かいそう
蟻命に拉致された守偵の妹、如珠救出のため捕らえられた如珠を救い出すまでの条件付きということでマロンとの急造コンビを組んだ守偵は今、マロンの運転で高速道路をものすごいスピードで疾駆していた。
「はやすぎないか、いくら高速だっていっても」
慣性の法則にしたがい助手席のふかふかシートに体をめり込まされる守偵。
「えっ、これくらい普通でしょ」
免許証は大学進学と同時にとってはいたのだが貧乏事務所の所長に車を買う余裕などなく、安全装置がついていないジェットコースターに乗っているようなスリリングな体験を守偵はただ歯を食いしばって耐えていた。
「風気持ちいい」
「………」
日本でも超有名な海外ブランドのクラシックカーに又借り、アクセルペダルをべた踏みするマロン。
今にもオバーヒートしてしまいそうなほどにうなりを上げるエンジンの轟音と窓ガラスががたがた軋む音が車内に響き渡る。
「なあ、マロン」
「ふーん、ふふん……うん、何、守偵」
「聞かせてくれないか。あの後何が起こったのか」
「私も全部を知ってるわけじゃないけど、それでもいい」
「ああ、頼む」
ご機嫌に鼻歌を歌うマロンに守偵は気を紛らわせる目的も兼ねて最近の、あの市議会襲撃事件以降この街で起こった出来事につて話を聞いた。
「有魔市議会襲撃事件の後、守偵の顔はすぐこの街全てに一斉指名手配された。街の良心探護重信を殺した大悪党、父親殺しの最重要容疑者としてね」
「そうか」
「見たことない。守偵が潜伏してた異次元町にもいくつか手配書が貼ってあったみたいだけど」
「そういえば街にある掲示板に真新しい手配書が貼ってあったな。興味がなかったから全然見てなかったけど。もしかしたら、あれが俺の手配書だったのかもな」
守偵の手配書は守偵が身を隠していた異次元町にもばら撒かれていた。だが、この国唯一のスラム街と呼ばれるようなところを根城にしているごろつきが警察の捜査に協力するわけなく、下手に警察に関われば最悪自分の方が警察にお縄になってしまう。相互不干渉、それが異次元町に暮らすアウトローたちの暗黙の了解だった。
守偵の正体を知っても全員知らぬ存全をつき通した。
「セイムに襲撃を受けた有魔市議会は健在の老朽化もあって崩落。現在も復旧工事が行われている最中よ」
「そうか」
「あれだけの建物の倒壊。よく誰も下敷きにならなかったわよね」
「その前に大勢死んだけどな」
「…………」
市議会倒壊による死傷者はゼロだった。だがそれは、あの事件で誰も人死にが出なかったというわけではない。目の前で蟻命に心臓を撃ち抜かれた重信以外にも、守偵が市議会へ乗り込んだ時、中には大勢の死体が無造作に転がっていた。
市議会を襲撃したセイムのメンバーはもちろん、そのリーダーである金剛蓮司、セイムに占拠された市議会を解放するため強行突入した有魔署の刑事たちに、異人を専門に狙う人身売買集団を裏で操っていたこの国のナンバーツー井坂次王。
一夜にして大勢の命があの事件で失われた。
「蟻命市長は今護衛の観点も兼ねて市議会の復旧が終わるまで有魔署の署長室を間借りして仕事をしているみたいよ」
「おやじの……」
「今や蜂王蟻命は有魔市を統べる街の王なだけでなく探護重信の遺志を継ぐ、この街唯一の希望になっているわね」
自分の父親を殺した相手が今、父に代わりその席に座っている。市長と署長という立場の違いはあるが、重信が必死で守り務めてきた有魔署の署長という椅子に蟻命が我が物顔で座っている。重信の苦悩や挫折を知ることなく、すべてを自分の手柄にしようとしている。
それはきっと怒ってしかるべきことなのだろう。怒って、嘆いて、悔しくて涙を流して……
(俺にはもう自分の心の有り様すらわからなくなってきている)
「俺たちの目的は如珠の救出だ。蟻命のことは……今は、どうでもいい」
「今は、ね」
「…………」
未だ煮え切らない守偵を叱責するようにエンジンがいっそう大きなうなり声を上げた。
