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78:終わる世界

 記憶の洪水が収まり、マオは荒い呼吸を繰り返していた。

 地面に膝をつき、汗に濡れた額を両手で抱える。

 夕陽に照らされた廃墟の中で、彼女の肩が小刻みに震えている。

 時折、激しい痙攣が体を走り、苦しそうに唇を噛みしめる。


「思い出しましたか? あの日のことを」


 ベルカナンの声が、夕暮れの空気を切り裂く。

 その声音は、まるで娘を諭す母親のように優しかった。

 それがかえって、マオの心を深く抉っていく。


「私の家族を……村を……全て奪って……!」


 マオの声が震える。

 それは怒りなのか、悲しみなのか、もはや彼女自身にも分からない。

 様々な感情が渦を巻き、心が張り裂けそうになる。

 指先が震え、地面を掻きむしろうとする。爪が土に食い込み、血が滲む。


『マオよ、冷静になるのだ』


 エクスカリバーが、静かに語りかける。

 聖剣の声には、深い悲しみと慈愛が込められていた。

 光を放ち、必死にマオの心を照らそうとする。


「冷静に……? こんな時に……どうやって……」


 頭を抱えたまま、マオは呟く。

 その声には、これまでにない苦悩が滲んでいた。

 平和な村娘だった記憶。治癒魔法への憧れ。

 父との温かな日々。

 全てが、ベルカナンによって奪われたのだ。

 記憶が蘇るたびに、体の震えが強くなっていく。


「私の記憶を消して……新しい人生を与えて……そこでまた、私を苦しめて……!」


 マオの声が次第に強くなっていく。

 その調子は、これまでの彼女からは想像もつかないほど低く、冷たいものだった。

 声そのものが変質していくかのように、反響音を帯びていく。


『心を落ち着けるのだ。怒りに身を委ねれば――』


「黙って!」


 エクスカリバーの声を遮るように、マオが叫ぶ。

 その瞬間、彼女の周りに黒い靄が立ち始める。

 微かな靄は、次第に濃くなっていく。

 その中で、マオの姿が徐々に変容を遂げていく。


『我の力を解放するのだ』


 魔王の声が、マオの心の奥底から響いてくる。

 その声は甘く、誘惑的だった。

 まるで愛する者を抱擁するかのような、優しい響き。


「エナっちの記憶も……あなたは平気で壊そうとした」


 マオはベルカナンを睨みつける。

 その瞳には、もはや迷いはなかった。

 代わりに、深い憎悪の炎が宿っている。

 かつての茶色の瞳は、深い紅に染まりはじめ、瞳孔が縦に細長く変化していく。


「ふふ、そうですよ。全ては、あなたを目覚めさせるため」


 ベルカナンは相変わらずの優雅な立ち振る舞いで、そう答えた。

 その姿は、廃墟の中で妖しく輝いている。

 マオの変化を見届けるように、満足げな微笑みを浮かべている。


『マオ、その力に溺れてはならぬ!』


 エクスカリバーが必死に呼びかける。

 しかし、その声は次第に遠くなっていく。

 代わりに、魔王の囁きが強くなっていった。

 聖剣の放つ光も、次第に弱まっていく。


『さあ、全てを破壊するのだ。我の力で、憎きものを葬り去れ』


 黒い靄が更に濃くなり、マオの体を包み込んでいく。

 夕陽に照らされた靄は、禍々しい輝きを放っている。

 その中でマオの変容は更に進んでいく。

 髪が風もないのに揺れ動き、漆黒の炎のように空中を舞う。

 額からは小さな角が生え始め、その先端が鋭く尖っている。

 指先が鋭く尖り、爪が黒く変色していく。


「私の人生を……みんなの人生を……もてあそぶなんて……!」


 マオの声が歪んでいく。

 それは、彼女本来の声ではなく、何か別のものが混ざったような響きを帯びていた。

 その声には、人間離れした力が宿っている。


『止めるのだ、マオ! その先には――』


 エクスカリバーの警告が、かすかに聞こえる。

 しかし、もはやその声は届かない。

 マオの心は、完全に復讐心に支配されていた。


「許さない……絶対に許さない!」


 マオの体が宙に浮かび始める。

 黒い靄は渦を巻き、彼女を中心に広がっていく。

 その姿は、まるで闇の女王のようだった。

 肌は青白く、血管が浮き上がるように変化している。

 しかし、それでも彼女は美しかった。禍々しくも気高い美しさを湛えている。


『ついに、ついに目覚めの時が』


 魔王の声が高らかに響く。

 もはや、エクスカリバーの声は完全に消え去っていた。

 黒い靄の中で、マオの姿が完全な変貌を遂げる。

 額の角は更に伸び、漆黒の輝きを放っている。

 瞳は深い紅に染まり切り、その中に金色の輝きが宿る。

 全身から漆黒の魔力が溢れ出し、まるでドレスのように彼女を包み込んでいた。


「全て壊してやる……! あなたの計画も、この世界も、全て破壊してやる!」


 歪んだ笑みが、マオの唇に浮かぶ。

 その表情は、かつての彼女からは想像もつかないほど残虐なものだった。

 それでいて、どこか悲しみを帯びているように見える。


「素晴らしい」


 ベルカナンが陶酔したような表情を浮かべる。

 その瞳には、狂信的な光が宿っていた。

 両手を広げ、まるで崇拝するかのような仕草を見せる。


「ついに、ついに魔王様が目覚められた」


 夕陽が沈みゆく空の下、マオの体から放たれる闇の力が、廃墟と化した村を更に破壊していく。

 建物の残骸が粉々になり、大地が軋む音が響く。

 その破壊の中心で、マオは冷たい微笑みを浮かべていた。


 かつての明るく優しい少女の面影は、もはどこにも見当たらない。

 その代わりに、そこにいたのは漆黒の魔力を纏った魔王。

 しかし、その姿は単なる魔物ではなく、気高さと残虐性を併せ持つ存在だった。

 魔王として目覚めながらも、マオという存在は完全には消えていない。

 それは、より恐ろしい存在への変貌を意味していた。


 人としての美しさを残しながら、魔王の力を宿した存在。

 その矛盾した姿こそが、真の恐怖を象徴している。

 世界は、予期せぬ形で魔王の復活を迎えることとなった。

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