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第九話 鉄壁? の防御壁

 結果的にややこしいことになってしまったが、かくれんぼで兄に勝てたという事実はやっぱり誇らしい。

 翌日、私はさっそく近所の子どもたちのたまり場になっている空き地に行って、かくれんぼ必勝の秘訣を伝授してくれたジミーというガキ大将に成果を報告した。

「でね、ジミーに教えてもらった通り屋根にのぼったら本当に見つからなかった!」

「そりゃそうさ、お貴族様の屋敷の屋根は高いからいくら切れ者の伯爵でも目が届かないと思ったんだ」

「うん、ジミーのおかげで閣下に勝てたようなものだわ! 本当にありがとう」

 どんなジャンルであれ前世では兄に一勝すらできなかった私が、やっともぎとった一勝だ。

 心からお礼を言うと、「ど、どういたしまして」とジミーはふてぶてしくも照れくさそうに鼻を鳴らし、私をちらと横目で見た。

「……にしても、最初は指名手配犯を捕まえるときに宿屋を壊しちゃったお詫びから始まっただけだったのに、お前があの伯爵にここまで気に入られるとはなぁ。いったいお前のどこが面白いんだろ?」

「は、ははは……」

 ジミーの当然の疑問を、私は笑って誤魔化した。

 もちろん、私が兄のことをおじさんとおばさん以外の人間に明かしたことなどない。

 遊びに来いという兄からの誘いを友達との先約を理由に断ろうとしたら、兄がジミーをはじめとする私の周囲に根回しをして私の逃げ道を塞いできたのだ。

 といっても約束通り、私がブラッドフォードの縁者だなんだとは言わなかったみたいで、私の周りでは兄が単純に私を気に入って度々屋敷に招待していることになってしまっている。

 しかし普段の兄からすればそのほうがよほど異様な事態なので、こうやって訝しまれるわけだ。

「私も全然分からないのよ。平民の子どもが物珍しいとか?」

 私は素知らぬふりでジミーに合わせて首をひねったりしてみる。

 ジミーはうーんと唸り、不意になにかひらめいたように目を輝かせた。

「あ、兄妹みたいにカラーリングが似てるからとか! ふたりとも金髪に紫の目だろ!」

「っごほっ、いっ、いやそっ……」


「セシル」


 思わずむせたとき、背後から聞き慣れた低い声で呼ばれて今度は息が止まりかけた。誰の声かなんて考えるまでもない。

 ジミーが「あ」とあんぐり顎を落とし、慌てて頭を下げた。

「は、伯爵、こんにちは!」

 初対面のようにパニックまでは起こさなくても、蛇に睨まれたカエルのように恐れ入ってジミーが挨拶をする。

 言われた兄のほうはというと、温度のない目でジミーを見下ろして「あぁ」と一応の返事をした。昔なら用のない相手、それも平民の子どもの挨拶なんて黙殺していたところだろうに、信じがたい進歩である。

 とはいえジミーは兄の前になんて好き好んで出ていたくないので、私に「じゃ、俺はこの辺で!」と小声で言い置いて、風のように駆けていってしまった。あと一分でいいからそこはなんとか居残ってほしかった。

「お前の両親にここだと聞いた」

 兄はジミーの存在などなかったことのようにそう切り出した。

 そうなんですか、今日はどういったご用件で、と愛想笑いを浮かべようとして、私はあれっと首を傾げた。

 長年妹をやっていた勘が私に報せている。いつもの冷たい鉄面皮が、今日はどことなく苦悩と迷いと焦りと苛立ちをにじませているような……?

「どうかされましたか?」

「……」

 仕事で相当ヤバイことでもあったのだろうか。

 恐る恐る訊ねた私に、なにかを堪えるように兄は唇を引き結んだ。

 それからふっと息をつき、改めて私を見据える。

「……あの馬鹿神官がやらかしたらしい。お前の情報が漏れた」

「え!?」

「それで、お前のかつての義理の子どもたちがお前に会いたいと言ってきた。いっそ私に話を通さずに突っ走ってくれる愚か者なら切って捨てられたものを、あいつら父親に似ないにもほどがある」

「はぁ!?」


 ぎ、義理の子どもたち?

