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如珠の本気

 完全に不意を突かれたとはいえ全身を肥大化させた筋肉で守っていたバイソン。如珠(いたま)の全力飛び膝蹴りによりその巨体を地に倒すことこそできたが、実質バイソンにダメージはない。


 霞んでいた視界が戻り、バイソンは目の前に立つ赤髪の少女に気づいた。


「Ga、GaGa、GeGa……」

(お前が……)


 立ち上がり少女を見下ろすバイソン。その口から漏れるのは言葉ではなくうめき声のような何か。誰もバイソンが言いたいことが何なのか理解することはできない。


 異人の研究は日本だけでなく各国で活発に行われている。公にされてはいないが、非人道的な研究も。その中で異人が能力を使う際もっとも活動的に動いているのが脳であるという研究結果が世界的に知られている。このことから異人たちが持つ特殊な力は脳と密接な関係があると言うのが現在の通例である。


 異能強化のためバイソンは何度も井坂たちに脳をいじられている。それによりバイソンの言語中枢はすでにその機能を停止している。


「あなたがお父さんを」


 だがそんなことは今特段重要なことではなかった。なぜなら如珠(いたま)にはそもそもバイソンと話し合う気などなかったからだ。自分の父親を、家族を傷つけたもの報いを受けさせる。


 如珠(いたま)は無言で立ちあがったバイソンの腹を思いっきり殴った。


「Gaッ」

(痛っ)


 目の前にある膨れ上がった腹筋に何度も何度もパンチを叩き込む。


 全身の筋肉を肥大化させ鎧代わりにしているバイソンだがその肥大化の程度には差があった。とりわけ腹筋は顔に次いで今最も肥大化の程度が少ない部位、つまり他の部位に比べダメージがかなり入りやすい部位なのである。


「GaGaGaGaGaGaGa」


 一発一発は膨張させた筋肉で威力を吸収されて大した威力ではないが、それが何度も叩き込まれれば当然ダメージは蓄積する。それこそ、全身の筋肉を膨張させた筋肉の鎧を維持できないほどに。


 「Ga、Gau……」


筋肉の鎧を維持できなくなったバイソンの体がボディビルダーも真っ青な超人筋肉怪物から元のがたいのいい大男に戻った。


「あなたに個人的な恨みはないけど。私の家族を傷つける奴は絶対許さない。たとえそれが誰だろうとね」


「……GaGeGaGaGiGeGuGa」

(……お前は何を言っているんだ)


 脳へのダメージから会話こそできないバイソンだが、相手の言語を理解することはできる。それでも如珠(いたま)の言っていることをバイソンは理解することができなかった。


 疾風怒濤、息つく暇さえ与えない連続ボディブローで腹筋崩壊させられたバイソンは筋肉の鎧を捨て両腕の筋肉を肥大化。守りを捨て攻撃に自身の能力を全集中させた。何倍も巨大化させた腕から放たれる何の変哲もないパンチは床を穿ち会議場全体を揺らす。しかし、その攻撃が如珠(いたま)を捉えることはなかった。


「馬鹿な、たとえ異人だとしてもバイソンと真正面から殴り合えるはずが。あの娘一体何者」


 目の前で繰り広げられる光景を井坂は受け入れられずにいた。自身が改造して作った最高傑作兵器(バイソン)が見た目幼い少女に手玉に取られているのだ。


 まるで初めて社交ダンスを踊りベテラン相手に振り回されている初心者のように。


 単純な破壊力ならバイソンの方が遥かに上なのだが如珠(いたま)は自身が上回る俊敏性を存分に生かし、一撃確殺のバイソンの攻撃をことごとく交わしていった。そして、全く攻撃が当たらないことに焦りや苛立ちを覚えたバイソンが隙の多い大振りをするやいなや最もダメージを受けている腹に蹴りをパンチを叩き込んでいった。まさにヒットアンドアウェイ戦法である。


「驚いたな。まさか妹さんの能力がこれほどとは」


 一撃一撃は軽くとも、確かにバイソンの中にダメージは蓄積していった。


 蝶のように舞い、蜜蜂のようにチビチビ刺していく如珠(いたま)のヒットアンドアウェイ戦法にバイソンは完全に翻弄されていた。今、如珠(いたま)はこの戦いの主導権を完全に握っていた。


