祈りと届け物
音威子府村は北海道で一番小さい村と言っているし、実際人口は千人を下回る。
だが、昔から旅人には中継点として有名なポイントのひとつだと言える。
すごくの旅人なら、天北線が宗谷本線から分岐するポイントとしてご存知だろう。
俺の時代にはもう天北線はなかったが、それでも音威子府は国道40号線の重要な分岐点で、はじめて北海道に行った時からよく記憶していた。
天塩・稚内方面に向かうか、それとも浜頓別・猿払方面に向かうか枝分かれするポイントなんだよ。
実際、何度となく通ったし、このあたりは地図なんかなくても今でも走り回る事ができる。
道なりにゆるい左カーブを抜けて、分岐をパスする。
分岐を越えると、いよいよ天塩川と絡み合うように進む、まるで秘境の酷道といった雰囲気の道に切り替わる。
ただし、はっきりいってボロいアスファルトと何もない雰囲気とは裏腹に、道筋そのものは高速道路のようにゆったりと進んでいく……いかにも北海道の地方道らしい道だし、見方を変えるとこのあたりの道は、古い映画『イージーライダー』に登場する山岳風景などに近い雰囲気をもつ道でもある……まぁ、映画に出てきたようなヒッピーコミューンが住み着くには少々寒すぎるけどな。
人はよく、道央や道東にある、地平線に向けてまっすぐな道を北海道らしいという。
それはそれで間違いないのだけど、個人的には否定的だ。
俺としては、この、酷道ですら高速ペースで普通に走れる、広さにまかせた道路設計こそが北海道のキモだと今も思ってる。
「家がないねえ」
「未開拓地ばかりだからな」
試される地、北海道。
北海道と内地の最大の違いは、明らかに放置状態というか、全くひとの手の入ってない土地が大量にある事だ。
その意味とか社会的な何とかを語ろうとすると長くなるが……。
だけど今はそれよりも、この風景を見て走り続けていたい。
西に進んでいた道が北向きになり、音威子府村から中川町に変わる。
向かって左側に畑が広がる風景になってくると──そろそろ目的の土地だ。
「ああ、ここだ──停止する」
そういうと、俺は単車を止めた。
それは、大した目印もない道端だった。
正直、今度は見つけられないと思っていたんだけど……なぜか「ああ、ここだ」と理解できた。
だから俺は単車を道端に止めた。
「ここ?」
「うん、ここだ──あいつの事故現場」
荷物の中から、バーボンの小瓶を出した。
「おさけ?」
「おう」
ノルンの指摘に、うなずきで返した。
「中身はワイルドターキーっつーバーボンだ。あいつが好きだったんだよ」
目印を決めてターキーを流し、そして菓子を添えた。
「悪い、花はない──花屋がわからなかったんだ」
久しぶりだってのに花もなく、そして墓石もない墓参。
情けない話だが──それが俺なんだから仕方ないだろう。
しばし、黙祷をささげた。
「ねえ」
「ん?」
「その人、ここにはもういないよ?」
「ああ、だろうな」
そうでなくちゃ困る。
こんな寂しいとこにン十年も縛られてたら悲しいもんな。
「いないのに、おいのりする?」
「供養だの墓参だのってのは、残された俺たちの気持ちでするもんだろ」
「?」
「いいんだよ、ひとりよがりで。
墓参なんて義務でするこっちゃないしな。やりたいからやるんだ」
「……そう」
ノルンはなぜか、まるで女の人みたいに物憂げな顔でうつむいた。
……それで、なんとなく気づいた。
「というわけでサワナさん、墓参終わりです」
『あ、はい、おつかれさま……っ!?』
ビックリ顔のノルン……もとい、ノルンの向こうのサワナさん。
ああやっぱり。
「何やってんですかもう……で、いつから?」
『オトイネップってところからですね』
どうやってるのか知らないけど、東京の分身経由でノルンを操ってるようだ。
「はぁ、なんつー器用なことを」
『うふふ、びっくりしました?』