 会いたいって言ってる?

 ――――ノアとエリオットに、私のことが漏れたってこと!? なんで!?


 猫を被るのも忘れて素っ頓狂な声を上げた私のことを、記憶があるのではなく義理の子どもという縁遠いワードに仰天したものだと兄は思ったようだ。

 苦々しげに眉間に皺を寄せ、

「……ウェンディはかなり酒癖が悪くてな。酔ってたところにたまたま護衛についていたノア・ライリー……つまりお前の義理の娘を見つけて、情に流されてバラしたらしい。ゴミだ。そのノアが弟のエリオットに情報を共有し、私に連絡を寄越してきた」

「…………」

 私は唖然としてただ兄を見返すしかなかった。

 ただのセシル・ターナーとして生きていくために、闇精霊のおもちゃにされない人生のために手を尽くしてきたのに、酒乱のせいでバレたってなんなんだ。ひどくないか。こんなのってなくないか。

 でも、どんなに穴が空くほど見つめていても兄も沈痛な面持ちのままで、いきなり「今のは嘘だ」などと言い出してはくれない。

 ……現実……これが現実……。

 た、対処しなくては。

 突然状況がひっくり返ったからって思考を止めてはいけない。

 とりあえず、今世の私の意味不明な現状については、光精霊という強力なお墨付きのおかげでノアとエリオットも信じてしまったということだろう。

 ノアとは仲が良かったから会いたいと思ってもらえるのに納得がいくけれど、エリオットとは最期まで微妙な関係だったと思う。その彼が兄を通してまで私に会いたがるだろうか。

 そして最大の問題は、キーランだ。

 もし彼にまで私のことが伝わっていたとしたら、……そうだ、彼が純粋に私を懐かしんだり会いたいなんて思うわけがない。

 平民の子ども、かつ記憶喪失ということになっているのだから、ふたたび作家に復帰するためのビジネスパートナーや形だけの妻にもなれない今の私は金にならない存在だ。打算的な意味でもますます会いたがる理由がない。

 でも……私は彼の前の奥さんふたりのように本当の妻にはしてもらえなかったし、最期はあんな別れ方だったのだ。

 あのときのまま、今も憎まれている可能性はある。

 少なくともキーランは私の今世の邪魔にはなっても、助けになってくれることは決してないだろう。

 私が生きているなんて彼の耳に入ったら、兄以上の難敵になること間違いなしだ。

 本心はどうあれノアとエリオットの動向は分かった。

 ならまず確認すべきはキーランの情報だ。


「え、えっと、頭が追いつかないんですけど……連絡してきたのは義理の子どもたちだけなんですか? 旦那さんは……」

 背筋に汗をかきながらも記憶喪失のふりは忘れずに、私はさりげなく水を向け、次の瞬間ぎょっと固まった。

 兄の全身から憎悪をたぎらせた魔力が噴き上がり、真っ暗闇で光る肉食獣の目がぎらっと光ったのだ。

「………………セシル」

「は、はいっ!?」

 私は震え上がりながら軍人のような忠誠心を振り絞ってなんとか返事をする。

 兄は地の底から響くようなおどろおどろしい声で、

「お前が義理の子どもたちを大切にしていたのは私も知っているから、そいつらについては……百歩譲って、許してやってもいい。だが、あの男だけは許さん。キーラン・ライリーはあの酒乱神官などより数千段劣る真性の下衆だ。関われば不幸になると覚えておけ」

「……そ、そこまでおっしゃらなくても……」

 さすがに前世での情があるので腰が引ける私を、兄がぎろりと鋭いひと睨みで黙らせる。死神?

