16.怪物
ランベールの上半身は怪物に飲み込まれ、そこからは骨を砕く咀嚼音と液体を啜るような音が混じって聞こえてくる。
ボトリと彼の両手が地面に落ちた。
隣から息を呑む悲鳴が上がった。ケイは顔を青褪めさせて、震える手で白骨剣を握り締めている。
術者が自身の呼び出した召喚物に殺されるのはそう多くあることではない。
大抵の術者は自分の実力以上の物を呼び出すことはしない。術式自体に枷を設けることによって最低限の反抗を防いでいる場合さえある。
それなのに、こうも呆気なく術者であるランベールが殺された所を見るに、彼が謀られたのは本当のことらしい。
怪物がランベールの体から口を離せば、支えの失った下半身がこちらに断面を向けて倒れ込む。断面は鈍い刃物で何度も切り裂かれたようにズタズタなのに、傷口からは血液は一滴も零れていなかった。
「気をつけて、私が前衛をやるけど全部は受けきれない。自分の身は自分で守って」
「分かっています」
それに、とシルバは口を濁す。
粘液の怪物はランベールを捕食してからどうにも体の面積を増やしているように思えた。
警戒はしているがその間も怪物はシルバたちを襲おうとはしてこない。四方八方に触手を這わせ、積もっていた骸骨兵の灰や散らばった骨に触れては表面に浮き出た口から取り込んでいる、ように見えた。
「ケ、ケイさん、なんかあれ大きくなっていませんか」
「なっているね。このまま放っておくと面倒なことになりそう、だけど」
試しに伸びた触手を切り払ってみるが、痛覚がないのか少し蠢いた後本体側からまた再生して動き始める。
切り離された先端は力を失い溶け出ているが放っておくだけで増加していく液体相手に、全てを切り刻むのは途方もない徒労に感じる。
「何かこっち見てません?」
「ホントだ。攻撃したのは拙かったかな」
「…どちらにせよあの目つきじゃ結果は変わらなかった気もしますけど」
表皮に浮き出た目玉は数え切れないほどあるが、その半分ほどが二人を見ていた。各所に散らばった口腔も唾液を地面に垂らしながら大きな口を開けている。
アレの目には、眼前の少女二人がご馳走か甘味にでも見えているのかもしれない。
「食欲はありそうだからアレにも感情はあるのかもね」
後手を取らされるのは嫌いだ。
槍を構え、シルバは軽く前に出る。
ケイを後ろに従え、ここから先は通さないと近づいた触手の悉くを薙ぎ払っていく。
刃を当てればまるで腸詰か水風船のように千切れ飛ぶ。元からそういう風に出来ているのか、トカゲの尻尾きりのように呆気なく四散していく。本体は被害を然程も気にしていないのか。餌を求めるように二人に向かって触手を伸ばし続けていた。
「耐久戦か。……実は私、結構得意なんだよね」
口角を上げて、嗤い、シルバは魔力を込めた槍を触手に向けて突き刺した。
「これはどうなってこう……大丈夫ですか、ケイさん」
異変を感じ取ったナツメがケイの後ろに来て、驚いたように口にした。
下草は舐めるように触手に食われている。動いている骸骨兵はおろか、パーツとなって落ちていたものさえ全て平らげ、ナツメが移動するのに注意を払うのは触手だけで済むほど戦場は整地されている。
もし、この怪物が人里を襲えばどうなっていたのか。今はまだ、ナツメが放った炎の結界があるため怪物の魔の手が外に出てはいないが、結界がなかった場合なんて考えたくもない。
有機物を無限に取り込み、増殖をしていく粘液なんて厄介にもほどがある。
「粘液…いえ粘液の形をとった一つの固体でしょうか。捕食はスライムのように表皮から取り込むのではなく、表皮に形成した口で噛み砕いて行うと。その手法は些か不可解ですね」
生物としては無駄ばかり。
ナメクジのように体の下が口になっているわけでも、あの巨体と増殖能力を生かして、食物を体内に取り込み溶かして栄養を摂取する訳でもない。
意図的に人へ恐怖を与えるようにデザインされたようなフォルムにナツメは眉を顰めた。
「私はシルバの援護に回ります。あなたは?」
「……私は機会を、待ちます。今この状態で闇雲に向かっていっても皆さんの邪魔になるだけなので」
じっと前方を睨むケイの姿にナツメは一つ頷くと、弓に矢を番える。
今はまだシルバの後ろにいれば触手に襲われる心配はない。彼女が槍を握っている限り、その鉄壁を破ってくることなどあの程度の敵では無理だろう。
だが、あの怪物が地中を掘り進めることに気付いてしまえばその均衡も崩れてしまう。そうなってしまえばナツメが創り出した炎陣結界は怪物を敷き詰めた地獄へと変わるはずだ。
