南下再開と観測されるもの
高速の終点で降りて、館山バイパスを南に走る。
館富トンネルを抜けると左右には南国めいた街路樹が並び、千葉県の南の果てにいよいよやってきた事を肌で感じることができる。
厳密に言うと、野島崎灯台を擁する最南端の市は南房総市なんだけど、南房総市は2006年に市町村合併で生まれた新しい市だったりする。
そのせいなのかな?
いまだに個人的には『市』の最南端というと、どうしても館山市のイメージがある……というか、南房総市にあたる地域を徘徊していても『町』とか『村』の雰囲気なんだよね、やっぱり。
あーうん、地元の人ごめんなさい。
ただ、こういう印象というかイメージって、法的に市になったからって急に変わるものじゃないだろうから、きっと、これから時間をかけて変わっていくんじゃないのかなとは思うよ。
そんなことを考えていたら、サワナさんがポツリと俺に言った。
「マコトさんて」
「え?」
「もしかして、館山の町がお好きなんですか?」
「え、あ、すみません」
どうやら、顔などに出ていたらしい。
いかんいかん、サワナさんたちを放置して何考えてんだ俺は。
「いえ、謝る必要はないです、ただ嬉しそうだなって」
「あー……うん、たしかに好きといえば好きですね、根拠のない『好き』ですけど」
「根拠のない『好き』ですか?」
「ええ」
俺はうなずいた。
「俺は千葉県ってわりと好きなんですけど、特に南の方が好きなんですよ。
具体的には上総や安房方面の方ですね」
そういうと、俺はサワナさんの顔をチラッと見た。
ああ、ちなみに念の為に言っておくと。
上総というのは、だいたい千葉県中部の昔の言い方で、安房は千葉県南部の昔の言い方と思ってほしい。
たまに間違える人がいるけど、下総より上総の方が南にあるんだぜ、要注意だ。
え?徳島県?
そりゃ阿波だよ。発音は一緒でも字が違うよ。
サワナさんにちょっと地理的な知識の確認をして、俺はさらに続けた。
「都内から湾岸経由で南下していくと、木更津を越えたあたりから色々と変わりますよね?急に田舎になるというか」
「はい、なんとなくわかります」
「俺はね、あれが好きなんですよ。
いけばいくほどワクワクしてきて、楽しくなってくるんです」
「田舎だから好き、ということですか?」
「あー、それともちょっと違いますね」
俺はちょっと頭をかいた。
「たとえばね、久留里あたりの町は好きですけど、とても静かでしょ。
そういう町は、地元に伝手のない外来者には住みにくいかもしれないって思っちゃうんです。
けど、館山まで抜けちゃうと、賑やかさが戻るんですよ。
しかも中央の続きでなく、館山としての賑やかさというか」
「……」
「たぶん館山って、周囲の自治体から人が流入してるんじゃないですかね?
そういう町は、特有の喧騒っていうか、よそ者でも居やすい気安さを感じるんです。
あくまで俺の偏見からくる印象なんですけどね」
「……そうですか」
サワナさんは俺の話を聞いて、なぜか、どこか感慨深そうな顔をしていた。
館山の町をしばらく走るけど、特に立ち寄るところなどない。
「サワナさん、宿に電話は?」
「はい、そろそろいいかもですね」
とりだしたのは、ちょっと前の機種だけど国産のスマホだった。
サワナさんは慣れた手つきでスマホに有線のイヤホンをさしこむと、どこかに電話をかけはじめた。
「すみません、カソーバですか?わたしです、サワナ・サフワです。お久しぶりです」
え、火葬場!?
「はい、はい、三人です。
いえ違います、わたしとサーナと、もうひとりは人間の方です。
え、あの、ちがいますから、まだですから!」
なんの話をしてるんだか。
少しすると電話を切って「まったくもう」とサワナさんはためいきをついた。
「ひとつ聞いていいですか?」
「あ、はい」
「今、火葬場と聞こえたんですが」
「は?カソ……ああ」
しばらくサワナさんは悩んでいたが、やがて納得したようにポンと手を打った。
「カソーバというのは宿の名前です。正しくは民宿カソーバといいまして、初代主人のお名前がカソーバさんだったんだそうです……もちろん、死者を火葬にする場所じゃありませんよ」
「なるほど、失礼しました」
そういうことかよ。
でも、いいのかよソレ。あまりお客さんがきそうにない名前なんだが?
