くろねえ
どれほどの時間が経ったのだろう。私はすぐそばで聞こえる猫の声に驚いた。
「なあにゃあなあなあなあなあ」
黒い猫がいた。黒猫はひどく痩せていて、緑色のめがぎらぎらと光っていた。メスなのかオスなのか見た目だけではさっぱりわからない。
「なあにゃあなあにゃあなあ」
猫になっても、さっぱり猫語は理解できないらしい。黒猫が何を言いたいのか、皆目見当もつかなかった。けど、さっきうそでしょといったら「にゃあ」と聞こえたから、もしかしたら、私は猫語を話すことは可能なのかもしれない。ためしに、話してみよう。
「にい」
お腹がすいた、と言ったつもりだったがこの黒猫には通じたのだろうか。黒猫はじっと私の顔を見つめると、ぺろぺろと体をなめだした。お腹がすいたと言っているのに、何をしてるんだ。体をよじって、逃げようとしたが、私の体はやっぱり動かない。きっと腹ぺこだから動かないのだ。もういちど黒猫に言ってみよう。
「にゃあにゃあ」
ねえ、お腹がすいた、と言ったつもりだ。今度こそわかっただろう。私はまっすぐ黒猫の顔をみつめた。黒猫は少し首をかしげると大きく口をあけ、私の首元にかぶりついた。そういえば、猫は子猫を運ぶとき口にくわえて運ぶのだった。黒猫は、そっと私の首をくわえると、颯爽と歩きだした。
太陽の光がさんさんと降り注いでいる。この黒猫は細かいことを気にしない性格なのか、私の足はさっきから何度も地面にぶつかっていて、少し痛い。子猫を運びなれていないのかもしれない。地面ぎりぎりをふわふわと浮いていると、いつもとは違う風景が、少し気分を高揚させた。
黒猫は広い空き地に到着すると、私をおおい茂っている草むらの中におとした。そして、今度は顔をぺろぺろなめ、しばらくすると、走り去って行った。相変わらず身動きがとれない私は、一人になって少し不安になったが、さっきの道路にいるより暖かく安全のように思えた。きっとあの黒猫は安全な場所に移してくれたのだろう。わるいやつではないようだ。まるで世界がモノクロになってしまったような錯覚に陥る。灰色のような枯草と真っ白の私。
その日、黒猫は私の元に何度も食べ物を運んでくれた。溶けかけのアイスだったり、食べかけのパンだったり、その都度、違うが子猫の私でも食べられるような柔らかいものを選んでいるようだった。最初に運ばれてきた溶けかけのアイスを口にいれるのは、とても抵抗があったが、せっかく運んでくれた黒猫の手前、食べないわけにはいかず、ぺろりとなめてみた。すると、意外においしく気がつけば全部なくなっていた。
絶え間なく運ばれてくる食料を、全て平らげ、日が暮れるころには歩けるまでに、元気になっていた。黒猫がおにぎりをくわえて戻ってきたとき、私はよちよちと歩いていたため黒猫は驚いて、おにぎりを落としていた。私は一生懸命黒猫の元までいき、お礼をいった。
「ありがとう」
にゃあではなく、言葉になっていた。さっきまでしゃべることができなかったのにどうしたのだろう。脳みそまで猫にかわってしまったのか。やっぱり私は、死んでしまって猫として生まれ変わったようだ。嬉しいのか悲しいのか分からない。当惑している私の心中なんて知るはずもない黒猫は少し目を丸くして、しゃべりだした。
「あんたもう話せるようになったんだね。びっくりだよ。普通の子はあと一週間は話せないんだよ。あんた賢そうな顔してるから成長も早いのかもしれないね」
そうか、私がさっきまでさっぱりわからなかったのは、小さかったからか。
「本当にありがとうございます。助かりました。」
「驚いた。あんたちゃんとした言葉話せるんだね。器量もいいし、利口そうだから、ニンゲンに飼ってもらえるかもだよ。あたしたちみたいに野良でいるのも気楽だけど、腹は減るし、病気にもなるしあたしはニンゲンに飼われたほうが楽だとおもってるんだよ。そうそうあたしはくろっていうんだ」
黒猫はまじまじと私の顔をみながらまくしたてている。くろか。会社にもいたな、こういう世話焼きのおばさん。姉御肌で人の面倒を見るのが趣味みたいな人種だ。くろだからくろねえだ。
「そうだ!明日集まりがあるからあんたも顔だしな。長老ならいい家知ってるかもしれない」
驚いた。猫はみんな自由に暮らしたいと考えていると思っていたけれど、そういうわけでもないのだ。それに空地によく猫が集合しているけど、あれは本当に"猫の集会”なのだ。私が考えているより、猫の世界は発達しているようだ。猫の世界をもっと知りたい気分になった。そんな呑気なことを考えている場合ではないのだが、現実問題猫なのだから仕方が無い。いろいろ考えながらくろねえさんが運んできてくれたおにぎりをほおばり襲い来る睡魔に負けいつの間にか眠ってしまった。