閑話・遠く離れた場所
注意: 不快にさせる表現が出てきます。
今回と次の話は、元々一話なので二話連続でいきます。
本編と少し外れます。
誠が、慣れない環境で新しい仕事をはじめて、さらに年がひとつ回った頃。
彼を放り出した会社では、小さな異変が起きていた。
「新契約がとれないねえ」
「まぁ、自粛自粛で世の中が失速してますからね」
「困ったもんだ。せめて雑務でもいいから何か契約がとれないものかね?」
「現状、無理ですね」
ん?と、彼らはメンバーのひとり……東京支社から復帰した男を見た。
「無理とはどういう事かね?」
「我が社は昨年からこっち、人員を削りましたが、このため、即戦力として使える者が本社のコアメンバーに限られる状態になっています。
今までご指摘の雑務をやっていたのは、その削った人員ですから」
「……何を言いたいのかね?」
「そもそも、新たに雇った者たちがいるだろう?」
男の発言をイヤミと受け取ったのだろう。
不快そうな目線を向けられた男は肩をすくめた。
「事実を指摘したまでです。
新しく雇った若い研究者の業績を反映する目処は、今のところ全くたっておりません。
そして旧来の中枢の研究者は雑務を行いませんから、これも使えません。
そもそも、今までそれらの雑務を押し付けてきた者たちは、皆さんが切り捨ててしまったではないですか」
単に、あなたたちの短慮の結果ですよ。
男は言外に、そう言い放っていた。
会議が終わり、帰ろうとしていた男に別のメンバーが声をかけた。
「注意したほうがいい、君が東京で変なものに毒されたと噂が広まっているよ?」
「?」
「あまり上に噛み付くなってことさ。
君もせっかく東京から帰れたんじゃないか、席を失いたくはないだろ?」
席も何も、このまま行けばこの会社そのものが危ない気がするんだが。
男はその言葉を飲み込んだ。
「ご忠告は感謝します。ありがとうございます」
こうして注意してくれる事自体は厚意によるものだろう。
だから男は、とりあえず礼を言った。
「いや、いいよ。
それにしても、ひとりとして戻ってこないというのも困ったものだね。皆が不機嫌になるわけだよ」
「戻る?」
「あれ、知らないの?契約終了した者に復帰の連絡をしたんだよ?
でも全員、戻らないと拒否してきたんだって。
やっぱり所詮、中途雇いは中途雇いだって、皆話してるよ」
「!?」
男は目を見開いた。
「それ本当ですか?初耳なんですが?」
「ああ本当だよ。知らなかったの?」
「はい」
「ああそうか、君は復帰したばかりでバタバタしていたからね。伝わってなかったんだね」
そういう問題だろうか?
男は、あっけにとられつつも聞いてみた。
「断られたって……そりゃそうでしょう。
不景気のうえにこの自粛騒動の中ですよ?
せっかく就いた新しい仕事を蹴ってまで戻る者がどれだけいると?」
「いやいや、まだ就業してない者も含め全員が断ってきたんだって」
おや。
再就職できてない者まで断ってきたとなると、ちょっと話が違ってくる。
「それはまた……相手の状況か、それとも提示した条件が悪かったのでは?」
「んーでも、中途で入れる民間企業なんて、どうせお安いとこでしょ?
それにこっちだって、元の雇用時の六割くらいは確保する事と、正社員と同じ待遇で嘱託契約するところまでは譲歩してるはずだよ?
だってのに、まるで門前払いのような応対した者すらいたらしいよ?」
「……」
「ひとを差別するつもりはないけどさ、ここまで来ると、たしかに中途なんてと言う人の気持ちがわかる気がするよ」
「……それは前提条件が間違ってますよ」
「え?」
「だって、こちらの都合で放り出しておいて、状況が変わったから戻れって話ですよね?
そういう時はセオリーとして、最低でも元と同待遇、普通はそれ以上出すのが筋では?
まぁ流れとしては、かつての給料は最低で全額保証、普通は上乗せですかね?
もちろん嘱託で雇っていた人は正社員にするなり、保証の上乗せもするのがベストでしょう」
そこまでやれば、多少は戻ってくれる人もいるだろうと男は考えた。
しかし。
「え?そりゃ無理でしょ?」
「なぜです?
彼らに戻って欲しくて連絡したんだから、そこは譲歩するべきポイントですよね?
あと、すぐに切らないという事を示すのに正社員とするのはわかりやすいかと」
「なぜって……君も支社ひとつ管理してたんならわかるでしょ?
