王の城
有魔署に到着してすぐ、アイズは蟻命へ電話をかけた。たった一人の番号とアドレスしか入っていない雪のように真っ白な携帯電話。
「わかりました」
蟻命とのやりとりを終え、アイズは携帯を胸ポケットにしまった。
「市長は現在取り込み中だそうです。しばしここでお待ちを」
守偵たちがいるのは有魔署一階、部屋中央に受付カウンターが置かれ、それ以外には上の階とを繋ぐエレベーターと階段しかない扇形の広々としたフロアは普段多くの刑事や事件関係者が行き交い、怒号が飛び交うことも茶飯事な賑やか騒がしい場所なのだが……
今、この場所には腕を手錠で拘束された守偵とマロン、そしてアイズの三人しかいない。
普段慌ただしい様相で走り回る警察関係者はもちろん、事件事故に巻き込まれ不安と恐怖で押しつぶされそうになっている事件関係者を笑顔で迎えるはずの受付嬢すらいない。
一階だけではない、有魔署全体から人の気配が全く感じられない。
蟻命の能力、人知を超えた存在で関係ない者を、蟻命にとって必要ない者を署内から全員追い出したのだ。ここにいるのは蟻命が、いることを、この地へ足を踏み入れることを認可した者たちのみ。
守偵たちは改めて実感させられた。
ここは蟻命(魔王)の城である。
「ちょうどいい暇つぶしにもなるし、そろそろ聞かせてもらってもいいかしら」
すでに敵の腹の中にも関わらず、マロンは世間話でもするような軽い調子でアイズに話を振った。
「あなたたちの目的について」
蟻命たちの目的。人だけでなく異人にも街のみんなから慕われていた市長がなぜ同じくみんなに慕われていた有魔署署長、探護重信を殺めなくてはいけなかったのか、その理由。
蟻命の口ぶりからして重信の殺害は蟻命たちの目的完遂のため必要な事項だったように思えるが…………
謎はそれだけではない。どうして井坂たちによって造り出された強化異人を自分たちの配下に置いているのか。蟻命たちの目的はわからないが、蟻命と井坂たちの理念は違う。互いに相容れないと守偵は感じている。それなのに井坂たちの負の遺産自分の配下に加えるなど、井坂の非道な行いを肯定していると思われても仕方がないような行動。そこまでのリスクを負ってでも強化異人を自分たちの配下に加えた理由。
その二つは蟻命の目的に密接に関係していると守偵は直感的に確信していた。
「………………」
マロンの質問に当然アイズは答えず、ただじっとマロンの方を見つめていた。口を閉ざすアイズに向かいマロンはわざとらしいほど口角を上げて見せた。
「それともあなたも他のかわいそうな人たちと同じで何も知らされてないただの操り人形なのかしら」
誰でも挑発とわかるマロンのいやらしい笑みに多少の揺さぶりではさざ波すら立たないであろうアイズが眉をひそめた。それだけマロンの挑発顔は見た者の心をざわつかせるものだったのだ。
「あなたたちに言ったところで、意味ない。絶対わからない。蟻命以外に誰も私たちの夢を実現できる人はいない」
ポツリとアイズが零した自分を挑発して来たマロンに言い返すためというより自分に言い聞かせるためのような言葉はそのか細い声量とは裏腹に普段のアイズからは思いもよらない強い熱量が込められていた。
それが守偵たちに偽りのない、心の底からの言葉だということを心に感じさせた。
「あなたたちの夢……」
アイズは言った。「私たちの夢」と。「蟻命の」ではなく、「私たちの」と言った。
アイズは知っていたのだ。蟻命の目的もこれから蟻命が何をしようとしているのかも
「それってこれから予定されている重大発表と何か関係しているの」
(蟻命の重大発表……)
セイムの市議会襲撃事件以降、世俗を離れ異次元町に身を隠していた守偵だが、今日午後三時に蟻命が有魔市の市長として倒壊した有魔市議会跡地で重大発表を行うことは知っていた。この街にある、ありとあらゆるマスメディアが大々的に宣伝していた。
今後の街の未来に関わる重大な発表を行うと……
もしその発表が蟻命たちの目的に深くかかわっているものだとしたら、例え蟻命本人から聞かされていなくとも今日、街の人々に向け蟻命が何を言うのかアイズには想像がついているはずだ。
しばらくマロンと守偵を交互に見つめ黙り込んでいたアイズだが、やがて固く閉ざしていた口をそっと動かした。
「今日この後有魔市議会跡地で行われる会見で蟻命は――」
守偵もマロンも当然蟻命の目的については考察した。いくつかの仮説も立てた。だが、蜂王蟻命という男は守偵やマロンが考えているよりもスケールが違っていた。