「如珠とは有魔市議会の襲撃事件が起きた日の夜まで一緒にいた。異次元町にあるビジネスホテルに泊ってたんだ」
「兄弟でホテルっ……へぇ」
意味ありげな視線が守偵に向けられる。
「何だよ」
「別に、続けて」
いざ言葉にすると即通報案件のような状況だが、当の本人はそんなこと全く気付いていない。
「目を覚ますとベットに寝てたはずの如珠が部屋から消えていた。俺はすぐ部屋中を探した、風呂場やトイレ、ベッドの下やクローゼットの中も」
「それ、もし妹さんがお風呂屋やトイレに入ってたらどうするつもりだったの、いくら兄妹だからって、犯罪だよ」
「……確かに」
頭を押さえる守偵を見てマロンは、はあと大きなため息を吐いた。
「相変わらずだね、君」
「うん」
(相変わらず……)
守偵とマロンは初対面のはずだが……
『やっと会えましたね。探護守偵さん』
「守偵、守偵」
「ん……うぉお」
考え事をしていた守偵の目の前にいつのまにかマロンの大きなくりくりの瞳が――
「何か考え事」
「あ、いや」
守偵の心臓が一瞬、体の内側を突き破りそうなほどビクンと大きくはねた。
「何でもない。それより前見ろよ。運転中だろ」
「わかってるよ」
せっかく守偵を心配したのに逆に注意されてしまったマロンは頬を膨らませながら再び視線をフロントガラスの方へ向けた。
しばらくの間、守偵は運転するマロンの横顔をじっと見つめていた。
くせの強い栗毛に長いまつげ。瞳はぱっちり大きく、顔は超のつく小顔。肌はマシュマロのように白く、しなやかな体つき。まさにかわいいと美しいを両立したような少女。
もし世の男がこんな女の子と人生に一度でも出会っていたのならきっと一生忘れない思い出になっているだろう。もちろん守偵も……
(気のせいか。声小さくてよく聞こえなかったし)
マロンに感じた違和感をばっさり切り捨て、守偵は再び如珠がいなくなった日の事を語り始めた。
「結局部屋中を探しても如珠の姿はどこにもなかった。受付のおばちゃんに話を聞いたら朝早く一人でホテルを出る赤髪の少女を見たそうだ」
「十中八九、妹さんね。」
「だろうな。それから俺はずっと異次元町のいたるところを隈なく探したんだが、結局……」
「妹さんは見つけられず。いじけた守偵君は病院の霊安室で引きこもりかたつむりになってたわけね」
「……」
言い返したいのは山々だが、実際その通りだからぐうの音も出ない。わずかな抵抗として守偵はいたずらっぽく笑う生意気栗毛少女をジトォとした視線を投げかけた。
「だが、まさか蟻命に捕まってたなんてな。通りで……酷い目に遭わされてないといいが」
マロンの話では如珠は今、井坂が異人の研究のため非人道的な実験を繰り返し行っていた施設に監禁されているそうだ。
蟻命の性格から井坂のような人体実験やその井坂が裏で操っていた異人専門の人身売買集団トレイドから異人を買っていた畜生共のようなまねをするとは思えないが、それでも守偵は如珠の身の上を心配せずにはいられなかった。
神妙な顔で俯く守偵を見てマロンはふっと小さく息を吐いた。
「何か勘違いしてるみたいだけど妹さんが捕まったのはここ最近の話よ」
てっきり気分転換の散歩か何かで少し守偵の元を離れた所をすぐ蟻命に拉致さられたのだと守偵は思っていたが、そうではなかった。
確かに、守偵の考えている通りなら蟻命から何も守偵にアプローチがないのはおかしい。守偵は蟻命にとって手配書を街全体にばら撒くくらいには目の上のたんこぶなのだ。如珠を人質に守偵を何重もの罠を張り巡らせた所へおびき寄せるぐらいのことはするだろうし、そうすればさほどの労なく守偵を捕らえることができる。
だが、如珠がいなくなってからマロンと出会うまで守偵に声をかける者は誰もいなかった。
マロンの言葉に守偵はがばっと目を見開いた。
「そうなのか。てっきり……じゃあ、あいつ今まで一体どこで何を」
守偵の疑問にマロンは一瞬、困ったように眉を歪めたがすぐにいつものニコニコした表情に戻した。
