初夢
この一節はお正月に書かれました。
例年ならば年末年始はだいたい帰省するんだけど、今年は色々事情があって東京で年越しとなった。
よりによって今年かぁ。
このところの事件のことを考えると、なんとも運命というか、めぐり合わせを感じるよなぁ。
とはいえ、男ひとりの年越しなんてする事はあまりない。
昔の友達の一部など年末は激戦区だというけど、彼らだって新年は静かにしているだろう。
暦の上では大きな変化のある年明けなんだけど、俺はまったりとアパートの中で過ごしていた。
コンコン、コンコン。
「誰だ?」
呼び鈴もならさずに戸を叩くだけ。
いたずら?
いないとは言わないが、おっさんひとり住まいのウチに仕掛けるバカはいないと思う。
宗教や勧誘なら、普通に呼び鈴を鳴らすだろう。
……ああうん、わかってるんだけどね。
たぶん、呼び鈴を「鳴らさない」のではなく「鳴らせない」んだって。
ドアのところにいって、一応のぞき窓で確認する。
だが、そこに誰もいない。
そして。
「まこー」
「……やっぱりか」
サーナちゃんの声に、思わず苦笑した。
ドアをあけると、そこにはいつものサーナちゃんのニコニコ顔が。
こりゃだめだ。
どうやらウチは完全にサーナちゃんにロックオンされてるっぽい。
……なんだけど。
「ん?」
なにか封筒みたいなの持ってる。
「お……まみー」
「……もしかして、お手紙?」
おてまみって……なんで、そんな古い言い方知ってる?
いやまぁたぶん、偶然だろうけども。
とりあえず、その封筒を受け取った。
若葉色のちょっと渋い封筒だ。
宛名書きを見た。
決して流暢とは言えない日本語で、マコト様と書いてある。
封筒を開くと、中にはやはり若葉色の便箋が折り畳まれて入っていた。
さらに、なにかいい香りまでした。
やたらと気合いの入った封筒だけど、その妙な渋さに犯人はなんとなく想像がつく。
その人は外国人のサワナさんを焚き付けたうえ、わざわざメールでなく手紙を書かせたんだろう。
開いて文面を見た。
【あけましておめでとうございます。
これをお読みになっているということは、いらっしゃるということですね。
よろしければ、こちらにいらっしゃいませんか?
みんなでお待ちしております】
予想よりずっと上手で、だけど可愛い字。
皆で待ってるって。
あの、まるでどこぞの妖怪ナントカもかくやという、あのアパートで?
ああ、改めて簡単に説明しておこう。
まず目の前にいるチビっ子のサーナちゃん。
サーナちゃんは半分赤ちゃんのような子だけど、やたらと可愛い。
手紙の主である、お母さんのサワナさんは子育て中の若きお母さんといった感じ。
もともとの造形がいいってことだろうか、あまりおしゃれもできてない状態だろうに、実に美人さんだ。
ただし見る目のある人は、彼女たち親子の姿に首をかしげるだろう。
そう。
彼女たちの耳は人間のそれでなく、半魚人か何かのような魚か両生類の水かきのような「ヒレ」の形をしているんだ。
コスプレじゃないぞ。
彼女たちの住むアパートには一度だけ中に入ったことがある。
管理人の水瀬さんは怪しげな人だが人間だったし、他の住人には一切会わなかった。
ちなみにサワナさんの旦那さんでありサーナちゃんのお父さんたる人は、亡くなられているんだそうだ。
だけど、なーんとなく今の俺にはわかる。
あのアパートは異界だと思う。
たぶん、ヒトやら何やらわからない「人たち」がいっぱい住んでるんだ。
……なのに、なんで俺は来ているのかなぁ?
「マコ?」
「あー、なんでもない。あと俺は『マコト』だ」
「マコ」
「マコト。ま・こ・と!」
「マコ?」
「だから……はぁ、わかったよ」
「マコ!」
しがみつかれた。
あー、マコ呼ばわりは避けたいんだがなぁ。
けど、無邪気なチビっ子に言っても仕方ないだろ、うん。
あたたかい重みを感じつつ、そんなことを思う。
単なる半分赤ちゃんだと思っていたサーナちゃんだが、なんかすごいスピードで赤ちゃんから子供に移行しつつあるように思う。
昨日より今日、今日から明日と。
はじめてウチの駐車場に来てから二ヶ月とたってないように思うんだけどなぁ?
この成長の早さはなんなんだろう。
種族的なものか?
