探護如珠
時は遡り、早朝。
「え、レンジさんを」
「ああ、助手にはこっそりレンジを探ってほしいんだ」
絶賛過激派異集団セイム潜入作戦という死と隣り合わせの危険な依頼真っ最中だというのにホテルのそこそこな心地よさのベッドで熟眠していた如珠は今そのそこそこのベッドに腰を掛け、寝ぼけ眼な目をこすりながら珍しく真剣な顔をする兄の話を虚ろ虚ろ聞いていた。
本当は昨夜、如珠が太刀たちの部屋から戻ってきた後この話をするつもりだったのだが、ジェシィの突然の思い付きでトランプ大会が開催されお開きになったのが夜中の二時過ぎ。自室に戻ってすぐ如珠は倒れこむようにベッドへダイブ。守偵が話を切り出す前にそのまま夢の世界へアクセスしてしまった。
「それは、まあいいんだけど」
断片的に入ってくる守偵の言葉から、太刀たちは俺がどうにかしてやり過ごすからお前はここから抜け出してセイムのリーダーレンジをマークしろ、という意図を読み取った如珠は首を横に傾けた。
「どうして今なの」
今回の依頼主からの要望はセイムの内部調査。つまるところ諜報活動である。リーダーであるレンジを探るのももちろん依頼の内に当たるのでそれ自体おかしいことではないのだが、普通それをするのは調査の終わり、ある程度の信頼と組織内での立場を確立できたと確信した後に行うものである。
少なくとも入隊試験中という半端な状態で行うものではない。下手を打てば一発で潜入調査失敗になってしまう。
そんなことは守偵もよく分かっている。分かった上で守偵は如珠にレンジを探るよう言ったのだ。
「引っかかるんだよ、今回の作戦。レンジらしくないんだ」
「らしくないって、お兄ちゃんとレンジさんは今日初対面でしょ」
「それはまあ、そうなんだが」
我が妹の的確過ぎる突っ込みに守偵は口ごもった。しかし、レンジの様子が普通ではないことを翻すつもりは毛頭ない。レンジは何か隠している。守偵は確信していた。
「最近ニュースや新聞なんかでよくセイムの活動が報道されてるだろ。昔のも含めて」
「うん、最初は公園とかで演説したりプラカードや横断幕を持って街の中を行進したりって比較的平和的な活動をする組織だったのにある日から突然武力で異人の権利を訴える過激派集団になったってこの間の特集で言ってた」
組織は良くも悪くもリーダによりその色を大きく変える。それだけリーダーと組織の間には強く密接なつながりがある。
昨夜会ったレンジの印象からはとても世間を賑わせている過激派集団のリーダーと結びつかない。
「何がきっかけでテロリストみたいなマネをするようになったのかわからないが、今と昔でも変わっていないことがあるんだ」
「変わっていないこと。それって」
「セイムを結成した日から今までずっとレンジはセイムが関わるほぼすべての活動、集会に参加している」
「え、それ本当なの」
守偵の言葉にとろけるチーズ並みにとろんと横になっていた目をカッと開いた。
「ああ、異人の権利を訴えながら街の中を行進してた時も異人に対して過度な差別をする輩に正義の鉄槌と言って報復する時もレンジは誰よりも前に立って他のメンバーを引っ張ってたんだ」
誰よりも前に立つのはただチームを引っ張るためだけではない。後ろを歩く仲間に安心感を与えると同時に他者からの悪愛ある冷たい視線、言葉の刃から仲間を守るためでもある。自分を傷つけてでも大切な者を守ろうとする。それはまさに守偵が会ったレンジという異人のイメージにぴったり合うものだ。
「でも、今回は」
レンジは太刀に今回の作戦指揮を任せた。
自分はもしものために待機していると昨夜の集会でレンジは言った。
今回の作戦、守偵と如珠のセイム入隊がかかった試験の側面も持つが見方を少し変えればこれは、
太刀にセイムのリーダーが務まるかどうかを試す試験にも見える。
場慣れしていない新人二人を抱え、現場指揮を執り仲間に指示を出し、時には自ら突貫し敵組織を壊滅させる。その光景を傍らで見た者に太刀のリーダーとしての素質を疑う者はいないだろう……
当然、ラプラスの瞳に人の真意が映ることはない。
