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仮面の劇場

「未来を見通す眼、ラプラスの瞳を持つ異人、探護守偵(たんごさねさだ)よ、選ぶがいい。どちらの未来を活かし、どちらの未来を殺すのか。選択する権利は君の手の中にある」


 背後から守偵(さねさだ)に選択を迫る蟻命。


 守偵(さねさだ)の目の前にはアイズに両手を後ろ手に拘束され能力の使用限界でぐったりしている如珠(いたま)。その二人の後方、少し離れた位置に無言で立つ重信。


 そして、守偵(さねさだ)の手の中にあるどす黒い塊。


 悲劇しかない未来の岐路に立たされ守偵(さねさだ)はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


(選ぶ、俺が、そんなことできるわけが……)


「おおっと僕としたことがうっかりしていた」


 わざとらしい声と共に蟻命は手をパチンッと鳴らした。その直後、


守偵(さねさだ)


 虚ろだった重信の瞳に光が灯った。


「お、親父っ」


守偵(さねさだ)、これは一体……」


 ずっと直立不動でいた重信だったが突然電源がオンされたように辺りをきょろきょろと見回し始めた。


「確か俺はあの筋肉だるま気絶させられて、気が付いたら如珠(いたま)が潰されそうになってて、それで……」


「おやじ」


 何かうわ言を呟き始める重信だが、今の守偵(さねさだ)に構っている余裕はない。


「さあ、これで舞台は整った。探護守偵(たんごさねさだ)、選ぶがいい。若い故に無限の可能性を秘める妹(希望の塊)かそれとも街のため人のため尽くしてきた父親(正義の奉仕者)か。断ち切る方の心臓をその銃で撃ち抜くがいい。そうすれば君と生かした方の命は助けよう。当然、莫大な報酬も支払う。さあ、君の選択を僕に見せてくれ」


「市長、何を」


 クライマックスに向け一人会議場のボルテージを最高潮に高める蟻命。上がっていく熱気に守偵(さねさだ)の中で焦りと不安が膨れ上がっていく。


「………………………………………………」


「助けを待っているなら無駄だよ。僕が合図するまで、君がこの二者択一に答えを出すまで、ここには誰も来ない。絶対に」


「くっ」


 状況からこの場に警察が介入する見込みはほぼないと守偵(さねさだ)は判断していた。そんな都合のいい話あるわけがないと。それでも守偵(さねさだ)はどこかで期待していた。あるわけがないと思いながらも、そのまやかしの藁に……だが蟻命は守偵(さねさだ)からそのわずかな希望さえも取り上げてしまった。


 これで守偵(さねさだ)には後がなくなった。いや、初めからそんなもの用意されていなかったのかもしれない。


(選ぶしかない、のか)


 守偵(さねさだ)は手の中にある拳銃をじっと見つめた。


 黒鉄を見つめるうち、未来を映すはずの守偵(さねさだ)のラプラスの瞳が暗い漆黒の闇に徐々に浸食されていった……


 そのことに守偵(さねさだ)は気づいていない。未来を映す瞳が今目の前にある光景すら正しく映せていないことに。守偵(さねさだ)以外の全員が気づいていた。


守偵(さねさだ)


 底なしの暗闇に飲まれていく守偵(さねさだ)を重信の声が引き上げた。


「俺を撃て」


「っ」


 そう言って重信は守偵(さねさだ)を真っ直ぐ見た。


「そ、そんなだめ、お父さんっ」


 自分が足枷になっていると思った如珠(いたま)はアイズの拘束から逃れようと必死に体をよじるがすでに限界を向かえている如珠(いたま)の華奢な体にそれほどの力は残っていなかった。


「は、あはははははははははは」


 重信の言葉を聞き、蟻命の高笑いが部屋中にこだました。子供のために命を投げ出そうとしている父親の姿を蟻命は笑い飛ばしたのだ。最大の嘲りでもって。


「そりゃあ、そうだよね、親だもんね。子供のために犠牲になるのは親として当然だよね。えらい、えらい」


 重信をあざ笑う蟻命。


「さすが街の良心、探語重信だ。成長したじゃないか」


 その姿に守偵(さねさだ)は体内からマグマが噴き出るような錯覚を覚えた。


(こいつ――)


