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井坂次王

 有魔市議会入口の扉から入ってすぐにある半径十メートルほどの円形の大広間。周囲を無名の画家が描いた美しい抽象画で彩られる大広間の奥に一つの荘厳な木製の両開き扉がある。片側差し渡し一メートルほどの扉には堅固な錠前が付けられ俗物の立ち入りを禁止している。その場では普段、選ばれし者たちが他者の目を一切気にすることなく己の醜悪な欺瞞と欲望をさらけ出しながら雑言をまき散らしている。


 有魔市議会、会議場。扉を開けてまず目に入るのは会議場奥にポツンと置かれた真っ白な演説台。壁と同じ明るい白色の演説台を扇状に囲うように木製の机といすが一定の間隔をあけて置かれており、実際にこの場で行われている議論の中身とは相反して会議場は神を祭る神殿のような様相を呈していた。


 そんな造られた神々しさ漂よう会議場でレンジはこの世で最も憎む相手との対面を果たした。


「お前が、井坂次王(いさかつぐきみ)か」


 会議場入り口の扉と演説台を直線で結んだちょうど真ん中の位置に立っている井坂をレンジは静かに、込み上げる気持ちを無理やり抑えつけているかのように感情の映らない瞳に映していた


「日本のナンバーツー、この国を裏から操る陰の支配者にして、伊織の、妹の(かたき)


 抑えきれないレンジの感情が熱となって部屋を暑くする。


 感情を無理やり押さえつけているレンジとは対照的に井坂は無感情に感情のない表情でレンジをじっと見ていた。


「そうか君が、金剛君のお兄さんか」


 やがて、井坂が口を開いた。


「知ってるんだな妹を」


 レンジの言葉に井坂は頷いた。瞬間、レンジの瞳に抑えていた気持ちが炎の形となって映し出される。周りにいたセイム構成員たちも銃を持つ手に力を込めた。


「井坂さん」


 一色触発の雰囲気が漂う中、蟻命は井坂に向けて言葉を投げかけた。


「あなたは異人と共存することが国にとっても国民にとっても最善の選択であると国会やメディアで訴え続けていました」


 蟻命の行動はレンジたちに感情を整理させる時間を与えるためでもあったが、同時に蟻命の中に井坂次王(いさかつぐきみ)という男の腹の内、心の奥そこにある真意を知りたい気持ちがあったのだ。


「異人排斥論が主流だった昔、多くの政治家が自分の支持集めのため公の場で異人を目の敵にする発言をさも物語の主人公のように高らかと謳う中、あなたは自分の意見を変えなかった。たとえそれで政界で孤立することになっても」


 今も昔も井坂は人と異人は争うべきではなく共生していくことがこの国のための最善であると主張し続けていた。


 海外で起こったある異人の事件をきっかけに生まれた異人排斥論。今でこそ時代の流れに呑まれ風化していった考えだが、異人は誰一人生物として認めず異人はすべて処分もしくはどこか国外に島流しにするべきだとする異人排斥論が主流だった昔、井坂は支持率を落としてでも自分の主張を変えなかった。


 たとえそれで今まで尽くしてきた党を追い出されることになっても……


「それほどまで異人のことを考えていたあなたが、どうして」


「蜂王君」


 蟻命の話を聞き終えると井坂はどこか遠い景色を見るように顔を上げ、染み一つない真っ白な天井を見上げた。


「僕はね、焦がれているんだよ」


 今まで一切感情が感じられなかった無機質だった井坂の言葉に初めて熱が宿った。それはまるで時間をかけてじっくりことこと弱火で煮込んだような甘やかな熱。


「異人という異質な存在に。異人それぞれが持つ人知を超えた力、その能力に秘められた無限大の可能性に……なんて、すばらしいんだ」


 井坂は語った。まるで甘酸っぱい少年時代の思い出に浸るように。


「蜂王君、僕はね見てしまったったんだよ。二十数年前、あの素晴らしい奇跡のような光景を」


「奇跡のような光景」


「あの歴史的瞬間を」


 蟻命はすぐには井坂の言う奇跡のような光景に見当がつかなかった。蟻命が考え込むような仕草をした瞬間、蟻命と井坂の間に割って入る隙が生まれた。そこへ、ずっと焦れて体を震わせていた短気そうな男が話に割って入った。


