17.私は今からお兄様を殺します
先ほどの一撃は怪物にとって進化を促す要因足りえたらしい。
密度がより増した攻撃を掻い潜ってシルバは進撃する。
繰り出される触手は既に点の攻撃ではなく面での制圧に変化していた。
「邪魔っ!」
短槍を突き込めば触手が周囲に粘液を撒き散らしながら破裂する。
シルバが吼え、槍を振るうたび、地面が墨をぶちまけたように染まった。
ナツメに言った、核があるという言葉はただの推測だったが、それを一から人の手で確かめるには怪物の体は大きすぎる。
中身を検めるには一度内側から爆散させる他ない。
一枚二枚と立ち塞がる触手を薙ぎ払う。手の届かない所はナツメが放った矢が貫き、それも届かない場所はケイが呼び出した骸骨兵がその身を呈して阻んでいる。
「いくよっ」
足に力を籠め、全てを置き去りにして加速する。
眼前に突き出した槍に纏わせた魔力が竜のアギトを形作る。触手の壁を食い破り、シルバの矛が遂に怪物本体へと到達した。
視界が黒一色に染まる。生理的嫌悪感を抱かせる無数の眼球がシルバを睥睨し、無数の口が歯を剥き出しにして笑う。
その癇に障る眼球に槍を突き込み、口元を歪めながらシルバはスキルを発動させた。
「竜撃の舞」
薙ぎ払い、切り上げ、貫く。一連の動作が竜神に奉げる武舞となり、竜の一撃へと昇華される。
槍から放たれた暴風が怪物の胴体を食い千切り、巨大な風穴を開けた。
シルバの手元から斜め上に開けられた大穴だ。穴からは背後が丸々と見渡せる。損傷した箇所は後方に吹き飛び、体を支えきれなくなったのか僅かに傾いている。既に多くの触手は破片を回収するために後方に回され始めていた。
回収され、少しずつ再生されていく穴を確認しつつ、シルバはナツメに向けて声を上げる。
「ナツメっ!」
「もう投げてますっ!」
頭上を飛び越える四つの影。
ナツメの手によって投擲された琥珀色の液体が入ったガラスの瓶は、狙い通り怪物の胴体へ。瓶はそのまま再生中の肉体に飲み込まれていく。
「今回のは特別製でして、事前に蓋に私の魔力を付加することによって―――」
「そんなことはどうでもいい、早くして」
「もうっ! シルバは愉しみというものを分かっていませんね。…ですが急ぐ理由も理解しています
ナツメの冷めた声。
体内に埋め込まれた瓶が砕け、秘められた薬液が魔力に反応して変化する。
琥珀色の液体の原料は大地の結晶と呼ばれる宝石の一種だ。錬金術で液状化し、濃縮されたそれは魔力に触れると内包した属性を爆発させる。
故に、爆薬染みた劇薬を体内に取り込んでしまった怪物の行く末は決まりきっていた。
「―――弾けなさい、アース・ブラスト」
胴体が膨らみ、轟音と共に怪物の身体が弾け飛ぶ。
攻撃の正体は体内に精製された岩石の破裂。体内で発生した爆発に、胴体を引き千切られ、体の過半数が飛礫と共に爆散する。
ケイに飛来した飛礫はナツメが弾き、シルバも自身に飛来する小石を次々と弾いていく。
粘液と石飛礫の嵐の中、視線を巡らす。探しているのは怪物の核。儀式の触媒となったものがどこかにあるはず。
その時、シルバの視界に異彩を放つ色が視界に映った。
黒の中に一つだけの白。
「ケイ後は任せたっ!」
それを掴んで後ろに投げる。
シルバが立っている場所は依然として危険地帯だ。嵐は収まっているが、怪物の再生が始まっている。シルバが放ったそれを取り返すために伸ばした触手を切り払う。
あれを破壊するまで今少し時間が必要だろう。
その程度なら自分だけでも十分に稼げる、とシルバは今一度怪物の前に立ち塞がった。
シルバによって投擲されたそれをみてケイは息を呑んだ。
見るのは二度目。だけど、昔から傍にいたはずのもの。状況も忘れ、守られていることさえ意識の外に飛ばし、ふらつく足を動かし宙に浮いたそれに手を伸ばす。
指先に触れたのはざらりとした感触だった。
「……お母様」
それは母の頭蓋骨。兄が墓から掘り出し、辱めた愛しき母が生きていた名残。勿論生前の面影なんて一つも見当たらない。美しい髪も、誰もが見惚れた美しい容姿も面影さえ見当たらない。だというのに。不思議とケイの瞳からは涙が流れる。
涙が頭蓋骨に落ち、まだ真新しかった赤い染みと混じり、ピンクの水滴が骨を伝う。
兄を止める為に家を出たはずなのに。気付けば兄は親を手にかけ、自身の命まで失ってしまった。家族の不始末は自分がつけると意気込んでみたものの、今の今まで恐ろしさで震えてばかりだった。
母を胸に抱き、地に膝をつく。
唯々諾々と他人に流されてきた過去が今の自分を作ったのだと思うと、過去の自分を叱咤したくなるほどに。情けない自分が嫌になる。
何もかも間に合わなかったという現実が胸を引き裂いた。
「……辛いのなら私が代わりにやりましょうか?」
労わるナツメの言葉にケイは首を振った。
伏せていた顔を上げ、今も戦っているシルバの背中を見つめる。
「……いいえ、これは私がしなくちゃいけないことなんです。この結果を導いたのは私なんだから、決着は誰でもない、私の手でつけなくちゃいけないんです」
もしも、兄の下から逃げ出さなければ。
もしも、兄ともっと話し合っていれば。
もしも、兄の苦しみをもっと理解していれば。
こんな結果は起きなかったかもしれない。
どれもがもしもの話で、こうなった今では奇跡が起きても巻き直せない仮定の話。
だからこそ最後の決断は間違ってはいけない。ここで選択を他人に委ねてしまってはケイという人間はどれだけ経っても後悔が残る。
「ごめんなさい、お母様―――」
母の骨は儀式の要。これを破壊すればきっと怪物は体を維持できずに崩壊を始めるはずだ。だがそれは怪物に取り込まれた兄の魂も一緒に消滅させるということだ。
血を用いた儀式は魂の繋がりを強固にする。ケイの眼には兄の魂は怪物の物と完全に絡み合い融合しているように見えた。
そっと母の頭蓋骨を地面に置く。
いつの間にか落としていた白骨剣を手に取り、逆手に持つ。
「―――私は今からお兄様を殺します」
重く、静かに振り下ろした白骨剣が頭蓋骨を貫く。微かに残っていた母の魔力が霧散し、その周りに纏っていた兄の魔力が途切れていく気配を感じる。
更に魔力を注ぐことによって頭蓋骨は形を崩し、砂のように崩れ去っていく。
核となっていた品が消えたことによって儀式による契約も消え失せ、存在を固定させる要を失った怪物は元の世界に戻されるだろう。
「さようならお兄様」
この結果が自業自得で、悪を為した彼にとっての因果応報だとしても、ケイは只一人、兄の為に祈る。
兄の魂は既に不完全なものだ。
怪物に囚われ、半ばまで一体化していたその魂はもう人間のものとは言い切れない。
ケイの瞳に映る姿も不定形で歪なものに見えた。
もう意識もないそれを瞳に収め、散っていく姿を最後まで見届けるとケイは静かに頬を揺らして目蓋を閉じた。




