3.めでたしめでたし
その日の夜。監査委員たちの報告を聞いた王は、即座にこう言い放った。
「報告ご苦労。それではトーマスへの罰は『私に断りなく婚約することを禁ず』としよう」
報告を持ってきた黒装束――体格のいい男性のようだった――は、戸惑いを隠せずに首をかしげる。
『お言葉ですが陛下、いくらなんでも罰が軽すぎではないでしょうか。彼が理不尽な婚約破棄を言い渡したのは、これで二度目です。それも相手の女性には、何の落ち度もないというのに』
「だからこそ、この罰なのだ。どうやらトーマスは、相当性根が腐っておるようだ。どのような罰を与えたところで、反省などするまい」
『はい、私もそう思います』
「そうであろう。ゆえに、彼にはじっくりと、己のふるまいの報いを受けてもらおうと思うのだ。……まあ、見ているがいい」
意味ありげに笑った王が、上目遣いに黒装束を見た。
「そうだ。ついでに、お前たちにも協力してもらいたい。なに、今の処分について、あちこちでこそこそと噂してもらいたいのだ。具体的には……」
黒装束の耳元に口を寄せて、王はたいそう楽しげに何事かをささやいていた。
王がトーマスに下した処分は、あっという間に貴族たちの間に広まっていった。
次にトーマスとの婚約を望む女性には、王による面談が待ち受けている、それ相応の覚悟がないと婚約は認められないだろうと、そんな言葉と共に。
さらに、先日トーマスがあまりにも一方的にベスを捨てたこと、元婚約者であるアリスをひどくののしったことも、すっかり噂になってしまっていた。
婚約破棄が流行ってしまっている社交界だったが、いくらなんでも彼のやりようはひどいという声が、あちこちで上がり始めていた。
実のところ、二度も婚約破棄を宣言する者は珍しかったのだ。ほとんどの者は一度婚約を破棄した時点で良心がとがめるようになっていたし、令嬢たちにも警戒されてしまって次の婚約が中々まとまらなくなるからだ。
それらの事情のせいで、トーマスの次のいけにえ探し、もとい婚約者探しはうまくいっていなかった。いつの間にやら彼は、すっかり社交界で孤立してしまっていたのだ。
次第に彼は焦り、いらだつようになっていた。それを聞いた監査委員の者たちは、なるほどこれが陛下の考えておられた罰だったのかと、そんなことをささやき合っていた。
しかし、これはまだ序の口でしかなかったことを、彼らはやがて知ることになった。
それは、トーマスとベスの婚約が破棄されてから、三か月ほど経った頃だった。
トーマスは、隣国へ婿に出ることが決まった。
婿入り先は、十八も年上の女性だ。伯爵家の当主である彼女は若い男が大好きで、次から次へと男を取っかえ引っかえしていた。しかも、お相手は使用人やら町で引っかけてきた男やら。
いくらなんでも外聞が悪すぎるから、早く婿を取ってくれと親族たちが彼女に訴えていたものの、既に彼女の悪評は国中に広まっていて、まともな貴族の男性には避けられてしまっていたのだ。
そこで、トーマスに白羽の矢が立ってしまったのだ。
結婚相手が見つからぬもの同士ちょうどよいと言って、王はあっさりと二人の婚約を認めた、というより全面的に応援した。正確には、彼女にトーマスの情報をこっそりともたらしたのも他ならぬ王だった。
そうして、トーマスは抵抗も空しく馬車に押し込められ、隣国へと連行されていったのだった。
「ぶよぶよと太った性悪の醜女など、絶対に認めん!!」
それが、彼がこの国で発した最後の言葉だった。
◇
トーマスが婿入りしてから少し経った頃。アリスとレイモンドはこっそりと語り合っていた。監査委員たちが集まる、王宮の隠し部屋で。
二人は今でも、監査委員として活動していた。
ビー・ディーが顔を見せたのはアリスとトーマスだけで、そしてアリスが監査委員であることは、あの場に居合わせた黒装束たち以外にはばれていない。
