帰るまでが旅です
片付けをすませ、単車に荷物を積み込んだ。
パッキングの確認と調整をして……すべてが終わったのは七時半だった。
「やっぱり一時間近くかかるなぁ」
撤収やテント設営にかかる時間の短縮は、昔も問題視していたんだけど、未だに答えは出ていない。
いや……実のところを言うと、もうとっくに答えは出ている。
え?なにかって?
それはつまり──車中泊できる車に乗り換えろ、だ。
どんなに合理性をとなえても、撤収に時間がかかるのはどうしようもない。
特に俺は、どちらかというと要領悪いタイプだからなぁ……自慢にもならないが。
では、どうすれば撤収時間を短縮できるか?
簡単だ。
最も時間を要しているのはパッキングなんだから、それをなくせばいい。
とりあえずポイポイと荷物を投げ込めば、出発できるようにしてしまえばいいんだ。
ぶっちゃけた話、一泊だけして帰るのなら、単車でもかなり合理化できる。
けど毎日キャンプしながら旅するとなると、寝袋や敷物を撤収しながら乾かしたり、そういう事をしなくちゃならない。
となると……本来、昼間は使わないキャンプ道具を、すぐ取り出せる場所に置かなくちゃならないわけだけど。
はっきりいって、こんな事を毎日悩むくらいなら、もっといい手がある。
ひとつは、そもそも荷物を持たなければいい。
そして、もうひとつは。
いっそパッキング不要の環境にすればいいってわけだ。
巨大な箱にすべてを収めるか、いっそ荷車にしろってわけだね。
これは昔、まだ道民していた頃の結論なんだけどね。
え?じゃあ、どうして今も単車に乗っているのかって?
そりゃあまぁ、都心在住だもの。
年間四十万も五十万も駐車場代にかけられないし、かけたくもなかったんだよ。
「でも、これからは変わる」
「ん?」
俺の心の言葉に突っ込んできたのは、もちろんノルンだ。
「そうだな……どうやら変わりそうだな」
サワナ・サーナ母娘との暮らしは、たぶんだけど俺を都心から引き離すことになる。
仕事もあるし、簡単に変えるのは無理かもだけど。
今の仕事を考えたら引っ越しは無理にしても、月に二度とかのペースで南房総に行くことになるかもしれん。
そうなれば、いろいろ変わる。
それこそ場合によっては、週末の拠点を向こうに作る事になるかもしれない。
荷物の確認がおわり、エンジン始動。
軽くブレーキと灯火類を確認しつつ、俺も装備を確かめる。
よしOK。
「よし、いくぞ」
「ういっす」
俺は単車にまたがると、スタートさせた。
──数時間後。
ニセコの南東にある、小さな町のはずれで、俺はユッコロカムイ様に無事再会していた。
『なるほど、あいかわらずのようだな……すまなかったな、往復走らせてしまったようで』
「とんでもない、珍しい経験をさせてもらいましたよ」
届け物がなければ、俺は友のお参りをおえた時点で引き上げたかもしれない。
『頼まれてくれる者は今も時々いるが、返事まで持ち帰ってくれる者はめったにいないものだ。
君には本当に世話になったな』
「たまたまですよ。予定が合っただけの事ですから」
『それでもだよ……よし、ではこれをあげよう』
そういうと、フワッとした「何か」が俺に投げかけられた。
「これは?」
『君のもっていた「印」と似たようなものだ……今ではあまり役に立たないかもしれないが』
「どういうことです?」
『かつてこの印は、この地を旅する者に授けていたのだよ。
アイヌは狩猟民族だが、全ての種族が仲良しこよしで暮らしていたわけではないのでね。
しかし、この印があれば、当時の敏感なアイヌにはわかったのだよ……この者はアイヌ同士のいざこざとは無関係の者だとね』
「それは、神様の印みたいなものだから?」
『うむ』
へぇ。
『役に立たないといったのは、そのためだよ。
君が南の狐に授けられた印と違い、今では実効性を失っている。
どこかの地で誰かに認められた、くらいは理解できるかもしれないが、それ以上のものではないんだ』
「いや、いいと思います。ありがとうございます」
俺は正直に答えた。
「たとえ今では意味がないとしても、一生なくさず、荷物にもならない旅の思い出にはなる……ですよね?」
『……そこまで見抜いているか。さすがだな』
古い神様は、少し気遣うような微笑みを浮かべた。
『これから君の生活環境は、大きく変化するだろう。
だが、今授けた印は、たとえ君に何があろうとも……君と共にあり続けるだろう』
「ありがとうございます」
俺は頭をさげた。
近いうちに俺の環境は変わる……それはたしかだ。
サワナさんたちとの出会いは俺に良い運命をくれたと思うが……俺は無条件の幸せってやつを信じてはいないタイプの人間だ。
あれほどの幸せを得られるのだ。
当然、それと引き換えになるほどの「何か」があるんじゃないかと思うんだ。
「それじゃあ、おじゃましました!」
『うむ、もし風がまたこちらに吹く事があれば、また会おう』
「はい!」
俺は……この時、何もわかっちゃいなかった。
何も知らないまま。
南に待つかわいい人たちの元へと、帰還の途についたのだった。
■ ■ ■ ■
誠たちの現在地より、はるか南西。
彼の勤める会社の本社にあたるところで、休日というのに話をしている者たちがいた。
「しかし人選はどうします?簡単にはいきませんよ?」
「どうしてかね?」
「うちの中核を占めている者たちは、もともと学生から研究員となった者たちです。
彼らを回すわけにはいかないでしょう」
「わかってる、さすがに彼らからは選べないよ」
何かの相談事のようだった。
どこの会社でもそうなのだが、どうしても人材には偏りがあるものだ。
あまり偏りすぎると派閥などの原因になるので普通は偏りを避けるものだが、その会社はもともと、数名の大学教授とその教え子が作った経緯があり、もともと構成員に偏りがあった。
それ自体は悪いことではない。少数精鋭の会社では、それもまたありうる事だ。
しかし……それが原因で良くない選択が行われてしまうとしたら?
