過去の亡霊
春とは桜の季節である。
というには時期が早すぎやしないかと、咲き誇る様子を見て考える。
「……好きです。つきあって、もらえませんか?」
頭を下げる同級生を前にして、後藤夏輝の注意はしかし上方へと惹きつけられていた。過去の経験に基づく体感と現状とが食い違っている。そのことが気になってもいたし、告白への応答は決まっている。
「ごめんね」
その一言と微苦笑、そして泣き崩れる少女を残して身を翻す。どうやら自分は女子生徒から人気らしい、と他人事のように思考する。色恋沙汰への興味は薄く、それよりも目下の懸念で手一杯なのだった。
荷物を取るべく教室に戻ると、夏輝の席は見慣れた少女に奪われていた。
「また女の子を泣かせたでしょ」
「覗いていたのか? あと俺の席に座るな」
「廊下の窓から見えただけよ。いいじゃない、別に」
前原紅葉とは小学校以来の間柄であった。小中高ずっと同じ学級に属しており、自然と親しい関係が築かれている。とはいえ毎日一緒に帰宅するほどの仲ではなく、すっかり自分のことを待ちかねた様子の友人に夏輝は呆れていた。
「待ってくれなくてもよかったのに」
「待ってた、わけじゃ、ない!」
口を尖らせて否定しながらも、図星を突かれた紅葉の頬は赤く染まっている。しかし夏輝は気づかない。
「わかったよ。ともかくさっさと帰ろう。勉強会、するんだろう?」
「そういうこと。つまりあたしは勉強会を早く始めるためにあんたを待っていたのであって、一緒に帰りたかったわけじゃないの」
「わかったってば」
窓の施錠を確かめて教室をあとにする。校内に人の気配はなかった。
「しかし、なんでまたこんな時期に人を呼びだしてくるんだろうな。学期末試験の勉強で忙しいってのに」
「卒業式の空気にあてられたんじゃない? いつか終わる高校生活を最大限に楽しむため、みたいな」
「そもそもこの日程が謎なんだよな。なんで試験よりも卒業式が先なんだか」
「文句を言っても仕方ないでしょ、入学しちゃったものは」
「それはそうだけどさ」
頭が良い連中が羨ましい、と語る夏輝自身は陸上部員であり、普段から練習に明け暮れていて成績は芳しくない。
もっとも、彼の言う『頭が良い連中』もまた夏輝のことを羨んでいるのだろうな──と紅葉は思う。幼馴染である彼女から見ても、後藤夏輝の顔立ちは非常に整っている。何気ない仕草が洗練されて見えるし、運動神経だって良い。それだけでも頭脳を補って余りあるほど魅力的で、しかし最も印象深いのはその表情であろう。
後藤夏輝は、常に笑っている。笑顔を決して崩さない。その快活さが彼の人気の最大の理由だろうし、実際にこの一年で、多くの女子生徒が告白しては散っていた。幼馴染として夏輝のことを見慣れている紅葉ですら、気を抜いているとその輝きに見惚れてしまって──。
「…………」
「早く勉強会を始めたいんじゃなかったのか? 置いていくぞ」
「──ちょ、待ってってば」
慌てて靴を履き替えると、前を行く姿を追って昇降口を出た。五分咲きの桜と春らしい陽気に迎えられ、そのまま帰路につく。
不覚だった、と紅葉は思う。
またしても外面に魅せられてしまった。その実態を知っていながら、形だけの相貌に気をとられてしまった。
後藤夏輝の笑顔が空虚だと知っているのに。
あくまでそれは愛想笑いの延長線上であり、中身のない無感情な表情であって、胡散臭い仮面に過ぎないとわかっているのに。
それでも顔の良さには勝てない自身の愚かさが、紅葉には恨めしかった。
普段から言い聞かせてはいるのだ。夏輝の顔に騙されてはいけないと。その笑顔は偽物なのだと。彼は誰にだってその笑みを見せるし、それでいて誰にもほんとうの情動を向けることがない。つきあいの長い紅葉ですら夏輝の素の表情を目にしたことは数えるほどしかなくて、たとえば、