「おい、てめえらさっきから何の話をしているんだよ」


 井坂に銃口が向けられるが、蟻命は気にせず井坂の言うあの瞬間について考えた。


(二十数年前)


「状況わかってんのか。今てめぇらの命は俺たちが握ってんだよ」


(歴史的瞬間)


 蟻命の行動で落ち着きを取り戻したレンジもまた同じように井坂の言う瞬間について考えた。


「俺たちを無視して、くちゃくちくっちゃべってんじゃねえ」


(異人が起こした歴史を揺るがすほどの大事件……)


「「まさか」」


 蟻命とレンジは同時に同じ答えへとたどり着いた。


「世界最大の大国で起きた、たった一人の異人による首都壊滅事件。後に塵の涙と呼ばれる人類史上最大の異災だよ」


(塵の涙。たった一人の暴走した異人によって引き起こされた大厄災。死者多数、二十数年たった今でもその爪痕は深く残り普及の目処は未だ未定)


「あれは確か、僕が初めて外務大臣に任命されて一年ぐらいが経った頃だったかな」


(支持者が少なくマイノリティだった異人排斥論を世の中の主流に押し上げるきっかけとなった事件でもある)


「あの時の僕は毎日毎日この国が世界からどう見られているのか、この国が置かれている現実というものを嫌というほど思い知らされて打ちひしがれるばかりだった」


 井坂はぽつぽつと今まで抱え続けた思いの丈すべてを包み隠さず蟻命たちに打ち明けた。


「資源に乏しく、国土も狭い。自衛のための隊はあっても攻める隊も手段も持たない。大国の傘の下、大国のいとに従い動く人形(マリオネット)。それがこの国の現実だ」


 普段の政治家活動では絶対にしない行動。それこそ一生の友であると誓い合った親友にでもないとしないことを井坂は蟻命たちを相手にしている。


「いくら防衛に注力しても、攻めの手がなければ誰も相手にしない。相手に自分たちを脅威と思わせなければ、私たちには君たちの国民全員の首を絞める手段がある、君たちの命運は我々が握っていると誇示できなければ、誰も聞いてくれない。たとえそれがどれだけ慈愛に満ち、平和で明るい未来に貢献する、正義に則った言葉だったとしてもね」


 到底友と呼べない相手に、井坂自身そんなこと露とも思っていない相手に。


「あの時、国会議事堂の待合室で総理を待っている間に見ていた国営のニュース番組中突然映し出された塵と瓦礫の世界」


 興奮気味に語る井坂にこの場の全員多少の差はあれすべからく引いているのだが、井坂は構わず独白を続けた。


「一人の異人によって壊滅させられた街を見て、僕は震えた」


 心の思うまま、ミュージカルのように大仰な仕草でもって


「あの大国が、世界一と呼ばれる軍と兵器を持つ国が、資源にも恵まれ人材も豊富な世界のリーダーと称される超大国がたった一匹の生物によって都市一つを壊滅させられたんだ。私は心の底から感動した」


 井坂は二十数年前に感じた心の震えを体現した。完全な自己満足である。


「ほしいと思った。あの力があれば、あの力を我が国の物にできれば、やりあえる。わたりあえるこの小国でも、世界の大半を手中に収める大国たちと。対等以上の立場で」


 天に腕を伸ばし、やりきった顔をする井坂。


「それがあなたの本心ですか」


 そんな井坂に一歩蟻命が近づこうとして、やめた。ここまでずっと黙って井坂の話を聞いていたレンジが再び口を開いたのだ。


「あんたの考えはわかった。正直理解できないわけでもない。胸糞は悪いがな」


 漏れ出る雰囲気(オーラ)はまだ重く、瞳の火も消えてはいない。しかし、口調は先ほどと違い落ち着きがあった。


「だが今は、そんなことどうでもいい。まず俺たちが聞きたいのはあんたが伊織を殺した、伊織が死ぬきっかっけをつくった犯人なのかどうかだ」


 レンジが一歩前に出た。


「伊織の能力は使うだけで体に大きな負担がかかるものだった」


 今までレンジからは怒りと憎しみしか感じられなかったのだが、今発せられたレンジの言葉には悲しみと後悔の寂しい感情が込められているように蟻命は感じた。


「検死の結果じゃ原因不明のショック死で事故として片づけられたが、もしあの時誰かに嵌められて能力を使わざるおえない状況になったんだとしたら、伊織は能力の使い過ぎで自壊……」


