演習にあらず
「皆、それなりに手馴れてきたようです。特にルイ少将の提案した出港訓練は上出来です。満足するべき結果と言えましょう」
第五艦隊参謀長ディミトリ・ラージュ少将は満足げに言った。
「『デルンスタ』のヴァンサン・アントワーヌ少将も喜んでいることだろう」
「はい、そのようです」
「これで、なんとかなるな」
と言うと、ドゼー中将はパイプをくわえて、火をつけた。心地好さそうに、タバコを燻らせている。参謀長は、敬礼して、後部甲板から去った。8月11日、夜のことである。
ドゼーはタバコを吸い終えてもなお、後部甲板であたりを眺めていた。よほど気合が入っているのか、ローレンの第13部隊とヴィッテの第15部隊は夜間訓練を行なっている。
「ははは、結構結構」
と言いながら、パイプにタバコを詰め始めた。
「こりゃ、もう一、二回吸い切れるくらい見ていられるかな」
ドゼーはおもむろに、両部隊に向かって手を振った。わずかこれだけの期間で夜目になったとは思えないが、期待を込めて振ってみたのだ。もっとも、ドゼー自身は目が良くないので、返答されても気付きようがないのだが。
そのうち、両部隊は兵隊を甲板に集め、至る所を魔法で照らし始めた。甲板上の動きが、ドゼーにも見て取れるほどの明るさであった。ドゼーも流石に、気合いが入りすぎだろうと、目をこすって、呟いた。
だが、目はうるさくても耳はそうではなかった。ただ、波と船が揺られる音が聞こえるのみだ。
だが、すぐに耳の平穏も掻き消されることになる。通信参謀が慌てて彼の元へやってきたのだ。
「大変です。第13、第15より連絡。『敵竜騎兵隊来襲せり。これは演習にあらず』」
「おいおい、実戦的すぎやしないか」
「呑気に言っていられる場合ではありません。ルイ少将からも敵艦隊発見の報告が届いております」
「わ、わかった。出港準備を整えよ。また、全部隊に臨戦態勢を取るように命令せよ」
通信参謀の冷や汗でドロドロにした顔から鬼気迫るものを感じたドゼーは、勢いに押されるように、臨戦態勢を命じた。払暁の3時ごろであった。
話は、少し前に遡る。ドゼーが参謀長と談笑していたころ、ルイ少将隷下のフリゲート8隻は、港から70浬の地点で哨戒に当たっていた。これは、訓練を兼ねたものである。数十分後、視認班が「二本マストの小型艦発見」を報告した。しかし、ルイ少将は部下の力量を過小評価していたのか、見間違えだろうと歯牙にも掛けなかった。そのため、部隊の雰囲気は視認班のぞいて緩んだものであった。
しかし、発見された小型艦が突如砲撃を始めたことで状況は一変する。運良く、この一斉射は全て至近にあたることすらなかった。ルイ少将は、「何もしなければバレなかったのに。我々がそう簡単に被弾すると思ったか、馬鹿どもめ」と嘲笑し、全艦に徹底的に追い詰めるように命じた。同時に、港の各部隊にも報告を上げる。
しかしながら、正しく情報が届いたのは、第13、16部隊のみだった。このうち第16部隊は「取るに足らぬ虚言」と断じて、取るべき行動を怠った。翻って第13部隊はこの情報をまず第15部隊へ伝えた。ローレン少将は、
「多分、ヴィッテ少将なら信じてくれるだろう。そのあと、二人でドゼー中将に言ったら、全部隊に正しく情報が行くはずだ」
無論、アンジュー中佐は反対した。彼曰く、
「まだ確証がありませんし、まずドゼー中将に報告すべきでしょう」
しかし、ローレンは被りを振って、
「事実を事実と言うなら誰にだってできるさ。起こる前に対策を講じないと無意味だ」
と言うと、
「ドゼー中将は良い人だが、あの人は今までいくつもの誤報を受けてきた。私と、『うそつき』ルイ少将が言っただけでは信じないよ。でも、あのヴィッテ少将が言えば信じるんじゃないか」
こういう経緯で、ヴィッテ少将に情報が渡り、二人の間で事前準備とドゼー中将への報告が取り決められた。しかし、ここで新たな報告が入る。両部隊の上空視認班が、
「飛行物体発見」
と叫び始めたのである。両少将はその報告を極めて冷静に聞いていたが、通信参謀はそうではなかった。彼は敵の竜騎兵が接近したと直感し、本来「敵艦隊接近。これは演習にあらず」とする予定だったところを、焦りのせいで「敵竜騎兵隊接近せり、これは演習にあらず」と誤って伝えてしまったのである。
しかし、結果的にこれは間違いではなかった。結局ドゼー中将は即座に準備を始めたからである。むしろ、敵艦隊接近と報告した場合、艦隊の位置や速度から考えて、すぐに準備をしなかっただろう。しかし、足の速い竜騎兵隊が視認できたとなれば、接敵は時間の問題。だから、準備を即座に命じたのだ。しかし、遅すぎた。船が動き出すより早く、直上では敵竜騎兵隊が、猛獣が舌舐めずりをするように旋回していた。