 食いしばる奥歯、握りしめる拳、煮えかえる腹、あらゆる場所から湧き上がってくる怒りが確かな熱をもって頭上にある一点目掛けて濁流のようにせりあがっていく。


「だめ、待ってお兄ちゃん。お父さんを撃たないで」


 如珠(いたま)の必死な声も今の守偵(さねさだ)には届かない。


 怒涛の勢いで噴き上がる怒りは守偵(さねさだ)の意志でどうにかできるものでもなく、理性を置き去りにしてついに脳天を突き破った。


「っ」


 瞬間、守偵(さねさだ)の視界すべてが真っ白にホワイトアウトした。


 怒りと共に守偵(さねさだ)の意識も突き抜けた瞬間、守偵(さねさだ)の脳裏にこの状況を打開できるかもしれない一つのアイディアが浮かんだ。


(ある。一つだけ。この状況を親父も如珠(いたま)も死なずに済むかもしれない方法が……)


 だがそれは同時に、一歩間違えしてまえば考えうる限り最悪の結末を引き起こすかもしれない選択でもあった。


「俺は……」


 じっと拳銃を見つめる守偵(さねさだ)


「守偵」


 そんな息子を重信は心配そうに見つめている。


 手元を凝視する守偵(さねさだ)の瞳が小刻みに震えている。明らかに守偵(さねさだ)は冷静ではない。


 他者から見れば活発で素直な如珠(いたま)の方が冷静で皮肉屋な守偵(さねさだ)より危なっかしく放っておけない印象だろう。


 だが、重信(父)は違った。


 如珠(いたま)の方が実直で嘘が吐けない分確かに些細ないざこざに巻き込まれることは多かった。しかし、大抵の場合それは大きな問題に発展することはなかった。如珠自身の芯の強さもあるが、なにより如珠(いたま)は誰かを頼る勇気を持った()だからだ。それに引き換え守偵(さねさだ)は長男という立場からか誰も頼らず何事も自分で解決しようとするきらいがあった。物事を重くとらえすぎてどんどん深みにはまっていき、いずれ最悪的な結末を迎えるのではないかと重信は常々守偵(さねさだ)を心配していた。


(俺は……)


 今重信の目の前で愛する息子が底なしの心の闇に飲み込まれようとしている。


守偵(さねさだ)


 重信は守偵の名前を呼んだ。守偵(さねさだ)を底なしの闇から救い出すために。


 重信に名前を呼ばれ視線を落としていた守偵(さねさだ)は顔を上げた。せわしくなく揺れ動く瞳が今の守偵(さねさだ)の心の不安定さを表している。


 今にも押しつぶされてしまいそうな顔をしている息子を見て重信の胸が締め付けられる。


(俺の大事な息子をこのまま闇の中に引きずり込ませるわけにはいかない。お前らの母さんとの約束だからな。そのためなら、この命……捨てたってかまわない。俺はもう、間違わない)


「おや、じ」


 ぐらつていた視界が次第に定まっていき白髪交じる少しやつれた中年の真剣な顔が鮮明に映る。必死で不安に耐える愛しの息子に向け重信は言った。


「やめろ……撃つな」


 守偵(さねさだ)が何をしようとしているのか重信には皆目見当もついていなかった。だが、父として息子が己の信に反することをしようとしている。自分を犠牲にして自分を救おうとしていることはわかった。


 父として息子の気づかいをうれしく思うが、息子の優しさに甘えるわけにはいかなかった。たとえそれで自分が死ぬことになったとしても。


「はあ、がっかりだよ」


 重信の言葉を聞き蟻命は部屋中に響くほどの大きなため息を吐いた。


「がっかりだよ」


 虫けらを見るような目で蟻命は重信を見た。


「ほんっとうにがっかりだ。正義の体現者なんて言ってみんなにちやほやされてても中身は何も変わっていない。正義だなんだと大言壮語なことを宣っても結局あんたは自分の命が一番大事なんだよ」