それまでになんとかしなければと、ナツメは怪物の表皮に蠢く眼球を射抜いた。
風切り音を鳴らし触手がシルバの頬を掠めた。
シルバは触手を薙ぎ払いながら、若干の危機感を覚え始めていた。
驚異的な再生能力は想定していたので気にしていない。危機感を覚えたのは怪物の学習能力の高さだ。
触手を斬る度に人の思考の穴を突く様な動きに変わっていき、初めは這うほどの緩慢だった攻撃が今では鞭のように撓りながら迫ってくる。
また触手がシルバの腕を掠めた。剥き出しになっていた二の腕にぱっくりと赤い線が浮かび上がる。表皮に創り出した牙が掠めたのだろう。
埒も明かない戦いにどうしようかと思考を巡らす。
幸いなのは怪物の攻撃方法は変わったものの、武器自体は変化がないこと。
触手自体は大振りで速度もあり当たれば大打撃を食らうが、反面耐久力が低く脆い。それこそナツメの力でもどうにかなりそうなほど脆弱であり、そこは変わりない。
もう一つは捕食の仕方。
怪物は自身の表面に口を自在に創り出し、そこで噛み付くことで相手を取り込む。逆に口で噛みつけなければ捕食も出来ないし、取り込むことも出来ない。
つまり口に当たらなければ実質ノーダメージ。
「でも武器が齧られればゲームオーバーなのは難易度どうなってるのさ」
手を包んでいた手甲は足元から飛び出してきた触手に食い千切られてしまった。
絶え間なく襲ってくる触手を掻い潜り本体に近づく。
捕食し、成長し続けた怪物。初めはランベールの腕に乗っていたそれが今ではシルバが見上げても天辺が見えないほど肥大化している。
ぎょろりと数ある眼球が一斉にシルバに向いた。
怖気の走る光景に思わず手が止まったその瞬間、軽快な音を立てて飛来した矢が眼球の一つに突き刺さった。
「ん、ナツメ」
いつの間に近寄ってきていたのか、ナツメがこちらに弓を構えながら立っている。
その姿に少しだけ安心感を覚えながら、シルバは溢れ出る魔力を奔らせ、槍を振るう。
下から真上に。一直線に走った裂傷はその巨体を確実に割ったはずだが、怪物は気にした様子もなく左右に分かれていた触手をシルバに向けて放つ。
「手応えがなさ過ぎるっ!」
間一髪。迫る触手を振り払いながら、ナツメの援護もあり、シルバは苦労しながらも怪物から距離を取った。
「どうですか、シルバ」
「きついかも。感触からして物理攻撃無効か半減系。今の傷ももう修復し終わってる」
「相性最悪じゃないですか。今のシルバって魔法使えました?」
「全然。弱体化した現状じゃ、私はお荷物だね」
ゲーム時代ではシルバの半身として相棒役を担っていた存在はアイテム・従者認定されていたせいでこちらの世界にはついてこなかった。
シズクも似たようなものだ。彼女のメイン武器は双剣ではなく日本刀だったが、日本なんか存在しないこの世界では手に入ることはないだろう。
武器、装備、アイテム。
蓄財していたものがなくなったせいで、シャーウッドの森のメンバーは全員全力を出せない状態を余儀なくされている。
「でもまあ、なんとかしないとね」
流石に触手に埋もれて死ぬのは御免だ、とシルバはわざとらしく笑う。
純粋な魔術師がいれば苦労はしないが、こちらの手札は少ない。近接職が二の生産職が一と見習いにも成れていない死霊術士が一人。
「これが私達ではなくて、向こうの三人ならまだやりようはあったんですけど」
「仕方ない。今ある手札でどうにかするのがゲーマーだよ。……ナツメ、残ってる触媒はいくつ?」
「炎はさっき使ったので一つだけ、後は氷が三、土が四ですね」
「いいね」
元素使いのスキルを制作したアイテムを用いて擬似的に再現するアルケミストの妙技。
持ち運ぶには場所をとるし、素材を用意するだけでも結構な資金をつぎ込むが効果は格別。手段が多いということはそれだけ勝率にも繋がる。
見えてきた活路にシルバは堪えることさえせずに口角を上げる。
「私があの巨体に穴を開けるからナツメはそこに土の触媒をありったけ投げ入れて」
「土、ですか…炎じゃなくてもいいんですか?」
「いいの、ああいう手合いは存在するための依り代があるって相場が決まっているから」
「ああ、それなら確かに。凍らせては取り出せませんし、燃やすにしても触媒の量が足りませんか」
「そういうこと。……ケイは準備しといて、多分だけど私だけじゃ破壊できないから」
「わ、わかりました」
緊張するケイの頬をシルバは薄く撫でる。
戸惑う彼女を解すように、安心させるように、一頻り触れた後、シルバは薄く笑って頷いた。
「それじゃ、終わらせようか」




