52:奇跡の目覚め
(ヴァリア先輩……!)
ヴァリアの心にマオの声が響く。
森を吹き抜ける風の音色が、ヴァリアの意識を現実へと優しく誘う。
葉と葉が奏でるシンフォニーに導かれるように、彼女はゆっくりとまぶたを開いた。
差し込む光が、うっすらと開いたまぶたを通して彼女の瞳を煌めかせる。
(マオ? 今の声は……)
体を包み込む柔らかなベッドの感触に、ヴァリアは安らぎを覚える。
まるで雲の上に横たわっているかのような心地よさに、思わずため息が漏れる。
だが、心地よさに浸っている暇はない。
マオが助けを呼んだ気がした。
彼女が、ヴァリアの意識をこの世界に呼び戻した。
マオの声に不安感を覚えながら、そっと上体を起こす。
瞬間、腹部に鋭い痛みが走った。
「っ……! ここは……」
窓の外には、大樹を中心に家々が円状に並ぶ、どこか懐かしい村の風景が広がっている。
木々の緑が鮮やかに輝き、空は澄み渡っていた。
まるで、遥か昔に見た絵本の挿絵のように、その光景は幻想的だった。
(……聖樹村、なのか?)
「ほう。まさか目覚めるとはの」
ふいに響く声に、ヴァリアは振り向く。
そこには、深紅のチュニックに身を包み、ローブをたなびかせる威風堂々とした女性の姿があった。
赤みがかった艶やかな髪に、鋭く光る龍のような瞳。
そこには、ヴァリアの意識が戻ったことへの驚きが滲んでいた。
「お前はドラシア……。龍族だったのか」
頭に生えた漆黒の角が、彼女が人間ではないことを如実に物語っている。
危険を察知したヴァリアは咄嗟に棚の剣に手を伸ばしたが、ドラシアは争う素振りを一切見せなかった。
「待て待て。今更おぬしとやり合う気はない」
その言葉に、ヴァリアは記憶を辿る。
ドラシアと最後に相対したのは、マオが誘拐された時だった。
だがいま、ドラシアの瞳に敵意の色は見当たらない。
恐らくここは彼女の住処なのだろう。
無用な争いを避けるべきだ、とヴァリアは判断した。
「――いや、そうだな。礼は言っておく」
一度頭を下げると、ヴァリアは真っ先にマオたちの安否を尋ねた。
「マオたちは無事なのか?」
「無事じゃ。今はおぬしを助けるため、泉へ向かっておる」
「泉? 私を助けるため?」
「このままだとおぬしは死ぬ」
(自分の傷はほぼ回復している。だが……)
ドラシアは近づくと、ヴァリアの腹部に手を添えた。
そこは、デサイスの剣に斬られた場所だ。
手の平から伝わる温もりに、ヴァリアは思わず息を呑んだ。
龍族の魔力は、人間のそれとは比べ物にならないほど強大だ。
その力が、優しく自分を包み込んでいるのを感じた。
「あの時、邪悪な魔力を注がれておる。浄化にはおぬしの魔力だけでは足らん。泉の水を飲むことで、体内の魔力と合わさって完全に浄化されるのじゃ」
「なるほど……」
と頷くヴァリア。
マオたちの無事が確認できれば、それ以上は望まない。
「目覚めたことが奇跡じゃ。じゃが、安静にしといた方がいいの」
だが、ヴァリアの胸には晴れない不安が去来していた。
自分を死の淵に追いやったデサイス――自分の兄。
もし、彼がマオたちに襲いかかったら……。
「マオたちが危険だ。そう感じたから、目が覚めたんだ」
その言葉に、ドラシアは驚きを隠せない。
デサイスという不安の種も存在するが、四人で戦えば負けないはず。
「危険? 道案内役にユクトを連れて行ったが、ユクトが居てあの道中で危険は……」
ドラシアは顎に手を当て、眉間に皺を寄せる。
通常なら心配無用だが、ヴァリアの直感を無視するわけにもいかない。
長年生きてきた彼女の勘は、たいてい正しいのだ。
「……いや、おぬしの直感を信じよう。早くおぬしを回復させたいからの。ユクトが道を間違えていなければ、今頃帰り道のマオたちとばったり出会えるかもしれぬ」
「……頼む」
力強く頷くヴァリア。
「じゃが、ちと揺れるぞ。誰かを担いで移動なんぞ、めったにせぬからの」
「構わない」
痛みに歯を食いしばりながら、ヴァリアはベッドから立ち上がった。
ドラシアに身を預け、彼女はマオたちの下へ向かうことを決意した。
風が木々を揺らし、葉のざわめきが二人の旅立ちを優しく見送っている。
陽光が差し込む森の小道を、ドラシアは軽やかに駆けていく。
自然のエネルギーに満ちた彼女の背中に、ヴァリアは安心感を覚えていた。
ドラシアの長い髪が風になびき、まるで炎のようにゆらめいている。
深紅のローブが、まるで龍の翼のように広がっていた。
道中の安全を祈りながら、ヴァリアは目を閉じた。
ドラシアの力強い鼓動が、まるで子守唄のように響いている。
彼女の体温が、冷えきった身体をじんわりと温めてくれた。
(マオ……待っていてくれ)
胸の内で、ヴァリアは仲間との再会を強く念じるのだった。
輝く泉を目指して。