契約を正社員にしちゃったら、終わったあとに簡単に切れなくなるじゃないの。
それに、たかが雑務をさせるのに高いお金を払うのかい?」
「……それじゃあ、誰も戻ってこないのは当たり前ですよ」
男は、それ以上の言葉がなかった。
開いた口がふさがらないとは、まさにこの事だった。
たしかに彼らの会社は研究室から生まれたもので、世間知らずのところはあった。
しかし、さすがにこれはないと思った。
そもそも彼らの会社の設立自体、政府が大学などの基礎研究に金を出さない事から始まっている。
若い有望な研究者が就職や金策にあけくれず、少しでも研究に没頭できるように。
そんな気持ちから始まっていたはずだ。
それがどうして、こんなろくでもない輩が中枢にいるようになった?
男は内心、大きなためいきをついた。
「そういえば、君が東京で面倒見ていた者がいますよね。その者と連絡はついてます?」
「え?誰のことを……ああ彼ですか」
諸田誠の名前を、意図的に男は口にしなかった。
これ以上彼に余計な迷惑をかけるべきではないと思ったから。
「最後に連絡をとった時には、新しい職場を得て結婚もしたと言ってましたね」
あんたたちに捨てられて彼は幸せを掴んだよと、イヤミをこめて返してみた。
だが相手は、男の想像を越える反応を返してきた。
「連絡がつくのですね?では、その彼に復帰の打診をしてもらえますか?」
「はぁ?」
「なんか社に登録されている連絡先では通じないようで、その者には連絡がついてないんですよねえ」
いやいや、ちょっとまて。
さすがの男も反論した。
「それはダメでしょう。
他の者はどうか知りませんが、彼は名指しで切り捨てたんですよ?
なのに、どの面さげてこっちの都合で呼び戻すと?」
「中途で拾ってもらった会社なら、どうせ待遇も知れているでしょ?
それこそ君の言うように、元の給料を保証して正社員待遇をちらつかせて雇えば問題ないのでは?」
正社員待遇をちらつかせて?
要するに厚生年金と健康保険だけ支払い、いつでも切り捨てられる契約社員で飼う気か。
おい、俺がいつそんな事言ったよ?
俺は正社員で雇えといったんだ、そんな馬鹿な話はしてないぞ。
男は内心、盛大にためいきをついた。
「東京支所はもうありませんよ?」
「こちらに呼べばいい事でしょう」
「あちらで結婚して家族を持った者を、こんな遠くに呼びつけるんですか?
しかも正社員でなく契約社員で?」
「東京で払っていた給料をこちらでも保証してやればいいじゃないですか。
それに東京は家賃も何も高いでしょ?ご家族もこちらに呼べば余裕が出るのでは?
その程度のことは自分で考えてするでしょ?子供じゃないんですから」
(こりゃダメだ)
話が通じない。
そもそも、血の通った生きた人間を雇い入れるって感覚すらない。
男は、それ以上議論をする気持ちもなくなってしまった。
何より、元部下であった誠をここまで小馬鹿にされているのも気に入らなかった。
諸田誠という男は適度にポンコツでお人好しで、よい意味で個性的だった。
人付き合いはお世辞にも得意じゃないし、小奇麗でもない。特に有能でもなかった。
だがコンピュータやネット機材に詳しく、そして小狡い嘘や、誰かを犠牲にするような立ち回りを絶対にしない。
システム不調といえば自ら貧乏くじを引き、休日返上のうえ手弁当でせっせと手直しをしていた。
薄汚れた作業服に、ボールペンと付箋をさした姿の似合う人間。
そんな不器用で古臭いところのある誠を気に入ってもいた。
男は大きく、そして盛大にためいきをついた。
そして万感の思いをこめて、きっぱりと言ってのけた。
「そんな非常識な事はできませんね。では、お先に」
「え?お、おい!」
挨拶だけは丁寧にして、男はさっさと立ち去った。
外に出て、駐車場に停めてある車に乗り込んだ。
東京では使っていなかったが、かつての愛車だった。
いつか戻れたら使おうと、知人の自動車屋に保管と整備を頼み、帰省時には運転していた。
おかげさまで、多少ポンコツになったし今となっては古い車だが、まだしばらくは使えそうだった。
エンジンを始動する。
水温があたたまるのを待ちながら、私物のスマホを起動する。
(ああ連絡が入っていますね)
スマホの画面には、古い友人からのメール。
『もし君が望むなら話をしてもらえるが、どうだろう』というもの。
男は少し考え、ぜひ面接を希望したいと返した。