小さな冒険[1]
それは、ちょっとした会話から始まった。
『え、あそこってナビ対応してないんですか?』
『そうだよ』
サワナさんとこのアパートの飲み会に飛び入り参加させてもらっての席上。
まぁ飲み会といっても、アパートの住人やら近所の人やら入り乱れての単なる晩酌なんだけど、常連さんの中に、よくホンダ・スーパーカブで木更津方面に行くって人がいたんだ。
『たどり着けなかった?……ああ、あの隧道かぁ』
『ご存知なんですか?』
『知ってる知ってる。
あのへんって大多喜からも近いし、車もほとんど来ないし、すごく静かな森の道なんだよねえ……ただし、行き止まりだけどネ』
ニヤッとその人は楽しそうに笑った。
『おぉ』
なんと、こんなところに先達がいた!
だけどその先達は、ちょっと眉をしかめた。
『でも、言っちゃなんだけど、きみのバイクって表のレブルだよねえ?』
『はい』
『アレなら、つんのめったロード車よりはマシだと思うけど……ひとりで行くとちょっと危険かもよ?』
『え、そんな悪路なんですか?』
俺の単車はいわゆるクルーザーとか言われるタイプで、重心は低いが基本的にオンロード仕様だ。
砂利道が走れないわけじゃないけど非常用でしかない。
『舗装されてるし、道そのものは結構きれいだよ?
けど、めっちゃ細いうえに路肩がまともに整備されてないから、泥が浮きまくってる事がよくあってさ。
おまけに離合もできないから、対向車がきたらバイクでも大変なんだよ』
『うわあ』
『湿気が多いから、路面に出た泥がなかなか乾かなくてね。
舗装の上に泥がワダチを作ってるところって、前輪がウニュッて持っていかれる感じがあってさ』
『……』
『しかも、路肩はフカフカの腐葉土や葉っぱの山で、下の地形が隠されてとこも多くてね。
うかつにスタンド出して止めようとしたら、そのままスタンドごと倒れてバイクの下敷きになったり』
『最悪じゃないですか』
ぼっち旅行者としては、山中のうかつな怪我は絶対避けたいもんだ。
『だから、止める時は絶対に地面を確認したほうがいい……でないと』
『注意します』
俺は大きくうなずいた。
『ま、注意点はそれくらいかな……あと、この季節ならいいけど、夏場行くのは要注意だよあそこ?』
『ほう?夏場はなぜダメなんです?』
『道の両端から草が張り出して、時々路盤が見えにくくなってね。
しかも、ヒルの大繁殖地らしいんだよねえ』
ゲッ。
『……冬だけにしときます』
『うん、僕もそれがオススメだね。
ところで、使ったのはドライブ用のナビだよね?』
『え?あ、はい』
『だったらさ、徒歩用のナビを使ってごらんよ?』
『徒歩用のナビ……!?』
『わかったかい?』
『はいっ!やってみます!』
いやいや、本当に有意義な情報がもらえたな。
徒歩用のナビかぁ。
さて、その話を聞いた週末。
俺は前回に失敗した千葉県某所におとずれていた。
世の中にはドライブ好き、ツーリング好きの人がいるけど、どういう理由で、どういう目的でお出かけするかは様々だよね?
俺が好きなのは、なんといっても旧道・地域道・脇道のたぐいだ。
大きなバイパスができる前、使われていた旧道。
国道などの指定を受けておらず、でも地元の人がバリバリ使っている地域道。
そして主要の幹線道路の影にかくれ、活躍している古い脇道。
そういうところを走り、そこいらの軒先みたいなところで休憩したり、地元の人しか使わないように入り口から道の駅に入ったり。そういう楽しい事をするのが好きだ。
車だと狭くて大変だったりするけど、こちとら機動性のある単車だって事もあるしね。
で、そういう事をしていると、地域によっては大昔に作られた古い隧道、つまりトンネルにもよく遭遇するんだよ。
特に千葉県は全国有数の隧道天国。
俺は熱狂的なトンネル好きってわけじゃないけど、千葉県の古隧道はちょっと違うと思ってる。
入り口と出口で名前が違う隧道。
まるでファンタジー映画に出てくるトンネルみたいに、静かに森の中に埋もれている隧道。
なんというか、歴史とかロマンを感じるんだよね。
俺なんかでも、それを見るためだけに行きたいって気持ちにさせてくれるんだけど。
「……うわ、本当に出たよ」
ドライブナビから徒歩ナビに切り替えると、あっさりと道順は出た。
だけど当然それは歩道で、単車では入れない。
では、ここから歩くか?
