張り付いた仮面
「お前がこの事件の黒幕なのか」
能面のような笑顔を顔面に張り付ける蟻命に向かって守偵は努めて感情を押し殺し言った。
「証拠は」
蟻命は自分を事件の元凶とする守偵を非難することも守偵がつきつけた推理を否定することもなく、ただ平坦に、感情の籠らない声で守偵の推理の根拠を尋ねた。
「ない、何も。ただの勘だ」
守偵のこの推理に証拠も根拠もない。ただ、いつからかわからないがこの事件に関わり始めてからずっと見えない誰かの糸(意図)で操られているような感覚があった。まるで一連の出来事がすべて誰かの描いたシナリオ通り起こっていて舞台上にいる人間たちは気づいていないが自分の意志で決めたと思っている事もすべてその誰かによってそうなるようすでに決められていてすべてが予定通りの既定路線、台本通りの結末。自分たちはただの人形。気づいていないのは自分たちだけ。そんな気味の悪い感覚。
現実を舞台に登場人物全員を自分が書いた脚本通りに動かすことなど誰にもできはしない。もしできるものがいるとするならばそのものは人間でも異人でもない神である。そんな神の所業、普通に考えれば誰もできないと考えるのだが守偵には一人だけ、その神業を成せる者に心当たりがあった。
その者は今まで何度も不可能だと言われた偉業を積み重ね、ついにはこの街の王と言われるようになった。
「勘か、探偵にあるまじき行為だね」
守偵の問題外、幼稚とすら思える言葉に蟻命は初めて一瞬だけ笑った。子バカにするというより出来の悪い弟を見るような困った笑み。だがすぐにいつもの、作り物のような完璧な笑みが蟻命の顔に張り付いた。
「じゃあ、否定、するんだな」
蟻命の目をじっと見る。黒曜石のような黒に限りなく近い紫色の瞳。視るものすべてを蠱惑する幻想的な美しい瞳のその先に守偵は、誰も立ち入ることのできない深淵の間があるのを見た。
「何をもって黒幕というのかわからないけど、もしこの一連の事件全てが僕の意志と手によって引き起こされたものと言う意味なら違う」
ゆっくり、本当にゆっくり蟻命の顔に張り付いた仮面が蟻命の言葉に呼応するかのようにゆっくりとその姿形を変えていった。
「だがもし、すべてを知った上であえて情報を隠匿、もしくある特定の情報を流すことで僕の最も望む結末になるよう彼らの行動を誘導した、という意味なら……」
作られた人懐っこい好青年の笑みから見るものすべてを恐怖のどん底に叩き落す、暴虐の笑みへ……
「そうだ。僕が黒幕だ」
蟻命は人間をやめ悪逆非道な破壊の徒、悪鬼になった。
「どうしてこんなことを」
探偵が事件の黒幕に真相を聞くなど、屈辱以外の何物でもない。完全な自己の敗北を認める行為。それでも守偵は喉から声を絞り出した。聞かずにはいられなかった。
なぜこの街にあるすべてを手に入れた男が、なぜこの街に住む者皆に慕われている男が、それらすべてを自ら進んで捨てるようなこんな凶行に打って出たのかを。
「僕がこの街で何て呼ばれているか知っているだろう」
蜂王蟻命。最年少で有魔市の市長になった神童、街の未来を担う宝、人と異人の間を取り持つ希望の橋……。
成しえた偉業の多さからいくつもの異名を持つ蟻命だがその中で最もポピュラーかつ蜂王蟻命という人物に最も似合うのは――
「王……この街の、有魔市の王」
守偵の答えを聞き、蟻命は瞳を怪しく輝かせた。
「そう、王だ。王とは統治する領域すべてをその手中に収め支配する者だろう。実際この街の住民たちの大半は僕が命令すれば皆脳死で従う。誰も僕の言うことを疑わない。まさに最高の民たちだ……彼らのような一部の異分子を除いて」
そう言って蟻命は井坂の頭を靴の先でつついた。まるで道端で車に轢かれて死んでいる野良犬のように。
「まさか自分に従わないからレンジたちを」
至極当然のように蟻命は首を縦に振った。
「王に従わない者にこの街で生きる資格はない。権力をかさに領地を好き勝手踏み荒らす者も同罪だ。王がいるから国になる、王がいるから烏合の民はなんとかまとまりを持って生きられる。王の威光に従えない者はみんな国賊さ」
腕を広げ説く姿はまさにどこぞの胡散臭い教主のようだが、蟻命には口先だけでない凄みがあった。
「どうして俺たちにセイムへの潜入調査を依頼した。俺たちをこの事件に関わらせるメリットはないはずだ」