 醜悪に顔を歪め重信を激しく罵り罵倒する蟻命。有魔市の王と呼ばれ人々に愛された市長の姿はそこになかった。


「あんたに、何がわかるのよ」


 如珠(いたま)の目から大粒の涙がぽろぽろ零れ落ちる。


「お父さんの事、何も知らない癖に勝手なこと言わないで。お父さんがずっとどんな思いで警察官のお仕事を続けてきたか」


如珠(いたま)


「家族が、街の皆が笑顔で毎日を過ごせるようにって、この街に生まれてよかったって思ってもらえるようにって、いつも夜遅くまで体をぼろぼろにしてがんばってきたんだからっ、何も知らないあんたなんかにお父さんを語ってほしくない」


 涙をこぼしながら必死に今までの有魔市の良心呼ばれ街のみんなの平和を守ってきた重信のがんばりを訴える如珠(いたま)を蟻命は冷ややかな目で眺めていた。


「知ってるよ、それぐらい」


 バンッ


「如珠っ」


 蟻命はお手本のようにスムーズな動作で懐から拳銃を取り出すと如珠(いたま)の右足すぐ近くの床を撃ち抜いた。


「てめぇ」


 目の前で如珠(いたま)を撃たれ守偵(さねさだ)は激高、我を忘れるほどの衝動に動かされるまま蟻命に向かって拳銃を構えた。


 それと同時に背後からカチャッという金属音が鳴った。


「撃ってもいいけど、君に撃てるのかい」


 蟻命の言葉が衝動に任せて引き金を引こうとしていた守偵(さねさだ)の指を止めた。


 ちらっと後ろに目を向けるとアイズが拳銃を如珠(いたま)にぐりぐり強く押し付けていた。


 守偵(さねさだ)が蟻命に向かい拳銃を構えたと同時にアイズも拳銃のセーフティを外し、いつでも如珠(いたま)の頭を撃ち抜けるようにしたのだ。


「ぐ………………くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 地面に頭蓋をぶつける勢いで頭をたたきつけ守偵(さねさだ)は咆哮を上げた


守偵(さねさだ)


 その姿に重信はぐっとこぶしを握り締めた。


如珠(いたま)を、この街を、任せたぞ」


「おやじ」


 そう守偵(さねさだ)に告げ、重信は蟻命に目もくれず如珠(いたま)を人質に銃を突きつけるアイズに向かって直進した。


「っ、止まりなさい」


 向かってくる重信に銃を向けるアイズ。


「うぉおおおおおおおおおおおおおお」


 しかし、重信は止まらない。


 重信を止めるためアイズは引き金を引いた。鉛の銃弾が重信の体を抉っていく。


「おとうさんっ」


 十発以上の銃弾を全身に受けてもなお重信は止まらない。


「確保ぉおおおおおおおおおおおお」


 血まみれになりながらも重信はアイズに飛びかかった。


「きゃっ」


 咄嗟にアイズは拘束していた如珠(いたま)を突き飛ばした。飛びかかってくる重信の額を確実に撃ち抜くため、両手で銃を構えるために邪魔だった如珠(いたま)を離したのだ。


「おおおおおおおおおおお」


「っ」


 アイズが狙いを定めるよりも早く、重信の手がアイズ細い首に触れた。鍛え上げた重信の腕力なら細いアイズの首を折るのに数秒も必要ない。当然、重信にアイズを殺す気はないのだが、アイズは自分の死を悟った。アイズの手から白い拳銃が零れ落ちる。


 アイズの愛銃が床にぶつかり甲高い金属音を上げるよりも早く、


 バンッ


 耳をつんざく銃声が響き、鉛の弾が重信の右胸を貫いた。


「親父っ」

「おとうさんっ」


 蟻命が重信の頭を撃ち抜いた直後、武装した警察官たちが会議場になだれ込んできた。


「警察だ、誰も動くな」


 なだれ込んできた警察官たちが瞬く間に守偵たちを取り囲む中、蟻命に撃たれ床に倒れた重信はその瞳をゆっくり閉じた。


 これが街の良心と言われた探護重信の最期だった。

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