「有魔市の独立を宣言する」
守偵とマロンが立てた仮説はすべてアイズの語った蟻命の真の目的にかすりもしていなかった。
「独立って、まさか、有魔市を日本から独立させて一つの国にするってこと」
アイズの語った真実に目を大きく見開かせるマロン。アイズたちの計画は一見すると突拍子もなく荒唐無稽なものに思われた。だが――
「ばっ」
ばかげてると言おうとして守偵は口をつぐんだ。
「国として最低限必要なものはその国で暮らし国を支える国民とその国民たちを束ね率いる国の代表、そして……他国からの侵略に抗えるほどの強大な軍事力」
「井坂の強化異人たちを自分の仲間にしたのはそのためか」
元々戦争の道具として、兵士としての運用を念頭に開発されていた彼らを他国からの侵略の抑止力として利用するのは理に適った話だ。ただ……
(…………)
それは少し、蟻命らしくない話だと守偵は思った。
蜂王蟻命という男を守偵はよく知らない。知りたいとも思わない。それでも井坂とはまた違う理念を持って行動している奴だということはなんとなくわかっていた。その理念が正しい、正しくないはともかくとして。
理念が違えば行動も変わる。
だが今、蟻命は強化異人に対して井坂と同じことを強要させている。それが少し守偵の中にある蜂王蟻命という概念に違和感のようなものを生じさせていた。
(蟻命は何か焦っている……)
守偵の中に生じた違和感、その正体に守偵が気づくのはもっと先の話である。
「あなたが今言った条件全て、蟻命がいればクリアできるわ」
蟻命の能力、人知を超えた力。人心を操り他者を意のままに動かせる力があれば確かに一つの街を国として独立させるという途方もないほど壮大な計画を現実にすることも確かに可能かもしれない。
少なくとも蜂王蟻命にはそう思わせるだけの力がある。
「…………」
敵(蟻命)の規格外すぎる存在感を前に守偵の心はひざを折りかけていた。自然と視線が底に落ちていく……
「さてと、蟻命市長も中々来ないことですし、私は私の仕事をさせてもらいましょうか」
視線を落とす守偵を見て、アイズはジャケットで隠していた腰のホルスターから拳銃を抜いた。アイズの銃口がマロンの眉間をしっかり捉えていた。
「一体何の真似かしら、アイズさん」
「見てわかりませんか。懐に入り込んだ薄汚い鼠(裏切り者)を始末するんですよ」
「裏切り者、私が」
銃口を向けられてもポーカーフェイスを崩さず平静を装うマロン。
「私はちゃんとあなたたちの依頼を遂行したわ。探護如珠をあなたたちが捕縛できたのは私のおかげと言っても過言ではないはず」
マロンの訴えにアイズは首を縦に振った。マロンに向けた銃を下ろすことなく――
「そうですね。確かに妹さんを捕らえることができたのはあなたの掴んできた情報と企てた作戦あってのものです」
「今だってあなたたちのご要望通り、探護守偵を捕まえてここまで連れてきた」
「厳密に言うと連れてきたのは私ですけどね」
「それはあのオストリーグとかいう強化異人が邪魔しただけで」
マロンの釈明はしっかり筋が通っていた。説得力もある。矛盾もつつく重箱の隅もない。完璧な証明、のように聞いているだけの守偵は思っていた。
しかし、アイズは構えたまま銃口を下げることはなかった。
アイズは確信していた。マロンが自分たちを裏切っている裏切り者だと。
「うすうすわかっていると思いますけど私も蟻命市長や探偵さんと同じ異人です」
「「っ」」
アイズも守偵や蟻命と同じ異人であることは薄々感づいていた。しかし、まさかこの状況でそのことについてカミングアウトするとはマロンも守偵も思ってはいなかった。
「私の能力はすべてを見通す眼です」
「すべてを見通す眼」
アイズは守偵と同じ瞳に関する能力をもつ異人だった。
「要約すると超人的な視力を得るという能力ですね」
「超人的な視力」
意味としては分かるのだが漠然としすぎてピンとこない守偵と違い、実際に目の当たりにしたわけではないが報告として如珠捕縛作戦の一部始終を蟻命から聞いていたマロンはアイズの能力を聞いて得心がいった。
「なるほど、だから三千メートル以上離れた位置からでも狙撃できたのね。そんな位置から動いている標的を狙い撃つなんて、とても人間業とは思えないからね」
三千メートルも離れた位置からの狙撃も気になるワードだが、それ以上にマロンの話した言葉の中に守偵が気になる言葉があった。
