当て馬たちのクリスマス
「好きだよ。」
彼女がぽかんとこちらを見つめる。最初から分かっていたことだ。
「え…早瀬…くん?」
「……なーんてね。アイツのこと好きなんだろ。遅れる前にはやく行きな」
「…ッうん!」
彼女が走り出す。
「好きよ。」
「ごめん、麗奈。俺は……」
彼の口から出る言葉はもう分かっていたはずなのに。
「……ああ、もう!どうせあの子でしょ!行きなさいよ!幸せにならないと許さないんだからね!」
「…ッ悪い!ありがとうな」
彼が走り出す。
困難を乗り越えたハッピーエンド。
その裏側に、私達はいる。
「あーあ。何で毎回こうなるんだろう」
私、宮本麗奈は白い雪が降ってくる空を見上げて呟いた。
雪が降る中のホワイトクリスマス。
街の街路樹や店先がイルミネーションに照らされて、1年の特別な日を賑やかに飾っている。
どこもかしこも幸せで溢れ返っているのに、私は気分は正反対の場所にいる。
冷える空気の中、コートに身を沈め、寒さで赤くなった鼻をマフラーに埋めた。
「………帰るか」
家に向かおうと足を踏み出した所で、知っている顔が少し先のベンチに座っているのに気づいた。
近づいていき、目の前に立つと、やっと俯いていた彼は顔を上げた。
「やぁ、宮本さん」
早瀬くんは、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべている。
「今日は―――「あなた、好きって伝えなかったわけ?」」
私が言葉を重ねるようにして尋ねると、早瀬くんは顔を伏せた。
「………まぁね。でも、報われないことくらい、はなから分かっていたことだよ」
いきなりの私の言葉にも、早瀬くんはたいして驚かず、寂しそうに答えた。
早瀬くんとは、大学の講義で数回しか喋った程度しか関わりはなかった。
しかし、頭が良くイケメンで愛想がよくて完璧ということで早瀬くんの噂は、私の耳にも入ってきた。
早瀬くんはいつも飄々としていて、笑顔を浮かべている、そんな印象だった。
だが、深く関わっていないのにもかかわらず、友人が「完璧すぎて逆に近づきづらい」と評価する早瀬誠司に、私は密かに近親感を抱いていた。
なぜなら、早瀬くんは私と同じような匂いがしたから。
同族なのだ。
早瀬くんが彼女を好きだってこと。
そして私が彼のことを好きだということ。
きっと早瀬くんも気づいていただろう。
お互い、報われぬ相手に恋をしてしまったことに。
だから、ベンチに座り込んだ早瀬くんに、何があったのか悟った。
「そんなこと気にせずに伝えれば良かったのに。何も言わないなんてただのバカよ」
早瀬くんはきっと、冗談のように誤魔化したか、伝えなかったのだろう。
私は彼の隣に腰をおろしたが、早瀬くんは何も言わなかった。
「……本当に、バカだなぁ。結局のところ、俺はいい人止まりなんだよなぁ」
自嘲するように笑って、そのまま早瀬くんは黙り込んだ。
二人の間に静寂が訪れる。
はぁ、と息を吐くと白い空気が空へと消えていった。
色とりどりのイルミネーションが冬の街にゆらめき、店のショーウィンドーはどこもかしこも綺羅びやかな装飾で縁取られている。
道行く人々は、誰も彼もクリスマスに浮つき立っていて、急ぎ足になっている。
幸せに溢れた街の喧騒は、どこか遠くに感じられた。
うなだれている早瀬くんをチラリと見て言う。
「………今日くらいは本心を出したら。誰も見てないわ」
「……っッ」
その言葉にこらえていたダムが決壊したのだろう。
早瀬くんは肩を震わせてから、顔を覆って泣き出した。
のらりくらりと平気そうに見えても、彼は傷ついている。
彼女への恋は本気だったのだから。
彼は普段から弱さや本心を隠している。
きっと、彼は誰かに弱さを見せない。
そして特に彼女の前では、本心を隠していたに違いない。
思いを飲み込んだのだろう。
私と同じように。
そして、その気持ちは簡単にはなくなりはしない。
涙を流す早瀬くんの横顔は、いつもの大人っぽい雰囲気とは打って変わって、子供のように頼りなく見えた。
同情や慰めの言葉なんてものは彼には必要ない。
私は、涙がこぼれ落ちるのを見て見ぬふりをして、何も言わず早瀬くんの手を握った。
「クッ……ッ…」
手袋をしてない早瀬くんの手は冷たかった。
どれくらい経ったのか分からない。
私がイルミネーションをぼーっと眺めているとどうしても彼たちのことを考えてしまう。
「今ごろ二人はハッピーエンドかぁ」
自嘲気味に呟く。
物語で言ったら最後のクライマックスであるハッピーエンド。
彼と彼女は間違いなく主役だ。
最初から彼を好きになった時にどこかで分かっていた。
今回も私に勝ち目はないと。
それでも、諦めたくなくてもがいた。
そして結局はだめだった。
