送り狐
短編集『異界漂流者の物語』からのスピンオフです。
あちらと違う種類の話なので、独立に踏み切りました。
突然だがちょっと聞いてほしい。
君は何か乗り物に乗るかい?
クルマ、バイク、なんでもいい。自走する乗り物に乗って、あの忌々しい渋滞ってヤツにハマった事があるかい?
俺はある。腐るほどある。
昔、名神高速の京都近くから名古屋を抜け、東名高速で神奈川県に入るまで繋がっているという、悪夢のような大渋滞を二度も経験したし、バイクどころか自転車も抜けられない、バブル絶頂期もかくやという下道の恐怖の大渋滞も経験している。
もう渋滞なんかイヤだ、何度そう思ったことか。
そんな俺の経験なんだが……これはすべて事実だ。
でも、きっと君は話しても信じてくれないだろう。
だけど、もし少しでも興味があったら聞いてほしいんだ……俺の信じられないような経験を。
■ ■ ■ ■
「……なんだこれ?」
その光景を目にした時の俺の気持ちといったら、まさにそんな感じだった。
場所は東京のど真ん中、上野広小路の交差点。
簡単にいえば、上野だの御徒町だのアメ横だの、そういう言葉に連想される、日本でも有数の騒々しい場所のひとつだ。
上野から来た俺は、北から南向きに止まっている格好だ。
ウインカーは右に出していて、点滅中。
時間は休日の真っ昼間で、空は快晴。
そう。
本来、溢れるばかりの人でごった返しているはずの場所で、俺はひとりバイクで信号待ちをしているんだけど。
なんで、人っ子ひとりいないんだ?
街にはなんの変化も見られない。
何かの事件かとも思ったけど、だったら警官なり機動隊員なりがどこかにいるはずだ。
それに飛行機なりなんなりが飛んでいてもおかしくないはずだ。
なのに、どうして人っ子一人いないんだ?
何より、これほどの異常事態なのに街が普段と全然変わらないのが異様だった。
人の喧騒もクルマも音もない。
店から流れてくる宣伝の音もない。
ただ無機質に信号機などが動いているだけだ。
俺のバイクのエンジン音、それからウインカーリレーの小さな作動音だけが妙に鮮明だった。
一瞬、背筋がゾッとした。
だけど同時に、何かこうワクワクするような気持ちにもなった。
渋滞の全くない東京。
そりゃ、時間帯や季節を選べば不可能じゃないけど、ここまで誰もいないっていうのは正直ありえないわけで。
ここを走り回れば気持ちいいかなぁ?
そんな、のんきな事をふと考えていたせいだろうか。
背後に近寄っていたソレに気づけなかったのは。
「ほほう、これはまた妙な小僧がひっかかったものよのう」
「!?」
振り返ると、そこには正直、目を疑うような存在が立っていた。
一言でいえば、それは巫女さん……そう、あの赤と白の巫女さんだった。
まぁ、なんというか、日本人ならとてもわかりやすい姿だろう。
……服装だけならば。
え?何を言いたいのかって?
そりゃあ、あんた。
巫女服着込んでいるのが、二本足で立ち上がった大きな狐なんだもんよ。
テレビの画面に出てくる作り話ならともかく、現実に獣頭人身の鳥獣戯画よろしくな巫女さんって、とんでもねえ迫力なんですが。
しかも、俺の方をじろりと見てくる。
……総毛立つとはこの事だろう。
正直、バイクごと転倒しなかったのを褒めてもらいたいよマジで。
巫女の狐さんはためいきをつき、そして俺を見た。
「小僧、すまぬがちとそのエンヂンを止めて話を聞いてくれるかや?」
「あ、はい」
左手を伸ばし、タンク左側の下にあるメインキーを、半時計回りに少し回した。
それでエンジンは停止した。
サイドスタンドを出してバイクを降り、パッパッと軽くホコリをはらってからお辞儀した。
「とりあえず失礼しました」
「おや、思ったより礼儀正しい子じゃな。
わしはまぁ、見ての通りの者じゃ、とある神社で長年、勤めをしておるのじゃが。
そなたに頼みたい。
そなた、上総の国にある──大師というところを知っておるかや?」
「へ?」
上総って、ああ千葉のあの大師か。
「うん、行ったことあるけど?」
千葉県有数の珍スポットのひとつだけど、妙に気に入って俺は何度か行ったことがある。
簡単に話すと、狐さんは「うむ」と大きなうなずいた。
「ふむ、大師に行ける者として喚んだ術にも間違いはないようじゃな。
ではそなた、わしを連れて行ってはくれぬかのう?」
「……そりゃかまわないが」
狐の巫女さんを載せて、誰もいない東京から千葉県中部までツーリング?
