妙な新聞
講和成立から6日後、 第六艦隊は国境方面での任務を終え、帝国北部の都市ディアールに寄港した。
すべての将兵に外出が許され、各々、思い思いの場所に駆け込んで行く。
ローレンも一旦下船して、一目散に新聞縦覧所に向かった。ずっと国境線(帝国からすれば田舎である)にいたので、なかなか新聞を手にできなかったからだ。
新聞縦覧所の前は人でごった返していた。誰もが貧乏ゆすりをして待っている。背伸びをし、顎まで上げて見ようとしている人もいる。この集団は、表現できない緊張感を醸し出していた。
ローレンはその空気に押されて、踵を返しかけたが、
----こんなに行列を作るほどのことがあったのか
と思い、見て見ることにした。だが、やはり人が多い。割り込んで、押し出されを繰り返しているうちに、行く足が少しずつ遅くなっていった。
結局、これだけの群衆にはかなわず、退散することになった。そして、彼は深くため息をついて、
「近くの新聞屋知りませんか?」
と道行く人々に聞いて回ったのである。だが、新聞縦覧所で見るものが多いせいかなかなか要求にあった回答をしてくれる人がいなかった。
だが、無駄そうな努力も続けていれば案外うまく行くもので、たまたま通りかかった男が場所を教えてくれたのだ。ただ、どうも知識人とか大富豪とかいう体ではなく、庶民のようだったので意外であった。そしてその男は、
「ところで、私が誰かわかりますか?」
と心地よい笑みを浮かべて尋ねた。ローレンは、首を撫でで、
「いいえ、存じ上げません……すみませんね」
すると彼は手を緩やかに振って、
「いえいえ、謝ることはありませんよ。私はジェローム・シモンと言います」
と男は胸に手を当てて、また心地よい笑みを浮かべた。ローレンは彼を見つめて2、3度首を傾げたのち、わずかに息を漏らして、
「ああ、そういえば、なんだったかな、えーと、その、新聞で一回……すみません……」
とローレンは側頭部に手を当てたのち、頭を下げた。すると男はローレンの肩を持って、ゆっくり体を起こさせると、
「まあまあ、大丈夫ですよ。実は私、進歩党の党首なんです。では、以後お見知り置きを」
と言うと、彼は一礼をした。ローレンも場所を教えてくれたお礼を言い、二人で軽く握手をした。
その後、男は向こうと歩いていった。ローレンは暫く、男の背中を見つめていた。
流石に新聞屋は混雑しておらず、難なく中に入ることができた。
ローレンはまず新聞社の名前を遠目から見て、どの新聞社のものにするか吟味した。そして、合計で6社買うことにした。彼はいつも各新聞を照らし合わせて読む。いつもは2、3社だが、先ほどの群衆を見るに、相当な内容と思われるので、金に糸目をつけず(といっても少額だが)6社も買ったのだ。
彼は、新聞の見出しが見えないように目を瞑って、店の人のところへ行った。買う前に見出しを見るのは、あまり好きでなかったのだ。
その時、彼は身体が誰かと触れ合うような感触を覚えた。その数秒後、床に身体が触れ合う感触と、若干の痛みを感じた。小さく呻き声を上げ、彼は目を開けた。なんと、横にも同じように人が倒れているではないか。
----しまった!