これならば、監査委員としての任を解く必要もないだろうと、そう王が判断したのだ。
さらに王の厚意により、二人は監査委員としての仕事がない時でも、この部屋を使うことを許されていた。逢い引きの場として。
「君が黒装束の男性の求愛を受け入れたことは、もうすっかり噂になってしまっていますから」
くすぐったそうに、レイモンドが笑う。
「こんな風に隠れて会わないと、あなたがあの黒装束の男性だってばれてしまうものね」
とても幸せそうに、アリスが微笑む。レイモンドは小さくうなずいて、困ったように笑った。
「私も、もう少し監査委員を続けたいですから。あなたには不便を強いてしまいますね、ごめんなさい」
「気にしなくていいのよ、ビー・ディー。みんなのまとめ役であるあなたがいなくなったら、監査委員の活動に支障が出てしまうわ」
仮の名で呼ばれたレイモンドが、目を細めて穏やかに微笑んだ。
「そうでしょうか? 私はそんなに頼られているのでしょうか。普段の私はあまり存在感がないと思っていましたが」
「ええっと、そんなに卑下することはないと思うわ。少なくとも私は、ビー・ディーのことをとっても頼りにしているもの。それにレイモンドとしてのあなたも……穏やかな、いい人だと思ってた。派手さはないけれど、彼のそばにいるととても落ち着けるって」
恥じらいながらそう告白するアリスに、レイモンドの目がさらに細められる。
「ふふ、そうだったのですか。ですが私のほうこそ、ずっとエル・シー……あなたに助けられていたのですよ」
「そうだったの?」
「ええ。あなたはいつも積極的に意見を口にして、私たちを引っ張ってくれていましたから」
「……まったく身に覚えがないけれど、そう言ってもらえると嬉しいわ。……その、私、ずっとあなたに憧れてたから」
喜びを隠せずにもじもじするアリスを、レイモンドはとても嬉しそうな目で見つめていた。
「私のほうこそ、あなたをとてもまぶしく思っていました。……エル・シーとしてのあなたと、アリスとしてのあなた、その両方を」
そうして二人は、同時に笑う。とてもくすぐったそうな、幸せそうな笑みだった。
それからしばらくの間、二人は和やかな、そして親しげなお喋りに花を咲かせていた。しかしふと、レイモンドが困ったように眉を下げる。
「あなたと二人っきりの秘密のお喋りもいいですが……こうやってこっそりと会わなくてはならないのも、少しもどかしいですね」
「そう? 私は誰の目も気にせずに話せるの、とっても楽しいわ」
「私もですよ。でも、あなたと出かけたいところもたくさんあるんです。私たちの関係を公にできる時が来たらどこに行こうかなって、最近ではそんなことばかり考えてしまって」
「ふふ、どこに行きたいの?」
その問いに、レイモンドは待ってましたとばかりに答える。
「美しい花であふれた庭園を歩いて、劇場で素晴らしい劇を鑑賞して。私のお気に入りの茶店で、一緒にお茶を飲みたいです。そうだ、夏になったら高原の別荘に行くのもいいですね」
うきうきと語るレイモンドをアリスは優しい目で見つめていたが、やがて小声でささやいた。
「私たちが二人一緒に外を歩ける日も、そう遠くないかもしれないわ」
その言葉に、レイモンドがおかしそうな笑みを浮かべる。
「そうですね。婚約破棄の件数も、ずいぶんと減ってきていますし……みなさん、それどころではなくなってしまったようですから」
「まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったけど」
二人は見つめ合い、同時にくすりと笑う。それから歌うように、語り始めた。
「何もかもを超えた、運命の恋。今度はそんなものが流行ってしまいましたね」
「婚約破棄が流行るよりは、ずっとましだけれど」
元より社交界は、流行りすたりが激しい。そして今、その流行はまた変わりつつあった。