「社会から迫害を受けてる異人たちの権利回復活動よ。ちょっとばかし危険で荒っぽいお友達と、ね」
「それって、まさか」
昔、同じような言い回しで、ある組織の活動をそう表現されているのを聞いたことがある。
ついこの間までは毎日のようにニュースで聞いていたその組織の名前もあの事件をきっかけに最近ではめっきり聞くことはなくなったのだが……
「先の有魔市議会襲撃事件でセイムは大きなものを失った。それこそ組織の存続が危ぶまれるほど大きなものを」
守偵の脳裏にあの日の事が蘇る。
「一つはセイムに所属する戦闘系の能力を持った武闘派構成員」
セイムみたいな過激派異人集団にとって組織に属する武闘派構成員の数はそのままその組織の力を表すことになる。当然所属する武闘派構成員の多い方がそっちの世界で幅を利かせられるし、少ない方は多い方に良いように食い物にされることもある。
あの日、守偵は有魔市議会で死に絶える多くのセイムの構成員の亡骸を見た。
「単純な組織としての戦闘力低下も痛いけど、それよりも大きな痛手だったのが組織の中心であり精神的支柱でもあったリーダー、金剛蓮司の死」
(レンジ……)
レンジは市議会会議場で何かを大声で叫んでいるようなすさまじい表情のまま立って死んでいた。
「そのせいで組織はばらばら、生き残った構成員たちの心もセイムからどんどん離れていって、自然消滅秒読みだった」
過激派異人集団の若きリーダーにしてセイム創設者の一人。硬質化という現在知られている戦闘系能力の中でも攻防一体の強力な能力を持つ異人であると同時に高いカリスマ性で個性も灰汁も強いセイムの構成員たちをまとめあげていた。
そんなレンジの死はセイムにとって致命に等しい痛手だ。
「そんな満身創痍のセイムの中で一人、めきめきと頭角を現す少女がいた」
「まさか」
守偵にとって如珠は大事な妹であると同時に有魔市の良心、守偵の父重信から託されたこの世にたった一人しかいない大切な家族でもある。マロンから如珠が蟻命に捕らえられていると聞いた時、守偵は覚悟していた。たった一人の大切な妹を救うためならこの街の王と、閻魔と、命の取引をすることもいとわないと。
だが、まさかあのみんなに優しくてちょっぴり弱虫な、普段は近くの大学に通って運動も勉強もできて友達もそこそこいる優等生、休みの日はだらしない兄に口うるさく説教しながら家事や事務所の手伝いをしてくれている、将来良妻賢母間違いなしの如珠がいくら迫害を受ける異人の権利回復のためとはいえセイムで人様や社会に多大な迷惑をかける過激な活動をしていたなんて、物心つく前からずっと一緒に同じ屋根の下で暮らしてきた守偵にとって到底受け入れられるものではなかった。
「その娘はセイムに入って間もないにもかかわらず、セイム参謀、副リーダーの太刀から信頼を得て瞬く間に実績を積み上げていった。それこそ市長になって間もなくの蜂王蟻命みたいに」
確かに如珠の持つ潜在解放なら、レンジの死でならず者集団とかしている今のセイムの中でも結果を出すことはそう難しいことではないだろう。それだけ、如珠の持つ能力は攻防一体のレンジの能力硬質化に引けを取らないほど強力な矛なのである。
現実的には可能。だが、それでも如珠が最愛の妹が、そんな危ない活動に自ら手を染めているなんて、守偵は、信じたくなかった。
「探護如珠。金剛蓮司に代わるセイム二代目リーダーに最も近いと言われてる人物。それが今の、あなたの妹さんよ」
「まじかよ」
マロンの話に嘘はない。あまりにも衝撃的な事実が守偵の体にのしかかる。
(如珠、お前、どうして)
項垂れる守偵。足元に敷かれた黒いマットを見つめたところで如珠の心の内は守偵にはわからない。
その時、守偵はほぼ無意識にあの日以来となる未来を視る力、ラプラスの瞳を発動した。視えたのはわずか数分後の未来。当然、視えた景色に如珠の姿はない。
見えたのは自分の胸目掛けて窓を突き破る黒い槍の穂先だった。
「っ、車を右に寄せろ」
「えっ」
守偵が叫ぶと同時に勢いよく車の窓ガラスが割れた。




