緊張
ローレンがその一団と出会ってから1ヶ月経つが、彼らの活動は一向に衰えなかった。
活動の間隔は狭まっており、規模も増加する一方であった。
初めはディアールのみでの活動であったが、いつしか帝都でも活動が見られるようになった。
つい三日前には警官と乱闘になり、死傷者まで出ることもあった。
このことを最も憂慮したのは政府であった。警官と彼らが衝突したのも、政府が警官を用いて弾圧を加えようとしたからであった。
しかし、結果的に弾圧には失敗した。蜂起した民衆の数が政府の予想を超えていたのだ。政府は、多くても500人程度と見ていたが、実際には帝都だけで2000人が暴徒と化した。
彼らは頑陋で、現内閣全員の粛清と講和の破棄という無理な要求を変えようとはしなかった。ただ、彼らが虎に素手で向かい、河川を徒歩で歩かんとするほどの命知らずだあったことが、最大の難点であった。たとえ警官が実弾を振りかざしたとしても、「撃てるものなら撃ってみよ」と詰め寄って来るのである。一部の勇敢な警官は、射殺したり、警棒で昏睡させたりしたが、多くの警官は返り討ちにされてしまった。警官が居なくなってしまえば、あとは壊すも燃やすもやりたい放題であった。
もっとも、警官が集中的に配備されていた警視庁や官邸などにはほとんど被害が出なかったが。しかし、これは安心して良い結果であっても、喜ぶべき結果ではなかった。
このようなことがあったから、ワイス首相は首相公邸にこもってずっと身を震わせていた。その緊張と言えば、僅かに残っていた黒髪が全て白くなり、頭に禿げを作るほどであった。
ちょうど首相がクシに絡んだ大量の白髪を見つめていた時、官邸に来客があった。
「首相、アレクシス・エルベール内相がお見えです」
「ああ、なんとか来てくれたか。さあ、早く」
と言って、立ち上がり、エルベール内相を出迎えた。
エルベール内相はワイス首相同様、老齢だが、顔立ちは精悍、目も鼻も鋭く、白い毛も生え揃っている。手も声も震えているワイス首相と変わって、老いて益々盛んといった具合であった。
「内相、暴徒に襲われなかったか?」
首相が身を縮めて尋ねた。
「いや、全く。どうも暴徒が撤退した後だったようで、命拾いした」
と外套を外套掛けに掛けて答える。
二人は一旦会話を中断して、応接室へ行き、椅子に腰掛けて、会話を再開した。
「しかし、なぜこんなことになったのだろうか」
とワイス首相が嘆くように言った。エルベール内相は視線を下に落としただけで、何も返答することもできなかった。彼は、首相の問いへの解を持ち合わせていなかったのである。
今までは暴れる国民も100人に満たない程度で、活動も1度や2度で終わっていた。規模や期間が非常識なほど変わったことから、平凡な原因でないことは確かだが、常識を外れた推論というのは、なかなか、口外できるものではなかった。
「兎も角、警官を出来るだけ動員するしかない。確たる証拠もない以上、積極的方策はできないだろう」
エルベール内相に出来る返答はそれだけであった。
ワイス首相は顔をうっすらと、失望の色に染め上げたあと、ゆっくりとかぶりを振った。
「しかし、毎日警官を張り付かせておくわけにもいかない。警官のいない日に行動を起こされたらどうにもならない」
「いや、彼らとて常に行動できるわけではあるまい。怒りは長続きさせると疲れるのでな」
とエルベール内相が反論すると、首相はクシに絡んだ白髪を取りながら、
「いや、怒りは案外続くものだ。生きていて、何度もそう言うことがあった」
「ほう、首相閣下も、意外と冒険なされているようですな」
とエルベール内相が返すと、首相はこの日初めての笑みを浮かべた。これは、僅かであったが、干魃していた首相の精神に若干の潤いをもたらすことになった。
首相が疲れで燻んだ顔を公邸の外へ向けると、ちょうど、ドアを激しくノックする音が聞こえた。まるで歩兵の一斉射撃のようで、二人とも慌てて扉の方へ向かった。
二人はすぐに新たな来客をその目に見ることになった。よく、見慣れた男であった。そう、外交大臣のマーロウであった。
彼は、息遣い荒く、白い息を頻りに吐き出していた。そして、二人の目を引いたのが、彼の額の傷であった。皮が剥がれ、肉がえぐれ、その生々しさ、痛々しさは言語に絶するほどである。やはり、首相は目を背け、内相は息を呑んだ。
外相はその様子をまじまじと見て、手巾で傷を隠すと、
「この怪我なら大丈夫です。なに、ちょっと石と棍棒を受けただけですから」
と言って、微笑した。だが、その口調は後に見せた微笑とは酷く乖離していて、とても二人を安心させるものではなかった。
だから、陸軍大臣相手でも臆せず文句を言う内相でも、
「何か?」
と尋ねるのが精一杯であった。
ただ、流石は外交大臣と言うべきか、相手の意思を汲む能力だけは長けている。たった3音の問いかけから、外相はこれを何倍もの分量の質問へと変換した。その上で、
「はい、暴徒に関して、彼らの行動を予測するにあたって、有用な情報を手に入れまして」
と声を潜めて言った。首相と内相も瞬きを多くして、深く頷くと、外相を応接室へと案内した。