12.不死の騎士は静かに頷いた
結局の所、ランベールには逃げられ、意識を失っていたシェムを奪われるという結果になったのは油断していたからに他ならない。
万全を期すのなら一度撤退をして、関所ごと燃やした方が危険も少なかったはずだ。
術者がいなくなり、再生するのをやめた拘束具を砕きながらシルバは立ち上がる。
地面に接していたせいで体を覆っていた外套は黒い粘液に染まっている。元々、腐肉に塗れていたのだから気にはしていないが、これはもう洗っても使えないだろう。
使い物にならなくなった外套を脱ぎ捨てて、顔を拭う。出来るのなら水浴びもしたいが、ここの井戸では何を仕込まれているのか分からないのでそれも出来ないだろう。
苛立ちが募るシルバを見て、ナツメは露骨に顔を顰めてシズクの肩を突いた。
「シルバが久しぶりに切れてますね」
「うわっ、ホントだ、あれはかなりのマジ切れだよ」
「大技披露したのに結果は一人だけ簀巻きにされて放置ですから、負けず嫌いのシルバからしたら心底馬鹿にされた気分なんでしょ」
こちらをチラチラ見ては声を潜めて何か言っている二人を横目にシルバはケイに近づいていく。
立て続けに起きた事柄を上手く消化出来ていないようで彼女は少しだけ憔悴したようにも見えた。
「大丈夫?」
「あっ、シルバさん…あはは、ここで大丈夫ってはっきり言えれば良かったんですけど」
「無理な時は無理って言えば良い。別に駄々をこねられても私達は平気だし」
「ははっ、……本当にシルバさんは強いんですね」
ケイはじっと俯き、握り締めていた指を一本一本解すように開く。
鬱血していた血液が流れ出し、循環する。痺れて感覚のなくなっていた指先がジンとした痛みを伝える。
「シェムは私が幼い頃から一緒に居た騎士でした。お母様と共に故郷を出て、見知らぬ土地で、名前も知らない者たちに囲まれ、頼れる相手も少ない生活は辛いものだったそうです。母が体調を崩すようになってからは顕著で、彼は個人の伝手を使ってでもどうにかしようと動いていました」
私にとって、彼はもう一人の兄のような存在だった、とケイは呟いた。
半分とはいえ血が繋がっている兄が、血の繋がらない兄を奪っていった。ランベールが今まで行ってきた所業から、囚われた彼が無事とは思えない。シルバたちが到着するころには息を引き取っているかも知れない。
まだ犠牲になる命を思うと心が痛いのだと、ケイは訴えた。
「だったらどうするの」
「私は……兄を止めたい。もう無辜な人々が傷つけるのを見るのは嫌です」
「無力で足手纏いのあなたにそれが出来るの? 敵はネクロマンサー。待ち受けているんだからさっきより激しい戦闘になるのは確実だよ。その中で、またあなたを守りつつ戦うのは厳しいかもしれない」
無力だったのは事実だ。
ケイがあの魔道書を抱きしめて震えた。
「私も戦います。兄を止める為に、私は兄を殺します」
「…それは」
少女の身体から迸る魔力の奔流。
それは彼女と魔道書を循環し、周囲に撒き散らされていた。
「この本が教えてくれるんです。魔力の使い方も、死を支配するやり方も」
かたりと骨が動き出す。
自然と骨が人型を取り、立ち上がった。
周囲の骨が砕け、粉砕され、一つの形を作り出していく。
それは彼女の覚悟の形。兄を止めるという殺意が凶器に具現化した物。
覚悟が剣となって顕現する。
「ありがとう」
ケイが骨の従者から骨を材料に作られた剣を受け取れば、従者はカタカタと骨を鳴らして崩れ去っていった。
「これで私も最低限自衛は出来ます。連れてってくれますよね」
その瞳に震えはもうない。
覚悟は出来ている様子の彼女にシルバは喉を鳴らして笑った。
「いいよ。趣味も良いし、何よりあの騎士様よりもよっぽど強そうだ」
◇
生温い風がランベールの頬を撫でる。
闇に葬られた過去の歴史。今では会話に上げるのは歴史の授業程度しかないそこは、人々に忘れ去られようとも確かに存在していた。
ランベールがケイたちを襲った関所より僅かに東。平原の奥にある小高い丘。嘗ては数万の兵士が血を血で洗う戦いを繰り広げた古戦場に彼は立っていた。
既に戦争から百年は経っているのに、平原には林はおろか小高い木は転々とあるばかりで茂ってはいない。だというのに農地になっていないのはこの土地が呪われているからだ。
この土地に吹く風は常に生温く、人の気分を害する。作物は思うように育たず、長時間滞在するだけで、体は少しずつ体調を崩していく。
只人の目では居心地の悪く不気味な場所だが、死霊術士であるランベールの目を通してみればここは正しく、死霊術士垂涎の工房足りうる土地だ。
ここは死霊に満ちている。大地は血と死体によって汚染され、そこから立ち上る水蒸気により空気も汚染されたままだ。この土地を浄化しようと乗り出した教会の聖職者が発狂したという話も強ち間違いではなかったようだ。
「素晴らしい場所だよ、ここは。…あなたもそう思うだろ?」
「むぐ、ぅ」
目覚めて直ぐに猿轡を噛まされ状況も理解できないシェムは呻いた。
「何がなんだか理解できない様子だね。あなたは私の兵士に裏切られて重傷を負ったんだ。何も出来ずに倒れる様はあまりに無様で思わず笑ってしまったよ」
頭上を飛んでいた鷲が滑空し、ランベールの腕に止まる。
