ラプラスの瞳★完結保証☆

とうそう

　オストリーグの一瞬の隙を突き、車を急加速させ突き放すことに成功したマロンは高速をアクセル全開で疾駆していた。

「ま、マロンさん」

「舌噛むから、しゃべらないで」

　大きなL字カーブに差し掛かったマロンは華麗なドラテクでブレーキを一切かけず、最低限の減速だけで曲がり切るとその先に続く直線で愛車のギアをさらに一つ上げた。

「で、でもこれ明らかにスピード違反じゃ」

　時速六十キロで走る自動車の窓から手を出すとDカップのおっぱいと同じ感触を味わえるという都市伝説のような話があるが、今守偵は時速百キロを優に超えるスピードで走る自動車の中で硬めのマットレスに押しつぶされるような感覚を味わっていた。

「緊急事態だからノーマンタイ。それより気が散るからしゃべりかけないで」

「しゃべりかけないでって……」

　真剣な顔で運転に集中するマロンの横顔に守偵は喉元までせりあがっていた言葉を胃の奥底に飲み込もうとした。しかし――

「うえっ」

　後方から猛烈な勢いで追いかけてくるオストリーグの姿がルームミラーにはっきり映っていた。

「うぉおりゃぁああああああああああああああ」

　奇声を上げながらも着実に守偵たちに迫ってくるオストリーグ。

「待ちやがれ、この女(あま)」

「お、おい、さっきのとさか頭の奴がすげぇ形相で追いかけてきてんぞ」

　守偵がミラーに映るオストリーグに気づいて一分足らず、オストリーグはあっという間に守偵たちの後方すぐ近くまで迫ってきていた。

「ちっ、さすがに速いわね」

　マロンはさらにアクセルを強く踏みこんだが、オストリーグとの差は縮まっていくばかりだった。

　ついに、オストリーグが守偵たちの隣に並んだ。

「しゃぁ」

　オストリーグは手に持った槍を薙ぐように水平に構えた。すると、黒塗りの槍に淡い蛍光色のラインが浮かび上がり、槍先が小刻みに震え始めた。

(振動で槍の切れ味を上げたのか)

　小刻みに超高速で振動しているのは槍の先から数十センチの部分。

「もらったあ」

　今オストリーグのいる位置から目いっぱい槍の尻を持って横薙ぎした時、ちょうど助手席とそこに座る守偵を横に真っ二つにできる長さである。

(っ、まずい)

　オストリーグが槍を振るう直前、マロンは守偵の頭を掴みぐっと引き寄せ自分の胸に押し付けた。

(っ!?%&$%#&?#&!)

　突然の出来事に守偵が目を白黒する中、マロンは自分の愛車をオストリーグに勢いよく衝突させた。

「がはっ」

　マロンのこの行動により今まさに槍を振るおうとしていたオストリーグはバランスを大きく崩されてしまった。

「て、てめぇぇぇ」

「ぷはっ、はあ、はあ」

　マロンから解放された守偵が隣を見るとすでにオストリーグの姿はそこにはなかった。サイドミラーにバランスを崩され失速し遠ざかっていくハイテク三輪車の姿が小さい点となって映し出されていた。

「モヒカンの人が乗ってるあれ、どうやら見た目ほどハイテクな代物じゃないみたいね」

「え」

　思わず素っ頓狂な声を上げてしまった守偵だがすぐに顔を取り繕い、右から左に抜けてしまったマロンの言葉が何だったのか脳みそを捻りあげて必死に推理した。

　マロンの慎ましくも確かな張りのある柔らかい感触とバニラのように甘い香りが邪魔をしてきたが、なんとか守偵は顔を緩ませることなく、答えにたどり着いた。

「あれって、あのモンスターバイクのことか」

「ええ、そうよ」

　首を縦に振るマロンに守偵はそっと胸をなでおろした。

「あれ、たぶん動力は人力よ」

「人力、嘘だろ」

　オスリーグの下半身を飲み込んでいたハイテク三輪車は仮に中が空洞の張りぼてだったとしても外殻の装甲だけで軽く五十キロ以上はありそうな代物だった。いくら人知を超えた能力を持つ異人といえどもただ力任せに動かせるようなものではない。

