ぬこ
最近、色々とおかしなことが増えてきた。
厳密にいえば、社会人としての俺の生活は変わらない。よい意味でも悪い意味でもそのままなんだけど。
「ほい送信、と……これで終わりかな?」
俺がいるのは地方に本社のあるソフトウェア会社の東京支社だ。
分業状態になっているのは歴史的事情で、わざわざ本社のある地方に転居させなくても、という理由でそのままになっているものだ。つまりネットのおかげで打ち合わせも作業もできているが、実際は支社というほどの規模ではない。
時間はもう夜。
皆は帰ってしまい、俺は最後のひとりで、これから戸締まりをして帰るところだった。
ロッカーで上着をとってくると、タイムカードを押した。
エアコンを停止すると、翌朝に起動するように設定する。
こうしておくと、一番に出社してくる若い子が暑い思いをしたり、冷たいデスクに座らなくてすむ。
ささいなことだけど、職場を快適にするには大事なことだと俺は思ってる。
戸締まりをして外に出た。
職場があるのは新宿区の一角で、学生街のある早稲田にも近いあたりだ。人数が少ないので普通のマンションの一室を流用している。
ま、今のところ大きな問題はないかな……根本的問題はあるが。
なんたって不景気な時代だからね。
あいにく自分の能力の限度は理解できているわけで、いつ肩を叩かれるかもって不安は常にある。
しかし、だからといって今の俺に、簡単に異業種に向かう力も若さもないとわかってる。
ああ、技能がほしいもんだな。
ふと、先日のサワナさんたちとの件を思い出した。
「……車かぁ」
そういえば、都心で子供、場合によってはお年寄りなんかを載せて運転するというのもひとつの経験、技能かもしれないな。
普通免許があればハイエース級なら乗れるわけだけど、乗れるからって業務できるわけがない。
場合によっては二種免許取得も考えるべきだけど……その前に運転に慣れないと生きた技術にはならないだろう。
とはいえ「俺にも経験になるので運転させてください」なんて虫のいいこと言えるわけないしな、ハハハ。
そんなことを考えつつ歩いていく。
買い物をしようと近くの安売り店に入り、かごをとるのだけど。
「……?」
積み上げているかごの中に、なんか毛玉みたいなのが入ってる。
なんか猫っぽいな。
なんでこんなところに猫?
んー、ちょっと判断。
「お」
つまみあげると、なぞの猫から変な声が聞こえるが無視。
あからさまに店員の目にさらしてみるけど、店員の反応は普通だった。
あー、やっぱりな。
普通なら、食料品の店に動物が入ってきたら一騒動だ。
でも店員も客も気づかないってことは……アレしかないだろ。
うむ、見なかったことにしよう。
俺はそのままカゴだけをとると、猫みたいなのは戻して先を急いだ。
「ちょ、あんたちょっと、待ってくれよ、なぁ?」
後ろからなんか聞こえるけど、無視して買い物を続けた。
買い物をすませて電子マネーでお金を払い、出口にやってきた。
当たり前のように猫もどきはまだいて、再び騒ぎ出す。
「ねえちょっとそこのあんた、無視しないで助けてくれよ、なぁ。
いきなり掴まれて、こんな高いとこのカゴにいれられちゃったんだよぅ。
とりあえずおろしてくれるだけでいいからさぁ!」
「……」
俺は、つくづく自分がバカだと思う。
とりあえず猫もどきをひっ掴んで外に出た。
「やー助かったよ、あやうくひどい目にあうところだった」
「……ほかの人に見えないのに、なんでひどい目にあうんだ?」
「いやいや、たまに見える人はいるからネ、あんたみたいにね。
それに動物からは見えるからサ、油断すると吠えられたり噛みつかれたりすんだよ?
