2
「失礼します、殿下」
執務室にお姫様が入ってくるのを見ると、王子様は青い瞳を細めて嬉しそうに微笑んだ。
「ちょうどよかった。今書類仕事が終わって、一緒にお茶でもと思っていたんだ」
「そうですね、お茶……。あの、お茶を飲みながらお話したいことがございます、二人きりで」
なんだか改まったお姫様の物言いを王子様は不思議に思った。が、二人きり、という言葉に嬉しくなって、王子様は急いでティータイムの準備をさせた。
「それで、どうしたんだい? 話というのは」
「はい。あの、私……」
二人の時間にうきうきとしている王子様を前にして、お姫様は一瞬躊躇い、目を背けた。
しかし心を決めて、もう一度真っ直ぐ王子様の目を見据える。
そしてきっぱりと告げた。
「死のうと思うのです」
「…………えっ、……し……?」
唐突すぎる告白。
王子様は何が何だか分からず、手に持っていたカップからは紅茶が少々溢れた。
「はい。その……余りにも幸せ過ぎて」
「えっ、幸せなのは良いことだけど、その、マリッジブルーとかいうやつかい? 他国に嫁いできて、結婚式とか、新しい部屋とか、ちょっと疲れさせてしまったかな。気がつかなくてごめん、ゆっくり休めば気持ちも落ち着……」
「そうではないのです」
慌てふためく王子様の言葉を、お姫様は遮って言う。
「マリッジブルーで不安とかではなく、私は今、本当にこの上なく幸せなのです。だから……」
「……だから?」
「終わりにしたいのです。幸せを、……永遠にするために」
「…………」
お姫様が読んできた大好きな物語の最後は、いつもお姫様が幸せになって終わる。
終わりを迎えることで、主人公は永遠に幸せでいられるのだ。
お姫様はこれまで、平凡な自分の人生において、物語のような最大の幸福を経験するとは夢にも思わなかった。
しかし王子様と出会い、こんな物語のような幸福が世界にはあるのだと驚嘆した。
と同時に、私の物語のクライマックスはここだわ、と思い至ったのだった。
お姫様の説明を聞いて、王子様はかろうじて気絶しそうになるのを堪えた。
「……分かった。幸せが最大の今、君は終わりに……、死にたいというのだね?」
「はい」
王子様を見つめるお姫様の瞳は真っ直ぐだ。
冗談等ではなく本気なのだということは痛いほど伝わった――王子様としてはどんなに突拍子がなくともむしろ冗談であって欲しかった――が、もちろんお姫様を死なせるわけにはいかない。
愛するお姫様の望みはなんでも叶えてやりたいが、こればかりは無理だ。
王子様はしばらく頭を抱えて考え込んでいたが、ようやく顔を上げると言った。
「……でも、人生最大の幸せは今とは限らないよ」
「え」
王子様の言葉に、お姫様はキョトンとした顔をする。
「人間というものは、子を持つとそれが何より大切で、幸福を感じるという。私も、君との子どもはさぞかし可愛いだろうと楽しみにしている。
……その幸せを味わってからでも、遅くはないんじゃないかな?」
お姫様は、王子様との子どもが生まれる日を想像してみた。
王子様に似て、凛々しくも可愛らしいお顔だろう。赤ん坊を抱く自分の傍らで、嬉しそうに目を細める王子様。
確かに、それは今と比べてもどちらが上と決めることのできない、幸福な時間に感じられた。
「……確かに、そうかもしれません」
どうやら納得した様子のお姫様に、王子様はホッと胸を撫で下ろした。
「うんうん、そうだよ。……では、その日を楽しみに、また一緒に生きていこう」
「……はい」