65:私の力はみんなを救えない。でも、魔王の力ならみんなを救える
マオは地面に崩れ落ちていた。
彼女の心の痛みは、涙となって表れた。
その涙は、まるで氷の水晶のように透き通っていた。
同時に、彼女の心は悔しさで張り裂けそうだった。
その悔しさは体中を駆け巡り、握りしめた手に集中していく。
土を握る力が強くなる。その度、彼女の悔しさも深まっていった。
(――私の力はみんなを救えない。でも、魔王の力ならみんなを救える。そうでしょ……! そうなんでしょう!?)
(でも良いの? 魔王の力を使えば、私が居なくなっちゃうかもしれない)
マオの心の中で、もう一人の自分が自制を求める。
だが、マオの心は決まっていた。
(これしか方法がないの。もう……私の力じゃ何も出来ない。無力なんだよ私は!!)
マオの悲しみと悔しさは、次第に別の感情へと変化していく。
弱火だった炎が燃え上がるように、怒りの感情が強くなっていく。
全身の血液が脈を打ち、心臓の鼓動が速る。
瞳孔は見開かれ、獲物を狙う獣のように、鋭くアイミーを捉える。
「アイミー。あなただけは……私の手で殺す」
「へぇー、出来るならやってみてよ♪」
アイミーの言葉を受けて、マオは魔王の記憶を引き出す。
マオの中で無数の記憶の断片が流れ込んでくる。
魔王の過去が、走馬灯のようにマオの脳裏をかすめていく。
『マオ……貴様は……』
今となっては、エクスカリバーの声も届かない。
友人が犠牲となってしまった事実。
そのために、マオが魔王の力を行使する。
マオだけの力ではどうにもできない大きな溝を埋める行為を、責めることはできない。
エクスカリバーはただ、マオの身を案じることしか出来なかった。
(――あぁ……。なんだ。簡単なことだったんだ)
魔王の記憶を引き出したことで、マオの中でエナを救う方法。
そして、アイミーを確実に殺す方法が浮かぶ。
(マオはバカだね。だって、私の記憶を引き出せば、救う方法も殺す方法も簡単に分かるんだからね)
マオは静かに立ち上がる。
先程と同じ人物とは思えないほど、マオの表情に感情が乗っていなかった。
涙も、悲しみも、怒りも、そこにはもはや見当たらない。
まるで感情というものが消失したかの如く、彼女は完全に無表情だった。
マオは、その虚ろな瞳にエナを映し、手をかざす。
すると、エナの体の傷が癒える。
加えて、マオの手には記憶の欠片が出現していた。
通常、詠唱なしで魔法を行使できない。
例外があるとすれば、長い間魔法に触れ、呪文を唱えた人間でなければ、そもそも使いこなせない。
「――マオちゃん。どうしてあなたの手にその欠片が?」
「ああ、これ。私が元に戻したの。彼女の記憶の欠片を」
「はい? そんなのアリ?」
「魔導人形でしょ? 人間じゃないなら、魔法で直せる。記憶の欠片も例外じゃない」
「それじゃ楽しめないじゃない!!」
アイミーはナイフを持ってマオに襲いかかる。
しかし、マオはそのナイフを持った手首を握りしめた。
「ぐぅっ!?」
「邪魔」
無表情で、マオはアイミーの腹部に拳を入れる。
アイミーの小さな腹部は拳型に形を歪ませ、そのまま後ろまで吹き飛ばされた。
エナの方に振り向き、マオは彼女の頭に振れる。
記憶の欠片はエナに吸い込まれていき、消え去った。
(これで大丈夫。良かった)
「グッ! ふ、ふざけるな!」
「もしかして、今までに無い感情を『学習』しちゃった? それは弱者が強者に楯突いた時の『焦り』って感情だよ。良かったね、人間に一歩近づいたよ」
「何ですって!?」
「じゃあ、もっと色んな感情、学習しようか?」
ゆっくりと歩いてくるマオ。彼女の周りは静寂が広がっている。
これから何が起こるのか。マオの表情は読めない。まるで死神のようだ。
今のマオを見て、アイミーは思わず身震いする。
「その感情は『不安』って言うんだ。人間はみんな抱えてる感情だから大丈夫だよ」
「な、何が大丈夫なのよ!」
アイミーは指を鳴らす。
すると、様々な場所からアイミーが出没する。
「ほ、ほら! みんなでマオちゃんを殺すの!!」
しかし、先程とはうってかわって、アイミーの足取りが重い。
マオは立ち止まり、敢えて隙を見せている。
それが逆効果なようで、ジリジリとマオに近づくことしか出来ない。
「『恐怖』も覚えたんだね。偉いよ、アイミーはそうやって色んなことを学んだんだね。これなら私も教え甲斐があるよね」
「何やってるの! マオちゃんを殺して!」
アイミーの喝により、後から出現したアイミーたちが駆け出していく。
各々ナイフを持って、マオを殺そうと必死になる。
しかし、余計な感情を覚えたアイミーの動きは先程よりも鈍くなっていた。
「懲りないね、君たち」
マオは剣を軽く振り回し、次々とアイミーを殺していく。