「厳密に言うと人力発電だけどね」

「発電」

　ついさっき、オストリーグが守偵をぶった切ろうと構えた槍の先が淡い緑色に光り出したのを思い出した。

「たぶんあの見た目ハイテクな三輪車の中に発電用のペダルが組み込まれてるんでしょ。それを猛烈なスピードで漕いで発電することであのマシンを動かしてるのよ。自慢気に胸を張ったり、私に暴言を吐かれてびっくりした時にスピードが落ちたのがその証拠よ」

「な、なるほど」

　人力と聞くと大した動力源ではないように聞こえるがそれが人を超えた力を持つ異人なら話は別である。火力、水力、もしかすると原子力すら超える発電能力を有する可能性がある。

　だが、ここで守偵の頭に一つの疑問が浮かんだ。

「でもそれって意味あるか。それだけ高速でペダル漕げるなら、自分で走ったほうが速いんじゃ」

　自分の足で百メートルを全力で走り切るよりもモーターカーを自分の全力疾走と同じ速度で走るよう人力で発電し続ける方がはるかに体力の消耗は激しい。

　単純に速さだけを追い求めるなら守偵の言う通り、自分で走ったほうが速い、が――

　マロンは守偵に向けてビッと二本、指を立てた。

「理由はたぶん二つ」

　そう言って立てた二つの指の内、人差し指を前後に軽く揺らした。

「一つは体を安定させるため。槍もそうだけど、走ったままじゃどうしても狙いが定まらなくて武器を振えないからね」

「……確かに走りながらあの大きな槍で狙いをつけるってのはかなり至難の業だな」

　どんなにきれいで理想的なフォームで走ったとしても走ったままの状態で敵を攻撃するのは難しい。だが、流鏑馬のように上半身をある程度固定しておけば、多少の揺れがあったとしても離れた的を正確に射抜くことも可能である。

　実際、守偵が視た未来でオストリーグの槍は正確に守偵の心臓を貫いていた。

「もう一つは――」

　今度は立てた二つの指の内中指を軽く揺らしながらもう一つの理由について話そうとしたマロンだったが、マロンの話は後ろから土煙を上げ猛追してくるモヒカン男の雄たけびにより中断させられた。

「うぉおおおおおおおおおおおおお」

「な、あいつ」

　助手席の窓から身を乗り出して振り返るとそこには黒い槍を手に鬼のように顔をゆがめながら高速道路を自分の足で疾走するオストリーグの姿があった。

「どりぁやあああああああああ」

(なんてスピードだよ。こっちは百五十キロ出てるんだぞ)

　下半身を飲み込んでいた三輪車お化けを脱ぎ捨てたオストリーグのスピードは明らかに

常軌を逸していた。ハイテク三輪車に乗っていた状態でもアクセルべた踏みで走るマロンの愛車の最高速度より速かったのだが、下半身を飲み込んでいた鋼鉄の殻を破った今のオストリーグのスピードは車はおろか新幹線にすら匹敵するスピードとなっていた。

「抜いたああああああああああ」

「っ」

　オストリーグの快走を止めるため進行方向の前に陣取ろうとしたマロンだったが幅寄せする車の横をオストリーグはあっという間に通り過ぎていった。

　守偵たちを追い抜いたオストリーグはそのまま三十キロメートルほど走ると急停止、後ろから来る守偵たちの方へ振り返ると腰を深く落とし、そして――

「とりゃあ」

　跳躍。

「なっ」

　ドガン

　マロンの愛車のボンネットにしっかり着地した。

「へへへへへへ、つーかまえた」

「「っ」」

　怖気の走る下卑た笑みで二人を見るオストリーグ。

「さあて、どっちから先に地獄に送りにしてやろうかな、へっへっへっ」

　交互に二人の右胸へ槍の先端を向けるオストリーグに向けて、マロンはニコッと笑みを見せ、言った。

「あなた、バカでしょ」

「あんっ」

　そう言うとマロンはすぐにアクセルペダルから足をはなすと隣にあるペダルを思いっきり踏み抜いた。

「あだっ」

　突然の急ブレーキに守偵はつんのめりダッシュボードに頭を強打。

「がっ、がはっ」

　シートベルトも何もしていないオストリーグは急ブレーキに衝撃に宙へ身を投げ出され道路のアスファルトに全身を打ち付けた。

　道路の上で倒れこむオストリーグ。空中で手放した槍はオストリーグのいる場所から数メートルほど離れた高速道路の壁近くに転がっている。マロンは倒れるオストリーグに向けて車を発進させた。