まったく困るよねえ?」
「同意を求められてもなぁ」
ぺらぺら喋る猫を外に放置するわけにもいかず。
仕方なく家につれてきたんだけど。
「ほう、ごちゃごちゃした家だねえ、独身地獄?」
「やかまし、捨てるぞオイ」
「あいやいや、ウソだからウソ!」
途中、追加で猫缶を買ったんだけど、酒もくれと抜かしやがった。
調子のいいやつだと思ったが、今日は俺も飲む日なんで、へそを曲げられても困る。
銘柄をきくと普通に俺の飲むやつでいいようなので、350を三本買っといた。
俺は一本でもいいんだけど、うわばみだったらまずいからな……さすがにケースは買わないが。
で、帰って野菜類、それにワカメなどを仕込みつつ、安売りの焼き魚と猫缶を先にあける。
「お、いいのかい?」
「これはツマミだから、すぐ食えるやつを先に買っといたんだ。
ちなみに焼き魚の方は俺のぶんだ。
食ってもいいけど塩辛いから猫にはよくないぞ、食うなら覚悟して食えよ?」
「……まさかおまえさん、それでわざわざ、何も言わないのに猫缶まで用意してくれたのかい?」
「なんだよ、いらねえのか?」
なんだかよくわからないやつだなぁ。
「いるともいるとも、はは、ありがとさん。いやーマジ助かるぜ!」
「うむ。
それでさ、買っといて悪いんだが、酒は皿でいいのか?俺の酒ってサワーだぜ?」
「いいよいいよ大丈夫、ありがとな」
そういうと猫もどきは、皿の酒を舐めつつ猫缶を喰いだした。
俺はワカメがふやけたのを確認すると野菜とあわせ、IH蒸し器に突っ込んだ。
「さて、あとはおかずができるまで俺も酒盛りだ。
……はは、やっぱり飲めるクチか」
みれば、もう皿が空になっていた。
「まだ飲むなら追加するぞ?でも350ccで3つしかないからそのつもりでな?」
「くれ」
「よしよし」
どこの猫様か知らんけど、まぁお供えくらいしてやるぞ、ほれ。
俺は皿に追加を注いだ。
で、自分も飲み始めた。
「ははは、うめー」
「こんな安酒で悪いな」
「なーに言ってやがる。食い物と酒がありゃ世の中パラダイスさぁ」
「やっすいパラダイスだなぁ、まぁ言いたいことはわかるが」
やすいけど、実は大事なことだったりする。
人間、心に憂いがあったら、うまい酒もおいしくなくなる。
貧乏だろうと悩みがいっぱいあろうと、気持ちよく飲めて腹の底から大笑いできる人生。
結局、人間はそれが一番なんじゃないかなって。
そういうと、猫様はウムウムと偉そうにうなずいた。
「よくわかってんじゃないか。
生きていれば色々ある、それが生ってモンだろ。
さればこそ、ひとは酒を暮らしに取り込んできた。
嘆きも憂いも一杯の酒に押し流し、笑って生きよとなぁ」
「けど、飲みすぎたらアル中だぜ?」
「なにごとも、ほどほどだ。
あんたは酒を楽しむが、飲まれない努力もしてるだろ?」
「わかるのか?」
「ニオイでわかるさ」
「あー、まぁ酒はほどほど。
好きだけど失敗はしたくないから」
「うむ、それでいいのさ」
猫様の言葉に俺はうなずいた。
そのあと、いつ寝たのか俺は覚えてない。
目覚めると妙にスッキリしていて、そんで酒とおかずは空っぽだった。
……飲みすぎて夢でも見たかな?
いつもの三倍の量の空き缶をみて、ためいきをついた。
「まこー」
「お?ああおはよう」
シャワーをあびてゴミを出していたら、サーナちゃんがやってきた。
トテトテと走ってきてポフッと激突してくる。
う、かわいい。
「朝から元気だな、お母ちゃんはどうした?」
「おー、おー?」
うむ、あいかわらず全力でまったくわからねえ。
「お仕事?」
「うーあー」
「お知らせ?」
これも違うらしい。
「お客さん?」
「あー、あー」
おっと、お客さんで正解かよ。
つまり朝からお客さんがきて、ドタバタしていると。
そんで、その間に逃げ出したんだな?
「しょーがないな、よし、連れて行ってやろう」
肩車してやると、キャッキャいって喜びだした。
俺は戸締まりだけ確認すると、サワナさんたちのアパートにサーナちゃんを連れて行った。
次回更新は未定ですが、年内は無理かと思います。
皆様、どうかよいお年を。