不覚
これで終わりではない!
港湾直上をエサに群がるアリのように埋め尽くす敵騎は第15部隊からもはっきりと見えていた。部隊の将兵はいつ来るかと身構えていたが、意外なことに、敵騎は降下すらしない。旋回して、各艦の様子を伺っているだけだ。彼らは攻撃しに来たのではなく、史上最大規模の挑発をしに来ただけではないのかと思われるほどだった。実際、第15部隊の参謀は「ああいう馬鹿は大きければそれでいいと思っているんだ。行って、竜騎兵の効率的な運用を教えてやりたいものだ」と嘲笑していた。大半の将兵はこの参謀のように、慢心しきっていた。残りは、何も考えていないものか、これを悩みのタネにするものだけである。ヴィッテ少将は残りの内、後者の立場を取っていた。彼は、敵騎の大部隊が、攻撃目的であるとほぼ確信していたのだ。
理由の一つは、「あの怠け者のローレン司令官が情報を送ってきたから」であった。 しかし、ローレン司令官の普段の行動をよく知っている参謀などは何も考えずに送ってきたに違いないと考えていたが。
二つ目の理由は、以前まで敵騎は効率的に挑発をしていたから、向こうの指揮官が梅毒にでもならない限り、突然大部隊で挑発するなんて考えられない。
「しかし、敵の行動はなんだ。我々だったら、すぐに攻撃指示を出しているだろうに」
そこで、彼は我が方の準備が進むことで、彼らにメリットがあるかどうかを考えた。もちろん、あるわけがない。ただ、少将旗と中将旗が掲揚されるので、旗艦の区別はつくようになる。つまり、大物を見分けやすくなる。そして、旗艦を撃沈しやすくなる。
「確かに、旗艦が沈めば士気が乱れる。司令部が壊滅した場合、士官の損害も大きい。これだけ優勢だから、余裕を持ってより大きな手柄を得ようと言うのか」
結局、彼は自身の出した結論を確信できなかった。しかし、ほかに可能性もない。
司令官の出した結論に参謀は一定の賛同を見せた。彼曰く、「奴らならあり得る」ようである。この参謀の高慢にはヴィッテも不快感を覚えずにはいられなかった。しかし、一々参謀に注意している暇はない。ヴィッテ少将は、旗艦が集中攻撃されないうちに、対策を打ち出す必要があった。それが、
「旗艦を集中攻撃し、第五艦隊及び各部隊司令部を殲滅する事で我が艦隊を行動不能にする事が敵の目標かと思われる。準備中の部隊が総攻撃を受けた場合、手も足も出ないだろう。だから、満足に動ける我が部隊とローレン少将の部隊で協力し、敵を引きつけたい。手段は威嚇射撃と罵声そして、第三番艦「エクレール」にも少将旗を掲げてもらうことだ。また、ローレン少将の部隊にも手伝ってもらう。それと、艦隊旗艦には将旗を掲げないように進言してほしい」
というものだった。この作戦にローレン、ドゼー両提督は即座に許可を出した。艦隊旗艦は寸でのところで旗を掲げるのを取りやめた。また、第13部隊は、三番艦の「リミエ」が少将旗を掲げた。
第13部隊旗艦「アミラル・ウィルソン」に煌びやかな少将旗が翻った。薄明かりの前で一際目立っている。銃隊と檣楼上の視認班達の表情が引き締まる。風を切る音が船を駆け抜ける。5騎の敵騎が得物を構えて降下する。ついに、戦いの幕が切って落とされたのだ。
まず、一番槍の敵騎は右手に弓、左手にツボを持っていた。艦上の銃隊が一斉に筒を構える。しかし、敵騎は恐れ知らずであった。
「艦長、敵騎が! すぐに射撃すべきかと」
副長が声高に叫ぶ。しかし、艦長のイヴァノフ大佐はかぶりを振って、
「まだだ。もっと引き寄せてからだ」
既に敵騎は目と鼻の先。副長が恐れるのも無理はなかった。立ち所に敵騎が弓を構える。左手では、ツボを落とそうとしている。艦上の幾人かは思わず目を瞑った。その時、「第1隊、撃て!」の号令が下った。数多の発砲音が船員らの耳を貫き、忽ち檣楼は煙に包まれる。煙が晴れると、そこに敵騎の姿はなかった。ただ、油の入ったツボが艦の左舷を虚しく叩いただけであった。
「よし、同じ要領で他にも当たれ」
艦長の命令が飛ぶ。同時に敵騎3騎が各々弓を構えて突進して来た。矢をつがえると、それらはすぐに火矢に変わった。火の魔法だ。しかし、彼らが弓を放つよりも早く、無数の銃弾が彼らを包み込んだ。残った敵の1騎はどうやら指揮官だったらしく、指揮刀と短銃をしまうと、一目散に逃げ出してしまった。
「やった。敵の一波を打ちのめしたぞ!」
檣楼からそう言った歓声が聞こえる。だが、これで満足してはいけないのだ。まだ敵は残っている。特に、ローレン少将は旗艦のふりをしている三番艦の責任も持たないといけないのだ。この時、彼は珍しく危機感を感じていた。先ほど、旗艦にやってきた敵機が少なすぎるのだ。彼は、船の端に陣取って、三番艦の様子を見た。一見、何もないように見えた。しかし、上の方をよく見れば、20ほどの敵騎が一挙に襲いかかろうとしていることが、ありありと見えた。そして、ついに突撃を始めた。まず、油が艦の至る所にかけられ、ついで火矢で次々に燃やされて行った。銃隊が懸命に反撃をしていたものの20を越す敵部隊を撃退するには至らなかった。火は甲板上から広がっていく。すでに甲板は火の海で、火は銃隊と視認のいる檣楼を包み込もうとしていた。落ちる縄ばしご。裂ける帆。焼け焦げる少将旗。これらが「アミラル・ウィルソン」にいる全ての人間に見せつけられた。もはやこうなると、先ほどの敵騎の撃退を誇るものは居なくなっていた。
同様のことは第15部隊でも起こっていた。こちらは旗艦の「デュプレクス」が総攻撃を受け、司令部と乗員が二番艦に収容された時に、大爆発を起こし、ただの木屑となった。他にも第16、14部隊の戦列艦3隻が炎上し、行動不能になっていた。
「何という有様だ……」
と言って、ドゼー中将は長官室の椅子に寄りかかりながら、軍帽を脱ぐ---彼の顔は瀉血手術をしたように、真っ青になっていた。
「私の首だけで済めばいいが」
とローレン、ヴィッテ両少将の顔を思い浮かべながら、呟いた。普通、弱小国に一方的に艦隊を撃滅されたなどと言えば、首が何ダースも飛んでいくだろう。自分一人の首で済むはずがない事は考えれば分かることであった。
長官室のドアが4回ノックされる。中将は力なく「入ってよし」と言った。すると、参謀長が興奮気味に、
「長官!まだ戦いは終わっていません」
ドゼー中将の口元がにわかに緩んだ。
「それは、きっといいニュースだな?」
「はい。ルイ少将からの報告です。『港湾出口より1時の方向、34浬に敵戦列艦、小型艦など11隻発見。現在これと交戦中』」
一回下書き消えて泣きそうになりました。