 レンジの悲しい、懺悔に近い言葉が真っ白な議場に響く。レンジの言葉に感動したように、壁のきしむ音が室内に寂しくこだまする。そんな中、井坂は


「初めてだった」


 自分語りを続けた。まるでレンジの言葉など耳に入っていないかのように。


「初めて間近で異人が自分の意志で思う存分、能力を振るう瞬間を見た。僕の心は震えた」


 この姿を見て蟻命とレンジ、そしてこの議場にいるアイズとセイムのメンバー全員が悟った。


「レンジ君。金剛君の兄である君なら、きっと金剛君と同じ、もしくはそれ以上に素晴らしい能力が天より与えられているんじゃないかい。もしそうなら、それをこんなことに使うべきじゃない。僕を殺したって、金剛君は戻らないないんだ。それよりもっと建設的な話があるんだ」


 ここでようやく井坂はレンジの姿を瞳に映した。


「レンジ君、僕と手を組まないか」


 レンジに向かい手を差し出す、井坂。


 その手をレンジは無感動に見つめた。答えはすでに決まっている。それは井坂以外の全員がわかっていることだった。


「君たちが力を貸してくれればこの国の国力は今と比べ物にならないほど高いものになる。それこそ大国と同じ交渉のテーブルにつけるほどに。そうすれば我が国はもっと豊かになり国民の生活はより安心安全なものになるだろう」


「俺たちはテロリストである前に人殺しだ。理由はどうあれ、そのことを否定するつもりも、忘れるつもりもない」


「協力してくれるなら君たちが犯してきた罪は一切不問とする。もちろん今回の襲撃もだ」


 そういうことではない。


 そう言おうとして蟻命はやめた。無駄だとわかっているからだ。


「どうだい、悪くない話だろ。人々の笑顔のために君たちの力を振るう。そうすればきっとみんな君たち異人を認めてくれるはずだ。同じ国を思う、同士としてね。それは、今は亡き金剛君の願いを君たちが引き継ぐことにもなるんだよ」


「伊織の願いを」


 自分の言葉を反芻するレンジを見て井坂は口元をにやりとゆがめた。


「ああ、そうだ。それが金剛君の願いだ」


 上半身を前に倒し、前のめりになって話す井坂を見てレンジはゆっくり瞼を下ろした。


「お前に一つ聞きたいことがある」


「なんだい」


 最後の確認のため、己の覚悟を決めるためレンジは最後の質問を井坂にした。


「伊織の死を知って、お前は何を思った」


「惜しいことをしたと、心の底から思っている」


 井坂の顔からは後悔の念がひしひし伝わってくる。それはまぎれもなく井坂の本心であった。そのことを誰も疑っていない。


 だが、全員の井坂を見る目は冷たい。わずかな希望すら抱いていない虚ろな目。


「彼女は本当に惜しい、実験材料だった。彼女なら塵の涙を超える大量殺戮兵器になれたかもしれないのに。この損失は我が国の軍事力にとって大きな損失だ」


 井坂はわずかにあったかもしれない希望を自分の手で粉々に打ち砕いた。


「兵器、だと……」


 異人は人間ではない。あくまで人間に姿かたち、内臓の機能が似ているだけ。


「ふざけるなっ。伊織はあの時まだ十六歳だったんだぞ。恋も遊びも、夢を見る時間だっていっぱいあったんだ。あいつにはまだたくさんのこれからがあったんだ。そのために、それを守ってやるために俺はセイムを旗揚げしたのに。あいつのかけがえのない未来を、お前は」


 故に異人と人はわかり合えない。なぜなら同じ人間同士だって、わかりあえないことが多くあるのだから。


「伊織の死体はごみ箱に無造作に捨ててあった。本当のごみみたいに。お前がそうしろと命令したんだろ」


「国のためだ。多少の犠牲はやむを得ん」


 恐らく、井坂ならたとえ相手が自分と同じ人であっても同じことをしただろう。それがわかってしまうからこそレンジはより井坂に対する怒りを膨れ上げさせた。


「てめえっ」


 それは他のセイムのメンバーも同じだった。全員が井坂に向け銃口を向けた。


「悪いがお前と交わす手を持っている奴は俺たちの中にいない。それに……伊織が望んだのは異人も人も誰も傷つけない優しい世界だ。そんな上っ面だけの仲間意識を得るため他国の人を傷つけるなんて伊織が認めるわけないだろ」


