崩れる現実
蟻命が重信の心臓を撃ち抜いた直後、有魔市議会会議場に有魔署の刑事たちがなだれ込んできた。中には有魔ホテル事件の時にいた古株刑事と若寺刑事の姿があった。
「全員手を床についてひざまずけ。妙な動きをすれば痛い思いをすることになるぞ」
刑事の一人が対異人用テーザーガンを構え守偵たちに警告するが聞く者は誰もいない。
「お父さん……いや、いやああああああああああああああああ」
アイズの拘束から解放された如珠はふらふらとした足取りで重信の亡骸に近づき崩れ落ちた。如珠の悲しい声が会議場に響き渡った。
「し、署長っ」
「どうして署長が」
ようやく床一面に血を流して倒れる重信に刑事たちも気付いた。騒然とする室内。その間ずっと守偵は一人茫然とその場に立ち尽くしていた。
「一体誰がこんなことを」
刑事の一人が発した言葉に守偵はふと蟻命を見た。それにつられ会議場の刑事たちも全員蟻命へ視線を向けた。重信の亡骸をゴミでも見るかのように見下ろすこの街の王に。
「蟻命市長、まさか」
刑事たちはその瞳を知っていた。人を殺した人間の凍てつくような冷たいまなざし。事件の全容はわからずとも、刑事たち全員だれが重信を殺した犯人であるのかを察した。
「君たち、いつまでそこでぼけっと突っ立っている気だい」
視界すべてから疑惑の目を向けられても蟻命に焦る様子はない。
「蟻命市長」
あまりにも堂々している蟻命の姿に刑事たちは背筋をぞくっとさせた。全員一歩足を後ろに引いた。
「今君たちがするべき事は君たちの大将、有魔署の署長、街の良心と言われたこの街の宝、探護重信を殺した犯人を一秒でも早く捕らえ牢に入れることだろう」
「それはそう、ですが」
「じゃあ、何を手をこまねいて見ているんだい。状況を見れば一目瞭然だろう。さあ、目の前の殺人鬼をさっささとひっ捕らえるんだ」
(何を言ってるんだこいつ)
守偵を含め蟻命の言っていることの意味を理解できているものは誰もいなかった。
どうして蟻命は刑事たちに自分を逮捕させようとしているのか。言い訳も一切せずに。市長としての責任、潔く罪を認めることで市長として最低限のメンツを保つため、初めから罪を認め自首するつもりだった、目的は探護重信の殺害……
そのすべてが答えからは程遠い、蟻命の真意はいたってシンプルなものだった
『探護守偵を探護重信殺人容疑で逮捕しろ』
「っ、何を」
蟻命の言葉を聞いた瞬間、刑事たちはいっせいに守偵へ向かって飛びかかった
「確保おおおおおおおおおおおお」
「ぐあっ」
守偵はあっさりと刑事たちに捕縛された。
「なんで俺を、親父を殺したのはあいつだ」
「黙れ、人殺し」
「ぐはっ」
「おとなしくしてろ」
問答無用で守偵を殴る刑事。その瞳は明らかに正常なものではなく、虚ろ。
(どういうことだ、一体何が)
困惑する守偵の頭に一つの可能性が浮かんだ。
「ま、まさか」
「ふふふ、あはははははははははは」
この状況を説明できる唯一の可能性、それは――
「蟻命、お前…………異人だったのか」
蜂王蟻命は異人である。
「人知を超えた存在。それが僕の能力。他人を僕の思うがまま自由に操ることができる」
「人知を超えた存在」
有魔市の王と呼ばれた男は正真正銘の王(人の上に立つ存在)だったのだ。
「こんな結果になっても僕も残念だ。君を殺人の罪で死刑にしなくてはいけないなんてね」
「死刑、だと」
何を馬鹿な、と言おうとしたが蟻命の能力をもってすれば裁判官を操り守偵を死刑にすることなど造作もないことだった。
蟻命が今まで起こしてきた数々の奇跡、市長として輝かしく彩る経歴のそのすべてが異人としての能力を利用して作られた偽りの足跡だったのだ。
「でもしょうがないよね。この未来を選んだのは他の誰でもない君自身なんだから」
「てめぇ」
守偵に刑事たちの拘束から逃がれる力はない。守偵にできることはただ蟻命を睨みつけることだけ。
「さあ、この殺人鬼をとっとと連れていけ」
(くそっ、くそっ……くそぉ)
腕を拘束される守偵に手錠を取り出した刑事が歩み寄る。
守偵にできるのはあやふやで不安定な未来の一場面を視るだけ。この状況を打破する力も、目の前で不敵な笑みを浮かべるくそ野郎をぶちのめす力も守偵にはない。
守偵の腕に手錠がかけられる直前、会議場全体が小刻みに揺れ始めた。
「なんだ、地震か」
揺れは徐々に大きくなっていき、部屋全体にひびが入っていく。
「建物が崩れてきている。さっきのデカブツが暴れすぎたせいか」
天井から盛大な軋む音が鳴り、ほこりや瓦礫が部屋中全体に振り注ぎ始めた。
「総員退避、退避、たいひぃいいい」
会議場にいた全員は直ちにその場から離脱、有魔市議会外に出た。
数秒後、有魔市議会は激しい戦闘の爪痕に耐え切れず崩壊した会議場を起点にいくつもの亡骸を残したまま崩れ去った。
「創立何十年っていういつ崩れてきてもおかしくない年代物だったけど、さすがに壮観だね」
突然の市議会崩壊に慌てふためく人々。刑事たちはすぐ消防署に連絡、その後近隣住民ややじ馬の対応を開始。現場は一時パニックを起こし収拾がつかない状況に陥っていたが刑事たちの迅速な対応のおかげで二次災害を引き起こさずに事は済んだ。
「あれ、あの探偵君は」
現場の対応が一段落つき、辺りが落ち着きを取り戻したころ、一人の刑事がいつの間にか守偵がその場から消えていることに気づいた。
「そういえば」
言われて刑事たちも辺りを見渡すが、守偵の姿はどこにもなかった。
「いないっ。あの署長殺しの容疑者、どこ行ったんだ」
「娘もいないぞ」
「ちくしょう、逃げられた」
「俺たちの署長の仇」
いつ逃げたのかわからないが、おそらくやじ馬に混ざって逃げたのだろう。落ち着いたとはいえまだ現場での対応も残っている、今から追跡するのは困難だった。悔しさを露にする刑事たち。
「どうやらうまく逃げられたようですね」
その様子を黙って傍観していた蟻命にアイズが近寄った。
「いいさ。どうせ彼らには何もできない。どんなにすごい能力を持っていたとしても、彼らは所詮ただの傍観者さ」
少しは悔しそうな顔でもするのかと思っていたアイズだが、蟻命はふっと口元を緩ませると瓦礫の山になった市議会に背を向けそのまま暗闇の中へ歩いていってしまった。