「はああ」


 軽く放ったつもりのパンチの一つがたまたまバイソンの腹深くにえぐりこんだ。お腹の中でもとりわけ弱い部分、いわゆる急所と呼ばれる部分にクリティカルヒットしたのだ。


「Ga」


 何十発もの拳を受けてきたバイソンがついにそのひざを折った。


「馬鹿な、我々の最高傑作(バイソン)が」


 膝をついたバイソンに驚きを隠しきれない井坂は唇をわなわなと震わせながら後ずさった。


「あれが妹さんの異人としての能力」

 

 ヒットアンドアウェイ戦法に徹していた如珠(いたま)だが、バイソンが膝をついたのを機に一気に攻勢に転じた。軽い攻撃を手数多く叩き込むのではなく、渾身の一撃を比較的守りの弱そうな部分に放っていく。


「レンジさんのように能力で身体を強化しているというよりも潜在的に内包しているその人本人の力を解放させる能力の様ですね。さしずめ、火事場の馬鹿力と言ったところでしょうか」


 現実を受け入れられずくらくらする頭に手をやる井坂とは対照的に蟻命とアイズは如珠(いたま)の動きや戦い方をじっと観察していた。そしてアイズは的確に如珠(いたま)の能力、潜在解放(ディープアウト)の特徴を言い当てた。


「力を解放させているのは異人としての能力だが、いま彼女が行使しているのは本来人間なら誰しも持ち合わせている秘められし力ということか……人間も死ぬ気でがんばれば彼女のように鬼人のような力を発揮できるわけだ、人間も捨てたもんじゃないね」


 如珠(いたま)の能力はいわば制限(リミッター)解除。普段無意識にかけられているストッパーを意図的に外すのが如珠(いたま)の異人としての能力、潜在解放(ディープアウト)の正体である。


「ですが、その反動は相当なもののようですよ」


 当然、普段ストッパーをかけていることには理由がある。そしてストッパーを外すことへの代償も。


 ここまでバイソンを軽やかな身のこなしで翻弄していた如珠(いたま)だったが突然、何の前触れもなく変化が見られた。


「諸刃の剣か」


「はっ、はっ」


 突然十キロの鉛を括りつけられたように如珠(いたま)の動きが重くなっていく。明らかに一撃一撃の威力が弱く動きに精彩が欠けていった。


「能力の使用限界」


 異人の能力には自分の意志に関係なく常時発動しているパッシブ系と自分の意志で発動する起動式のトリガー系の二つが存在する。


 例を挙げるとジェシィの超敏感肌(スーパースキン)がパッシブ系の能力であり、守偵(さねさだ)のラプラスの瞳や如珠(いたま)潜在解放(ディープアウト)はトリガー系の能力に分類される。


 そしてこの二つの能力には決定的な違いがある。それが、トリガー式の能力には使用限界があるということである。


(噓でしょ、まだ十分もたってないわよ)


 【使用限界がある】とは要するに能力の使用時間、使用回数に制限があるということである。それを超えて能力を行使しようとすると体が悲鳴を上げ、最悪内側から壊れていき死に至る。


 いつもの如珠なら潜在解放(ディープアウト)を三十分ほど発動したままにすることができるのだが、最初からなりふり構わず能力(ディープアウト)を全力発動していたことと一撃でも攻撃をまともに受けてしまったらジ・エンドという緊張感が普段よりもかなり能力を発動していられる時間を縮めてしまったのだ。


 なんとか重たい体を無理やり動かし攻撃、回避を続ける如珠(いたま)だったが、とうとう足に限界が来てしまった。


「しまっ」


 如珠(いたま)の足がもつれた。


「Gya」


 ここまで一方的に如珠(いたま)にやられていたバイソンだったがバイソンもまた徐々に如珠(いたま)の攻撃が軽く、動きも悪くなってきているのを感じとっていた。


「GuGaGaaaaaaaa」


 本能的にここが好機と察していたバイソンは絶えず動いていた如珠(いたま)が一瞬足をもつれさせその場にとどまった時を見逃さず右腕を振り上げると一気に巨大化、如珠(いたま)の体がすぽっと収まってなお余りあるほど大きな筋肉のハンマーが如珠(いたま)の頭上に現れた。