「言い足りないくらいだが? ノアとエリオットですらその点はわきまえているんだぞ。安心しろ、キーランにはお前のことは伝わっていない」

「! そうなんですね!」

 良かった。

 私はひとまずほっと胸をなで下ろす。不自然には見えなかったはずだ。記憶喪失のところに「お前の夫は最低のクズ」宣告をされたら誰だって今後の関わり方を心配するだろう。

 私を威圧している自覚が湧いたのか、兄はそこで苦しげにふっと息をついた。

 まとう空気をある程度切り替えて、ぽつりと言う。

「……で、お前自身はどうしたいんだ? ノアとエリオットに会うか、会わないか。嫌だというなら何度頼んでこようが撥ね付けるが?」

「…………」

 私は、少し迷った。

 前世と違って今の兄なら、私が嫌と言えば完璧にノアとエリオットを拒絶してくれるのだろう。

 むしろ兄は私にそう答えてほしいのかもしれない。出来れば関わらせたくないと思っているのがひしひしと伝わってくる。ただ前世の私が大切に思っていた子たちだから、引くべき一線を越えて誘導するようなことは言えずにいるのだ。

 ノアとエリオットの近況はすでに調べて知っている。ふたりとも立派になって、五年前に訳の分からない死に方をして迷惑をかけた家族もどきのことなんか忘れているものだと思っていた。

 毎日充実した生活を送っているだろうし、ふたりともモテモテみたいだし。

 正直、ふたりに会う自信がなくて気が引けているのは私のほうなのだ。

 でも、それでも……本当にふたりが私に会いたいと思ってくれたのだとしたら、――――それはやっぱり嬉しい。

「……いえ、大丈夫です。私も会ってみたいです、その、ノア様とエリオット様に」

 思い切って答えると、兄が露骨に顔をしかめた。

「……、ちなみに私は反対だが」

 あ、とうとう我慢できなくなったな。

 私は少し押されかけたが、気を強く持ってぶんぶんとかぶりを振った。

「いいんです。お願いします、……お、お兄様」

「…………」

 兄はちゃんと約束通り「お兄様」呼びをした私に、長い沈黙のあと溜め息をひとつ落とした。

「分かった。手を出せ」

「?」

「左手だ」

「は、はいっ」

 唐突に手を出せと言われて反応できず、きょとんとした私を兄は急かした。

 なにげない仕草でポケットから謎の小箱を取り出す。

 慌てて言われるがままに出した左手を取られた、かと思うと、次の瞬間私の薬指に細身のリングが出現していた。


 …………え??


「!? なん、なんで!? 指輪!? え!?」


「うるさい」


 いやここでうるさくしないでいつしろと??

 しかもこれ、おもちゃでもましてや雑草の茎で作った輪っかでもなく、しっかりお高いちゃんとした指輪!!

 大混乱の私をよそに、兄はまるでこれがギリギリの譲歩案だとでも言うように舌打ちをする。

「いや本当に訳が分からなっ……は、離してください! なんですかこの指輪!?」

 私はすぐさま左手を引き抜いて指輪を取ろうと試みたが、兄の圧倒的パワーの前では無力だった。

 兄は小箱をポケットにしまいながら、鬱々と言う。

「これはノアとエリオットに会うのに必要な装備だ。これくらい衝撃的でなければ、到底あいつらの脳天には響かないからな……」

「どういうことですか!? ていうかこんな高価なもの頂けません! お返しさせてください!」

「いいから着けておけ。お前にとってはお守りのようなものだ。それに、兄が妹に服飾品を贈るくらいよくあることだろう」

「左手薬指に!?」

「お前は知るよしもないだろうが、最近貴族の間でこういうのが流行っているんだ」

「……!」

 記憶喪失というていでいる以上、貴族ではこうなんだと言い張られると反論に困る。

 いや絶対そんなブームなんか存在しないのだけど。

 そもそも前世では兄にアクセサリーをプレゼントしてもらったことなんか一度もなかったし、家族間で贈るにしてもよりによって左手の薬指に指輪をなんて聞いたこともないし、もしそんなブームが実在していたとしてもこの兄は乗っかるタイプではないし。

 なにがどうして兄にこんなめちゃくちゃな真似をされる羽目になっているんだ。

 まさかすでに闇精霊に目を付けられて正気を失わされているのでは、と一瞬本気で勘ぐったが、残念ながら観察する限り兄の態度はバリバリ正気、真剣そのものだった。

 薬指で輝くピンクゴールドの繊細なリング。

 その値段を想像するだにばくばくと変な動悸がしてくる。

 こわごわと指輪を凝視しながら、思考がまとまらず言葉に詰まった私に、兄がかすかに頬を緩めた。

「胸を張れ、前の結婚指輪なんぞより遙かによく似合っているぞ。まぁ、私の見立てなら当然だがな」


 ねぇお兄様、言うことなすことぜんぶ激重だって自覚はありますか……?



