86:切り札を、彼女の元へ
エナの手の中で、小さな光が煌めいていた。
それは望みの最後の欠片。リボルカリバーの予備弾だった。
ヴァリアのもとへと届けなければならない希望の光。
しかし、その距離は途方もなく遠かった。
「どうやってヴァリアさんのもとまで……」
エナの声が風に消える。
魔王は彼女の言葉を聞き漏らすことなく、冷たい笑みを浮かべた。
「ほう、面白い。だが、我の前で動くことすら許されぬぞ」
魔王は片手を翳し、エナの周囲に漆黒の結界を張り巡らせる。
それは檻のように彼女を囲み、一歩も動けないようにするための魔法陣だった。
「魔導人形ごときが、我に抗おうなどと……大きな夢を見るな」
その声には嘲りと、そして僅かな苛立ちが混ざっていた。
エナの転移による出現は、明らかに魔王の予想外だった。
だからこそ、決して動きを許すまいという強い意志が、その声には込められている。
「確かに、私は魔導人形。壊れれば、それまでの存在」
エナは静かに、しかし凛とした声で告げる。
その瞳には、揺るぎない決意の色が宿っていた。
「でも、それだからこそできることがございますわ」
結界に向かって、エナは一歩を踏み出す。
魔力が彼女の動きを妨げようとするが、彼女は毅然とした態度を崩さない。
手の中の予備弾が、僅かに輝きを増す。
「くっ……!」
魔力の重圧に耐えながらも、エナは前進を続ける。
その姿には、いつもの優雅さが残されていた。
「愚かな」
魔王が再び手を翳すと、結界の力が更に強まる。
エナの動きが、徐々に遅くなっていく。
「このまま押し潰してやろう。そなたの中の記憶の欠片もろとも」
「私の記憶の欠片は……もう、大丈夫ですの」
エナの声は、重圧に耐えながらも、確かな意志を帯びていた。
「マオさんが、私の記憶を守ってくれました。だから……今度は私が、マオさんのために」
その時、マオの心に一つの考えが過った。
まるで閃光のように、その答えが彼女の中で形を成す。
(そうか……エナっちは魔導人形だから、人間の限界を超えた速度でも……!)
「エナっち!」
マオが右手を伸ばし、エナの名を叫ぶ。
その声には、これまでにない強い意志が込められていた。
「どうか、私を信じて!」
その呼びかけに、エナの体が反応する。
結界の中で、彼女の手がマオの方へと伸びる。
「させるものか!」
魔王が更なる力を結界に込める。
しかし、エナの指先は、確かにマオへと向かっていた。
「このまま、この場で砕け散るがいい!」
魔王の声が轟く。
結界が収縮し、エナの動きを更に制限していく。
しかし。
「届け!」
マオの指先が、エナの手に触れる。
その瞬間、マオの魔法陣が展開される。
「――ウェディアート」
それは彼女が武器に使っている、いつもの魔法。
人間にかけるには代償を伴うが、彼女は違うかもしれない。
その可能性にかけた、軽量化の魔法だった。
「ルフトレグ!」
「なっ……!」
魔王の驚愕の声が響く。
エナの体が淡い光を纏い始め、結界を押し返すほどの輝きを放つ。
「行って!」
マオの声と共に、軽量化の魔法が完成する。
エナの姿が一瞬にして消失したかのように見えた。
しかし、それは超高速での移動。
魔導人形だからこそ可能な、極限までの加速だった。
「無駄な……!」
魔王が両手を広げ、無数の魔力弾を放つ。
しかし、それらは全て空を切る。
エナの動きは、魔王の予測を遥かに超えていた。
「まるで光のよう」
マオが小さく呟く。
エナの姿は、もはや残像となって空間を駆け抜けていく。
その軌跡が、まるで星屑のように輝いていた。
「させぬ!」
魔王の放つ魔力弾が、クレーターの大地を更に抉っていく。
しかし、それらは全てエナの動きには追いつかない。
彼女は魔力弾の間を縫うように、優雅な動きで空間を駆け抜け、確実にヴァリアへと近づいていく。
「これが私の……私にしかない力なんだ」
マオの声には、誇らしさが混じっていた。
魔王の力ではない、自分自身の持つ力。
それを使って、大切な友を助けることができる。
その喜びが、彼女の心を温かく満たしていた。
そして、ついにエナはヴァリアの元へと辿り着く。
彼女の手から、小さな光がヴァリアへと手渡される。
リボルカリバーの予備弾。
それは確かに、最後の希望として、ヴァリアの手の中で輝きを放っていた。
「任務……完了ですわ」
エナの声が、風に消えていく。
軽量化の反動で、彼女の動きは緩やかになっていた。
しかし、その表情には清々しい笑顔が浮かんでいる。
マオの魔法は、確かにエナに届いていた。
そして、エナの想いは、確かにヴァリアに届いていた。
夜明けの光の中で、三人の絆が紡ぐ奇跡が、静かに、しかし確かに形を成していった。




