表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/72

未来を狭める過去とこじ開ける現在

 目の前の光景に全員が言葉を失う中、守偵だけが血を流し床に倒れた人物に向けて声を張り上げた。


「蟻命っ」


 蟻命は強化異人モドキの攻撃から自分を守ろうと駆け寄ろうとするアイズを突き飛ばした。鞭のような腕をしならせる強化異人モドキの攻撃を右腕で受けた蟻命は、右腕を犠牲に左手に構えた銃で強化異人モドキの頭を吹き飛ばした。


「…………」


 蟻命に突き飛ばされた床に倒れたアイズは目の間の状況に立ちあがれずにいた。強化異人モドキの攻撃を受け止めた右腕は当然無事なわけなく、二の腕の辺りからきれいに切断され大量の血が体の外に流れていた。


「くっ……」


「蟻命っ」

「お兄さん」


「っ、来るな」


 慌てて蟻命の元へ駆け寄ろうとする守偵とマロンを蟻命は大声で止めた。


 蟻命は守偵たちにとって敵である。それは蟻命たちにとっても変わらない。だが、守偵たちが蟻命の元へ駆け寄ろうとしたのは純粋な、蟻命の身を案じるがゆえの厚意であり、決して蟻命にとどめを刺そうとして近寄ろうとしたわけではない。


 それは蟻命もわかっていた。


 それでも駆け寄ろうとする守偵たちを蟻命が止めたのは、守偵たちの後方、割れた窓と有魔署の入口から堂々と署内へ侵入する三体の強化異人モドキの姿を認識したからだった。


「こいつらまだいるのかよ」


「ざっとだけどたぶん三十はいるはずだよ」


「…………まじかよ」


 守偵はマロンを守るように一歩前に出て、拳銃を構えた。三人の中で一番手前にいた強化異人モドキを狙う守偵を見て蟻命は叫んだ。


「待て」


 同時に蟻命は守偵が狙っていた手前の強化異人モドキを撃ち抜いた。守偵が照準を合わせていた腹ではなく、頭を蟻命は吹き飛ばした。


「頭を狙え。奴らは井坂の能力強化手術に耐え切れず体を維持することができなくなった異人たちだ」


「何、こいつらが」


 改めて強化異人モドキたちの固める前のハニワのような顔をよく観察するとわずかに異人だったころの面影が見て取れた。


「攻撃力こそ高いが見た目通り、守りは大したことはない頭を潰せ」


「っ……」


 近づいてくる強化異人モドキたちに向け銃を構える守偵だが、さっきとうってかわって銃の照準がぶれていた。どろどろの化け物の正体を知って動揺した心がそのまま銃の狙いにも表れてしまっていた。


「体は攻撃の反動で欠損するが徐々に再生する。奴らの行動不能にするには脳を潰して殺すしかない」


 蟻命の言葉に嘘や偽りはない。頭ではわかっていても銃の引き金にかかった指を守偵は動かすことができなかった。


「はやくしろ、奴らにはもう意思や感情と呼べるものはない」


 銃を構えた立ち尽くす守偵を叱責する蟻命の声が右から左に抜けていく。


「はあ、はあ、はあ」


 胸が激しく収縮を繰り返し、全身をノックする。まるで決断できずにいる守偵を急かすように。そんな心臓に同期するように呼吸が乱れ、守偵の体内から酸素が無くなっていく。


 視界がぶれてきている守偵は気づいていないが銃を構える腕も振るえ始めている。


 到底、強化異人モドキの頭を狙い打てるような状態ではない。


 銃を構えたままただ立ち尽くす守偵に向かって強化異人モドキはゆっくりとそのどろどろの腕を振りかぶった。予備動作こそ緩慢でゆったりしているが、この数秒後強化異人モドキのどろどろの腕はスライムのような伸縮性をもって鞭のようにしなりながら守偵の首と胴体をいとも容易く切断するだろう。