「あけましておめでとうございます」
「あ、どうも」
サワナさんは、不思議な民族衣装のようなものを着ていた。
チャイナのようでもあるけど、アオザイのようでもある。
……サーナちゃんを抱いてもなお、色っぽいなぁ。
俺はサワナさんの歳を知らないけど、こうして見た目で言えばずいぶんと若い。
まぁ異種族だし、歳がどうとかあまり関係ないだろうけども。
「せっかくお招きくださったのに、こんな普段着ですみません」
「気になさらないでください、突然のお願いですし、私もこんな格好ですから」
そういうと、俺の視線に気づいたのか不思議な微笑みを浮かべた。
「この衣装ですか?」
「あ、はい。すみません、ぶしつけで」
「これは私の故郷の服が元なのですが、実はかなり改造されているんですよ」
「改造?」
「はい」
やわらかな……ぶっちゃけると少々セクシーですらある女性むけ衣装に、どこか不似合いな「改造」という表現。
「この服は結婚直前に知人が作ってくれたものなんですよ。
本当は男性のおもてなしをするには不適切かもしれないと思ったんですけど」
「不適切?」
「こんな見た目ですが、実は授乳などをしやすいように作られているんです。
あと、汚れたらパッと簡単に脱げるようになっていますし、お洗濯もしやすいんですよ?」
「え、それ子育て用の服なんですか?」
「はい」
「へー、いいじゃないですか!」
いい感じの格好なのに、これで子育て用だって?
世の中のママさんたちが聞いたら、是非欲しくなるタイプの服じゃなかろうか?
子供は汚すものだし、汚れ物の洗濯は大変だ。
脱ぎ着も簡単で洗濯しやすく、授乳などもしやすいと?
しかも、見た目もなかなかに良い。
素晴らしいじゃないか?
ん、でもそれがどうして不適切なんだ?
けど、それを言うとサワナさんはクスクスと笑った。
「子育てに便利ということは、簡単におっぱい出したりできるということでしょ?」
「あ」
そういうことか。
「べ、別にいいんじゃないですか?お母さんってそういうものでしょう」
「……ありがとうございます」
だいいち、サーナちゃんはもう乳離れしてるだろうから、問題になることはないんじゃないかなぁ?
そういう衣装だからって気にしてるのかな、かわいい人なんだなぁ。
俺は理解していなかった。
サワナさんの申し訳無さそうな態度には別の意味もあったってことを。
新年会が始まった。
当たり前だけど、鯛やヒラメの舞い踊りなんてことはない。
けれど、自分の誕生日ですら何十年も祝ってもらってすらいない身にとって、サワナさんサーナちゃんの温かい新年会は、あまりにも幸せだった。
派手ではないけど、おいしい食事。
きゃっきゃっと楽しそうなサーナちゃんは、あぐらをかいた俺と横膝のサワナさんの間を飛び回っていた。
あとから管理人の水瀬女史も顔を出してきたが、水瀬さんは先日の態度がウソのように控えめで、ただ笑顔で俺たちを見ていた。
そして。
「おや、そろそろ、おねむかねえ」
「……」
突然、サワナさんにもたれてクークー寝てしまったサーナちゃんを、やさしく水瀬さんが回収した。
いけないな、そろそろ俺もおいとましなくては。
「この子はあたしが預かったよ」
「すみません……」
「謝る必要はないとも。あんたはあんたの用をすましな」
「はい」
それではと俺も立ち上がろうとするんだけど、なぜか立ち上がれない。
「それじゃマコ、サワちゃんを頼んだよ?」
「え?」
わけがわからない。
「ここまでやらないと理解できないのかね、やれやれ。
サワちゃんはあんたに用があるんだよ、それを聞いてあげとくれ。
男だろ、ちゃんと受け止めな?」
「……はい」
酔った頭のどこかで、こりゃーハメられたなという気がした。
でも同時に。
「マコトさん、お願いがあります」
「うん」
真剣な顔のサワナさんが近づいてきた。
酔った頭で俺は。
もし一緒に旅行なんて誘われたとしたら、婚前旅行ならいいですと返してやろうとか、とんでもない妄想を頭に巡らせていた。
「……?」
気がつくと俺は、知らない部屋で目覚めていた。
頭がすっきりしていた。
明らかに昨夜はペースを越えて飲んでいたと思うんだけど、気持ち悪いほどに何も残ってない。それどころか全身の調子がすこぶるよくて、快適そのものの朝だった。
……ただひとつの問題を除いては。
「この部屋って」
俺の寝ている布団の隣に、大小ふたつの布団があった。
その意味するところは?