 そう言い、レンジは手に持つ銃口を市議会に襲撃を仕掛けてから初めて人に向けた。


「お前が伊織を語るな。人殺し」


「残念だよ」


 ため息を吐く井坂の目には失望の色が見えた。レンジが自分の差し出した手を握る可能性がゼロパーセントでなかったと本当に信じているようだった。


 そんな可能性はないと井坂全員がわかっていたのに。


「金剛君もきっとあの世で悲しんでいることだろう。世界でただ一人しかいない家族(あに)の愚考を」


 井坂はレンジに背を向けると指をパチンと鳴らした。瞬間、議場全体が揺れた。


状況が飲み込めず全員がその場で固まる中、勢いよく議場の扉が開いた。


「な、なんだ」


 勢いよく開け放たれた扉は勢いそのまま議場の壁に激突。ついさきほどまで扉があった場所には囚人が着る拘束着のような服を着た大男が立っていた。


「異人、か」


 男の頭からは弓のように曲がった太い角が生え、拘束着の間から見える肌は業火で長時間焼かれたような灰色。目は黒目がなく、濁って白濁している。


 その姿は明らかに人ではなく、異人と結論付けるのが当然と言えば当然なのだが誰もすぐにそう結論付けることはできなかった。なぜなら彼の姿を見てより適切と思える生物の名前が全員の脳裏によぎっていたからだ。


 厳密にいえば、それは実在する生物ではなく、人間が神の真似事をして勝手に作った空想上の生物の名前なのだが


「悪魔」


 アイズの言葉を聞き、皆息を飲んだ。


被検体番号(ひけんたいばんごう)一〇一。識別名バイソン。長年異人を軍事運用するため研究してきた僕たちの血と涙の結晶、兵器用に全身に改造を施した、強化異人だ」


 目の前にいる得体のしれない生物が元は自分たちと同じ異人であることを知り、異人たちは目を見開いた。それと同時に皆全身を震わせた。この怪物が自分たちと同じ生き物であることを受け入れたくなかったのだ。


 自分はこんな怪物ではないと。自分はこの化け物とは違うと、信じたかったのだ。


 否定することなど誰にもできないというのに……



***



 部屋の外


「現場の状況は」


 有魔署での簡単な作戦会議を終え重信たちはすぐに現場である謎の襲撃者たちに占拠された有魔市議会へと向かった。


「変わらず人質は有魔市議会入口すぐの大広間に捕らわれたままの様です」


 有馬市議会周囲には四人の警察官が建物の影に隠れ現場の様子を随時伺っていた。彼らは普段近くの交番で勤務しているのだが市議会占拠の通報を受け重信たち有魔署の警察官が来るまで様子を見つつ逐一現場の状況を報告していたのだ。


「襲撃者たちからの要求は今のところありません。襲撃者たちの目的が何かわかりませんが、あまり長引きすぎると人質たちのメンタルが心配になります。やけを起こさなければいいですが」


「通報を受けてから今の今まで何も動きなしか。どうやら襲撃者たちの目的は人質を盾にして無理難題な要求をすることではないようだな」


「いかがしましょう、探護署長」


 今重信たちが掴んでいる情報は通報者から聞いた情報と目の前にある状況証拠のみ。重信はわずかしかない情報から事件のあらましを類推しようと顎に手を当てしばらく黙り込んだ。


(市議会の占拠。これだけのことを何の目的もなくするとは思えない。当然何かの目的があるはず。だが、襲撃者は今の今まで要求はおろか声明すら出していない。これだけの大事件、自分たちの存在、ひいては組織の理念を社会にアピールするためだけじゃどうも割に合わない。リスクに見合うだけのメリット。対外的目的でないなら奴らの目的は)


「人質の中にある」


 本人も口に出したことに気づかないほどの呟き。周りにいた刑事たちにすら重信の言葉は聞こえていなかった。


(そうだとすると襲撃者たちの狙いは有魔市市長、蜂王蟻命か……何にしろ、奴らの目的が人質の中にいるなら下手に突入すればむしろ状況の悪化を招きかねん)


 考え込んだ末、重信が出した結論は――


「十分待つ」


(焦りは禁物。ここは相手の出方を伺う)


 それでも音沙汰がなければ、その時は有魔署の刑事総動員で有魔市議会へ突入をかける」


 重信の言葉に刑事たちは全員無言でうなずいた。


(とは言ったが長引くと人質の精神状態も心配だ。やけを起こさないといいが)