「お、おい」

　オストリーグに頭から車で突っ込もうとするマロンを止めようとする守偵だが、目の前の標的に全神経を集中させるマロンにその声が届くことはなかった。

「ぐっ」

　向かってくる鉄の塊に気づき素早く立ちあがるオストリーグ。猛スピードで迫る車。後ろは壁、猛進してくる鉄の猛牛をかわすには引き付けて左右のどちらかに勢いよくジャンプするしかない。

　直感的にそう判断したオストリーグはぐっと足に力を入れた。

　オストリーグと守偵たちの距離一メートル、速度計が百を示した瞬間、

「守偵、どっち」

　マロンの声に守偵は咄嗟にラプラスの瞳を発動。数秒後の未来を守偵は視た。

「右だ」

　守偵の声に合わせて、ハンドルを右に切るマロン。同時にオストリーグはアスファルトを穿つほどの力を込めて左に――守偵たちから見て右に跳んだ。

「しまっ」

　いくら人間離れした脚力を持つオストリーグと言えど、地に足がついていない空中で迫り来る鉄の塊を防ぐ術はない。

グシャッ

「がはっ」

　助手席の窓に唾を吐き出して、オストリーグはマロンの愛車に吹き飛ばされ高速道路の壁に激突した。

「す。すげぇ」

(いろんな意味で)

　壁に激突したオストリーグはそのまま地面に倒れこんむとそのまま動かなくなってしまった。

「あの仰々しい三輪車を使うもう一つの理由だけど、恐らくモヒカン君の足を守るためのプロテクターの役割でしょうね」

「……足を」

「モヒカン君の場合、足は最大の武器だけど同時に最大の弱点でもあるのよ。レンジさんみたいな硬質化とは違ってあくまでモヒカン君の能力は人知を超えた強力な脚(キック)力。高速で走ったり、五キロの鉄球を蹴り飛ばしたりはできても普通に車とかで思いっきり轢いちゃえば足がぐちゃぐちゃになって簡単に無力化できちゃうからね」

「な、なるほど」

(いくら命を狙われていたとはいえ、さすがにこれはやりすぎなんじゃ……いくら異人でも骨折じゃ済まないだろう)

　目の前の光景に若干引いている守偵を無視してマロンは倒れるオスリーグの元へゆっくり歩み寄り首元にそっと手を当てオストリーグの生存を確認した。

「脈はあるわね。脚力以外はたぶん普通の人と変わりはないでしょうけど念のためちゃんと拘束してから救急車を呼びましょ」

「あ、ああ」

　守偵はポケットから携帯を取り出し救急車を呼ぼうと、守偵の気が一瞬携帯の画面に向いたその時――

ガバッ

　気を失っていると思われたオストリーグが突然立ちあがり、近くにいたマロンへ革のズボンから取り出した小型のナイフを向け、襲い掛かった。

「マロンっ」

　二人の不意を突いたオストリーグの刺突。守偵よりも明らかにオストリーグの方がマロンとの距離が近い。このままでは守偵がマロンの元へ向かうよりも早く、オストリーグの手に持つ銀の刃がマロンの体に突き刺さる。

「しねぇええええええええええ」

　両手に持ったナイフがマロンの胸を貫く寸前、マロンは至極冷静に洗練された動きでもってオストリーグの決死の突進を躱すとそのままナイフを握るオストリーグの腕をつかみ、地面に投げ飛ばした。

「がっはっ」

　絵に描いたようなマロンの背負い投げにより、オストリーグは完全に意識を失った。

「あんまり私を舐めないでくれる」

「……マロン」

　目の前の光景にしばらく呆然とする守偵の元へ、血のように赤い軌跡の残像を引き連れ一台のスポーツカーが飛び込んできた。

「さすがは世界を股にかける超一流の探偵さんですね」

「っ、お前は」

　高速道路の真ん中で急停止した真っ赤なスポーツから現れたのは腰まで伸びる美しい銀髪をなびかせる蜂王蟻命の秘書、初めて会った時にしていた度の強そうな黒縁眼鏡を外した秘事アイズ、その人だった。

「じゃあ早速、この街の敵、探護重信殺害の重要参考人である探護守偵の身柄をこちらに渡してもらいましょうか。木ノ宮マロンさん」

「な、何を」

　アイズの言葉の意味が分からず、守偵はマロンの方を見た。するとマロンはアイズに向けニコッと笑い、

「もちろんですよ」

「ぐっ」

　そう言ってマロンは守偵の腕を掴むとそのまま後ろ手にひねり、守偵を取り押さえた。