全てはこの使い魔である鷲の目を通してみた事柄だ。
「この子はあなたとは違って優秀でね。妹の旅の始まりから余すことなく見続けて、私に報告してくれていたんだ」
どうやらあなたは気付いていなかったようだけど、とランベールは嘲笑を浮かべて鷲を撫でる。
シルバというらしいハンターの少女は何度かの監視の後に気付いている節が見られ、討ち取られる可能性があるので今は呼び戻していた。
「何、妹は無事さ。無能なあなたの代わりに彼女達が護衛を全うしている。先ほども多数のアンデッドを引き連れて挑んでみたんだけど、軽く往なされてしまってね。次の一手の為にせめても、とあなたを攫ってきたんだ」
囚われ役がお姫様ではなく騎士なのは無様だが、ケイがここに来るのならどちらでも構わない。
人を守ることの出来ない無能の騎士には餌役がお似合いだ。
「至宝の姫であったクレアを守れず死なして、次はその娘のケイでさえ守れなかったあなたに騎士なんて称号が本当に当て嵌まるのかは疑問を抱くよ。それでもアレは優しいからね。きっとあなたを助けるために死地だと思っていてもここに来るだろう」
あるいは、兄の所業を止めるために覚悟を決めているか。
儚い外見とは裏腹に、一本筋が通った妹を思い浮かべて薄く嗤う。アレは覚悟を決めることが出来る娘だ。勘も良く、運もいい。土壇場でシャーウッドの森なんていう無銘だが、優秀なハンターたちを引いたのが証拠だ。
研究資料を盗み出し、それを隠しながらも信頼できる外戚に駆け込もうとするなど、覚悟も決まっている。
「どんな気分だ? 自分のせいで守るべき姫を死地に追いやる気分は。どうか無知な私に教えてくれ」
シェムの腰から剣を抜き取り、猿轡を切り裂く。
気道に詰まりかけていたのか、彼は咳き込み、荒く息を整えるとランベールをにらみつけた。
「何が死地に追いやる、だ。貴様こそケイ様を殺そうとしている本人ではないか!? クレア様に良くして貰った恩も忘れるとは、やはり貴様は品性が欠けたあの女の息子だな」
憤死でもしそうなほどの形相。
飛ばされた唾にランベールは眉を顰めながら男を蔑視する。
この男はいつもそうだった。自分自身は誇れる血筋でも、他者を圧倒する品格を持っている訳でもないのに、他人を品性が欠けていると扱き下ろす。
その様自体が無様だと自覚もしていない猿のような男。
「本当に残念だよ」
「なにを!」
「私がお前の立場に居たのなら、決して彼女をあの家に置いたままにはしなかった。あの女の手が届くようにはしなかった。お前のように全てが終わってから走り回る、なんてこともしなかった」
隣の領地から政略結婚で来たクレアは決して幸せな結婚生活を送れた訳ではなかった。既に当主には恋愛結婚の末、結ばれた正妻がおり、彼らの愛情は確かだったからだ。
だが政治が、何よりも周囲がそれを許さなかった。正妻よりも貴族としての位が高い側室なんて、争いの元だ。当時、両者の耳には多くの声が聞こえていたらしい。
それでも慎ましくひっそりと暮らしていた彼女は狂わなかった。周囲に何を言われても、辛うじて授かった一人娘のケイがいれば十分だと幸薄そうに微笑んでいた。
だからこそ、初めに狂ったのは正妻の方だった。
茶会に出た所で話を聞かれ、貴族の集いに赴けば影で噂をされる。その環境に心が弱かったあの女は壊れた。
クレアは、正妻に毒殺された。何年も掛けて、じわりじわりと病のように体を蝕む毒によって苦しむように死んでいった。。
証言は確かだ。なんせ、ランベール本人が正妻から拷問の末に聞きだしたのだから。
「護衛騎士の名が泣いているぞ」
子供の時分であったランベールでさえ違和感を覚えていたのだ。
守ると誓っていたのに、目の前でみすみす見逃したこの男は騎士とはいえないだろう。
手にした騎士剣の切っ先を枷で動けないシェムの胸に当てる。
「や、やめてくれ」
「誰も守れない騎士なんて誰も要らないだろう? ならせめて私が有効活用してやるさ」
力を抜けばあとは自重で剣は軽々と胸に刺さる。
傷口から零れ落ちる真っ赤な血を眺めながらランベールは己の手からどろりとした黒い粘液を騎士剣に注いだ。
幅広い剣身を伝い、粘性の高い液体が傷口に到達する。
「ッガアアアアアアアア!?」
生き物のように血液を啜り、粘液は肥大化していく。傷口から入り込み肉を食まれる感覚は壮絶なようで、痛みに飛び跳ねる体をランベールは足で押さえつけた。
血の代わりに粘液を。
肉を糧に増殖し、別の存在へと進化していく。
体積を増やした黒い粘液は皮膚を覆い、口から体内に侵入し、逆流したそれが鼻から噴出する。目蓋を這い、こじ開け、溢れ出る涙を啜りながら眼球を押しのけて眼窩の奥に進む。その先にあるのは、知識と思考を司る脳。同時に心臓も掌握した粘液は身体の全てを犯し尽くし、シェムだったものを物言わぬアンデッドに変貌させる。
「ああ、随分とマシな姿になった」
黒く変色した騎士剣を手に取り、それは立ち上がる。
おどろおどろしく、赤黒い鎧。
兜に隠され顔は見えず、全身が時折脈打つように躍動している。
人の怖気を誘うような姿かたちは、物語にも出てこないおぞましい存在。
血肉を纏いしアンデッドの騎士。
「よろしく頼むよ、ダークナイト」
ランベールの意思を汲み取った忠実なる不死の騎士は静かに頷いた。