珍妙を通り越して、どこから突っ込んでいいのやらわからない状況だった。
普通に考えたら、どこかで事故って白昼夢でも見てるのかってところだろう。
けど俺は、それはそれで悪くないと思っていた。
しかしそれよりも。
「それはいいけど、あんたメットないだろ」
「めっと?」
「ヘルメット、こういうやつさ」
コンコンと自分の頭を突いて示してやる。
「ああ鉄兜か、たしかにもっておらぬが」
「……鉄兜って」
そういや、死んだ親戚の爺さんが、昔は航空隊の飛行帽や兵隊のヘルメットで乗ってたと言ってたな。
しかし鉄兜って……。
「しかし、わしの頭に合う鉄兜なんぞあるのか?」
「……お狐さまだもんなぁ、無理か」
俺は頭をかいた。
「そもそもそれ以前に、わしが見える官憲なんぞおらんぞ。
……それ以前に、ここには人がおらぬがな」
「何か知ってるのか!?」
そう、そうだよ。
狐の巫女さんなんてものの登場にすっかり我を忘れていたけど、それどころじゃないだろ今!
だけど。
「心配はいらぬよ小僧。
この世界は、人界と少しだけ位相がずれて存在する不安定な異界にすぎぬよ」
「不安定な異界?」
「うむ。
突然のことで驚いたであろうが、ここにそなたがおるのは、単にわしが召喚したためじゃ。
用がすめば戻れるぞ?」
「用、というと?」
問いかけると、なぜか狐さんはイタズラっぽく笑った。
「ふふふ……別にわしの頼みを断ってもよいのじゃぞ?
無理強いなどはせぬし、断ったところですぐに帰してやるともさ。
もちろん、願いをかなえてくれた場合も礼をした上ですぐに帰そう」
「……そうか」
どっちにしろ無事帰してはくれるんだな。
「だったらいいけど、ひとつだけ条件がある」
「なんじゃ?」
「事実上無理といってもノーヘルはノーヘルだ。
本来、これは違法なんだが……まぁ人間じゃないし、取り締まる警官もいないんじゃ仕方ないだろう」
「おう、それでは」
「だけど、安全上俺は高速は走らない事にする。
だから東京湾アクアラインは使えないぞ。
湾岸通ってグルッと回って、内房線ぞいに三時間コースってとこだ。
それでもいいか?
高速を使えというのなら、俺は行けない」
「なんと、わずか一刻半で着くと申すか!
それなら、わしは全く問題ないが……本当にそんなに早く着くのかえ?」
「ちゃんとこの道が続いていて、目的地まで渋滞も通せんぼもないならの話だけどな」
「それはないのう」
「断言するんだ……」
「うむ、それについても途中で話してやろうぞ。
では、すまぬが連れて行ってくれるかのう?」
「ふむ……ああと、ちょっと待て」
そういうと、俺はキーをオンにした。
「燃料残量……ああ現地までちょっと迷っても110kmそこそこか、足りるな。
よし、乗ってくれ」
「おう」
そういうと、狐さんは俺の後ろに乗り込んだ。
「しかし、このバイク初タンデムが狐の巫女さんとは、なんともなぁ」
背中のぬくもりの心地よさ、誰かとタンデムなんて本当に久しぶりだった。
「なんかいったかや?」
「いやいや、ちゃんとつかまったか?」
「うむ、よいぞ!」
「よし、じゃあ出発!」
走り出してみたけど、やっぱり東京の街には誰もいなかった。
「おー、ものの見事に誰もいねえなぁ」
「そりゃそうじゃ、ここは一種の異世界じゃからな」
誰もいない、ということは渋滞も一切ないってことだ。
しかし信号ではきちんと俺はバイクを止めた。
「なんで止めるんじゃ?誰もおらんのじゃから行けばいいだろうに」
「誰もいないから規則を破っていい、とは俺は思わないよ……正直、時々守れない事もあるけどな」
遅刻しかけて信号ダッシュとか、誰しも経験あるだろ。俺もそうだ。
「だけど、なるべくならきちんと守りたいもんだ。
信号機が全部止まってるなら話は別だけどさ、ちゃんと動いてるようだし」
「……ひとは見た目で判断できぬもんじゃなぁ」
「なんだって?」
「なんでもないわい」
なんか苦笑された。
「ところで、異世界ってどういうことだ?」
「ここで聞くのかえ?まだ先は長かろうに?」
「湾岸に入ると信号が少ないからな」
さすがに走行中は風の音で会話がしにくい、のんびりペースでもな。
だから今のうちに聞いておく。
「あとで詳細は聞きたいけど、簡単なとこだけ頼む」
「別に難しい話ではないぞ。
ここは『渋滞のない場所がほしい』という人の願いで生まれた異世界なんじゃよ。
まぁもっとも、生まれたばかりで色々と穴だらけのうえに不安定じゃがな」
「……なに?」
「というわけで、人がおらんのはむしろ当たり前なんじゃよ。
……ほれ小僧、緑に変わりよったぞ?」
「お、おう」
とりあえずバイクのギアをいれ、スタートさせた。
しかし……『渋滞のない』願いの世界?