そういうと、サワナさんはクスクス笑った。
「大丈夫ですよ、わかるひとしか泊まりませんから」
「あー、人間用じゃないんだっけ?俺が泊まってもいいの?」
俺は半分ノリでそう言ったんだけど。
でも、サワナさんの返事で俺は驚くことになった。
「マコトさんは印がついてますし、しかも、わたしたちを正しく認識できますよね?」
「ええ、たぶん」
「そういう人は、そういう宿では人間でなく、わたしたちの側と見るんです。
ですから、問題ありませんよ」
「え?」
印というのはもちろん、楓さんたちにつけられている例のアレのことだろう。
でも。
「えっと、民宿なんだよね?」
「はい」
「変な質問なんだけど、そんな風に客を制限しちゃって大丈夫なもんなのかな?」
これはサワナさんにする質問としては変だったかもしれない。質問するなら宿のひとにするべきだろう。
でも、サワナさんの返答ですぐ納得できた。
「選り好みしているのでなく、普通のひとは使えないんですよ」
「え、普通のひとは使えない?」
「はい」
サワナさんは大きくうなずいた。
「問題の宿は、いわば隠れ里みたいな状態になっているんです。
そのためにとても快適なのですが、普通のひとは見つける事もできません」
「……なるほど」
普通の人は、そもそも見つけられない宿ときましたか。
なるほどなぁ。
「しつもーん」
「はい」
「たとえば、もしこのハイエースに普通の人を乗せてその宿に入ったらどうなる?」
「もちろん入れますよ。
でも、その人には宿も何も見えず、車はただの空き地か砂浜に乗り入れているように見えるでしょう。
そして車から降りた瞬間、何もない場所か道端に、ぽつねんと取り残される事になるかと。
もちろん、同乗していたマコトさんにも連絡がつきません……マコトさんが宿の敷地から出るまでは」
「うわぁ」
そうくるわけね。
「ちなみにそれ、スマホとかで動画撮ってたらどうなるの?」
「動画撮影ですか……試した人がいませんので、なんとも。
でもおそらくですが、おかしな動画が出来上がるんじゃないかと」
「おかしな動画?」
「普通の人にはたぶん、それこそ、ただの空き地か砂浜が映るだけのものになるでしょう。
でもそうじゃない人の目には同時に、本来の撮影風景が見えるでしょうね」
なんだそれ?
「それってつまり、二重写し……いやまてよ?」
言いかけたところで、俺はサワナさんの言いたいことに気づいた。
「ああそうか!観測側の問題なのか!」
「……」
「つまり、おそらくカメラ映像側には本来あるべき景色が普通に撮れてるんだ。
だけど観測側、つまり見る側がその情報を正しく受け取れず、勝手に別の風景と解釈してしまう……って、こんな感じでいいのかな?」
単車に部品をつけて改造部の写真をとった時、駐輪場に来たサーナちゃんがたまたま映ったことがある。しかも人外である事をあらわす耳の部分がくっきりと。
だけど、その写真を見た会社の人たちは、サーナちゃんの耳にツッコんだ人は誰もいなかった。
その時は、単によその子供なんて興味ないんだろと思ってたけど。
もしかして、そういう事なのか?
「……」
「あれ?あの、サワナさん?」
「……」
サワナさんは、ぽかーんとした顔で俺を見ていたが、やがて、目を閉じてフルフルと激しく首をふった。
うわ、なんか子供みたいでカワイイな。
「な、なんで今の説明だけで、そこまでわかるんですか!?」
「お、もしかして当たらずとも遠からずだった?」
「当たりです……むしろ、わたしが説明するより簡潔にまとまってます、今の」
「おー」
つまり正解ってことね。
情報は送り手と受け手がいて、はじめて正しく伝わるもの。
印ってやつのなかった俺が不思議なものと縁がなかったのは、彼らがいなかったからではない。他ならぬ俺自身が単に、彼らをまったく認識できなかったからなんだろう。
だけど、このことを、認識できない第三者に共有してもらうのは困難、というか無理だろう。
普通のひとは、観測できないものは存在しないと考えるからだ。
それに正直いうと俺自身、観測も証明もできない世界が存在するって前提を、今の世の中に広めてほしいとは、これっぽっちも思わない。悪いけど。
観測できる人だけが、それが正しいと知っている。それだけでいい。
え、なんでかって?
決まってる。
ほら、霊感商法とか、そういうのがあるだろ?
その人に見えない、観測できないってことを悪用し、ひとに災いをふりまいて喜ぶ輩がこの世には多すぎるから。
だから今は、できればそのままがいい。
せめて、そんな世の中が少しでも変わるまでは。
その頃にはきっと、俺や水瀬さん、それに、あのリトルカブのヲタ野郎みたいな人たちがもう少し増えていることを願って。