 そうして、ノアとエリオットとの再会当日がやってきた。

 仮にも男爵家の令嬢と令息に会うのだから実家の宿屋に普段着ではまずいだろうと押し切られてしまったため、セッティングは兄によるものだ。

 場所はブラッドフォード邸の自慢の庭園に接地された屋外客席。

 いつになく気合いの入ったメイドたちの手で着飾られた私は、結局兄に押しつけられた指輪を着けたままで本番に臨むことになった。

 よく晴れた午後、ライリー男爵家の馬車がブラッドフォード邸に到着した。


「伯爵、ご無理を申し上げたのに、今日この場で私たちに貴重な機会をくださったことに感謝致します。……お久しぶり……じゃないんですよね。初めまして、セシルさん。ノア・ライリーと申します。会えてとっても嬉しいです!」

「エリオット・ライリーです。……初めまして」

「は、初めまして! セシル・ターナーと申します!」

 わたわたと恐縮しながら、出来うる限り完璧なカーテシーで挨拶する。

 でも内心では、ふたりの成長した姿に圧倒されて挨拶どころじゃなかった。


 騎士として活躍しているらしいノアは、いま二十歳だったか。

 すらりとした長身にそよ風になびく長い亜麻色の髪がきらきらしく、東方の国によくあるデザインの細身のロングドレスが凜々しい。それでいて穏やかな口調と表情には実力に裏打ちされた清潔感と余裕があり、男爵家という決して高くない家柄の出にも関わらず、彼女に憧れるレディが大勢いるというのもよく分かる。

 エリオットはエリオットで父キーランとほとんど変わらないほど背が伸びた。

 幼い頃は黒髪という特徴からキーラン似だと思っていたが、今の鋭くも憂いを帯びたなんとも言えず色気の漂う顔立ちはむしろお母様に似ている。魔法の研究で才能を発揮しているそうだし、姉弟そろって才色兼備だ。今は十七歳……婚約の打診が引きも切らないというのも納得できる。本人は徹底して塩対応らしいけれど。


 こうして直接会ってみると、ふたりとも本当に立派になったなぁ……。

 前世の私は十六でライリー家へ嫁いで十九で死んだが、その間ふたりのようにつぼみが花開くように素敵な大人にはちっともなれなかったので、恥ずかしい限りだ。

 そのうえ今はちんちくりんの子どもだし、かつての義理の母親としての威厳なんかあったものじゃない。

 ……実際会ってみて、がっかりされてないかしら……。


 ノアが肩身の狭そうな私を見て、慌てて言う。

「あの、突然会いたいなんて迫ってごめんなさい。記憶のないセシルさんを困らせるだけだって分かってても、私たちどうしても会いたかったから……。義理の子どもなんて全然ピンと来ないでしょう? 当時のセシルさんだって私とはたった四歳差、エリオットとは七歳差しかなかったし」