彼女を選ぶと初めから分かってたのに。
自分を見下ろす。
キツめの美人顔。
成績優秀で自立できる女。
はっきりとした物言いも。
隙なく着こなした黒の服もバッチリ決めた赤いリップのメイクも。
どれも彼女と全く正反対だ。
愛嬌も、甘えるところも、弱さを見せて頼るところも。
誰にでも振りまく優しさも。
全部私にはない。
不意に早瀬くんが頭を上げた気配がした。
気持ちの整理はついたようだ。
私は早瀬くんの顔を見ずに立ち上がる。
「私、コーヒー買ってくるわ。」
そう言い残して、そのまますぐそこの自動販売機へと歩く。
冷えた小銭を入れ、ホットと赤く強調されたボタンを押した。
カランカランと落ちてきた熱々のコーヒーを二缶抱え、ベンチへと戻る。
「宮本さん…」
「ほら、これ。ホットコーヒーで良かった?」
「あ、うん」
コーヒー缶を早瀬くんへと差し出し、再び彼の横へ腰を下ろす。
「熱っ。これ熱すぎでしょ」
「…………」
「温度調節すべきね」
「…………」
「あら、意外とおいしいじゃん」
「…………あの、さっき泣いて――」
「なんのこと?私は何も見てないわ。ほら、さっさと飲まないと冷えちゃうわよ」
しらを切る私に早瀬くんは目を見開いた。
こんな時、物語のヒロインなら。
彼女みたいな人なら、同情したり慰めたりするのだろう。
理由を聞いたり話を相談にのったりするのだろう。
理由の見当はついているが、私にはそんなことはできない。
そして彼も自分の弱さに触れられたくないだろう。
私も早瀬くんも気まずいだけだ。
だから、
何もなかったことにする。
これが私にできることだ。
私の意図に気付いたようで、早瀬くんはそっと笑って、いつもの飄々とした笑顔を浮かべた。
「そうだね。早く飲まないと」
2人ベンチに並んで缶コーヒーを飲みほす。
「あーあ。振られちゃったねー」
「そうね。予想通り」
「今年もクリスマスはボッチかぁ〜」
「………マンガで例えるなら、私たち当て馬キャラそのまんまね」
「はは、言えてるねー」
「もー本当に嫌になっちゃうわ。そんなに両思いなら、グズグズせずに、さっさと付き合いえば良かったじゃないの」
「本当だよー」
手元の缶コーヒーが空になり、指で持て余す。
「はぁーー」
何度目にもなるため息をつく。
あれから結構時間が経って、すっかり夜も深まってきた。
そろそろ帰ろうかとスマホで時間を確認した所で、早瀬くんに呼ばれる。
「ねぇ」
「?」
顔を上げた所で、早瀬くんが私の方を覗き込んできた。
「俺たち、振られた同士仲良くしない?」
雪はまだ止む様子はない。
失恋したクリスマス。
あの日、僕の隣には宮本がいた。
宮本とは何回か大学で話したことがある程度の関わりだった。
宮本は、美人で、なんでもできる女というイメージだった。
どちらかというとキツめの顔立ちで、近づきにくい雰囲気の宮本だったが、彼女の噂は大学内にいれば嫌でも耳に入ってきた。
恋をしていると相手のことによく気づいてしまう。
彼女を目で追っていると、必然と彼女の想い人である彼も見ることになり。
その彼を見ている宮本さんの存在も知った。
彼を見つめる宮本さんの目と、その彼の瞳の行く先。
「あー俺と同じかぁ」
宮本さんと俺は同族だった。
だから、あの日、自分の弱さをさらけ出してしまったんだと思う。
いつもは誰にも弱さを見せないのに。
ぐちゃぐちゃの気持ちに飲まれ、涙を流していた俺に、何もいわず宮本は手を握ってくれた。
何も言わなかったけど、想い人の一番になれない辛さを彼女は理解してくれた。
「なんのこと?私は何も見てないわ。ほら、さっさと飲まないと冷えちゃうわよ」
何も見てみぬふりをしてくれた宮本は優しいと思った。
「ねぇ、俺たち、振られた同士仲良くしない?」
だから、これきりにしたくなくて、宮本を引き止めてしまった。
宮本は、本当に強くてまっすぐで美しい人だった。
彼女と一緒に時間を過ごすようになり、そのことを知った。
だが同時に、その裏には、積み重ねてきた影の努力や、誰にも見せない弱さみたいなものがあることを知った。
宮本が弱音を吐き、泣きじゃくった夜。
俺は何も言わず彼女を抱きしめた。
他の人には本心をさらけ出すことはできなかったのに、宮本にはなぜだか俺の本心を預けることができた。
それはきっと宮本も同じだったのだろう。
照れて赤くなる所も。
甘党だという所も。
犬が好きだという所も。
意外と恋愛に不慣れな所も。
寝起きにしがみついてくる所も。
早瀬という名字に未だ慣れていない所も。
彼女と過ごすようになって初めて気付いた所だ。
「あのね、誠司。私たち、いつまでも脇役じゃなくたっていいのよ。」
あの日と同じ、雪が降るクリスマスの夜。
彼女は笑った。
「だから、幸せになりましょ」