檻の中
「おわああああああああああ」
「助けてくれええええ」
人気のない港に泊められた一隻の貨物船。上半分を白、下半分が黒で船底が赤く塗られている見た目はいたって普通のコンテナ船。その内部で男たちの悲鳴がこだましていた。
守偵たちがトレイドのスコードロンに奇襲を受けた一時間後。
船内を揺らすほど響いていた男たちの叫び声も今は鳴りを潜めていた。
「こちら太刀、操舵室の制圧完了した」
しんと静まり返った船内に太刀の声が響く。船内中に取り付けられたスピーカーから太刀の声が流れて数秒後。いくつもある制御パネルのボタンの内通話と書かれたボタンが赤く点滅を始めた。
「こちら守偵」
ボタンを押すと守偵の声が操舵室のスピーカーだけから聞こえた。
「ボイラー室の制圧完了」
守偵はボイラー室にあった内線を使って太刀にこの貨物船の制圧が完了したことを報告した。
太刀と守偵が貨物船に乗り込んで三十分。異人のみを狙っていた人身売買集団トレイドのアジトはたった二人の異人により制圧された。
他のセイムメンバーがこの貨物船にこの数分後だった。
貨物船制圧後、太刀と守偵は外に待機させていたジェシィと合流、他の仲間たちとの合流を待たず、ある場所へ向かっていた。
「結構派手に暴れたね」
外観こそそこそこきれいな貨物船だったがそれはあくまで外側だけ。中は一度でも掃除をしたことがあるのかと思うほど汚れまみれ。埃はもちろん、所々黒いカビまで生えておりとてもではないが衛生上良い環境ではなかった。
「いや元々こんな感じだったって」
「おそらく古くて使えなくなった中古品を安く買い取ったんだろ。通信設備も型落ちのものばかりだった」
「カモフラージュのためだけに買ったってわけか。景気が良い話だな」
「お古のやつだから景気がいいかどうかは微妙だけど」
激しい戦闘を終えそれぞれテンションが少しハイになっている三人。昨日に比べ、口調も柔らかく和やかに会話していた。目的の部屋に着くまでは。
「「「………………」」」
部屋の前に到着した三人はすぐに中に入ろうとせず、しばらくの間扉をみつめたまま佇んでいた。ところどころ赤黒い染みが目立つ、見るからに頑丈そうな重い鉄の扉。その扉を眺めていると先ほどまで軽かった三人の口も鉛のように重くなっていくのを感じた。
音も時間もない、すべての感覚信号を脳が拒絶していたが、やがて……太刀が一歩前に足を進めた。
「入るぞ」
太刀の言葉に守偵は頷き、ジェシィはうんと答え足を一歩前に出し太刀と並んだ。そして、
三人は扉を開いた。異人の現実を知るために。
「………………」
「………………」
「………………」
部屋の中は明かりがついておらず、一面黒い靄がかかっているように視界が悪い。目を凝らさないと足元も見えないほどの暗さに三人はしばらく入り口で固まって部屋の様子を伺っていた。が……
「うっ」
部屋を漂う生ぬるい臭気。いわゆる獣臭。鼻をつんざくほどの激臭に思わず臭いに敏感なジェシィは鼻を覆った。そこまで臭いに敏感でない守偵と太刀もあまりのにおいのひどさに顔をしかめた。
「すごい臭い」
「そうだな」
鼻が曲がってしまい動けないジェシィを置いて太刀は暗い部屋の奥へ進んだ。守偵も太刀の後ろに続く。
暗闇に慣れてきたころ、守偵は自分たちの周りに大きな箱のようなものがあることに気づいた。さっきの倉庫にあったコンテナより一回り小さい、しかし何か得体のしれない不気味さのある鋼鉄の重荷。
「檻、か。中には何もいねえみたいだが」
近づいて見て、ようやくその鉄の箱が檻であることがわかった。
「俺たち、商品を陳列しておくための檻だろ。この様子だときれいに並べておいておく気は毛ほどもなかったみたいだがな」
夜目が効くようになっても檻の中は見えない。だが、さびついた鉄格子に付着した赤黒い染みが太刀の言葉を裏付けていた。
「あ、あう、う、あ」
消え入りそうなほどに小さい空気の震え。隙間風がわずかに入ってきているのかと思ったが、違った。