「だから、お前にはこっそりレンジに付いて何か裏がないか探ってほしいんだ」
探偵社所長としての調査依頼。一応、唯一の従業員である如珠に断る道理はない。如珠は「わかった」と言って首を前に倒した。
正直、守偵の抱いている違和感にピンと来ていないし、共感もできない。確かに今回の作戦でのレンジの行動はいつもと違うのかもしれないが、異人だって生き物だ。ロボットやコンピューターとは違う。たまたま今回は体調がすぐれないからとか雨が降りそうだからとかそんな理由かもしれない。
兄は心配性なのだ。正念場前は特に。考えこんだって仕方ないことはいっぱいあるのに。そんな兄の悪癖を妹である如珠はよく知っている。だからこそ如珠は守偵に従う。兄の不安を少しでも軽くするために。土壇場の場面で守偵が全力のパフォーマンスを出せるように。
「気をつけろよ。俺に見えるのは一時間先の未来までだ」
守偵はじっと如珠を見つめ、愛しの妹にこれから訪れるかもしれない未来をラプラスの瞳に映した。
「その先は何が起こるか全く見当がつかない」
十分、三十分、一時間後の未来を視たが見えたのは今いるホテルをこっそり抜け出す如珠の姿、建物に身を隠しながらレンジを尾行する助手の姿、そしてお昼にハンバーガーを大口開けて頬張っている妹のあほ面だった。
今のところ守偵の瞳に如珠が危険な目に遭う未来は映らなかった。
「いつ不測の事態が起こるかもわからない。お前の潜在解放は三十分を超えると体が悲鳴を上げて動けなくなる。極力能力は使わず、使うときは体に負担をかけないよう最低限の回数で最小の時間で、何かあったらすぐに逃げるんだぞ」
「わかってるわよ。だいたい、未来が視えるのはお兄ちゃんが特別なだけで、未来は視えない私たちにとっては不測の事態なんて日常茶飯事よ」
守偵がラプラスの瞳を使って自分の未来を視たことに気づいていたが、そのことに如珠が触れることはなかった。
如珠はこれまで一度も自分で守偵に未来を視てもらったことはない。
これはあくまで如珠の持論だが未来はわからないから楽しくわくわくするのであり、未来がどうなるかわかってしまうと一気に自分の人生がつまらなくなってしまうような気がするのだ。故に如珠は一度も兄に未来を視てとお願いしたこともないし、これからもお願いするつもりはない。
何より自分の兄にじっと見つめられるのが死ぬほど恥ずかしいのだ。
「相変わらずお父さんに似て心配性なんだから」
守偵に聞こえない程度の大きさでそうぼそっと呟くと如珠は腰かけたベットから立ち上がった。
元々寝る用の服など持ってきてきないし、昨日は部屋に戻ってすぐに寝てしまったため服を着替える必要はない。といってもきれいな赤髪は持ち前の寝相の悪さでぼさぼさ、寝癖もかなりついている。調査に支障があるのもそうだが、一人の女の子としてこのまま外に出るのは考えられない。
身だしなみを整えるため洗面所へ向かおうとする如珠を兄、守偵が呼び止めた。
「如珠」
「何よ」
変わらず、真剣な顔の守偵だが妹である如珠だけがそのわずかな表情の変化に気づいた。
「無事に帰って来いよ」
依頼人に親身なラプラス探偵社所長ではなく、家族思いで妹に甘い優しい兄がそこにいた。
「お兄ちゃんもね。もし怪我でもして帰ったら、ぶっとばすわよ」
家族思いで兄想いな妹は心配性な兄に笑顔でそう返した。
その後、如珠は洗面所に行き乱れた髪を整え始めた。守偵はドライヤーのブォーンという低い駆動音を聞きながら今ある情報を頭の中で整理し始めた。
ほんのわずか数分だが二人はただのありふれた家族に戻ったのだった。
チク、タク、チク、タク
時は流れる。
「ぐわっ」
「くそぉお、がっ」
「このやろっ、ああああああああ」
如珠の目の前では今、多くの異人たちがたった一人の大男に立ち向かい蹂躙されていた。
(この状況、どう考えてもまずいことになってるわよね)
