64:私が作られた『意味』
エナは手をかざして、魔法を唱える。
「アグマジン・ベアル!」
すると、エナの手のひらから槍が生成された。
しかし、ただの槍ではない。
ドロドロに解けたマグマが棒状になっており、切っ先は鈍い赤色が絶え間なく流動しているのだ。
エナはその槍をアイミーへと投げつける。
「これで消えなさい!」
槍はアイミーの体を貫き、炎に包む。
断末魔を上げる暇もなく、アイミーは力無く地面に倒れた。
アイミーが死んだことを確認し、マオの元へ駆け寄る。
そして、優しく彼女を抱きしめた。
「マオさん。ごめんなさい、あなたを傷つけてしまいましたわ」
マオは首を横に振る。
頭痛がまだ治っていないため、頭を動かすだけで激痛が走る。
だが、それは関係ない。今は、エナのために出来ること、自分の想いを伝えたい。それだけだった。
「エナっちが無事なら、全然問題ないよ……!」
二人だけの時間が流れる。そのはずだった。
しかし、アイミーは人間ではない。魔導人形である。
代わりがすぐに現れてしまう。
「――何楽しそうなことやってるのかなあ?」
地べたに座り込んだ二人の前に立つアイミー。
彼女は笑い顔を引きつらせながら、マオを蹴り飛ばす。
「ガハッ!」
マオは地面を転がり、壁に頭を打ち付けてしまった。
治りかけていた頭痛が再発する。
細かな振動が、小さな針のごとくマオの痛覚に痛みを刻んでいく。
一瞬の油断だった。エナが倒したアイミーは一人だけ。
アイミーはあくまで武器であり、量産されている事実を認識する必要があった。
「かっ……はっ……!?」
「マオさん! ――っ!」
エナは、アイミーを倒すために振り向こうとする。
しかし、それよりも先に、アイミーはエナの体を拘束した。
少女とは思えない程の力強さ。
エナも同じ魔導人形だが、アイミーの腕っぷしには敵わない。
完全に後ろを取られて拘束されたエナは、どうすることもできない。
「エナお姉ちゃん、そんなに『記憶』が大事なの?」
「大事に決まってますわ! アイミーから貰った記憶は要りませんけどね!」
「へぇ……。じゃあ、面白いことしてあげようか?」
「何ですの?」
アイミーはエナの耳元でささやく。
重要な事実を話し、彼女を絶望に導くため。
「挿入できたってことはさ、逆もまた然りじゃない?」
「まさか……」
「そっ♪記憶を抜き出すことも出来るよねぇ?」
記憶が消える。
エナはそのことに気がついてしまった。
『記憶を抜き出す』その単語に触れた瞬間、エナの中で一つの光景が広がった。
****
一人の魔術師が、古めかしい実験室の中心に立っていた。
部屋の壁には、魔法陣や錬金術の図表が所狭しと貼られている。
木製の棚には、色とりどりの薬瓶や奇妙な形の器具が並んでいる。
「今度こそ……今度こそ、だ」
魔術師の前にはエナがベッドに横たわっていた。
エナは上質なシルクで出来た淡いピンク色のドレスで体を包んでいる。
花びらを連想させる、繊細な色合いだった。
エナは魔法にかけられたかのように、静かに眠り続けていた。
(これは……私?)