(動いている標的って、まさか)
なんとなく察しはついていたがそれでも追及しようとした守偵を一発の銃声が静止させた。
バンッ
「っ」
アイズがマロンの右胸を撃ったのだ。
「マロンっ」
アイズの突然の発砲に慌てて守偵は手の中に隠し持っていた鍵を使い異人用の手錠を外し、マロンの元へ駆け寄った。
「ううっ」
「マロンっ」
うめき声をあげるマロンを抱きかかえると守偵は身を挺して自分の体をアイズの銃弾の盾にするように守った。そんな二人を見てアイズがふっと息を吐くと再び銃をホルスターへとしまった。
「安心してください。私が狙ったのは彼女が懐に忍ばさせてた拳銃ですから」
「えっ」
アイズにそう言われ守偵はマロンのインバネスコートを捲った。すると確かに銃弾はマロンに届いておらずコートの胸ポケットに入っていた拳銃にめり込んでいた。
マロンは無傷だった。
「…………エッチ」
「えっ」
ジトッとした目で守偵を見ながらマロンははだけたコートを直した。
「私のすべてを見通す眼はただ遠くのものが見えるだけではありません。集中して見れば箱の中身を見ることもできます。いわゆる透視ですね」
「透視っ」
アイズのすべてを見通す眼は超人的な視力を得ることができると共に集中して視ることで透視も可能となる。
有魔市議会襲撃事件の際、アイズはこの能力によりレンジの硬質化が皮膚表面を岩のように硬くする能力であり皮膚に覆われていない口の中は硬質化していないことを看破、レンジが咆哮を上げた瞬間口の中に鉛の弾を撃ち込みセイムの前リーダーレンジの息の根を止めた。
「てことは」
アイズの能力の詳細を聞き、マロンは気まずそうに顔を歪ませた。そんなマロンを勝ち誇った笑みで見下ろしながらアイズが首を前に倒した。
「ええ、ちゃんと見えていましたよ。あなたがコートの内側に忍ばせていた拳銃も今履いている明らかに気合の入ったかわいらしい下着も――」
アイズの言葉に守偵は思わずマロンの慎ましやかな胸元に視線を向けた。瞬間、守偵からの視線を感じたマロンはぐっと視線を外すよう守偵の顔を押し込んだ。
「もちろん、あなたが探偵さんを殴った瞬間こっそり手錠のカギを探偵さんに渡していたことも、ばっちり見えていましたよ」
「「っ」」
(すべてお見通しだったのか)
絶体絶命。守偵は再び視線を底へ落した。
(やっぱり俺じゃ、だめなのか)
あの日からすでに守偵の膝は折れていたのかもしれない。
重信を目の前で殺され、父の仇を前に何もできず逃げかえることしかできなかったあの日、「これからは俺たち二人、頑張って生きていこう」などと無力だった自分をごまかす言い訳をあろうことか家族の死を知ってすぐの妹にして…………
今も、この子だけは命をかけて守ると心に誓った相棒を、文字通り身を盾にすることでしか守ってやれない。
(如珠が愛想をつかすのも当然だな)
あまりの自分の不甲斐なさに苛まれた守偵は
「ふっ」
とすべてを諦めた笑みを浮かべた。
そんな守偵のわき腹をマロンは――
ゴンッ
と肘で小突いた。
「いっ」
突然の肘鉄に思わず声を上げる守偵。見るとマロンは真剣な目でじっと守偵を見ていた。その瞳からは一言、「勝手にあきらめるな」という意思が伝わってくる。
守偵はぐっと奥歯を噛みしめ、落ちていく視線を力づくで上げた。
「諦めないのはあなた方の勝手ですが、苦しむだけですよ。蟻命市長を敵に回した時点であなた方はこの有魔市という街すべてを敵に回したのも同義なのですから」
立って上から守偵たちを見下ろしてくるアイズに対抗するようにマロンも守偵の肩を借りながら立ちあがった。
「それは、どうかしらね」
「どういう意味ですか」
マロンの言葉にアイズは再び眉をひそめた。
「それはあなたが一番よくわかってるんじゃない」
マロンは乱れた服装を整えると、人差し指をピンと立てた。まるで今から事件の真相を話す探偵のように。
「蟻命の人知を超えた力は確かにすごい能力だけど、一つ、気になってたことがあるんだよね」
「気になること」
守偵が蟻命の人知を超えた力を使う所を見たのは一回だけだが特におかしいと思ったところはなかった。
同じ異人である守偵は感じなかった違和感を異人ではないマロンは感じとっていた。
「世間的に異人の能力は大きく二つに分けられてる」
「パッシブ系とトリガー系」
「その通り」
思わず答えてしまった守偵にマロンはニッとはにかんだ。