なんだよそれ?
もともと昼下がりだったし、この季節は日が長くない。
途中で夕暮れがやってきたところで、途中の道の駅で休憩をとった。
自販機で飲み物を買ってやる。
「珈琲はダメなのか?」
「ダメとは言わぬが、お茶の方がよいかの」
無人でもトイレと自販機は当然使える。
コンビニでもいいけど、コンビニで何かゲットすると精算できないし、俺は泥棒になるつもりはない。
よって、自販機とトイレのある道の駅はありがたい存在だった。
「さっきの話、もう少し教えてくれないか?」
「渋滞のない世界の話かや?」
「うん、頼む」
そうかと狐さんは言うと、微笑んで話してくれた。
「言ったように、この世界は『渋滞のない世界』を求める人たちが作り出した異世界なんじゃよ。
まぁ、この気持ちは根本的に矛盾をはらんでおるから、今のところは完全な異世界にはナリ得ぬ。
しかし、願いそのものは強いからのう、こうして実際に世界が構築されておるんじゃ」
「矛盾?」
「渋滞がない、という事は人がおらんという事じゃ。
しかし、そもそも渋滞を生み出す道は、その人がこしらえたものじゃぞ?
これでは世界として成立せぬ、当たり前であろうが」
「たしかに」
ある意味とてもわかりやすかった。
「じゃあ、この世界はこの先どうなるんだ?」
「とりあえずは、どうにもならぬよ。
ぬしらの世界から流れてくる人の意思のままに、今後も姿を変え続ける。人の世界から、その人だけを欠いた不完全な異世界としてな」
フフッと狐さんはつぶやき、そして続けた。
「ただ、世界としてある以上、わしらのような存在は必要でな。
こちらの世界にも各地に神社があるんじゃが、できたばかりで担当の神も決まっておらんところが多いんじゃよ。
出雲の方にはある程度のものが揃うたが、全国には未だ手が届かぬでな。
ようやく、わしのような者が各地に派遣されはじめたというわけじゃ」
「ああ、やっぱり出雲が中心なんだ」
納得した。
しばらくして俺たちは出発して、無事に目的地の大師に到着した。
到着したんだけど。
「うわぁ……すげえ明かりついてる、はじめて見た」
前にきた時は、まるで廃墟みたいだったのに。
「それは当たり前じゃろう。
このあたりの土地神やら先触れの者どもが整備をしておるでな、いま騒々しいのは当然じゃ。
ひととおり落ち着けば担当が常駐するだけになるから、そうなればまた静かになろうよ」
「なるほど」
大師入り口のある道路わきで、狐さんをおろした。
「中はバイクで入ったら邪魔になりそうだね」
「うむ、感謝する。遠路はるばる悪かったのう」
「いやいや、いいよ別に」
どうせ休日の昼下がりだったんだ、こんなのもアリだろう。
さて。
最後に確認したい事がひとつあったんだが。
「なあ、ひとつ質問あるんだけどさ」
「何じゃ?」
「道中、質問しようしようとおもってたんだけど。
あんたが背中にしがみついてる感触、妙に懐かしい気がしたんだ。
なんでだろ?」
「……さぁのう?」
そういうと狐さんは笑い、そして俺にポンと何かを手渡した。
「……お守り?」
丈夫な長い組紐がついてる。
これは、どうやら首にさげるものだな。
「こたびの礼じゃ、身につけておけ。
きっとよい事があるじゃろうて」
「おう、ありがとな」
ポケットにおさめようかと思ったが、気が変わった。
エンジンをとめるとメットをぬぎ、上着をはだけた。
そして、お守りを首から下げたんだけど。
「……あれ?」
ふと気づくと、今かけたはずのお守りがない。
「え?え?」
そして次の瞬間、俺は上野広小路の十字路にいた。
「……え?」
そんなマヌケな声が口から出た。
「え、なに、これ?」
まわりは深夜。
多少ひとが歩いているが、それでも比較的閑散としている。
バイクのメーターの時計を見ると、すでに0時過ぎてる。
スマホの時計をいじって日付を出してみると……うわ日曜深夜か!
「うわ、帰らんと」
びゅうっと、深夜の肌寒さが巻きついてきた。
わけもわからず、しかし急いで俺は家路についたのだった。
……なんだったんだ、いったい。
そんな思いを胸に秘めたまま。
■ ■ ■ ■
俺の話は、たったそれだけだ。
山もないような話ですまない。
え?くだらねえホラ話に時間を無駄にした?
あー、まぁ信じてくれないのはわかってたけどさ。
けどさ。
渋滞のない世界……見るだけなら、一度見てみたいと思わないか?
ま、帰れるって前提だけどな!