守偵に言われ、レンジをこっそりつけていた如珠は有魔市議会近くにある路地裏にレンジが入ったところでレンジを見失ってしまった。辺りをくまなく探したが見つからず、仕方なく近くの物陰に隠れて様子を伺っているとマンホールの中からレンジと明らかに不穏なそうな人々が出てくる姿を目撃。
こっそりその集団の最後尾に仲間のふりをしてついていくとあれよあれよという間に市議会制圧、あれよあれよという間にこの国のナンバーツーと相対、そしてあれよあれよという間に危険な猛獣の檻に放り込まれてしまったのである。
(何なのあいつ頭からヤギみたいな角生えてるし。まさか本当の悪魔じゃないでしょうね)
昨日の集会で太刀とひと悶着を起こし注目を集めてしまった如珠は身バレを恐れ常にレンジたちとは離れた位置にいた。そのため井坂の話を聞き取ることはできなかったのだが、バイソンとの戦闘には巻き込まれずに済んだ。
「さすがに逃げたほうが良いわよね」
セイムの構成員たちとバイソンの力の差は歴然。ライオンを相手に野ウサギたちが群れで戦いを挑んでいるようなものだった。
(実際に戦ってなくても、肌でわかる。あいつは戦っちゃいけない相手だ)
「がはっ」
セイム構成員たちの悲鳴、苦痛にゆがむ声が逃亡を図ろうとする如珠の足に絡みつきその場に留めようとする。
『無事に帰って来いよ』
そんな如珠の背中を別れ際に聞いた兄の声が押した。
(ごめんなさい)
如珠は走った。会議場にある唯一の出口に向かって。
バイソンとの乱戦でセイム構成員たちはもちろん蟻命や井坂、誰も一人この場を離れようとする如珠に気づく者はいない。元々、正体がばれないようにするため部屋の出入り口付近にずっといた如珠は一分もかからず会議場の出入り口を抜けた。
そこで地面に血まみれで倒れる多くの人と見張りのために残してきたセイムの異人、そして如珠の大切な家族を見つけた。
「お、とうさん」
重信は周りに倒れている他の人間と同じく対異人用の防護服を着て床に倒れていた。対異人用に強化されたヘルメットはバイソンに殴り飛ばされた衝撃で外れており、口の端からは重信の命の赤い液体が漏れ出ている。
「おとうさんっ」
街の良心、と言われるほど警察としてその職務を全うしてきた重信。家族との時間はそれほど多くなかった。それでも家族の誰かがピンチの時、心の底から助けを求めてる時、重信はいつも駆け付けた。ヒーローのように。心配しすぎで警察署の署長とは思えない情けない顔であちこち走り回って。
いつも汗まみれの笑顔で迎えに来てくれた。
初めてのおつかいで道に迷って隣町に行っちゃった時も、ある日突然お兄ちゃんが何も言わず家を出て行った時も……だが今、最愛の娘が泣きそうな声で呼んでいるのに重信がその声に応えることはなかった。
「許さない」
如珠は拳をぐっと握りしめた。
「私の家族を傷つける人は誰が相手でも絶対許さない」
地面を蹴ると同時に大広間の床が隕石が落ちた後のようにひしゃげた。
「Ga」
バイソンの首目掛けて如珠は全身全霊の飛び膝蹴りを見舞った。
全身の筋肉を肥大化させ肉の鎧としていたバイソンの巨体が傾いたまま一瞬止まり、そして宙へ投げ出された。セイム構成員が束になってかかっても敵わなかったバイソンを如珠の渾身の一撃が吹き飛ばした。
「ちょっとそこのでかぶつ……」
蟻命、井坂、レンジ、アイズ。その場に残った全員が目の前で起こった出来事に度肝を抜かれると同時に自分の目を疑った。
小柄な少女が筋肉ムキムキのボディビルダーをさらに二回りほど大きくした巨体の男を蹴り飛ばしたのだ。
「私の家族に何してくれてんのよ」
戸惑う蟻命たちに目もくれず如珠は床に尻もちをつくバイソンの元へゆっくりと近づいて行った。
霞む視界で赤い何かが徐々に近づいてくるのがわかる。それはどんどん大きくなっていき、やがて全身から赤い靄のようなものが発せられた。この時バイソンは自身が覚えている中で初めて全身の筋肉が震えているのを感じた。
数秒後、バイソンの視界が晴れた。そこでようやくバイソンは目の前立っているのが自分よりもはるかに小柄な赤髪の少女だということに気づいた。
今日中になんとか前編すべてを投稿する予定(あくまで予定)