「しかし誰も選ばないわけにはいかない」
「それはそうなんだが」
「あのう、少しお耳に挟みたいことが」
「なんだ?緊急の案件かね?」
「緊急ではありませんが、今回の件にも関わるかと」
「ほう……もしかして誰か問題でも起こしたかね?」
「直接は何も」
「直接には?」
「はい、女性問題なのです」
「女性問題?我が社でかね?」
「それは珍しいですね……何があったのですか?」
彼らの会社は女性が少なく、ごく限られたポジションにしかいない。
これは差別などではなく、そもそも彼らの会社では一般公募していないせいだ。
社員のほとんどは教授たちとその教え子であり、院生から研究員に肩書が変わったのみ、という者も多い。
外からの雇用はゼロとは言わないが、これも一般公募ではなく、本社施設を借りている会社の口利きで事務のできる者を数名雇い入れたのみであった。
このような会社なので、理系の女性研究者が少ないという世の中の現状を、そのまま反映してしまっていた。
いないのだから問題も起こらない。
厳密には本社の事務、それと東京支社にもいるが、合計しても5人もおらず、しかも限定的な勤務にすぎない。
少なすぎて問題にならないし、なっても表面化する前に入れ替わってしまう。
ゆえにこの会社で女性問題が語られることは、めったに無い。
「社員同士でなく、子持ちの外部の女性とおつきあいしている社員がいるのです」
「ほう、わざわざ報告するということは、それほどの関係と?」
「はい」
「そりゃ、おめでたいことじゃないか……しかしこのタイミングでわざわざ報告するということは、何かあるのかね?」
「それがですね、相手の女性の正体が知れないんですよ。外国人のようなのですが」
「外国人?」
「いや、それよりも正体がしれないとはどういう事かね?
かりに難民や移民だったとしても、まったくの無国籍という事はないだろう?」
たしかに現代地球にも無国籍の者はたくさんいる。
しかしそれは海外の場合がほとんどだ。
日本の場合、保護した時点で事情も聞かれるし、たとえ情報なしだったとしても、どういう状況で保護されたかのデータは残る。
町で暮らしているのならば、身元を引き受けた人だっているだろう。
つまり、名前と住所でもわかれば、普通は多少なりともデータが出るものなのだ。
「国籍そのほかが全くわからないようです。
東京支社の方では、可能性は低いとしながらも当人が騙されている可能性を考え、相談してきたので、こちらでも念の為にと軽く調査したのですが」
「その調査でわかったと?」
「外国人というより、外国人の子孫ですね。
歴史的事情で今も外国名を名乗っているだけのようです。
つまり法的には日本人という事になります」
「ああ、そういうこと」
それなら別に珍しくもない。
しかし、相談してきた男の顔色は晴れない。
「何かあるのかね?」
「その……たしかに書類上は日本人なのですが……実は偽装の可能性が出てきまして」
「どういうことかね?」
「娘の方は間違いなく日本で生まれているようなので、日本国籍が持てると思います。
問題は母親の方です。戸籍を調べた通りですと」
「……はぁ!?」
男たちは目を剥いた。
「それはもしかして……当人はその事実を知っているのかね?」
「いや、知っていようがいまいが、もう関係ないのかもしれませんよ」
「どういう事かね?」
「東京支社の話では、どうも結婚を前提にするような関係だそうなので」
「……もはや手遅れという事かね」
「はい」
「そうか……となると」
「うーむ、しかし」
男たちは、それからも何かの話し合いを続けた。
……そして、休みが明けた。