薄暗い部屋の中で、魔術師が呪文を唱える。
彼の声は低くて力強い。まるで大地そのものが語りかけている錯覚を覚える。
呪文の一語一語に込められた魔力。
その魔力を、魔術師はエナに注ぐ。
呪文が進むにつれ、エナの体が淡く輝き始める。
彼女の体は、妖しく光り続ける。
やがて呪文が終わると、エナはゆっくりとその瞳を開いた。
成功したことに歓喜しながら、魔術師はエナの手を握った。
「セレスティア……!目が覚めたか!」
「……マスター。おはようございます」
「――あ、あぁ。そうだった。記憶を入れないとな!」
無表情のエナを見て、肩を落とす魔術師。
しかし、すぐに気を取り直して、手元にあった本を手に取る。
本は何回も読まれ続けた結果、表紙が擦れて見えなくなっている。
だが、魔術師は大切そうに、両手でエナにその本を渡した。
「これは?」
「セレスティアの記憶、とでも言うのかな。とにかく、この本を読んで、学習してくれ」
本を読むエナ。
首を傾げながら黙読する彼女はさながら、文学少女とも言える繊細さがあった。
数日が経過する。
しかし、いくら本を読んでも、魔術師が目標とする『セレスティア』にはならなかった。
「マスター。どうして、私をセレスティアと呼ぶのですか?私は個体識別名として『エナ』が割り振られています」
「……私の娘なんだ、君は」
「娘、ですか?」
「君に渡した本はセレスティアの日記なんだ。だから、その日記を読んで、私が語る思い出を聞いてくれれば、君は私の娘になるはずなんだ」
「しかし、私は七回の改修を受けています。それでも模倣出来ないのであれば、私は破棄される存在なのでは?」
「――そんなことはさせない。君は私の生きる証なんだ。自分勝手なのは分かってる。それを承知で頼む。セレスティアの記憶を取り戻してくれ……!」
更に時が立つ。
ようやく、エナはセレスティアの口調の一部模倣することに成功する。
「おはようございますですわ。マスター」
「ははは、かなり近いが、少しだけ言葉遣いが違うな」
「ん?何が違いますですの?」
「セレスティアはもっとお上品な言葉だった。将来の夢はお姫様になることだったからなあ」
「そうですの」
「でも、かなり近い。このまま行けば、セレスティアに成る日も近いぞ」
「では、引き続き頑張りますですのよ」
「……ありがとう、エナ」
しかし、別れは突然やって来る。
魔術師と一人の兵士が言い争っていた。
「どうして!? あんたらには四体もの魔導人形を渡してやったんだぞ!」
「それだけじゃ足りないんですよ。なので、そろそろ家族ごっこは終わりにしてくれませんかねぇ?次はそうですねぇ……量産可能な魔導人形を作って下さいよ。あなたなら可能でしょう?」
「ふざけるな!これ以上作れば、戦争で死ぬ人間が増えるだけだ!平和な世界になったってのに、どうしてそんな――」
「平和な世界だと困る人々もいるんでね。それに、死ぬのはあなたが作った人形だけだ。我々の国の人間は無傷ですよ。争わず、人形が制圧する。これは平和的な戦争ですよ。死ぬのは相手国の人間だけだ」
「何だと……!?」
「それとも、実力行使をすれば良いですかな?」
兵士はいやらしくエナを見る。
エナは悪意を感知できず、兵士に微笑む。
剣を取り出す兵士。その切っ先はエナの首元に向けられた。
「や……止めろ!彼女に手を出すんじゃない!」
「こんなおもちゃがいるから研究が捗らないのでしょう?せめて愛情があるのなら、あなたの手で破棄して下さい。そして、我が国があなたに資金提供している事実。それをお忘れなきよう……」
研究室から去る兵士。
泣き崩れる魔術師。
エナは彼らの心が読めず、ただ困惑していた。
それから数日後。
魔術師はやつれており、目は虚ろだった。
しかし、エナに対しては優しい笑みを向ける。
彼はまだ、人間としての心を残している。
「大丈夫ですの?マスター」
「……セレスティア。お前を破棄することになった」
「そうなんですのね。大丈夫ですのよ。今までありがとうございますですの」
「――だが、ただで破棄はさせない。俺も足掻いてみせる」
魔術師はエナの頬を触り、そして、抱きしめる。
「セレスティア。お前は学園に行け」
「学園……?」
「実施訓練と称して、お前を外に出す。学園へ向かう情報は、俺に協力してくれる人が偽装してくれる。だから、お前は――学園に行く前に亡くなってしまった娘の代わりに思う存分楽しんでくれ」
「そんなことをすれば、情報が漏洩する可能性もありますですわよ?」
「そんなの構わん。セレスティア、お前がずっと生きててくれれば、私は満足なんだ。魔導人形の情報が漏れたとしてもこの国が不利益を被るだけ。ざまあみろだ」
魔術師は、エナの頭に振れる。
優しく撫でるその姿は、本物の親子のようだった。
