が残るが、今はとりあえずただ二人で委員になれた喜びをかみしめるとしよう。
それにクラス内で俺が橋立に告白したのが図らずしもガタラブのシーンの再現になっていたみたいで、二人のクラス内好感度もちょっとは上がったみたいだしな。
まあでもクラス委員になれたことは単なるきっかけにすぎない。まだまだ問題は山積みだ。二人がクラスの人気者になる道のりはほど遠い。
だけど俺は橋立が隣なら、不思議とやっていけそう気がする。
「ちょっと、何こっちをジロジロ見てくれてんのよ?警察呼ぶわよ。……いや、あんたのその腐ったような目は精神異常っぽいから、救急車呼んだほうがいいかしら。━━さあ、どっちがいいか選びなさい!」
「呼ばれる側にそんな選択権与えんなよ」
━━そう。こんなどうしようもないやり取りを交わしながら、少しずつ俺たちは前に進んでいくのだ。
なんとか一区切りつけることができました。
もしよろしければブクマ、高評価していただければ嬉しい限りです!