と思って、慌てて起こそうとしたところ、横の人は案外あっさりと起き上がった。ローレンは慌てて起き上がったのち、頭を下げて、
「不注意でした、すみません……目を瞑っていました、見出しが見えるのが嫌なので」
ああ、とんでもない罵声が飛んで来るのだろうなと彼は思ったが、意外にも相手の反応は穏やかだった。そればかりか、
「ああ、実は私も目を瞑っていたのです。すみません。いや、買う前に見出しが見えてしまうのが嫌で……」
と頭を掻きながら言ってきた。二人共、何かおかしさを感じたのか、顔を見合わせて微笑した。
「これも何かの縁ですし、一緒に読みませんか? ま、立ち読みになっちゃいますが……」
と相手が言う。ローレンは間髪を入れず頷いて、
「とりあえず、買いましょう。そちらからお先にどうぞ」
と言う。相手は一礼をして、6社分、新聞を買った。
二人は店を出て、店の前の壁にもたれた。先程は気が動転していたので気にならなかったが、相手は軍服を着ていた。それも、他国のものである。よく手入れされているせいか、ローレンのものよりお洒落に見える。背は高くなく、小柄だったががっしりとしている。やや尖った鼻と形の良い顎、栗色の髪の毛を持っている。
「そういえば、まだ貴方のお名前を伺っていませんでしたね」
と相手が言う。ローレンは頭頂部を撫でて、
「あ、すみません。トリスタンと言います」
相手は笑顔で、
「ちなみに私は、ヴィンセント・ルイスって言うんです」
と言った。相手が何気ない質問をしてくれたおかげで、ローレンもいくらか話しやすくなったのか、
「どこの軍人さんですか?」
と聞いた。
「ええと、シビルス共和国の駐在武官です」
また、彼は階級は大佐だとも言った。ローレンが自分が少将であることを言うと、相手は「失礼しました」とかしこまって言ってきた。ローレンは苦笑すると、
「同じ新聞を愛する者同士、階級なんて関係ありませんよ。対等です。だから遠慮しないでください」
相手も気持ちよさそうに笑った。
その後、他愛ない話を続けていく内に二人は敬語を使わないで話すようになった。
そして二人共、そろそろ見ようかと言って、同時に新聞を広げた。
二人共目と手以外の動きを止めて、新聞を食い入るように見つめた。そして、重たいため息をついた。二人共眉間にシワを寄せている。無理もなかった。それだけ、見出しが酷かったのだ。それらは、カンタテーロ王国に関するものだった。「野蛮の国王、非人道的な公開処刑を予定」「旧国王派を処刑せんとす、歴史に残る暴政」「野蛮国との協調など笑止」「陛下には王国征討のご聖断を命じ賜んことを請い奉る」などと挑発的で黄色新聞の好みそうな文句で溢れかえっていた。しかし、これらの新聞は黄色新聞ではない。これがなんとも気持ち悪かったのだ。
だが、ロクでもない見出しの中にもひとつだけまともなものがあった。それは「ムスタファ帝国皇太子、国際情勢を語る」という平凡なものだった。ただ、ブラウヘン帝国に勝る国力を持つ国の皇太子が言うのだから、重大であることに違いはない。
二人はそこに書いてあったことを読んで、息を呑んだ。狂人の妄想や悪どい陰謀論のように見えるが、少し引っかかるところもあった。その内容というのは、
「ムスタファ帝国皇太子のフェルハト二世が今戦争を受けて、国際情勢について語った。皇太子は『この戦争が僅か1ヶ月で終結し、多くのものは平和の再来に歓喜しているだろうが、素直に喜んで良いものではない。現在、一定の間隔で列強が戦争をしているが、それは列強と非列強それぞれが国民向けに宣伝する、怒りのはけ口にするためであり、内乱等で均衡が崩れることを防ぐための作られた戦争なのだ。人間には長い平和も長い戦乱も耐えられるものではない。世界における平和も戦乱も各国の指導者の思惑が重なって作られた茶番にすぎない。無論、平和は平和であるから戦争の終結を喜ぶのは良いが、何も考えずに平和を享受してばかりいると、いざという時に良からぬことになるだろう』と発言した。これに関して、ムスタファ帝国は公式の発言ではなく、事実とは断定できないとしている」
だった。二人共、読んでいる途中に首をかしげるほど、なかなか荒唐無稽であったが、どこか不気味さを感じさせるのだ。
「おいおい、ムスタファの連中は列強同士でやり合うつもりなのか」
とルイスが頓狂な声で言う。最後の「いざという時」という警告に、怪しさを感じたのだった。
「狙うとしたらウチかトリグラヴィド帝国(ブラウヘン帝国以東の列強国)かな。特に後者は馬、食料の生産が頭一つ抜けているし」
「それでも犠牲に見合うとは思えないな」
と言われると、ローレンは苦笑して、
「犠牲に見合う戦争なんて今までにないさ」
と返答した。ルイスは深く頷いて、新聞をしまい、
「それでは、あまり外へいると色々とうるさいから、このへんで」
と言って、ローレンと別れた。
ローレンは6社の新聞のうちムスタファ皇太子の話が書いてあるもののみ抜いて、後は折り畳んでポケットに押し込んだ。
ふと、上を見ると太陽が天の真ん中あたりから光を注いでいた。ローレンは「いかん、船に戻って日に当たらないと」と言って、船まで走って戻った。