「今は、この間に何かしら動きがあってくれると祈るしかない」


 自分でも叶うとは微塵も思っていなかった重信の祈りは本人も驚くほどあっさりと届いてしまうことになった。


「署長、市議会から人質にされてたとみられる人たちが」


「何」


 見張りをしていた警察官の声につられ市議会入口へ目を向けるとそこには市議会から走って出てくる大勢の人の波が映った。


「な、何だ」


 思いもよらぬ光景に呆気にとられる重信だが、咄嗟にある考えが脳裏をよぎる。


「まさかあの中に襲撃者たちも混ざってるんじゃ」


「この混乱に乗じて逃げる作戦か」


「探護署長、指示を」


 突入か、人質の保護兼人質の中に襲撃者が混ざっていないか人質の検分をするか。重信は瞬時に決断を下した。


「突入」


 人質の保護は見張りをしていた警察官たちに任せ重信は刑事たちを連れ市議会へ突入を図った。


 人質の中に襲撃者が混ざっている可能性も捨てきれなかったが、複数犯の場合成功する可能性は大幅に下がる。遅かれ早かれこんな大勢の人間が突然市議会から出てくれば警察が出動して逃げ惑う人々の身柄を片っ端から確保しようとするからだ。それよりも襲撃者の目的である人物が人質の中に見つかったから他の人質を逃がしたと重信は考えた。


 大勢の人質はそれだけで襲撃者たちにはリスクになる。人質を盾に逃走する算段を立てていたとしても何十人もの人質はいらない。極論一人でもいればよい。最低限の人質だけ残して後はリスクになるだけなので解放したという重信の結論は過程こそ間違っていたが結果正しかった。


「な、なんだ貴様らは」


 重信たちが有魔市議会入口すぐにある大広間へ突入するとそこには数人のフードを被る明らかに襲撃者の風体をした男たちがいた。


「お前たちが市議会を占拠した襲撃者たちか」


 彼らの手には機関銃が握られていた。聞くまでもなく、市議会を襲撃した組織の者である。


「しょ、署長、何を」


 数では優位に立つが銃を持っている以上、危険人物であるのは間違いない。戦闘系の能力を持った異人である可能性もある。そんな相手を前に重信は対異人用にカスタムされた防護服を着るのみの武器一つ持たない丸腰で前に出た。


「私は有魔署署長、探護重信だ」


「探護、重信っ」


 有魔町二番目に有名である重信の名は襲撃者たちの間でも知られていた。


「この街の良心って言われてる野郎か」


 重信の名を聞き襲撃者たちに動揺が走る。


 銃を持つ相手に堂々と立つ重信を前に襲撃者たちはうろたえ銃口を向けるべきかどうか迷っている。そんな中、レンジに奥にある部屋へ誰も近づけないよう大広間での防衛指揮を任されたレンジの旧友、太刀たちと同じセイム結成初期からのメンバーである緑髪の男が代表して重信たちの前へ出た。


「俺たちはセイム。社会から迫害を受ける異人たちの権利回復を求める革命の徒だ」


「セイム」


 今度は刑事たちに動揺が走った。自分たちの前にいるのが最近巷を騒がせている過激派異人集団と知り警戒心を高める。


「何が革命の徒だ。ただのテロリストじゃないか」


「何だと」


 セイムメンバーが機関銃の引き金を握る。それに対抗して刑事たちも対異人用に改造された強力テーザーガンに手をかける。


「やめろ」


 一触即発しかける刑事たちを重信が止める。重信の言葉に有魔署の刑事たちだけじゃなくセイムの異人たちも引き金から手を離した。


「人質を解放したということは争いが君たちの望むところじゃないのだろう。目的はわからないがここはおとなしく武器を下ろして投降してくれないか」


 重信の言葉に緑髪の男は首を横に振った。


「だめだ。奥に俺たちのリーダー、レンジがいる。レンジは俺が出るまで中に誰も入れるなと言った。レンジが奥の会議場から出てくるまで誰一人ここを通すわけにはいかない。たとえ、命を散らすことになったとしても」