あの日、アリスはためらうことなく黒装束の手を取った。その姿に、居合わせた人々は大いに感銘を受け、そして思ったのだ。自分も、あんな素敵な恋物語の主人公になりたい、と。
その結果、人々の立ち居ふるまいは大きく変わっていった。
「殿方は感じよくふるまいながら、運命の相手探しに精を出し始めたし」
「女性たちは可愛らしく着飾って、声をかけられるのを待つようになりました」
「そのせいでお茶会も舞踏会も、そわそわした雰囲気になってしまったわ」
「ちょっぴり、甘酸っぱくもありますね」
そう言って、二人はまた同時に微笑む。
「でも、あなたがあの黒装束だって知ったら、きっとみんな驚くでしょうね。どう言い訳しましょうか?」
「陛下の密命が少々、とだけ言っておけばいいでしょう。一応、間違いではありませんし」
「とびきり変わった、でも大切な密命ね。……私たちがこうしていられるのも、全部陛下のおかげなのかもしれないわ」
遠くを見るような目をして、アリスはつぶやく。
「監査委員としてビー・ディーに出会わなかったら、きっと私は今でも、婚約破棄の痛手を引きずっていたでしょう。こんな風に新しい幸せをつかむことなく、ずっと暗い部屋で泣き暮れていた」
その言葉に、レイモンドも静かに言葉を返した。
「私も、監査委員となって人生が変わりました。……私は元々、自信のない引っ込み思案な人間だったんです」
彼の言葉に、アリスが目を見張って彼のほうを見た。
「けれど監査委員となり、私はエル・シーと出会いました。いつも堂々としていて、冷静に自分の意見を言う彼女のことを、見習いたいと思ったんです」
穏やかに語ったレイモンドが、恥ずかしそうに微笑む。
「そのおかげで、私はあなたに声をかけることができたんです。思いは言葉にしないと伝わらないのだと、エル・シーからそんなことを学んだから」
レイモンドがゆっくりと、アリスに向かって一歩進み出る。
「好きですよ、アリス。ずっと前から、あなただけを見ています」
その言葉に、アリスははにかむように微笑む。
「私もよ、レイモンド。最初に好きになったのは別の姿のあなただった。でも今は、どちらのあなたも同じくらい愛おしい。あなたのおかげで私、とっても幸せよ」
そうして二人は、しっかりと抱き合う。幸せそのものの笑みを浮かべながら。
それからまたしばらく経ったある日。王宮の庭に、王の姿があった。その後ろには、いつものように重臣たちが控えている。
「婚約破棄の件数が以前の水準に戻り、そしてさらに減少している、か……」
そんな報告を受けた王は、なぜか執務を中断し、こうして庭に出てきたのだった。しかも、重臣たちを呼び集めて。
みずみずしい花たちが咲き誇る庭で、王は厳かに言い放つ。
「うむ、婚約破棄防止法は、見事その役目を果たしたようだな。理不尽に涙する者もすっかり減った。良いことだ」
王が胸を張り、高らかに笑った。力強いその笑い声は、雲一つない空に吸い込まれていく。
「みなも笑うがいい。青空の下で笑うのは心地良いものだぞ。この成果は、私たちみなでつかみ取ったものだからな」
後ろに立つ重臣たちは、大いにためらいながらも、王を真似るようにして笑い出す。
「ああ、とても良い気分だ。王として、また一つなすべきことを成し遂げたと、心からそう思える」
たいそう晴れやかな王の笑い声が、庭中に広がっていく。ぎこちなく引きつった重臣たちの笑い声を従えて。
重臣たちはなんとも言えない表情で、そっと視線を見交わした。
あんなおかしな法律がうまくいくなんて、思いもしなかった。彼らの顔には、特大の文字でそう書いてあった。
通りすがりの猫が、そんな彼らを笑うかのような顔でにゃあと鳴いていた。
ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうございました。
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