「うーん、理由はいろいろあるんだけど。一つは依頼の時にも言ったけどレンジたちセイムの動向を探るため。いくら誘導のために流した情報といっても本当に彼らが僕の思い通りに動いてくれるかわからないからね」
蟻命の答えは辻褄こそ合っているが、守偵の質問に的確に答えてはいない。蟻命は探偵をセイムに潜入させる意義について答えたが守偵が本当に聞きたかったのはそうではない。守偵が蟻命に問うたのはなぜその探偵が守偵たちだったのかということだった。
当然蟻命は守偵の意図を理解していた。理解したうえであえて的を少し外した答えを先に言って守偵を焦らしたのだ。
いたずらを仕掛けた子供のように笑う蟻命を見て悶々とする守偵。それを見て満足した蟻命はようやく守偵の質問にちゃんと答えた。
「もう一つは僕の、個人的興味かな」
「興味」
蟻命は当然というように頷いた。
世界的に見ても異人の事件を扱っている探偵は少ない。しかもそのほとんどが社を構えないフリーランス。異人が多いと言われる有魔市でも守偵が知る限り異人を専門にする探偵社はラプラス探偵社以外ない。
確かに守偵が所長を務めるラプラス探偵社は異人関連の事件を専門にする世界的にも珍しいニッチな探偵社ではあるのだが……
「ああ、僕は以前から君たちを知っていた。君たちを知っていく過程で僕の中に君たちに対する興味が湧いたんだ」
逆に言えばそれだけである。
依頼は月に一回あればいい方で生活はいつもカツカツ。しっかり者の如珠のおかげでなんとか切り盛りできていたがここ最近は家賃も払えなくなってきており、次滞納すれば追い出すと大家から立ち退き宣言も受けている。
こんな自転車操業はおろか常に火がケツに点いている探偵社が有名なわけがない。検索エンジンでまずトップに来ることはない。社名をフルネームで入れても出てこない。似た題名の小説が出てくる。
情報溢れる現代社会でなお埋没して浮上する兆しが全く見えない探偵社を街のいち市長が知っている、まして以前から目をかけていたなど到底信じられることではない。守偵は訝しい目で蟻命を見た。
「ストーカーかよ」
「恋人と言ってほしいな」
これ以上突っ込んでも何もでてこないと悟ったと守偵は今一番至急で確認しなければならない重要事項を蟻命に聞いた。
「如珠はどこだ」
蟻命の登場で危うく本来の目的を見失いかけたが守偵はここに来た本当の理由は蟻命から受けたセイムの調査依頼のためではない。助手兼この世にたった一人しかいない大事な妹、如珠のためである。
「居場所知ってるんだろ」
レンジを調査するため守偵と別行動をすることとなった如珠。そのレンジが今、ここで立ったまま往生している。如珠も当然この場所にいると守偵は考えていた。
「報酬の話がまだだったね」
しかし、蟻命は守偵の質問をスルーし、依頼の報酬についての話を始めた。
「そんな話はどうでもいい。それより如珠は、俺の妹は――まさか」
状況から蟻命が如珠の居場所を知っているのは明白。蟻命に如珠の居場所を隠す理由もメリットもない。それでもわざとらしく如珠の場所をはぐらかす蟻命の態度に最悪の言葉が次々と浮かんでは守偵の顔を青ざめさせる。
「心配しなくても妹さんは無事だよ。話が終わったら会わせてあげる」
蟻命の言葉を聞き、守偵はほっと胸をなでおろした。
「さて、今回君たちに依頼したセイムへの潜入調査に対する報酬だが……正直僕は君の活躍に満足していない」
「な、何だと」
今にも飛びかかりそうな目で犬歯をむき出しにする守偵。
「てめぇみたいにちょっっっと口出すだけで後は豪勢な部屋で一日中ぬくぬくしてるだけで金もらえる上流階級にはわからねえだろうがな、潜入調査ってのは命がけなんだよ。まして今回の調査対象は能力を使うことにも人を傷つけることにも躊躇がない危険なテロリスト集団だ」
「僕の調べた限り、レンジはそこまで非道な男じゃなかったみたいだけどね」
「まさか市長が権力をかさに踏み倒す気じゃねえだろうな」
「まさか」
牙をむき出しにして蟻命に噛みつく守偵だが、そのことを蟻命が意に介する様子はない。
「何か勘違いしてるようだけど、僕が納得していないのは君たちじゃなく、君の、活躍だ」
「俺の」
「ああ」
言って蟻命は守偵に向かって歩みを寄せた。