 未来を視ずとも自分の死を直感的に認識した守偵は、銃を持つ腕の力をふっと抜いた。


「貸して」


「っ」


 その守偵の姿を見たマロンは守偵の銃を持つ手に自分の手を重ねた。


「マロン」


「あなただけには背負させない」


 手から伝わる柔らかい感触と優しい温もり。瞳の奥から伝わるマロンの強い覚悟。


「だって――」


 そのすべてが立ち尽くしていた守偵の背中をポンッと押した。


「私はあなたの相棒だから」


 マロンの支えのおかげでぶれていた照準がカチッと合った。


 強化異人モドキが腕を振り切る直前、二人は銃の引き金を引いた。


バンッ


「あっ、あ…………」


 短い断末魔を上げた後、守偵を攻撃しようとしていた強化異人モドキは額に小さい穴を開けて、倒れた。


「あー、あー」


 仲間の亡骸を見て残された強化異人モドキが奇妙な声を上げた。


 強化異人モドキの脳はすでに井坂たちの手術の影響でまともな言葉を話せるような状態ではなくなっている。それでも強化異人モドキの言葉になっていない叫びは聞く者の心に深い悲しみを感じさせた。


「次、左っ」


「ぐっ」


 それでも守偵とマロンは引き金を引いた。


バンッ


「あっ……」


 有魔署に襲撃した強化異人モドキたちは守偵とマロン、蟻命により打倒された。



***



「グルァ」


 頭を突然、針で突かれたような痛みが立て続けに二回走った。


(一人、いや二人やられた。最初のも合わせて三人)


 二十を超える強化異人モドキたちを引き連れ、身長二メートルを優に超える大男は有魔市の中心にある大通りを闊歩していた。


(ああ、またか、またなのか)


 先鋒として行かせた仲間の死を知り大男は嘆いた。


 大男と強化異人モドキたちは脳で繋がっている。本来強化異人モドキは同じ強化異人モドキ同士でさえもコミュニケーションをとることはできない。井坂たちの開発したリモコンを使って命令することは可能だが……

たまに意思疎通しているような仕草を見せるがあれは一方的な意思の表明であり、互いに意思を疎通しているわけではない。だが、大男は直接、脳と脳とで強化異人モドキたちとつながっている。


 脳に埋め込まれた機械が外部より受けた衝撃により意図しない特殊な電波を発生させ大男の脳を変容させた。強化異人モドキたちの出す異質な脳波を受信できるようになったと同時にその特殊な脳波に類似した脳波を強化異人モドキたちの脳へ直接送れるようになった。


 お陰で大男は強化異人モドキたちとコミュニケーションが取れるようになった。


 大男は強化異人モドキたちのリーダーとになった。


(また俺たちは奪われるのか。俺たちに居場所はないのか)


 大男の脳裏に数々の、凄惨で、悲惨な、場面がフラッシュバックする。


 脳をいじられ、腹を割かれ、体全体を拘束され異様な液体に浸される。最初は喉を枯らしながら叫んでいた大男だが、やがて泣き叫ぶのに疲れたのか徐々に男は叫ばなくなった。涙も流さず、怒りもしない。場面はコロコロ変わるのに大男の表情は一切変わらない無表情。


 唯一変わっているのは大男の肌。最初は少し焼けすぎなパンのような褐色だった肌が徐々に色素を失いアルビノのような真っ白に変化、そして最後は真っ白な首元にできた黒い染みが体全体に広がっていき、濁った灰色へと染色した。


(だとしたらこんな世界に価値など、生きる価値などない)


「グラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 大男は叫んだ。所在も出所もわからない、虚ろな憎しみをその声に込めて。


(壊せ、壊し尽くせ、全てを破壊しろ)


 大男の号令に従い、その場にいた強化異人モドキたちは一斉に散った。リーダーの命令を完遂するために。


 この世にすべてを奪われた者達は今、自分たちから全てを奪った世界、そのすべてを破壊するために最後の行進を始めた。


(俺たちは俺たちを嫌うすべてを破壊し、俺たちだけの理想郷を創生する)



***



「「はあ、はあ、はあ」」


 有魔署を襲撃して来た三体の強化異人モドキたちは全員、頭を銃弾で打ち抜かれた。脳に穴を開けられた強化異人モドキたちは糸切れたマリオネットのごとく床に四肢を投げ出していた。


「やったのか」


「とりあえずは、たぶん」


 重ね合った手で銃を握りしめながら立ち尽くす守偵とマロンは一時的であるが脅威を退けピンチを切りぬけた。二人は酸素を吸いこんではすぐに吐くを繰り返し熱を帯びた体を必死に冷やしていた。


 そんな二人の無防備な背中を蟻命は静かに見守っていた。


(井坂たちの手術で脳に多大なダメージを負っている強化異人モドキたちに意思と呼べるようなものはない。つまり奴らには感情や理性といったものが備わっていないはず……)