「だから、不要な記憶は抜き出させてもらうよ。セレスティア。この名前も……きっと忘れてしまうだろうね。でも、私の心には常に君がいる。忘れないよ、セレスティア」
記憶の欠片が、エナから取り出されていく。
「そしてありがとうエナ。こんな私の道楽に付き合ってくれて」
「マスタ――」
****
エナは奇跡的に思い出した。
自分が初めて目覚めた時のことを。
そして、自分を『セレスティア』と呼ぶ魔術師のことを。
思い出した優しい記憶に包まれて、エナに一つの願いが生まれた。
(マスター……いいえ、お父さん。私、あなたに会いたい。会って、今の私はセレスティアに成れてますかって……聞いてみたい……)
「――じゃ、抜いちゃおうかな♪」
だが、後ろで羽交い締めしているアイミーは、非情にもエナの頭を叩く。
「――アッ!! ――ガハァッ!!」
エナは白目を向き、言葉にならない声を上げる。
再発した頭痛も収まりかけ、事の重大さを理解したのはマオだった。
エナを拘束しているアイミー。エナに抱きついているから手が出せない。
自分が動けば、きっとエナに酷いことをする。
マオはアイミーの凶行に声を上げることしかできない。
「や、止めてよ! 何をしてるのアイミー!!」
「何って初期化? 分かりやすく言うと、記憶を全部消しちゃう。エナお姉ちゃんは出来損ないだから、いっそ私が教育してあげようかなって♪」
「ダメ……そんなこと、ダメ!!」
「うーん、じゃあこうしようか? マオちゃんが魔王になったら、エナちゃんを返してあげる♪」
「私が、魔王に……?」
(どうして。どうして私は魔王にならなきゃいけないの?ただ……みんなと楽しく過ごしたいだけ。こんな力……本当は――)
「マオさ……ん。魔王には……なってはいけませんわ」
「エナっち!」
「私のことは……気にしないで下さいまし。……でも、……私を作ったお父さんのことは……あなたに……伝え……」
「あ……あ……わたし……私!」
「どっちにするのー?マオちゃん。魔王になる?ならない?」
「私……は」
すぐに答えは出せない。
マオが魔王になっても、エナが戻ってくる保証はない。
仮に戻っても、マオ自身の記憶が塗りつぶされて自我が保てなくなる。
ドラシアと戦った時の、あの気味の悪い感覚がマオの中に蘇る。
それなら、親友を犠牲にするしかないのか。
エナはそれでもいいと言った。しかし、マオの心が納得しない。
究極の二択を迫られ、マオの心は混乱する。
「お願いアイミー。私……どっちも選べないよ!」
「困ったねぇーエナお姉ちゃん。マオちゃんは優柔不断だから、選べないんだって」
「アアッ! ガガァッ!」
アイミーは、エナの頭から記憶の欠片を取り出しては、また元に戻す遊びを行っている。
マオは本能で理解する。それがエナに損傷を与えていることを。
だから、彼女はより強い口調でアイミーに制止を求めた。
「お願い!エナっちにそんなことしないで!!」
「だって、マオちゃんが選んでくれないんだもん」
「なる!魔王になるから!エナっちを離してよ!!」
「本当?」
「……うん」
「――じゃ、返してあげようかな♪」
アイミーは、マオへエナを投げつけた。
マオはエナを抱きしめる。エナは意識を失った状態で、放心していた。
「エナっち!大丈夫!?」
しかし、マオの言葉に、エナは反応しない。
涙を流しているが、無表情だった。
「んー、あんな感じになるんだねぇ。コレがないと」
アイミーの手に握られているのは、記憶の欠片。
「……それ、エナっちの記憶、だよね?」
「そうだねえ」
「それも返してよ。私、魔王になるって言ったんだよ!!」
「返すのはエナお姉ちゃんの体だけだよ。記憶も返すとは一言も言ってないよ?」
「どうしたら返して……くれますか?」
「――返さない。ここで壊す。その方が、マオちゃんは魔王に成りやすいでしょう?」
アイミーは指に力を込める。
ピキピキと音を立てる記憶の欠片。
「止め、止めてよ……」
「もう遅い」
アイミーの人差し指と親指が合わさる。
それはつまり、エナを司っていた記憶の欠片が完全に破壊されたことと同義だった。
「あ……あ……」
「あーあ。マオちゃんのせいで壊れちゃった。こりゃ魔王になるしかないねー♪」
目の前で抱きしめているのはエナ。
しかし、彼女の記憶は消え去った。
マオは全て自分のせいだと思った。
高速化の魔法を自分に掛けなければ、頭痛に苦しまずにエナを助けてアイミーを殺せたかもしれない。
魔王の記憶を引き出すのに躊躇いがなければ、エナは救えたかもしれない。
(……結局、誰も救えない。私の力じゃ……ダメなんだ)
魔王の力を使わなければ、誰の命も救えない。
ドラシアはおろか、デサイスにさえ敵わなかった自分の力。
彼女の心は、絶望に打ちひしがれていた。
(ごめんなさい……みんな。魔王の力に頼らず、戦おうとして調子に乗ってた私を……どうか、許して下さい……。ごめんなさい……)