残り一体となったその個体が、懐に隠した拳銃を見せる。
そして、銃口をマオの心臓に向けて、弾丸を発射させた。
心臓を撃ち抜かれるマオ。とめどなく流れる血液。
依然として、マオの表情に変化はない。
「やった……! さすがのマオちゃんも心臓を撃たれたら――」
「――と思った?」
マオは心臓に手を当てて、魔法を使う。
すると、みるみる体が修復されていった。
「これは私の力じゃなくて、マオの力だけどね。便利だよね、私。回復の上級呪文まで覚えてるんだから。まあ、詠唱無しで使うのは初めてだけど」
「ど……どうして……」
「『落胆』『無力感』の感情を覚えて欲しかったから」
「あ……頭おかしいよあなた!!」
「うん。おかしいかも。でも、魔王の記憶を使ったら、こうやればアイミーは死ぬよって、教えてくれたんだ」
拳銃が効かないことに立ちすくんでしまったアイミー。
マオは、羽虫を薙ぎ払うかの如く、いとも簡単にそのアイミーを斬り伏せた。
再び歩き出すマオ。
そうして、エナの記憶を消したアイミーの目と鼻の先にまで到達した。
地面に座り込んだアイミーに視線を合わせるために、マオはしゃがんだ。
「でもね?」
「ひっ――」
「あの子はそういう感情、私と会った時にはもうあったよ。――ハハッ、これじゃ『嫉妬』は生まれないかな?」
「クソッ――」
アイミーはナイフでマオを突き刺そうとする。
しかし、その前にマオがアイミーの体を押し倒した。
「待って。私の話は終わってないよ?」
「な、何をするつもり!」
「他にアイミーはいないの? あなただけ?」
「ヴァリアちゃんとレイレイちゃんのところにはまだいる! ソイツ等を呼んでくれば――」
「この場はあなた一人だけなんだ。じゃあ『孤独』だね」
「なっ……!」
「この状況はあなた一人のせいで起こったんだよ。反省してる?」
「す、すればいいの!? 反省すればあなたは満足!?」
「私はどっちでも。『後悔』が生まれれば良いかなって」
アイミーは言葉を失う。
魔王の記憶を引き出しただけで、ここまで人間は変わってしまうものか。
まるで、記憶の欠片を入れられた自分たちじゃないか。
マオはエクスカリバーを掲げ、アイミーの腹部を突き刺した。
鋭い痛みがアイミーの全身を駆け巡る。
しかし、彼女の心を支配しつつあったのは別の感情だった。
「グフッ!」
「痛い?」
「わ、私に痛みなんて……」
「そう? じゃあ、痛いって思ってもらうまで、何度でもやってあげる。大丈夫。私はずっと付き合うから。優しいもんね、マオは」
マオは冷たい目でアイミーを見下ろす。
そこには優しさなど一切感じられない。
ただの物として、障害物として観察している眼差しだった。
アイミーは、マオという圧倒的な力の畏怖と、自分の無力さを感じた。
一切の希望が消え、これ以上状況が改善されることはない。
自分は手を出していけない人間に手を出してしまった。
『絶望』という感情を入手した瞬間だった。
「ひっ――アガッ!?」
『絶望』を学習した結果、アイミーに起こった変化。
不要な感情を一気に学習した結果、アイミーの学習に不良が起こる。
戦士としての記憶に相反するような、ネガティブな感情。
その感情に押しつぶされ、アイミーは自らの記憶の欠片を無意識に破壊する行動を取ってしまった。
アイミーが最後に見た光景。
それはマオの無表情で見下す冷たい顔つきだった。
マオは白目をむいて動きを止めたアイミーを見る。
その後、ピクリとも動かない彼女を観察して、完全に死を迎えたと判断する。
「『絶望』したのかな? なら、もう大丈夫か」
マオは剣を引き抜く。
それから、アイミーの死体を足で蹴った。
意識のないアイミーは地面を転がる。
後ろを振り返り、マオは倒れたエナの看病をするために歩き出した。
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依然として量産されたアイミーと戦いが続いていたヴァリアとレイレイ。
しかし、突然全てのアイミーが頭を抱えるようになった。
うめき声と共に、膝をつくアイミー。
「どういうことだ?」
「もしかして、マオちゃんとエナちゃんが頑張ってくれたのかな!?」
「そうか。さすがはマオとエナだ」
恐らく、エナと一緒に本物のアイミーを倒した。
ヴァリアとレイレイはそんな想像を浮かべた。
「ぐ……ぐあぁぁぁぁ」
断末魔を上げて、アイミーは白目を向き、生命活動を停止させた。
「学習能力を共有してたのが仇となったようだな」
剣を収め、思わず安堵の表情を浮かべるヴァリア。
「ヴァリア先輩! マオちゃんのところに行きましょう!」
「そうだな。調理室の方にいるはずだ」
ヴァリアとレイレイは調理室の方へと向かうのだった。