「っ、足がっ」


 急いでその場を離脱しようとした如珠(いたま)だったが、一度止まった足は丸太のように重くその場に縫い付けられた。軽快だった如珠(いたま)の足がついに止まった。


「は、はは、ははははははははははははははは」


 足を止めた如珠(いたま)の姿を見て、井坂は狂ったように腹を抱えて笑いだした。


「確かに素晴らしい能力だが、所詮は品種改良を施していない雑種。兵器として数多の改造を施し強化したバイソンに小娘が敵うわけがない」


 勝ちを確信した井坂は政治家らしくさも最初からこうなることがわかっていたかのように声高らかに叫んだ。蟻命はそんな井坂に気づかれないよう、こっそりアイズに体を寄せ耳打ちした。


「アイズ」


「いけるか」


 蟻命の言葉にアイズはこくっと頷くと、誰にも気づかれないようそっとポケットに手を滑り込ませた。


(お兄ちゃん)


 如珠(いたま)の額から大粒の汗がこぼれ落ち、ひざはかくかくと震えている。息も上がっており誰が見ても限界だった。


(お父さん)


 一メートル台にまで大きくした拳の影が如珠(いたま)の全身を包み込んでいる。


(ごめん)


 頭上にある鉄球のような拳が如珠(いたま)目掛けて振り下ろされた。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 バイソンが拳を振り下ろす動作をした瞬間目を瞑った如珠(いたま)は瞼の裏を見つめながら最後の時をただ待った。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 まだその時はこない。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 まだ……


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 まだ…………


(ちょっと長くない)


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


(これは、あれかしら。ドラマとかでよくある、死を前にすると脳がすごいスピードで回転して短い時間でもものすごく長い時間のように感じちゃう、あれ………………)


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


(……………………)


 目を瞑る直前、バイソンの巨大化させた拳は確かに振り下ろされていた。あの状況から体を動かすことのできない如珠が助かる可能性などゼロ以外にあるわけがない。数秒後には跡形もなくぺしゃんこにされているはずである。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 体感で一分が経過した。


 それでも如珠はまだ生きていた。


「んぅ」


 中々訪れない自分の死に如珠(いたま)は目を開けることを決めた。


 開けた瞬間、現実を知りプチンと潰される恐怖もあったのだが、このまま死の恐怖にただただ震えているだけなのは真っ平ごめんと思った如珠(いたま)はそっと、ゆっくり、ゆっくり瞼を開いた。


 最初蛍光灯の明るさに視界全体を真っ白に染められた。しかし、徐々に明るさに慣れ見えてきた。


 遠い昔何度も見た、懐かしい背中。たくましくて温かくて、ちょっと臭い大きな背中を。


「お父さんっ」


「よお、大丈夫か。家のお姫様」


 如珠の目の前にはボロボロの体を押しても身を挺してバイソンの攻撃から愛娘を守る父の姿があった。


「探護、重信………………」


 如珠の他にもう一人、父を呼ぶ声があったのだが誰の耳にもその声が届くことはなった。


「てめぇ、うちのかわいい娘に、何してくれてんだこの変態筋肉だるまぁああ」


「Guaっ」


 この日初めてバイソンを異人ではなくただの人間が動かした。


「馬鹿な、通常状態でも百キロはあるバイソンをただの人間が退かせただと」


 自分の倍近く体格差があるバイソンを重信は気迫と共にその巨大化させた拳ごと、一歩、後ろに押し返した。


「どうして、有魔署の署長がここに」


 想定外の登場劇にアイズはポケットに入れた手をそのままにした。


「これだけの大事件だ。署長が陣頭指揮を執っていてもおかしくない。セイムのメンバーが市議会の大広間を占拠しようとした時、いち早く異変を察知した何人かが広間から出ていくのを見たしね」


「ですが、あの様子ですとバイソンと一戦交えた後の様ですよ。ただの人間がバイソンの攻撃を受けて生きていられるはずが」


 アイズの言葉に蟻命は顎で重信の着る防護服を指した。


「あの宇宙服みたいなだぼだぼしたのが最近警察の対異人研究班が開発したって噂の対異人用防護服なんだろ」


 蟻命の言う通り戦闘系の能力を持つ異人の攻撃にも耐えられるよう開発された防護服のおかげで重信は何とかバイソンに殴り飛ばされても一命をとりとめることができた。だが、いくら最新鋭の防護服であっても背後の如珠を守りながら戦闘系能力の中でも規格外のパワーを誇るバイソン渾身の一撃をまともに受け止めるのは対異人用防護服を以てしても不可能なことだった。