「えっと……そ、そうですね……」

 まぁ、十歳そこらの平民の少女が急に義理の娘息子(年上)の存在を知らされたらそりゃ仰天するだろう。

 私が「記憶喪失らしさ」のために小さくうなずくと、斜め後ろで腕組みしている兄が当たり前だろと言わんばかりに鼻を鳴らすのが聞こえた。

 あらかじめ私がノアとエリオットとのやりとりを邪魔しないならなら同席でも監視でもしていてもいいと条件を出したので、兄は不本意ながらもそれを守ってくれているようだ。

 エリオットがそれにぴくりと反応し、硬質な表情をますます硬くする。

「……まぁ、言ってしまえば単なる過去の属性の話なので忘れるのも無理はないんじゃないですか。どっちみちこれが俺たちの『初対面』なんですから――――いてっ!」

「……」

 笑顔のままのノアの肘鉄がなぜかエリオットの発言を遮ったが、確かに、義母と子どもたちといったって過去の属性と言われればその通りだ。

 ……もしかして、そもそもふたりにとっては私に対する義理を果たすためのものというか、義理の子どもとしての義務感からくる一回こっきりの行動だったのだろうか。

 向こうは最初から「お互い元気で良かったね、それじゃ」で終わる会合のつもりだったとしたら、その後の関係まで心配していた私は思い上がりも甚だしい。

 どんどん不安になってくるが、昔子どもたちの前ではなるべく明るくいようとしていた癖が抜けなくて、下手くそな愛想笑いが勝手に浮かんだ。

「過去の属性……そうですよね。今に至っては平民の子どもですし、記憶もないから話も合わないでしょうし……昔だって、当時の私の年齢じゃお二方のお母様という重要な立場にはそぐわなかったと思います。それなのにまた会いたいと思ってくださって、昔の私はこんな素敵な方々とご縁を持てていたんだなって知れて、嬉しかったです」

「! いや違っ、そうじゃなくてっ」

「違うのよ、待って、セシルさん!」

 頭を下げようとした私を、ふたりが血相を変えて止めにかかる。

 ノアがエリオットの背中を容赦なくバンバン叩き、

「今のは弟が百パー悪いです! この子昔っからセシルさんにだけは素直になれなくて、遠回しで誤解を招くような言い方ばっかりするんです! だから今回も事前に注意したのに……馬鹿エリオット! 謝りなさい!」

 ほとんど関節技のような動きで頭を固定され、下げさせられたエリオットが顔面蒼白で「そうなんです、本当にすみません」と必死に謝ってくる。

 私はぽかんと口を開けて頭上に疑問符を回転させた。

「……昔から……?」

 ノアはともかく、エリオットにはてっきり嫌われていたと思っていた。

 誕生日プレゼントでは失敗するし、父親との関係もうまくやれず家庭内の空気を悪くするばかりの鬼嫁なんて、早く別れろ、家を出て行けと息子直々にせっつかれるのも当然だと思っていたけれど、まさかエリオット本人にはそんなつもりなかったのだろうか。

「……エリオット様は、昔の私のことを嫌っていたわけではないんですか?」

「もちろんです!!!!」

 恐る恐る確認すれば、エリオットは目を剥いて食い気味に肯定してきた。彼らしからぬ声量に私は面食らう。


 ……ふたりは嘘やおべっかを言ってる雰囲気じゃない。

 本当に嫌われてなかったんだ……。


 一気に気が抜けて、私はへにゃっと笑えてきた。

 目の前のノアとエリオットが目を丸くする。

「よ、良かったぁ……。聞いてた話だと鬼嫁なんて呼ばれてたみたいだし、てっきり……」

「そんなあだ名、謂われのない中傷です! 真に受けないでください!」

 エリオットは我が事のようにまなじりを吊り上げて怒り、それから改めて居住まいを正して言った。

「……いや、その、本当にすみません。なぜかセシルさんに対してだけ、俺なりに気を回したつもりがいつもこうなってしまって……決して嫌いなんかじゃないんです! 今後必ず改善しますので、ぜ、絶縁だけはしないでもらえませんか……」

 ノアも見かねて弟に加勢する。

「私からもお願いします、セシルさん! こんなんでも弟ですし、私と同じくらいセシルさんが大好きなのは確かなんです!」

「だいす、……は、はい」

 エリオットに比べたらノアは行き過ぎなほどド直球なので、面と向かって大好きとまで言われた私はもう完全に大量の新情報に呑まれてキャパオーバーだ。

 とりあえず、私の想像とは違ってノアとエリオットは私のことを悼んでいてくれたらしい。

 あんな失敗ばかりの義母だったのに、ふたりに嫌われていなかったのならこんなに幸せなことはない。

 エリオットの失言からこっち、ずっと背後で剣呑な気配を発していた兄が呆れたように息をついたのが聞こえる。

 話の展開次第ではすぐさま腕ずくでふたりを追い出すつもりだったみたいだ。そんなことにならなくて良かった。


 トータル約八年越しに誤解が解け、三人で笑い合ったあと、ノアがエリオットと目配せして、

「私たちの気持ちを分かってもらえたなら、セシルさん、これからはぜひ私たちとも遊んでくれませんか?」

「記憶がないならないで、また一緒に思い出を作っていきましょう」

「ノア様、エリオット様……」

 めちゃくちゃ嬉しい申し出だけれど、どうしたものか。

 気持ちの盛り上がるままに軽率に承諾する前に、確認しておくべきことがある。

「あの、ちなみにお二人のお父様、私の以前の旦那さんについてはどう……」

「「その人は関わらせないので気にしなくて大丈夫ですよ」」

「……そ、そうなんですね」

 真顔で口を揃えて即答されてしまった。それならまぁ、問題はないか?