「ええ、びっくりしましたよ。けど、ノルンを無人機にするのは今後禁止で」
『ええー』
「ええーじゃないです。そうやってドローン状態にすることの是非はともかく、ノルン当人の人格が置き去りになってるみたいで、なんかイヤなんで」
『あ……』
「わかってもらえました?」
『ええわかりました、ごめんなさい』
ノルン本体も、妙に人間臭い態度を示すようになってきている。
けど、いつのまにかサワナさんに置き換わってたら、どこまでがノルンでどひからがサワナさんかわからなくなるからな。
悪いけど、それはよくないと思うからやめてもらう。
「で、今度はノルンか?」
「ういっす」
問題なさそうだな。
「次から通信入ったら俺に先に教えてくれ」
「わかった」
「よし。
で、次はちょっと厄介だぞ……神様の頼まれモノだ」
そういうと、ノルンはアアとうなずいた。
「ばしょは?」
「何となくはわかる。
とりあえず近づいて、あとはよく見ながら探すしかないな」
そういうと俺はサイドバッグにカラの小瓶を戻すと、単車にまたがりエンジン始動した。
「さぁ、いくぞ」
「うん」
天塩川という川は天塩町の中で大きく蛇行しつつ、ゆるやかに日本海に注いでいる。
かつて道道909(きゅうまるきゅう)なんて一部で呼ばれた通称オロロンライン、現道道106号を海辺にもつ天塩の町なのだけど、おそらく多くの旅人……特に国道40号を走ってきた者にとっては、山間風景が平原に変わり、グッと開けてくる印象の強い町だと思う。
ここから最北の稚内まで、あとわずか70kmあまり。宗谷岬まで足を伸ばしても90kmないし93kmといったところ。
はるばる東京都から上がってきた身としては、感慨深い地域でもある。
「どうだ?」
「んー……あっち?」
「あっちか……なるほど、行ってみるか」
国道から外れ、その天塩川のほとりの道を進む。
空がどんより曇ってきている……これは降るな。間に合ってくれればいいんだがなぁ。
日本海側はすでに降っていそうだ。
用がすんだら日本海沿いに下ろうと思っていたが、これは美深経由になるかな?
そんなことを考えつつ走っていたら、ピクンとノルンが反応した。
「ん、いたか?」
「アレ」
「お」
なんか川べりに……待て、あれヒグマだよな?
「なあ」
「ん?」
「マジでアレか?……あれが神様でなくマジでヒグマなら、俺の人生終わっちまうぞ?」
俺は野生のヒグマと遭遇して、無事に帰れるような超幸運の持ち主ではない。
この季節のクマならいきなり食われやしないだろうけど、あいにく、こちらは好奇心でポンと軽く叩かれただけで死にかねない。人間は脆いんだ。
「だいじょうぶ」
「そのココロは?」
「しぬときは、いっしょ」
「……ちっとも大丈夫じゃねえだろソレ」
思わず脱力していた、そんな時だった。
『その光はなんだ?』
うお、頭ン中に声が響きやがった。
まさかと目をやると、ヒグマがこっちを見ていた。
「あー……えっとですね、ニセコに近い山の道で、ユッコロカムイ様から、お友達あてにと言伝をもらってきたんですが」
『ヤツか。誰あてという指定はないのか?』
「幌延あたりの天塩川の河川敷に友人がいるから届けてくれと。それだけでした」
『その指定なら、わしでもよいようだな』
「他にも該当がいらっしゃるんですか?」
『あと一柱おるが、そやつは島に渡っておる。
ああまて、その乗り物は砂利道がきつかろう、わしがいこうぞ』
「いいんですが、あの?」
ヒグマのまま道路まで出てくるんですかね?ちょっとそれは。
『わかっておる、ちゃんと人に変じて行くわい。待っとれ』
「あ、はい。おそれいります……?」
話しているうちにヒグマが輝き、ひとに変じたんだけど。
「……わぉ」
人に変じた姿は、なんと、ちょっと年くってるけど目鼻立ちの整った『ザ・美女』って感じの方だった。