 故に、重信はまともに受けることを諦めた。


「お父さん、腕が」


 娘のため父は自分の右腕を諦めた。


 バイソンが振り下ろした鉄球のような拳に対し、重信は自分の右腕を盾にすることで受け止めることに成功した。おかげで如珠(いたま)はぺしゃんこに潰されずに済んだが重信の右腕はスクラップ同然に骨が粉々となった。


「大丈夫だ。如珠(いたま)


 子供のように明るく笑う重信に一瞬、ほっと張り詰めていた糸が緩む如珠(いたま)だった。しかし、すぐにそれが自分に心配をかけまいとする優しい父のいつものごまかしの笑みであることを思い出す。


 支えを失いだらんと垂れる重信の右腕を見て、如珠(いたま)は再び唇をきゅと結んだ。


「貴様に言っておくが俺の目の黒いうちは誰もうちの娘に触れさせん。署長権限で全員逮捕して一生牢屋ん中にぶちこんでやるよ」


 傍から見ると溺愛する娘のために堂々と職権乱用しようとしている親バカ署長だが、目の前のぼろぼろな重信からバイソンはただならぬ気配を感じとっていた。


「何をやってるんだ、バイソン。お前は私が生み出した我が国を救う最強の救世兵器なんだぞ。そんな正義を謳うだけしか能のない人間如きとっとと肉の塊にしてしまえ」


「Guu……」


 井坂の命令を受けてもなおバイソンはじっと重信をにらみつけるだけで一歩も動こうとしなかった。重信から漂う異様な雰囲気にバイソンの本能がストップをかけたのだ。


「やれっ」


 声を荒げる井坂。


「………………」


 それでも動かないバイソン。


「やれ、バイソンっ」


「…………」


 井坂の命令を無視するよりも目の前の満身創痍な重信が放つ異様な威圧感にバイソンは筋肉が震えるのを強く感じた。


 自分よりもはるかに戦闘力で劣っているはずの重信にバイソンは気圧されていた。


「このっ」


 言うことを聞かないバイソンに業を煮やした井坂は例のリモコンを取り出した。


「やれ、やるんだ、バイソン」


 バイソンにリモコンを向け井坂はコマンドを入力。瞬間わずかに残っていたバイソンの理性がすべて消滅した。


「Guaaaaaaaaaaaaaaaaaa」


 咆哮が如珠(いたま)たちの鼓膜を貫き、会議場を揺らす。バイソンは人ならざる異人から井坂以外のすべてを破壊する大量殺戮兵器へと豹変した。


「お父さん」


「来やがれ、デカブツ」


「GuAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 他の者に一切目をくれずバイソンは重信に突貫した。目いっぱい巨大化させた両足で地面を揺らし、元に戻ってもなお太い灰色の腕を振りながら理性のない瞳で迫るバイソンを前に重信は壊されていない左腕をあげ、拳を強く握り、ファイティングポーズを取った。


 バイソンの脳は井坂たちの非人道的な改造手術のせいで多大なダメージを負ってる。まともな会話ができないのもその影響の一つなのだが、もう一つ、バイソンの戦い方には戦術や駆け引きと言ったような知的戦法を駆使する素振りが一切見られない。セイムの異人たちや如珠(いたま)と戦っていた時もフェイントなどを仕掛けることは一度もなく力任せに能力を振るう一辺倒な戦い方。それでもバイソンに補って余りある超強力な改造能力があるのだが、もし少しでも駆け引きができれば如珠(いたま)に一方的にやられることはなっかっただろう。


 バイソンは左腕を振り上げた。


 バイソンは本能で戦っている。そのことを看破した重信はぎりぎりのタイミングでバイソンの左ストレートを躱した。あと一歩というところで空を切る拳、だが腕は二本ある。壊さなければいけない敵はすぐ近くにいる。


 バイソンは右腕を振り上げようとした。


 だが、バイソンが右腕を天に掲げるよりも早く重信がその腕にしがみついた。


「Gaッ」


 大柄な重信よりさらに体格の良いバイソンだが、片腕に全体重を集中して乗せられてしまえば容易に腕を持ち上げることはできない。


如珠(いたま)、今だ」


「うん」


 バイソンは腕を肥大化させた後に動かすことができない。重すぎるのだ。腕一つ動かす単純な動作でも実際はいくつもの筋肉が連動している。腕だけを肥大化かせても筋肉の偏りが激しく、自由に動かすことはできない。片腕に重りを付けられているようなものだ。