「いや、まて」
ネットの情報見ると乗用車で入った人がいるようなんで、入り口はあるはずなんだよな。
とはいえ、今は歩道化されて違法になったって可能性もある。
では、どうするか?
「ちょっと、ひとまわりしてみるか」
次々に切り替わるマップの画面を確認しつつ、俺はゆっくりと単車をひとまわりさせた。
させていて気づいたのだけど、どうやら車道らしき細道の表記がある。それも遠くない。
「……行ってみるか」
そちらに単車を走らせた。
たどり着いてみると、まさにビンゴだった。
「おー」
ナビと重ねて確認、間違いない。
山中に伸びる、車幅ギリギリの狭道が伸びている。
「ハハハ……こりゃたしかにナビは対象外だわ」
いちおう車道ではあるらしい。通行も禁止されていない。警告も何もない。
つまり違法ではないだろう。
ただし半端なく狭い。
間違いなく、これは戦後のモータリゼーションを知らない時代の道だ。
そりゃあ、警告されなくても普通の人は絶対に入らねえよ、こんなん。
これで、しかも行き止まりだという。
ドライブナビが誘導しないのも当たり前だな。
うん。
とりあえずウインカーを出し、ゆっくりと踏み込んでみた。
細道はゆっくりと山の中に入っていく。
こんな場所なのに畑などもあり、わずかながらも人が入っているようだけど、それにしても山深い。いつもは頼もしい単車が、なんとなく場違いな感じすら抱かせてしまう。
ガードレールも、ちゃんとしたのは表の方だけで、奥に入ると手作りの粗末なものになり、ついには無くなってしまった。
しかも、指摘通りの路面の悪さ。
舗装はされているんだけど、その上が雨でもないのにじっとりと濡れている。
泥がところどころにたまり、轍までできている。
そんで、そこに前輪がくるたびに、前輪がわずかに左右にふられる。
「うっわー……これ、CBRやら250ニンジャだったら絶対来たくないわ」
慣れてる人ならそれでもイケるだろうけど、俺はちょっと。
実のところ、この単車を買う時にはフルカウルの400なんかも選択肢に入れたんだけど、結局買わなかった理由がこれだ。
積極的に林道ツーリングする趣味はないが、目的地手前にちょっと不整地があるからって、しんどい思いはしたくない。
その点、今の単車はガレ場や本物の砂利道には向かないが、多少の不整地なら低重心と直進安定性のおかげで何とかなる。
しかも「いつでも両足ベタつき」のうえに膝まで曲がるほどの余裕の低シート。
で、世に名高いビッグバイク様たちのようにクソ重くもない。
まぁパワーもないけど、正直、不整地でテールスライド起こすような馬力なんぞいらん。ちょっと足りない、それくらいでいいんだ。
そう。
俺は俺なりの合理性で、このホンダ製の250ccを選んでいるわけなんだが……って?
「お」
きたか、隧道。
カーブの向こうに、まるで森に埋もれるような幻想的な隧道がたたずんでいた。
「……これはまた、すごいな」
たどり着いた隧道は、ネットの写真で見る通りの幻想的な姿だった。
森の中の小道にある、古くて素朴な穴。
途中で穴があいて空が見えていたり、全くもって幻想的な姿なんだけど。
「オー印もちキター!」
「なになに250?しょっぱいねえ」
「え、でもオフ車じゃないよ?それはそれですごくね?」
「えーそう?」
「……おい」
なんだこりゃ。
そりゃあ、俺はファンタジーよろしい森の隧道を見物にきたよ。
でもさ。
そっちまでファンタジー方面にぶち抜けたつもりはねえっての。
隧道の入り口には、羽根の生えたちみっこい妖精みたいなのが、三匹ほど遊んでいたのだった。