「だってそうだろ。セイムの動向を探るために潜入調査を依頼したのに肝心の市議会襲撃という大事件の情報を事前に報告できなかったんだ。おかげで僕までそこらへんで転がってる小石と同じ惨めな末路をたどるところだったよ」
「つまり俺が貢献できなかった分、今回の依頼の報酬を減らせって言ってるのか」
「いいや、さっきも言った通り僕はこの街の市長で王だ。そんなせせこましいことするあけないだろ」
(報酬の交渉してる時点で十分せこいだろ)
守偵に向かって歩を進めていた蟻命は守偵の横を通り過ぎ、会議場中央で足を止めた。会議場中央、豪華な照明のちょうど真下。光のカーテンが蟻命を包み照らし出す。
「報酬は当初の約束通りの額払う。ただその前に君には一つ僕のためにしてほしいことがある」
「してほしいこと」
「これを」
言って蟻命は守偵に向かってある物を投げた。
「これはっ」
ずしりとした感触と共に守偵の手のひらに収まる黒い塊。
守偵は偶然それによく似た物をついさっき太刀から受け取っていた。護身用のためにと無理やり押し付けられる形で……
「アイズ、連れて来てくれ」
トランシーバーと思われる通信機器を使いアイズを呼び出す蟻命。すぐにアイズは守偵と蟻命がいる会議場へやってきた。
ぐったりとした如珠を連れて。
「お、にいちゃん」
「如珠っ」
如珠は両手を後ろ手にアイズに掴まれている。如珠の潜在解放なら非力そうなアイズの拘束を解くなど容易いことだが、
「お前ら如珠に何を」
今の如珠に潜在解放を発動できるほどの体力が残っているように見えない。
「安心してくれ。僕らは何もしていない。ただ今は能力の使い過ぎでぐったりしてるだけだよ。妹さんには傷一つついていない。奇跡的にね」
よくよく見ると確かに服こそほこりや血で汚れてぼろぼろだがそれはあくまで服だけの話でぱっと見如珠の体に外傷はない。弱弱しくなった声から伝わるのも痛々しい苦悶というよりすさまじい疲労だった。
アイズによって今如珠は拘束されているのだが見方によっては足腰に力が入らない如珠をアイズが支えているようにも見えなくもない。
「じゃあ、さっそくだけど君にやってほしいことを言うよ」
守偵の落ち着きが少し戻ったのを見て蟻命は本題を切り出した。
「俺に何をさせたいんだ」
「何、そんなに手間はとらせない。事が済めばすぐ君たちを解放してあげるよ」
手に収まる黒い鉄の塊を見て守偵の背中から嫌な汗が流れる。どう考えてもろくなことでない。
「君にはその銃である人物を射殺してほしんだ」
「なっ」
守偵の予感は的中した。
「誰がそんなこと――」
「拒めば妹さんの頭を撃ち抜く」
「っ……」
いつの間にか如珠のこめかみにアイズが銃口を突き付けていた。守偵に渡された拳銃と違う、銀色の拳銃。如珠の頭は確実に吹き飛ぶ。弾詰まりとか拳銃の整備不良とかそういうよっぽどな奇跡でも起こらない限り――
「うっ」
そして、そんな奇跡は万が一にも起こらないということを守偵のラプラスの瞳が証明してしまった。
「顔色が悪いよ。何か嫌な夢でも見たのかい」
ラプラスの瞳が映した未来に守偵の視界が一瞬グルンと回転した。お腹の奥底から濁流のごとく湧き上がってくるものを守偵はなんとかこらえた。
「ようく考えるんだよ妹さんとこれから来る標的の命。どっちが大切か」
「そんな、こと……」
気づくとアイズの後ろにもう一人、恰幅の良いかなりの大男が立っていた。ガタイの良い、身長二メートルほどはあろうかという大男。それが華奢な如珠とスレンダーなアイズの背後にどうやって隠れられていたのかと思うが、たまたま…………いやニヤつく蟻命の様子からわざと守偵の位置からでは見えなくなるようアイズが距離を調節して立っていたのだ。アイズと如珠が数歩会議場中央に近づいてきたことで守偵にもはっきり大男が視認できるようになった。
「彼が君に銃で撃ち殺してもらいたい人物だよ」
守偵は大男を知っていた。いや、知っているどころの話ではない。この世でたった二人しかいない守偵の大切な人――
「お、おやじ」
探護重信が、そこに立っていた。
「さあ、選ぶんだ、探偵君。自分の父親と妹さん、未来を視ることができる君は一体どちらの未来を、断ち切るんだい」
父と妹、命の選択を迫られ守偵は改めて手の中にあるそれを重く実感したのだった。




