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71:記憶にない故郷

 夜風が学園の庭を吹き抜けていく。

 星明かりだけが頼りの暗闇の中、マオは一人、ベンチに腰掛けていた。

 寮を抜け出してきたことなど、今はどうでもよかった。


(私の力じゃ、みんなを守れない)


 闇に包まれた庭で、マオは両手を見つめる。

 この手には何の力も宿っていない。

 心の中で繰り返される言葉が、彼女を苦しめる。

 魔王の力に頼らなければ誰も守れない。でも、その力を使えば自分が消えてしまう。

 二つの選択肢の間で揺れ動く心に、マオは溜息をつく。

 夜風が彼女の髪を揺らし、まるで慰めるかのように頬を撫でていく。


「スレインの言うとおりかもしれない。でも……」


 自分の中に渦巻く魔王の存在。

 その力がなければ、友人たちを守れない。

 けれど、その力を使えば使うほど、自分自身が失われていく。

 矛盾した感情に引き裂かれそうになる。


 その時、庭の向こうから声が聞こえてきた。

 マオは咄嗟に木陰に身を隠す。


「あの演習での出来事、私、マオさんのことが心配でなりませんわ」


 エナの声だった。彼女の隣には、ヴァリアの姿があった。

 二人は月明かりの下、真剣な表情で向かい合っている。

 エナの表情には深い憂いの色が浮かんでいた。


「ああ。マオの様子は明らかにおかしい。君たちから聞いた話だと、まるで……」


 ヴァリアは言葉を途切れさせる。

 レイレイやエナから聞いた話。

 想像した狂気じみた笑い声を思い出すのも辛いかのように。


「私たちに出来ることはありますの? このまま、マオさんが魔王の力に飲み込まれてしまうのではないかと……」


 エナは自分の腕を抱きしめるように組んで、肩を震わせた。


「……私たちが強くなるしかない」


 ヴァリアの言葉は力強く、夜空に響く。

 彼女は拳を握りしめ、決意を示すように前に突き出した。


「そうですわね。私たちが強くならなければなりませんわ。マオさんに魔王の力を使わせないためにも……」


「ベルカナンの言う通り、これからも強敵が現れるだろう。だが、それに私たちが立ち向かえば、マオは魔王の力に頼る必要がなくなる」


「ええ。今度は私たちが、マオさんを守りますわ」


(みんな、私のことを……)


 マオは胸が締め付けられる思いだった。

 自分のことを、こんなにも心配してくれている。

 でも、その期待に応えられない自分がいる。

 両手を胸の前で握りしめ、マオは歯を食いしばった。


 その時、木々の間から一つの影が現れた。

 小柄な体格に、キツネのような耳を持つ獣人。

 月光に照らされた姿は、間違いなくユクトだった。


「レイレイ殿ー! どこにいらっしゃいますですかー?」


 小声ながらも切実な響きを持つユクトの声が、夜の庭に漂う。

 彼は辺りを見回しながら、耳をピクリピクリと動かしている。


「あ! ヴァリア殿とエナ殿ではありませんですか!」


「ユクトさん? こんな夜遅くに、どうなさいましたの?」


 エナが驚いた様子で声を上げる。


「レイレイ殿はお二人と一緒ではないですか?」


「こんな時間だ、レイレイは寮で眠っているよ」


 ヴァリアの言葉に、ユクトの耳がガクリと下がる。

 尻尾も力なく垂れ下がってしまった。


「そう、ですか……。ボク、大切な話があって……」


「大切な話?」


 ユクトは一度深く息を吐き、気を取り直したように耳を立て直す。

 そして周囲を警戒するように見回してから口を開いた。


「ししょーから、大切な情報を預かってきましたです。これは、絶対にまおー殿に関係のある情報だと……」


「マオに関係のある情報だと?」


 ヴァリアが身を乗り出す。


「ししょーとボクが懸命に調べた結果、まおー殿の故郷の場所が分かりましたです」


「マオさんの……故郷、ですの?」


 エナの声が震える。

 マオも思わず息を呑んだ。


「はい。この学園から北東に向かい、山脈を三つ超えた先にある谷間の村です」


 ユクトは月明かりに照らされた空を指差す。

 その方角には、遠く離れた山々の影が黒々と横たわっていた。


「三つ目の山を越えた後、東に大きく曲がった場所。そこに小さな谷があって、その谷間に――」


(私の故郷……そこに、何か……!)


 マオの心に一筋の光が差し込む。

 北東の山々、そして三つ目の山を越えた東側の谷間。

 その場所に、自分のルーツがある。

 そうだ。自分の故郷に行けば、何か分かるかもしれない。

 魔王の力に頼らない道が、そこにあるのではないか。

 自分の出生の秘密が、この迷いを解く鍵になるのかもしれない。


 考える間もなく、マオは学園の寮へと走り出していた。

 月明かりの下、彼女の足音が静寂を切り裂いていく。

 髪を靡かせながら走る姿が、やがて闇の中へと消えていった。


 寮に向かったマオには、ユクトの次の言葉は届かなかった。


「ですが……辛い話になりますです。まおー殿が入学する前に、何者かによって故郷は滅ぼされてしまったのです」


 ユクトの言葉に、エナとヴァリアの表情が強ばる。

 夜風に乗って、その残酷な真実だけが虚しく響いていった。

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