 ……いや、これからは兄に加えてノアとエリオットとも交流が続くとなると、闇精霊の趣味の悪さを考えればキーランとの遭遇もあり得ないとも限らない。

 前世の関係者との繋がりがどんどん深まって、セシル・ターナーの人生がセシル・ブラッドフォードの人生に上書きされないために、三人とほどほどの距離を取って付き合えるよう、記憶喪失の振りは続けるべきだろう。

「分かりました。畏れ多いことですが、こちらこそ、またよろしくお願いします」

 私がそう答えると、ノアとエリオットはあからさまに顔を輝かせた。

 嬉しそうに身を乗り出して、さっと手を差し伸べてくる。

「良かった~! じゃあまずは握手から始めましょう、セシル様!」

「握手?」

「あなたにとっては今日が初対面だから仕方ないですが、まだ俺たちに緊張してるでしょう。だからお互い身分とか過去とか関係なく、新しい……対等な友人だとでも思って、まずは形から入りませんか」

 なるほど。

 ふたりは私の遠慮がちな態度に気を遣ってくれたようだ。

 そういうことなら、と私はなにも考えずに両手を差し出し、その直後に「「え!?」」という大声を浴びて飛び上がった。

「? どうかされま……あっ!」

 愕然としているノアとエリオットの視線の先を辿り、私も数拍遅れて事態の元凶に気づいた。


 そうだ考え事が多すぎてすっかり忘れてた、左手薬指の指輪……!


 私はあは、えへ、と不格好な誤魔化し笑いで即座に手を背後に隠すが、魂を抜かれたような状態でもふたりの視線はそれを追尾してきた。不気味だ。

 しかし、今は十歳そこらの元義母の左手の薬指に高価な指輪が嵌まっていたらそりゃ動揺もするか。

 どうして兄がこんなものを事前に渡してきたのかちっとも理解できなかったが、まさかこうやってふたりの度肝を抜くのが目的だったのか……?

 なんでまたそんな悪質なイタズラを、と疑問ではあるが、ふたりとの再会に反対していた兄のことだ。私が思惑に反したことで山より高いプライドが傷つけられた腹いせにそれくらいする、かもしれない。

「やっと気づいたか」

 すると、ふんと兄が勝ち誇ったように鼻を鳴らして近寄ってくる。

「まぁそういうことだ。もう将来を誓った相手がいるとは、平民でも最近の子どもはませているよな?」

 ませているよな? ではない。

 兄のこの言動を鑑みて、本当に私が誰か将来を誓った相手に指輪をもらったと信じる人間がいったいどこにいるだろう。

 案の定、いいようにコケにされたエリオットが真っ先に正当な怒りを爆発させた。

「いやどう考えてもあんただろ伯爵!!」

「い、いくらなんでもこんなの、実の兄が妹にすることですか!?」

「なんの話だ? あと今のセシルと俺に実際の血のつながりはないし、指輪の贈り主はこういう虫除けを怠らない大変裕福で優秀な男だ。なんら問題はないと思うが?」

「あるだろ!?」

「なにもかも問題ですよ!!」

「あ、あぁああぁ~……」

 こうなったらもう、情感とか余韻とか建設的な会話なんかあったもんじゃない。

 もしかして、こうやって私とノアたちの距離を一息に縮ませないことこそ兄の狙いだったのだろうか。

 だとしても動機が分からないけれど……。

 せっかくの再会が兄のせいでなし崩し的に混沌と化してしまった悲しみと、ノアとエリオットはよくこの兄に正面切って噛みつけるなぁというハラハラドキドキで、私は悲痛な呻き声をあげた。

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