「この二つの大きな違いは能力に使用限界があるかないか。つまり、能力を使用回数や使用時間に制限があるかないか。あるのがトリガー系でないのがパッシブ系。そして蟻命市長の能力はどう考えてもトリガー系です。なぜなら、もし蟻命市長の能力がパッシブ系なら誰も蟻命市長に逆らうことができない。今市長に反旗を翻そうとしている人がここに二人いる時点で蟻命市長の能力がトリガー系であることが証明されています」
「それがどうかしたのかしら。蟻命市長の能力がトリガー系とわかったからと言って、何がどうしたというのかしら」
急かすアイズに対しマロンはそう慌てずにと立てた人差し指をゆっくり左右に揺らした。
「蟻命市長の能力がトリガー系なら当然使用限界があるはず。守偵の能力、ラプラスの瞳がある一定の回数を超えて使うと強烈な頭痛に襲われて立っていられなくなるみたいに」
「それは、そうだが……」
(俺、そんなことまでマロンに話したか)
守偵はマロンに自分の能力、ラプラスの瞳について話していた。異人にとって自分能力を話すと言うことはつまり自分の生命線、弱点を話すことに等しい。
故に異人同士であったとしても普通、自分の能力を話すことはない。
だが、マロンは守偵の探偵としての相棒だ。期限付きとはいえこれから相棒になる相手に秘密を持つのは気が引けた。それにマロンは守偵の能力について出会う前からある程度知っているようだった。大方、蟻命たちから捕獲対象である守偵の能力について事前に聞いていたのだろうと守偵は思っていたのだが……
困惑する守偵を気にせず、マロンは自分の推理を続けた。
「ならば当然蟻命市長にも人知を超えた力にも使用限界があるはず。でも、蟻命市長に守偵を手配するよう命じられた有魔署の刑事たちは未だに守偵を有魔署署長探護重信を殺した犯人と思い込み、守偵を追いかけている。あの事件からすでに十日以上も時間が経っているのに」
「っ、確かに能力の継続時間が長すぎる」
(能力の発動時間だけじゃない。蟻命は少なくとも有魔署にいる人間すべてに能力を使っている。だから今、この有魔署には俺たち以外に人の気配がないんだ)
能力の使用限界には確かに個人差がある。だが、それでもある一定の基準がある。どんなに長い者でも二十四の時を超えて、どんなに多い者でも百の回を超えて能力を使い続けられる異人はいない。
それは同じ異人である守偵だからこそ直感的にわかることである。
太刀の様に自分の体内にある鉄を使って何か別の物を作り出す能力の場合、太刀が使用限界を迎えて体内の鉄を利用できなくなってもすでに生み出した刃物はそのまま消えることはなく残るが、それは能力で生み出した産物が残っているだけの話で能力自体を持続的に使い続けているわけではない。
「能力の使用限界うんぬんの話はあくまで世間の人がたまたま、それまで発見された異人の能力で共通していた点を見つけておもしろがって分類わけしただけ。科学的に証明された事柄ではないわ」
「つまり、蟻命市長の能力に使用限界がなくてもおかしくはないと」
「事実がそうなのですから、そうとしか言いようが――」
「私の仮説は違う」
マロンはビシッと犯人を名指しするかのように人差し指でアイズの首元を差した
「蟻命の能力、人知を超えた力が適用されるのは彼をある程度以上信頼し彼に心を開いている者のみ。彼に疑心や憎しみを持っている者に彼の能力は通用しない。そしてその効果持続時間は二十四時間ジャスト。それを超えると蟻命の洗脳は解け、みんな正気に戻る。有魔市議会倒壊後に仮の拠点を有魔署にしたのは偶然なんかじゃない。彼が守偵に署長殺しの罪を着せた時間ちょうどにあの時居合わせた刑事全員におなじ命令をして洗脳の上書きするため。そうしなければ刑事たちが事件の真実に気づき自分が探護重信殺しの真犯人であるとばれる、それを防ぐために彼はここを仮の拠点にした――」
マロンの流れるような種明かしにアイズは終始沈黙を貫いた。
「ここは彼の栄華を称える王の居城なんかじゃない。自分を偽装、他者の目を欺き、過去さえも自分の都合の良いように改変する、そんな偽りまみれの王を縛る、牢獄の城なのよ」
「「…………」」
マロンの推理に静まり返る室内。そこへ、
パチパチパチパチ
「すばらしい、さすがは本当の超一流の探偵さんだ」
マロンの推理に賞賛の拍手を送りながら、この街の王にして守偵の父を殺した真犯人、蜂王蟻命がマロンたちの目の前に現れた。
「蜂王」
「蟻命」
マロンへ拍手を送る蟻命の手はおどろおどろしいほど真っ赤に染まっていた。