 腕からとんでもない量の血を流しながらも蟻命は頭を動かし続けた。


(だが、さっきの強化異人モドキの攻撃は明確な目的をもっての攻撃のように見えた。俺を殺すという明確な目的を)


 本来、意思を持たないはずの強化異人モドキから蟻命は右腕を切り落とした強化異人モドキの攻撃から殺意に似た確固たる意思のようなものを感じた。


(リモコンを使ったのか)


 強化異人モドキに命令を出せるのは井坂がバイソンを操るために使っていたリモコンのみ。強化異人モドキたちにもバイソンと同じ――厳密に言うと少し違う機械が脳に埋め込まれているため、井坂が使っていたリモコンで強化異人モドキたちにも命令することは可能だ。


 実際、それを使って蟻命たちは強化異人モドキたちに捕らえた如珠のいる井坂たちの研究所の見張りをさせていた。


 蟻命他の元にあるリモコンは井坂の持っていた一つのみ。研究所には強化異人たちを操れるリモコンはなかった。


 スペアがある可能性も拭い切れないが、今回の一件、普通に考えれば犯人はそのリモコンを現在所持している人物――


(フロッグが俺たちに反旗を翻したのか)


 今現在強化異人たちを操れるリモコンを持っているのは研究所の番人をさせているバイソンたちと同じ強化異人のフロッグである。


 普通に考えればフロッグが蟻命たちを裏切ったということになるのだが、腑に落ちない点がある。


 フロッグは最近の年寄りが口癖のように言う最近の若者を具現化したような強化異人なのである。要するに向上心や野望といったものが限りなく希薄なのだ。ガツガツしていない。


 裏切りとはそういった強い野望や向上心、もしくは積年の恨みがあって初めて行動に移るもの。


 フロッグの性格と合っていないし、異人たちに非人道的な実験を繰り返してきた井坂ならともかく会って間もない蟻命とフロッグの間にそのようなわだかまりはない。


 本当にフロッグが強化異人モドキたちを先導している首謀者なのか――


(わからん。だが、強化異人モドキたちを先導して操っている奴がいるのは確かだ。そしてそいつの狙いは俺。この街の王である俺の命……いや、違う)


 強化異人モドキたちを操る首謀者の正体はわからずとも、蟻命はその首謀者の狙いに気が付いた。それはついさっき、王の命に背いた無能刑事(愚か者)に言ったことでもある。


『有象無象の民がいくら集まろうが所詮は取るに足らない烏合の衆。国とは王がいて初めて国と為るんですよ』


 民がいくらいたところでそれはただの烏合の衆でしかない。民を束ねる王がいて初めて烏合の衆は国という形態とることができる。


 蜂王蟻命は誰もが認める紛れもないこの街の王。そして強化異人モドキたちは明らかに蟻命の命を取りに来ていた。それが意味することはつまり、


(首謀者(そいつ)の狙いは、この街の全てだ)


 首謀者の狙いを看破した蟻命の元に床で倒れこんだままだったアイズが恐る恐る這って近づいてきた。


「蟻命」


 親の声よりもよく聞いた雑踏の中で聞き取れるほど透き通った声に呼ばれ顔を上げるとそこには、右腕を落とされて立ちあがれずにいる蟻命を視るアイズの悲しそうな瞳が間近にあった。


「アイズ」


 アイズは何も言わず、無言で蟻命の近くに座り込むとそのまま膝の上に蟻命の上体を乗せた。


「「…………」」


 至近距離で見つめあう二人。蟻命にはもう立ちあがる力がなく、アイズもまだ腰が抜けている。


 やがて蟻命は一度目を閉じると、そっと口を動かした。


「守偵」


「蟻命……」


 蟻命に名前を呼ばれ振り返る守偵。だが、守偵が一歩も蟻命の元へ近づくことはなかった。


「今の強化異人モドキたちの襲撃はただの序章だ。俺たちの力量を測るためのな」


(強化異人モドキ、さっきの泥の化け物のことか)


「さっきの三体はただの探りだったってことか」


「ああ、本番はこれからだ。次はおそらくもっと大量の強化異人モドキたちが襲撃に来るはずだ」


 互いに少し離れた位置で会話をする血のつながった兄弟二人。


 その様子を二人の少女が哀しい目で見守っていた。


「奴らはただ命令されたことを忠実に実行する、命を賭けて。奴らに意思や感情と呼べるようなものはない」


 守偵の脳裏に仲間の亡骸を見て悲痛な声を上げた強化異人モドキの姿がよぎった。


(意味はわからなかったが、あの声には確かに……)