「……マジか」
まさか俺、酔いつぶれてサワナさんとこに泊めてもらったってこと?
いやまて、ぜんぜん覚えてないんですが?
冷や汗を流していたら、スーッと入り口が開いて水瀬さんが入ってきた。
「おはようございます」
「やぁ色男、いい夜だったようだねえ」
「……へ?」
「おやおや、すっとぼけるつもりかい?
サワちゃんが旅行に誘ったらあんた、サーナちゃんの父親になる前提で婚前旅行ならって熱烈プロポーズしたそうじゃないか?」
「!?」
ちょ、えええぇぇぇ!?
「前から気になってたんだって?良かったじゃないか。
まぁ酔った勢いというのは正直減点だが、掛け値なしの本音を聞いてあの子ら本当に嬉しそうだったよ?あの子たちは、あんたの人柄に惚れ込んで、こんな人が一緒に──」
「いやいやいやいやちょっと待ってくだ……」
反論しかけた俺に、水瀬さんは笑顔で畳み込んできた。
「おや、もはや他人じゃない関係だってのに、何を遠慮するのかい?」
「えっ!」
それってつまり?
ギョッとしていたら、サワナさんが乱入してきた。
「な、なななな何言ってるんですか!」
「おや違うのかい?この部屋で寝たんだろ?」
「い、いいいい一緒に寝ただけですっ!」
「おやおや?朝、あたしが来た時には裸で抱き合い「ち、ちち違います!あれはマコトさんが胸に」うんうん、甘えてきたのをヨシヨシと優しく受け入れたんだろ?仲のいいことじゃないか「ちーがーいーまーすー!いえ違わないけど違います!」」
「……」
どうやらよくわからないが、よっぱらって取り返しのつかない大バカをやらかしたらしい。
あー、うん。
幸いにも、ほんとうに幸いにも嫌われてないようだし。
とりあえず、通すべき筋を通そう。
「あの、サワナさん?」
「は、はいっ!」
真っ赤な顔で返答された俺は、ちょっと困った気持ちになった。
だから、その気持ちのまま答えた。
「実はすみません、全然覚えてないんですが、なんか酔って不埒な真似をさらしたみたいで」
少し止めて、そして気持ちのまま続けた。
「でも、もしその内容がですね、その……サワナさんが好きとかサーナちゃんの父ちゃんになりたいって事だったら、それは、本気で、そ、その、ほ、」
「……マコトさん、落ち着いて」
思わず、うわずって言葉に詰まっていたら、背中に手を回してぽんぽんされた。
超子供扱いで情けないものがあったけど、それを嘆く余裕もなく。
そして俺は。
つっかかり、どもり、しどろもどろになりながらも。
それでもなんとか「おつきあいさせてください」という言葉を紡ぎ出すことに成功したのだった。
ただし。
それを「うん、うん」と笑顔で聞き届けてくれたサワナさんが満面の笑顔で了承してくれるのを見た俺は。
……たぶん一生、この人には勝てないんだろうなあと、ちょっとだけ思った。
■ ■ ■ ■
「……??」
ふと気づくと俺は、自分のアパートの一室で目覚めていた。
「えっと、あれ?」
いつもの朝。
サワナさんもサーナちゃんも、もちろん水瀬さんもいない。
あたりまえだ。ここは彼女たちのアパートじゃない。
え?
もしかして……夢、見てたの?俺?
今のって、初夢?
俺はいつものように、折りたたみ式の簡易ベッドで寝ていた。
ぽわぽわと揺れている脳裏の底で、なぜかベルリオーズの幻想交響曲が鳴っていた。
次第にすっきりしてくる頭の中で、見ていた夢の意味に気づいた。
「……なんつー夢みてんだよ俺」
まさか、サワナさんに迫られ、くっつく夢を見るとは。
そりゃ現実になったら嬉しいけどさぁ。
いくらなんでもご都合主義すぎるだろう。
頭を抱えていたら、コンコン、コンコンと戸を叩く音。
「誰だ?」
呼び鈴もならさずに叩くだけ。
いたずら?
いないとは言わないが、おっさんひとり住まいのウチに仕掛けるバカはいないと思う。
宗教や勧誘なら、普通に呼び鈴を鳴らすだろう。
……ああうん、わかってるんだけどね。
たぶん、呼び鈴を「鳴らさない」のではなく「鳴らせない」んだって。
ドアのところにいって、一応のぞき窓で確認する。
だが、そこに誰もいない。
そして。
「まこー」
「……やっぱりか」
サーナちゃんの声に、思わず苦笑した。