66:守れたもの、守れなかったもの
「……ん」
エナはゆっくりと目を開けた。
まどろみの中から、現実の世界へと意識が引き戻されていく。
彼女の頭は、まるで雲の上に乗っているかのように、心地よい感触に包まれていた。
「――おはよう」
目を擦ると、マオが微笑んでいるのが見えた。
その笑顔は、まるで太陽のように暖かく、エナの心を照らす。
マオの瞳には、彼女を労るような優しさと愛情に満ちあふれていた。
エナは、自分がマオの膝を枕にしていることに気がついた。
「マオさん。私……」
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
「そう、ですの」
エナは思わず微笑み返した。
そして、この瞬間が永遠に続けばいいのにと願う。
マオの膝の上で、こうしてまどろみから目覚めた瞬間が、エナにとって至福の時間だった。
マオは、優しくエナの髪を撫でる。
マオの柔らかい指で撫でられて、エナは心を和ませる。
エナは思わず目を閉じ、その感触に身を委ねた。
もっとこうしていたい。
その欲望を抑えて、エナは起き上がる。
「ありがとうございますわ。私……あの時に自分が消えたかと思いましたもの」
「アイミーは殺したよ。きっと、もう復活しない」
「凄いですわね。どうやって倒しましたの?」
「まあ、色んな感情を教えただけだよ」
「感情……ですの?」
マオの言葉に、エナも何となく同意する。
エナから見ても、アイミーの感情はどこか欠けていた印象を持っていた。
なら、話し合いで解決したのだろうか。
ダメなことを注意して、聞く耳を持っていたとは。
アイミーに対する評価改めようとしたその瞬間。
「――焦り、不安、恐怖、絶望。人間の色んな感情を教えたら、勝手に死んじゃったよ」
「そ……そうだったんですのね。少し怖いですわね」
少し眉をひそめるエナをよそに、マオは笑う。
「エナにはしないよ。だって、エナは私のものだからね」
「……マオ、さん?」
目の前の人間はマオ。
それは彼女の風貌で分かる。
エナはそれでも疑問を持った。
微かな違和感だが、それは大きな意味を持つ。
「マオさん。私のことをもう一度呼んでみてくれませんこと?」
「ん?どうしたのさ、エナ」
「いつもと呼び方が違いませんこと?」
「ああ……まあ、ね。特に深い意味はないんだ。なんとなく、かな?」
エナはマオの言葉に納得いかない。
彼女は「エナっち」と呼ばれることに慣れていた。
それが自分とマオの絆とも思っていた。それが一変するとは。
エナは、胸の奥に微かな寂しさが芽生えた。
マオと遠くなる心の距離。
呼び方が変わったことで、二人の関係が変わってしまったのではないか。
マオは、エナの表情を見て、優しく微笑んだ。
「大丈夫。私たちの仲が変わったわけじゃないよ」
「それなら……構いませんわ」
エナは、マオの言葉に少しの安堵を覚える。心の奥底で、違和感を寂しさを残して。
自分が思っていた以上に「エナっち」と呼ばれる日々は大切だった。
エナはそれを実感した。
「マオ、エナ!無事か!」
ヴァリアとレイレイも合流する。
服も切り裂かれ、所々に残っている血痕。
切り傷が出来ていたり、打撲傷が広がっていたり。
お互いボロボロな所があるが、それでも無事であることを祝う。
「マオちゃん、エナちゃん!」
レイレイが駆け寄りながら叫ぶ。
彼女は真っ先にマオへと抱きついた。
「良かった……無事だったんだね」
レイレイが泣きながら言う。
「スレインこそ。そんなボロボロでアイミーと戦ってたの?もう……。あまり、私を心配させないでほしいな」
「……ごめ、ん?」
気のせいだろうか。
レイレイは顔を上げてマオを見る。
いつもなら、無邪気な笑顔を見せるはずのマオの表情が、どこか大人びている。
そして、いつもキラキラ輝いていた瞳が、今は深い思慮に満ちているように見えた。
まるで、一瞬のうちに大人になったかのような印象だった。
「スレイン?」
「う、ううん。大丈夫だよ、マオちゃん」
「そっか。でも、危ないと思ったらちゃんと逃げること。いいね?」
マオはレイレイの額を軽く小突く。
「――マオ。どうした?」
マオの様子がどこかおかしい。
ヴァリアは率先して疑問をマオにぶつける。
「どうもしてないよ、ヴァリア」
「……魔王の記憶を引き出したのか」
「うん。まあね。でも問題なかった。私は私。むしろ、何か気分良いよ」
「そうか……」
「みんな、もしかして呼び方変わったことに驚いてるの?これは何となくだって」
マオは微笑んだ。
その笑顔は、いつものマオの様子を残している。
だが、どこか大人の女性のような雰囲気を纏っていた。