 故に、腕を動かす前にその腕を拘束してしまえば事実上バイソンの動きを封じたことになると考えた重信はまずバイソンの初手をぎりぎり相手が追撃できると思い込む間合いでかわした。そして重信の誘いに乗ったバイソンが肥大化させる前の腕をつかみ拘束、バイソンの動きを止めることに成功した。


「おとなしくしてろ」


 重信を振り払おうとつかまれた腕を必死にふるバイソンだが、重信は残った左腕を恋人のようにバイソンの腕に絡めた。たとえ右腕のように折られてもバイソンの腕を自由にさせないように。


 まともな理性の持ち主なら、自由に動かせる左腕で重信を殴り倒すなどいくらでも拘束を解く方法が思いつくだろうが本能で戦っているバイソンには腕を振り払う以外の方法が思いつかない。考えることができない。


「はああああああああああああああああ」


 重信が泥臭く作った千載一遇のチャンスに如珠(いたま)は重い体を必死に動かし跳躍、渾身の右ストレートをバイソンの顔面目掛けて打ちこもうとした。


「Ga……」


 拳を振りかぶりながら跳躍して迫ってくる如珠(いたま)を見てバイソンに戦慄が走った。バイソンは本能的に自分の死を感じ、無為意識の内に自衛の本能が働き能力を発動させた。


「GuGaaaaaaaaaaaa」


 バイソンは再び筋肉の鎧をほんの一瞬だけ発動させた。


「がっ」


 しがみついていた腕が瞬時に巨大化し肥大化する筋肉の勢いに耐え切れず重信は吹き飛ばされた。


 バイソンの発動した筋肉の鎧は発動後すぐに消失。疲弊したバイソンには筋肉の鎧を維持するほどの体力は残っていなかった。しかし、一瞬とはいえ全身の筋肉を肥大化させることができたおかげでバイソンは重信の拘束から解かれた。


「如珠っ、逃げろ」


(っ、しまっ…………)


 跳躍が裏目に出た。使用限界ぎりぎりまで能力を使用した反動で鉛のように重くなってしまった体でバイソンとの距離を一気に縮めるため、如珠(いたま)は地面を強く蹴り自身の体を空中に投げ出したのだが、空中でバイソンの攻撃を避ける手段はない。


 バイソンは自由になった右腕でパンチを放った。


「いたまあああああああああああああああああああ」


 パンチに勢いが乗ったところで拳を何倍にも巨大化、如珠(いたま)の視界すべてを岩石のようにごつごつした拳で埋め尽くされた。


 如珠(いたま)にはもうバイソンの拳がどこまで迫っていて来ているのかわからない。だが、自分はこの拳を受けて死ぬ、それだけはわかった。


(ごめん、お父さん、お兄ちゃん。ごめん、なさい)


 バイソンの巨大化した拳が如珠(いたま)に触れる直前、バイソンと如珠(いたま)の間に一人の人物が割って入った。


「えっ」


 その人物はバイソンの巨大化させた拳を顔面で受けた。


「れ、レンジ、さん」


 レンジの顔からいくつもの硬化した皮が剥がれ落ちる。骨もいくつも砕かれている。それでもレンジは倒れなかった。


 レンジはゆっくりと体を前に動かした。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお」


 表皮が硬くなって動きにくくなっている体を無理やり動かしレンジは拳を振るった。


「GuaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 剥がれ落ちる硬質化した皮膚。かみ合っていない歯車同士が擦れる音がレンジの全身から漏れる。それでもレンジはやめなかった。どれだけ関節がすり減ろうとも、レンジは止まらない。拳を握り続ける。皮膚が剥がれようとも肉で、骨で、バイソンを殴り続ける。


「Gua…………」


 ついに、バイソンは意識を失いその場に倒れた。


「ば、馬鹿な。バイソンが、我々の最高傑作が……」


 井坂は事切れたようにその場に崩れ落ちた。


「レンジ、さん」


 立ち尽くすレンジに如珠(いたま)がそう声をかけるとレンジはゆっくり如珠(いたま)の方へ振り返り口元をほころばせた。


「いお、り」


 そう言ってレンジは手を伸ばした。今は亡き面影をその瞳に映して。


 ……………………………………………………………………………………バンッ


 直後銃声が鳴った。この長くつまらない茶番劇を終わらせ真の劇の幕を開くため、黒幕(ストーリーテラー)は幕を下ろした。

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