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団長の話

作者: 宮智沙希

職場の後輩に、団長がいた。


団長の由来は、学生時代、応援団長だったから。


農家の長男でもある団長は、農業も手伝い、初めてのボーナスの使い道は、農機具の購入。


私は、私立大学の事務職員だったのだが、初めての部署は、施設部で、大学教授が500万の顕微鏡を買う手続きをしたり、ピアノの調律師さんが調律するためにピアノのフタ?を一緒に持ち上げたり、新しい校舎を建設する際の備品を設計事務所のインテリアコーディネーターさんと相談しながら、選んだり、そんな仕事をしていた。


なので、部署異動で学務課の人間環境学部の窓口担当になった時に4歳年下の団長は、私の先輩みたいなもんだった。


当時は、ベテランの女性の主任さんがいて、シングルマザーで、5時直帰の私に面と向かい文句を言う人はいなかった。みんな余裕があったのだ。


団長は、なぜか「直ちゃん」と書かれたハンコをうちうちの回覧書類を読みましたサインに使っていたので、耳もとで「なおちゃん」と呼んでみると「うわ、びっくりした!久しぶりに、そんな呼ばれ方したわ(笑)」と笑いあえるほど、私たちは楽しく仕事をしていた。


大学祭では、団長の後輩が、人間環境学部担当窓口の7人分、ちゃんこ鍋を持ってきてくれたりもした。


ある日、団長が左手のくすり指に指輪をしていたので、「えー、団長、彼女できたの?」と思わず高い声を出してしまったら「声!声!!いつも通勤中はつけているんですよ。仕事中は、外してるんです。大声、出さないでくださいよ」


私も、あまり人には言わないことを、ポロッと団長にもらしたりした。


「娘の父親さあ、5歳下の二十歳の大学生だったんだよね。バイト先で、知り合って、付き合いだして。ずっと学生結婚したい。金、貯めて、結婚しようって、ずっと言われてて。でも、妊娠したら、相手の親の反対が凄くて、修羅場の末に未婚の母になってしまった(笑)後悔はないけどね」


多分、団長は、人に言いふらしたりはしなかった。


団長は、いつも頼れる後輩で、いつも私のフォローをしてくれた。


しかし、そんな気のいい同僚だけなわけはなく、私の隣の席には二部勤務(3時9時)の四十路のオッサンがいた。


コイツが与えられた仕事しかしない。ずっとパソコンの熱帯魚の画面を観ている。ヤクザみたいで、いつもサングラスをしていて、怖くて、私はヤクザが大嫌いだった。


学務課に、IT化の波が押し寄せた時には、主任は頼れる女性から、三十分に一本たばこを吸いに行く、独身五十路男性に代わっていた。


変化の波をうけるのは、いつも末端の若手だ。私は、主任から、団長と一緒にエクセルにひたすら科目履修のデータを入力したりする仕事をやるよう指示された。


でも、そんなことは、不可能だった。


時間がないのだ。


窓口には、様々な学生さんが、代わる代わる現れる。


「俺、学生証の写真、ブサイクだって、イジられてて、写真変えたいんですけど 」

私「取り直して変えることはできるけど、二千円かかるよ。それに、写真写り悪くないよ」


「いや、マジで嫌なんです。二千円、払います」とか、


「俺、人間環境、何勉強してるのか、わからなくなってきて、法学部に転部したいんですけど」

私「あー、君には、その方がいいかもね」

「あれ、俺のこと、覚えてるんですか?」

私「そんなに、ちょこちょこ、相談にきてくれてたら覚えるよ。転部の説明するね」とか、


出席日数が足りなかった女生徒が、教授への理由に、堕胎手術をした診断書を持ってきたりとか、


いろいろあって、若い学生の相談にのり、教授たちのための雑用をする仕事が、私は好きだった。


しかし、窓口が閉まってから、ひたすらエクセル入力をするには、残業するしかない。保育園のお迎えとの両立は、不可能だ。


団長は、ヤクザと一緒にその仕事をしたいと主任に申し出てくれた。しかし、何故か主任は、私に担当させると言い張った。ヤクザは、主任命令だからと一切、手伝わない。


私は、仲が良かった部長に頼み込んだ。「IT化の仕事は、私には無理です。二部勤務のヤクザを担当にするよう、主任に言ってください。団長も、それを望んでいます」


それでも、主任は、私を担当から外さなかった。


そんななか、私は、施設部で一緒だった先輩男性と結婚した。娘には、父親が必要だと思っていたし、好きな人と家庭を築きたかった。


団長に言われた。


「専業主婦になったほうが幸せなんじゃないですか?」「経済的に無理」


私は、結婚しても、保育料は、全額、私が払っていたし、家賃も生活費も割り勘で、職場結婚が多い大学で、寿退職する職員なんて聞いたこともなかった。


団長は言った。


「お迎えがあるから、残業できないとか、周りの負担が大きいんですよ。そのへん、考えてくださいよ」


仕事を抱え込みがちな彼が私のせいで、毎日、終電なのは知っていた。彼だけでなく、IT化の業務に関わる若手は、毎日、終電だった。職場の空気は、かつてないほど、ギスギスしていた。


わかっていながら、私はショックで、トイレで泣いてから、化粧なおしをして、窓口に戻った。


それから、間もなくして、私は心身の体調を崩し、休職した。


私が抜けても、仕事はなんとでもなったようだ。


その後、いろいろなことがあり、5年後、私は結局、退職した。


退職した後で、一番、気になったのは団長のことだった。


電話番号が携帯に登録されたままだったので、娘の高校受験の際、付属校や大学のことで聞きたいことがあったという口実で、思い切って、電話してみた。


彼は適切に私の質問に答えてくれた。働く男の真摯な対応だった。


「団長はどう?農家とか?」「今もやってますよ」


私は近いうちに娘の受験大学の一つの候補として、機会があれば、その私立大学に行く予定だ。


偶然、また団長に会えたらいいな。


甘やかされた私に、面と向かって、不満をぶつけてきたのは、団長一人だった。


すっかりオバサンになった私が、高校生の娘と団長に遭遇したら、普通にキャンパスの説明をしてくれそうだ。一人の大学職員として。


子連れ結婚の難しさで、結局、四年で離婚した元夫より、団長の成長した姿のほうが、私には、ずっと興味深い。




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