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1.王のとっぴな思いつき

 それは、とある舞踏会でのことだった。


「マリアンヌ、君との婚約は破棄させてもらう!」


 高らかに告げる貴族の青年と、青ざめる令嬢。ざわざわという人々の声を聞きながら、青年が勝ち誇った笑みを浮かべ、得意げに鼻を鳴らした、その時。


『はい、そのお話はいったん保留ですわ』


 そんな言葉と共に、全身黒ずくめの人間たちが周囲の人垣からわらわらとわいて出た。


 身長と身なりから見て男も女もいるようだったが、全員ヴェールを頭からすっぽりとかぶっていて、顔が全く分からない。何か魔導具のたぐいでも使っているのか、声はひずんでいて元の声が分からない。


『婚約破棄防止法第四条一項の規定により、貴方は先ほどの婚約破棄宣言について、説明及び立証する責任があります』


『あのようなことをおっしゃったからには、それ相応の理由がありますのよね?』


『婚約破棄について相応の理由がないと認められた場合、同法第六条の規定により罰が与えられる可能性がありますので、どうぞご了承ください』


『とにかく、一度じっくりと話をうかがわせてもらいますから』


 現れるやいなやそんなことを口々に言い立てる黒装束たちに、青年はうろたえながら反論する。


「な、なんだ君たちは! 私が婚約を破棄しようがしまいが、君たちには関係ないだろう!」


 その言葉に、黒装束たちは一斉に首を横に振った。


『いいえ、これは陛下の命ですのよ』


『先日、婚約破棄防止法、略して婚防法が正式に制定されました。あなたもご存じでは?』


 青年の目が泳ぐ。そういえば先月、そんな書類を見た気もする。しかしそのあまりにも突拍子もないその内容に、青年はまともに取り合おうとしなかったのだ。


 この国の王には、思いつくまま様々な法を定める妙な癖があった。しかしそのほとんどは、ろくに使われることもなく忘れ去られていた。婚防法もそういった法の一つなのだろうと、大多数の人間はそう考えていたのだ。


「しかしだな……」


『ここで話し込んでいては、みなさまの邪魔になりますわ』


『いったん、場所を変えましょう』


 なおも食い下がる青年を、黒装束たちがぎっちりと取り囲む。まだ何事か叫んでいる青年を包囲したまま、黒装束たちは静かに舞踏会の会場から出ていった。


 後には、ぽかんとした顔の令嬢と、戸惑いながら顔を見合わせる人々だけが残されていた。





 話は、半年前にさかのぼる。


「最近、やけに婚約破棄が多くはないか? それもわざわざ、舞踏会やら茶会やらの、人目の多いところで大っぴらに宣言する者が増えているように思うぞ」


 ある日唐突に、王がそうつぶやいた。居並ぶ重臣たちは、また王の気まぐれが始まったと思いつつ、それでも神妙にうなずいていた。


 王の言う通り、近頃妙に婚約破棄が増えていた。それも、難癖をつけているとしか言いようのないようなものが。


「陛下のお考え、ごもっともかと。ならば婚約破棄が困難になるよう、法を改められるのはどうでしょうか」


 重臣の一人が、うやうやしくそう言った。しかし王は、難しい顔をしている。


「それでは、婚約そのものをためらってしまう者が出るやもしれん。それは、私の望むところではない」


 そう言うと同時に、王は玉座から立ち上がる。やけに晴れやかな顔で。


「良いことを思いついた。みな、力を貸してくれ」


 重臣たちが、同時にうなずく。王以外の全員が同じことを考えていた。これは面倒なことになった、と。





『今月だけで、私たちの出番がもう十三件……』


 そうして今、王宮の隠し部屋に黒装束の者たちが集まっていた。彼ら彼女らは、一斉にため息をついている。


『そのうち、婚防法違反で有罪が十名……』


 婚約破棄防止法。それこそが王の思いついたことだった。軽率に婚約破棄をする者の身柄を確保し、事情を聞き取り、さとすなり罰するなりする。


 そうして一人ずつ、考えや行いを改めさせる。このやり方であればその他大勢の善良な者たちを巻き込むことなく、婚約破棄を減らすことができる。王はそう考えたのだ。


 とっぴなことを思いつく割には妙に有能な王は、今回もその手腕をいかんなく発揮していた。王はこれと見込んだ者たちをひそかに集め、監査委員会を作ったのだ。そして彼らに、重臣たちに命じて作らせた魔導具を支給した。


