講和会議とその後
第1話の冒頭を少し加筆しました。本当にちょっとだけですが
その昔、ブラウヘン帝国がカンタテーロ王国と国交を樹立するために外交官を派遣した際、王国は王宮で外交官を迎えた。そして、給仕が自国の外交官には薄い酒を、帝国の外交官には水を配った。帝国の外交官は顔をしかめて、水を薄い酒に変えるように給仕に伝えた。このやり取りを見て王国の外交官は「帝国の外交官は控えめで好感が持てる」とし、翻って帝国の外交官は「王国の人間は礼儀を知らないのか。客より自らを優遇するとは理解不能だ」と悪印象を抱き、最後に次からは薄い酒を出すように言ったという。
9月に入ると王国の方から講和の申し入れがあった。帝国側ではこれを受け入れるかどうかで様々な意見が出た。しかし、皇帝が、
「戦争は予の望むところではない」
と勅言したため、満場一致で講和の受け入れが決定された。皇帝が政治等に口を出すことは少なかったので、継戦派は面食らったと言われている。中には、「内閣の佞奸な誰かが弁舌をもって皇帝陛下を誑かし奉ったのだ」と暴言を吐くものさえいた。
このように継戦派には納得し難いものがあったが、講話は9月14日に予定された。
講和会議の開催地であるルパントの港に三隻の船が入港した。そのうち一隻は非武装船である。赤と黒を基調とした国旗が掲げられている。カンタテーロ王国の外交団が到着したのだ。
王国側の全権大使オスカル・オチョアが船から降りると、あたりにはガタイの良い男がぞろぞろしていた。
「我々を暗殺でもするつもりか」
と彼は隣にいた若い外交官にいたずらっぽく語りかけた。すると若い外交官は顔の筋肉を硬直させ、足を震わせる。オチョアは笑うと、
「ごめんごめん、冗談だよ。よく見てくれ、あれは警官だ。我々の護衛だよ。しかし、これだけの人数を用意してくれるなんて太っ腹なものだ」
若い外交官は顔を赤らめると、「冗談もほどほどにしてくださいよ」と早口にいった。オチョアはまた笑って、彼の腕を掴むと、足をはやめて警官隊の方へ向かった。
帝国がこれだけの警官を集めたのには理由があった。それは国民が暴徒化する恐れがあったからである。帝国の戦列艦を沈められて面目を潰され、あまつさえ一度きりしか戦闘できずに講和と言うのは、いかに勅言があっても国民の耐えられることではなかった。その証拠に既に「内閣が皇帝陛下をたぶらかしたのだ」というデマが流され、ジャン=マルク・ワイス首相の私邸に投石が行われている。これが敵国の外交団となれば、暴徒化した国民が襲わないはずがない。もし、帝国内で講和会議予定の外交官が殺害されれば、講和にも響くし、他の列強の冷笑を受けることになってしまう。この二点は、絶対に避けねばならなかった。
さすがに、警官隊の群れに突入するほどの勇気があるものはいなかったようで、外交団は無事、講和会議の席に着くことができた。ここでやっと本格的に全権大使としての職務を果たすことになるのだが、既にオチョアは多数の警官の護衛や殺気立った都市内の空気に疲れていた。
オチョアが国王より言われた「講和につける条件」は、「国交正常化」と「相互最恵国待遇」であった。そして、賠償金は支払う形で構わないとも言われた。これに、彼はいい意味で驚いた。国民に迎合ばかりしているから、非常識な国民らの言う「帝国への賠償金請求」や「領土の割譲」などが提示されるものと思っていたからである。
----陛下は何をお考えなのか
と国王の意図を探って、彼は頭を抱えたが、よく考えれば過大な要求をする必要はなかった。国民向けには適当に嘘をつけばいいのである。どうせ、字もろくに読めない、衣食住以外に興味のない国民達なのだから。多少不利な条件を呑まされても、そのことは黙っておけばいいのだ。
講和会議はまず、帝国側の全権大使・外相のマーロウが案を提出したことに始まった。それは、賠償金、双方の捕虜の交換、戦闘行動の中止、竜騎兵の領空侵犯の中止、帝国を最恵国待遇とすること、王国の東海岸から50kmには竜騎兵を配備しないことなどであった。
オチョアは内心、胸を撫で下ろした。思ったより要求が過大ではなかったのだ。賠償金も、王国の内政に支障が生じるほどのものではなかった。オチョアは、国交正常化と相互最恵国待遇を主張した上で、帝国の西海岸に竜騎兵を配備しないことを要求した。
マーロウ大臣は腕を組んで、唸り、少し考えたのち、王国側の要求を全面的に認めると言った。オチョアは、一瞬もう少し有利な要求ができるかもと思ったが、万が一講和そのものを拒否されてしまえば元も子もないので、帝国側の主張を受け入れると表明した。
このように、講和会議は双方の及び腰が良い方に作用して、とても円滑に終わったのであった。
帰国したオチョアは、船から降りるときらびやかな軍服を着た近衛兵がこちらへ来るのを認めた。こっちでも手厚い護衛が受けられるのか、と笑みを浮かべていると、近衛兵がそばに来て、彼の腕をぐっと掴んだ。
「ちょいと乱暴なあいさつですな」
とオチョアが冗談めかして言うと、近衛兵は「黙れ!」と叫び、乱暴に彼を押し倒すと縄で彼を縛り上げた。オチョアは、
「やめろ! 私が何をしたと言うのだ」
と大声で抗議し、必死にもがく。すると近衛兵の一人が、
「その大声は我々でなく帝国の連中に浴びせるべきでしたな」
と言ってせせら嗤い、唾を吐きかけた。オチョアは尚も抵抗したが、しかし、屈強な近衛兵には到底かなわず、連行されることになってしまった。
近衛兵らは彼を王座の間に引っ立てると、乱暴に投げ捨てた。王国の全権大使に対する扱いではなかった。オチョアは国王の怒りを買ってしまったことを確信し、歯ぎしりした。
「オチョア、予は賠償金を払うことは認めた。しかし、西海岸から竜騎兵を撤退させて良いなどといつ言った⁉︎」
国王の怒号がオチョアの耳朶を打つ。オチョアはゆっくりと顔を上げると、しおれた花のような口調で、
「しかし、我が国にとってそれほど不利とは……帝国も帝国の西海岸に竜騎兵を置かないとしております」
国王は軽く舌打ちをすると、呆れたように、
「我が国は彼の国に竜騎兵では優っていた。それを取り除いたら何も抗えるものがない」
「しかし、海軍が……」
とオチョアが言いかけると、国王はグラスを床に叩きつけて、
「黙れ、それ以上の発言を禁じる! 誰かこの馬鹿者を牢獄に連れて行け」
近衛兵がオチョアを再び拘束する。そして、尚も反論を試みるオチョアを殴り、気絶させると、彼を背負って牢獄へと連れていってしまった。