 そこまで考えて守偵は頭を勢いよく振った。今はこの、強化異人モドキたちの襲撃から街を守ることに全神経を集中することにした。


「必ず奴らを操る首謀者がいるはずだ。そいつを捕らえて――」


 途中蟻命は一度言葉を止め、守偵から視線を外した。しかし、すぐに視線を戻し守偵を真っすぐ見た。


「殺せ」


 蟻命の言葉に守偵は拳をぎゅっと握りしめた。


「俺に人殺しをしろって言うのか。それも、親父を殺したてめぇのために」


 感情を抑えきれず声に滲ませる守偵に対し蟻命はひどく冷たい鉄のような声で言った。


「異人は人ではない」


「っ」


 守偵の感情が爆発する寸前、マロンが蟻命に詰め寄ろうとする守偵を止めた。


「守偵っ」


 心配するマロンの顔を見て、守偵は奥歯をぐっとかみしめた。


「しなければ、大勢の人と異人が死ぬことになる」


「……わかった」


 この事件が解決するまでは守偵は自分の感情を押し殺すことにした。


「でも、お前のために行くわけじゃない。それは覚えておけ」


 だがそれは蟻命の言うとおり首謀者を殺しに行くわけではない。事件を止めるため首謀者は探すが、殺しはしない。会話をして、なんとか今回の襲撃を止めてもらう。強化異人モドキたちのように会話ができなくても、互いに理解し合えなくても、強行的な手段をとることになったとしても、


 殺しは最後の手段だ。


 先ほどの光景が、強化異人モドキの言葉にならない叫びが、守偵により強い決意をさせた。


「わかった」


 蟻命の言葉を聞くやいなや守偵は蟻命たちに背を向け、有魔署を後にしようと強化異人モドキたちによって破壊された入口に向けて歩を進めた。


「守偵、ま――」


「木ノ宮マロン」


 一人ですたすたと行こうとする守偵に慌ててついていこうとしたマロンを蟻命が呼び止めた


「これを持っていけ、念のためだ」


 そう言って蟻命は人差し指ほどの何かをマロンに向かって投げつけた。


「これは」


 蟻偵が投げたそれを上手くキャッチしたマロンは手のひらに収まったそれを見て首を捻った。


 ぱっと見は人差し指ほどの大きさでマロンも何度かこれとよく似た物を見たことがある。ライフルの弾だ。だがそれは通常のライフルの弾と違い派手な装飾がされており、中も少しスケルトンで見えるのだがラジコンの中身のように細かい部品がびっしり入っている。とても武骨なライフルの銃弾とは思えないものだった。


「ショック弾。撃ち込むと強力な電気を発生させる、いわゆるスタンガンみたいなものだ。普通の人間に使っても気を失わせる程度の殺傷力しかないが脳内に機械を埋め込まれている強化異人の頭に打ち込むとその弾から発生した電気で機械を暴走させて脳を焼き切ることができる」


「つまり、強力な異能を持つ強化異人を一発で殺せる弾ってこと」


「そうだ」


 マロンの手の中にある派手な装飾をされた弾は強化異人のみを的確に、確実に葬れる紛れもない対強化異人用の最終兵器。


 それを蟻命はマロンに託したのだ。守偵(弟)ではなく……


「持っていくか行かないかはお前次第だ」


 マロンはそれをそっとコートのポケットにしまった。


 視線を後ろに向けるといつの間にか守偵はもう有魔署の入り口にある自動ドアを潜り抜けるところだった。足早に守偵を追いかけようと蟻命たちに背を向けた瞬間、マロンの後ろから弱い隙間風が吹いた。


「頼んだぞ」


「…………」

 

 何か言葉のようだったが、空耳だろう。幻聴に付き合っている暇はないとマロンは無言でその場を後にした。


 有魔署を出る直前、マロンは一度蟻命の方へ振り向くと声には出さずに唇を動かした。


 任された


 そしてマロンは守偵を追いかけて有魔署を後にした。


 マロンが何を言ったのか、逆光で蟻命には見えていなかった。だが、マロンが守偵を追い去った後、蟻命はふっと笑った。


 蟻命の意識は深い闇の中に沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