 一瞬にして黒装束に変身できる変わり身の魔法、声を変える音の魔法、そして姿を変える瞬間を周囲の人間にさとらせない認識阻害の魔法が、その魔導具には込められている。


 そうして監査委員たちを貴族の社会に多数まぎれ込ませ、婚約破棄を宣言した者だけを速やかに取り押さえる。そんな王のもくろみは、今のところうまくいっているようだった。


『婚約破棄が、それもくだらない婚約破棄が流行っているらしいという噂は、どうやら本当のようですね、エル・シー』


『そうね、ビー・ディー。一部の若者たちは、どれだけ派手に婚約破棄をやってのけたか、それを競っているみたいよ』


 エル・シーと呼ばれた女性が、ビー・ディーと呼ばれた男性に向き直る。監査委員の面々は、王の意向により互いに正体を明かさず、こうして偽名で呼び合っていた。


『陛下も手を打ってくださっているとは思います。しかしそれとは別に、私たちのほうでも何か、根本的な手を打ったほうがいいでしょうね』


 彼の言葉に、エル・シーが嬉しそうにうなずく。ビー・ディーは彼女にうなずきかけて、それからその場の全員を見渡した。


『みなさん、何か意見はありませんか。みなで話し合えば、何かいい案が浮かぶかもしれません』


 彼ら監査委員の会合において、ビー・ディーはいつもまとめ役を担っていた。冷静で落ち着いていて、不思議な存在感のある彼の言葉に、みな自然と一目置くようになっていたのだ。


 ビー・ディーの呼びかけに、黒装束たちは一斉に顔を見合わせる。


『……何か、思いつきそう?』


『ううん、まったく。どうしたらいいのかな』


『そもそもなんだって婚約破棄なんてもんが流行ったんだ、馬鹿馬鹿しい』


『貴族の社会というのは、そういうものなのですわ。……わたくしも、納得できませんけれど』


 戸惑いと困惑に満ちたそんなささやき声が、あちこちから聞こえ始めた。ビー・ディーとエル・シーは、そんな彼らを静かに見守っていた。


 音の魔法でゆがめられた金属質のささやき声は、それからしばらく続いていた。




 自室の窓辺で、アリスは窓の外を眺めながらため息をついていた。彼女の視線の先には、雲一つない満天の星空が広がっている。


「どうにか、ならないものかしら……」


 花も恥じらうこの乙女、伯爵家の令嬢たる彼女こそ、監査委員の一人であるエル・シーだった。


 黒装束ではなく優しい色の部屋着をまとったアリスは、現状を大いに憂いていた。


「やっぱり、婚約を破棄されるなんて悲しいものね……マリアンヌも、立ち直ってくれるといいのだけれど」


 昼の舞踏会で出くわした婚約破棄。その当事者の名を呼ぶアリスの声には、心からの同情が満ちていた。


 それもそのはず、アリスもまた一方的に婚約破棄された過去があったのだ。婚約相手に好きな女ができた、ただそれだけの理由で。


 当時はまだ婚防法も制定されておらず、アリスはそのまま捨てられることとなった。その時の痛手をまだ引きずっている彼女は、新たにやってきた婚約の話を全て断っていた。


 そして現在、自分の夫は自分で見つけますと両親相手にたんかを切り、アリスは単身せっせと舞踏会やらお茶会やらに顔を出していた。けれどそれは恋人探しのためではなく、監査委員としての任を全うするためだった。


「はあ……それにしても、どうしよう……」


 アリスには二つ、悩みがあった。一つは、最近よく声をかけてくる青年のこと。


 同世代のその彼は、男爵家の跡取りのレイモンドと名乗っていた。上品で整った容姿に、知性を感じさせる表情の、物静かな好青年だった。


 ただ彼は、少々奥ゆかしい、というより少しばかり地味な雰囲気の人物だった。そのせいか恋人探しに血眼になっている令嬢たちも、彼のことはほとんど気にかけていないようだった。


 そしてレイモンドは、どうやらアリスのことが気になっているようだった。舞踏会やらなんやらで彼女の姿を見かけるたびに、彼は嬉しそうに微笑んで、声をかけてくるようになったのだ。


 自然とアリスは、彼と話すことが多くなっていた。彼女は彼と会うことを、少しばかり楽しみにするようになっていた。


「レイモンドは誠実な、素敵な方だと思うわ。でも私は、馬鹿げた婚約破棄がなくなるように、監査委員としての活動に全力を注ぎたい。私と同じ悲しみを味わう人間が、これ以上増えないように。今はまだ、自分のことを考えている余裕はないわ」


 悲しげにうつむいて、アリスはため息をつく。胸の前でぎゅっと両手をにぎり合わせながら、さっきの監査委員の会合のことを思い出していた。


「……でもやっぱり、ビー・ディーは素敵だなあ……彼の力になれないのが、もどかしいわ」


 アリスのもう一つの悩みは、これだった。監査委員としてせっせと働いているうちに、彼女はなんとなしにビー・ディーのことが気になり始めていたのだ。


 名前も年も身分も、そもそも顔も声すらも分からない相手だ。それでもアリスは、ビー・ディーのことが気になって仕方がなかった。


「みだりに婚約破棄をする人がいなくなれば、私たちの仕事もなくなる。そうすれば、互いに正体を明かすこともできるし、彼と個人的に知り合うこともできる。いつか、そんな日が来ますように」


 アリスは、窓の外の星空に祈っていた。ちょうどその時、ひときわ大きな流れ星が、堂々と空を横切っていった。

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