檻の中から漏れる呼吸の音。
部屋の一番奥にある檻の中には裸の女が鎖でつながれていた。
「……これが」
「これが俺(異人)たちの現実だ」
床には掃除されなかった女の排泄物が散らばっているが、女に気にしている様子はない。
檻の女に生気はない。肉が削げ落ち、骨に皮がくっついているだけ。体のあちこちにはあざや火傷、腕には数々の注射痕がある。瞳はすでに光を失い、腕や足はだらんと力なく投げ出されている。もうすでに尽きているように見えるが、わずかに漏れる弱弱しい呼吸音がまだ彼女の生存を知らせている。
「何を、されたんだ」
想像はついた。知識として知ってもいた。それでも守偵は口に出さずにはいられなかった。
守偵の言葉に太刀は「すべてだ」と無機質に言った。
「捕らえられた異人はまずふるいにかけられる。能力と容姿。優れた能力を持つ者は異人を研究することに妄執する狂った科学者どもの巣窟に。麗しい容姿を持つ者は下衆な金持ちどもに。奴隷、モルモットとして売られ組織の資金源になる。当然まともな生活を送ることはない」
太刀の声はとても無感動でわざとらしいほど平坦だった。まるでせりあがってくるマグマ(気持ち)を無理やり押し殺しているような……
「そしてそれ以外の、商品にすらなれなかった奴らはクソ野郎どもの掃きだめとして、その名の通りおもちゃにされる。サンドバックや強姦はもちろん危険なドラッグを致死量ぎりぎりまで、面白半分で注射されたり、中にはクソどもの見世物としておぞけの走るようなことをゲームと称して強制させられたりもする。」
「見世物」
「檻の中に二人の異人を入れて殺し合いをさせる。生き残ったほうは檻から出してやると調子のいいことを言ってな。クソどもはどっちの異人が生き残るか賭けたり、泣きながら相手の首を絞める異人を見て酒の肴にする。最後は……生き残った異人をみんなで殴る。約束通り檻からは出してやっただろと、醜悪極まりない笑みを浮かべて、死ぬまで袋叩きにするんだ」
太刀の口調は変わらず、平坦で抑揚がない。必死に感情がこもらないよう押し殺している。だが一瞬、ほんの一瞬、太刀の名刀のように鋭い瞳が一瞬、深い闇に染まった。檻の中の彼女と同じように。
「まさか、お前――」
「もしお前の妹が同じ目にあったら、お前は人間を許せるか」
「…………」
守偵は黙ったまま、太刀の質問に答えることはなかった。
太刀は守偵に背を向けたまま、腕を素早く横に振ると腕からはやしたカマで錆びた鉄格子を切り裂いた。
「これが俺たちの、現実だ」
「…………」
太刀はワイシャツの上に着たジャケットを脱ぐと、檻の中にいた異人の女に着せた。
「どうしてお前は……」
太刀は女をお姫様抱っこして抱え上げると一瞥もくれることなく守偵の横を通り過ぎた。
「人間なぞの味方をするんだ」
「っ」
守偵が振り返ると、太刀は女をジェシィに預けた。そして守偵の方へと振り向いた。腕から生えたカマよりも視線を鋭くして。
「いつから……知ってたんだ」
「俺たちがホテルを出た後、仲間にお前の妹を迎えに行かせた。当然、よからぬことをされないため、監視のためにな。だが部屋に妹の姿はなかった。筋肉痛で動けないはずなのに、な。怪しむのは当然だろ」
あからさまに監視という言葉を強調する太刀。
もう一つの作戦を遂行するために如珠は能力の反動で動けないということにして今回の作戦に同行させずホテルに置いてきたのだが、どうやら太刀はそんな如珠を本気で心配していたようだ。
「意外と面倒見がいいんだな、お前」
「監視のためと言っているだろう」
守偵はこれから起こる出来事を悟った。そしてそれが避けることができない、絶対不可避のぶつかり合いであることも、わかってしまった。
太刀が地を蹴ると同時に守偵はラプラスの瞳を発動。
二人は互いに敵の姿を映した。己の信念のために臨まぬ戦いを強いられる悲しき男の姿を。