 緑髪の男の言葉に覚悟を感じた重信はこれ以上何を話しても彼らがこの場所を離れることはないだろうと察した。


「わかった、なら俺たちもここで待つ」


「何だと、正気か」


 重信の言葉に緑髪の男が驚愕する。


 慌てて、一人の刑事が重信に駆け寄った。


「しょ、署長、何を言ってるんですか。相手は異人ですよ」


刑事が相手に聞かれないよう重信の耳に口を寄せ耳打ちした。


「今ならあいつらを確実にやれます。奥の奴らは援軍を待って有魔署の全勢力で叩けば」


異人たちがそれぞれ固有で持つ能力は千差万別。太刀や如珠(いたま)のように戦闘系の能力を持つ異人もいれば、先の守偵(さねさだ)が解決した有魔ホテルの事件の犯人やジェシィのように戦闘ではほとんど役に立たない非戦闘系の能力を持つ異人もいる。


 先ほど刑事たちと一触即発の雰囲気になった際目の前にいるセイム構成員たちは全員手に持った機関銃の引き金を握った。


 そこから導かれる答えは一つ、


 目の前にいる異人の中に戦闘系の能力を持つ異人はいない。厳密に言うと、来完寿より強力な戦闘系の能力を持つ異人はこの中にはいないということである。


 であるなら、たとえ相手が異人であろうとも対異人用に完全武装した刑事たちなら目の前の異人たちを取り押さえることは可能だ。可能ではあるのだが……


「だめだ」


 重信は顔色一つ変えず刑事の言葉を一蹴した。


「それじゃ、確実に死人が出る」


 この人数差があれば相手が異人であっても取り押さえることは可能だ。だがそれは無傷で、誰も死傷者を出さずにできるというわけではない。


 相手は銃を持っている。任務を全うする確固たる意志もある。


 衝突すれば人死にがでる。重信はそれを確信していた。


「我々は警察官です。正義のためならこの命惜しくはありません」


「命より大切な大義などない」


 近寄った刑事の言葉を重信は一喝。重信たちの会話を訝しい目で見ていた異人たちも当然あげた重信の怒声に驚き体を少しのけぞらせた。


「生きていてくれることより大切なことなどこの世にはない……それは人も異人も同じだ」


 そう刑事に言うと重信はさらに一歩、異人たちに歩みを寄せた。


「君たちの要求を我々は承諾する。その代わり、君たちのリーダーが奥の部屋から出てきたときは君たちからリーダーに投降するよう進言してくれないか」


 重信の真っすぐな瞳を見て、緑髪の男はしばらく考え込む。


「ど、どうする」


 他のセイム構成員が戸惑った様子で考え込む緑髪の男に声をかける。声をかけなかった仲間も同じように迷い戸惑っているのが見ただけでわかる。


 揺れる仲間たちの様子を見て、緑髪の男はゆっくり首を縦に振った。


「わかった」


 その言葉を聞き、セイム構成員と刑事たちは引き金にかけていた指を話そうとした。が、すぐにセイム構成員たちは引き金に指をかけけ銃口を刑事たちのいる方へ向けて構えた。


「っ、貴様ら」


 それを見て謀られたと勘違いした刑事たちは「待て」と重信が言うよりも早く腰に付けた異人用テーザーガンへ手を伸ばした。刑事たちは異人たちが銃の引き金を引くよりも先にテーザーガンを抜き、引き金を引こうとした。しかし、異人たちが銃の引き金を引きよりも早く、刑事たちが腰に付けたテーザーガンの引き抜くよりも早く、重信を除く刑事全員が一瞬のうちにその意識を刈り取られてしまったのだ。


「っ」


 当然の出来事に言葉を失う重信。振り返ると先ほどまで自分の後ろにいたはずの刑事たちが全員、大広間の壁近くで気絶して倒れていた。まるで局地的に発生した台風に吹き飛ばされ壁に勢いよくたたきつけられたように。


そしてついさっきまで刑事たちがたっていたはずの場所には一人の灰色の肌をした男が立っていた。


「何だ、お前は」


 肌の色こそ特徴的だが一見すると大柄な外国人にも見えなくもない謎の大男。その大男を前にして重信の中にある感情を芽生え、全身に根を張り巡らせた。


 昔、同じような感覚を重信は味わったことがあった。あの忘れたくても、忘れられない、忘れようとしても、忘れてはいけないと全身にへばりつく汚泥のような感覚。


 それが恐怖と理化したのを最後に、重信の意識は失われた。


 鍛え上げられた屈強な肉体が宙を舞い、重信は背中を強く壁に激突した。

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