──あるはずのないものを見てしまったかのように見開かれた目。
「…………な、」
その眼差しと口から零れ落ちた驚愕に、紅葉は我に返った。またもや夏輝の顔に視線を奪われていたのだ。校内ならともかく町中を上の空で歩いてしまっていた危うさを自省しつつ、彼の視線の先に向き直って、
息が止まった。
十字路だった。道路を挟んで向かい側だった。
少女が、横断歩道を歩いていた。
喪に服しているように真っ黒なセーラー服姿。
冷たく前方を見据えた瞳と、引き結ばれた口許。
ぞっとするほどに美しい風貌と、細く小さな肢体。
その顔立ちを後藤夏輝は知っている。
その立ち姿を前原紅葉は覚えている。
その少女がこの世に生きているはずはないと、ふたりは知っている。
「どうして、あの人が……」
どこからか風に流れてきた桜の花弁が町を彩っている。嘘みたいに幻想的な、春の夢のなかを少女が歩き去っていく。
存在するはずのない少女だ。
もう死んでいるはずの少女。
後藤夏輝がいつも彼女のことを考えているのだと、前原紅葉は知っている。
彼女の名を今城桜花というのは、まるで冗談みたいな運命の悪戯だった。
1
昔々の話をしよう。
後藤夏輝と前原紅葉が通っていた小学校はいわゆる田舎にあった。
正確にはふたりが暮らしていた地域もまた田舎ではあるのだが、その学校がある場所は輪をかけて田舎であったのだ。
彼らの住居と学校との間には、山がひとつある。それほど高い山ではないし、通学バスなりなんなりの移動手段もあるので困りはしないのだが、しかし山は山である。山間に位置する校舎に向かうため、ともかく山を越えねばならない。
通学区域を理由にそんな苦行を強いられることを、しかし当時の彼らは存外に喜んでいた。
たとえば、他の地域から通う生徒と話す話題になった。こんな苦労をしながら登校しているのだよ、という笑い話をきっかけに交友が始まった例を多く聞く。
たとえば、単純に登下校が結構な運動になった。彼らと同じ地域から通う生徒の体育の成績は軒並み平均以上だった。夏輝が進学後陸上部に入ったのは、山道では自由に走り回れないことの反動かもしれないが。
などなど──と考えていくのは、無理に良いところを探している感じが否めない。実際、良いところばかりというわけでもないのだ。単純に遠いし、早起きしなければならない。通学バスは酔うし、自転車で通うには山道が険しく、歩いていくのも厳しい。
しかしながら、それでも彼らが登下校を喜ぶ最大の理由は別にあった。
それがすなわち地下道である。
もっとも、地下道という呼び方はあまり正確ではない。その実態は山中を突き抜けたトンネルであり、坑道あるいは隧道などと称するほうがふさわしくはあるのだ。しかしその漢字は小学生にはあまりに難しい。若く愚かしい彼らは、山を登り下りするよりも早いから、という所以でそれを地下道と呼んでいた。
若気の至りとは恐ろしいものである。
ともあれ、小学生当時の夏輝と紅葉、そして級友たちは下校に際してそのトンネルを利用していた。登校時は疲労を避けるべく通学バスに乗っていたが、帰りには探険気分で地下道を通り抜けたのだ。
そう、まさしく探険気分というのが相応しかった。秘密基地をつくりあげる少年と同様の心地があの日の彼らだった。そんな冒険をともにする仲間のひとりが、今城桜花という少女であった。
とはいえ──少女、と形容できるのは高校生に成長した今だからだ。小学四年生から見れば、中学三年生とは非常に成熟した存在である。かつての夏輝にとって彼女は、両親とも先生とも異なる、そして絶対的な大人の象徴だった。彼は兄弟姉妹をもたず、身近な異性といえば小学生か親の年代くらいのもので、それゆえに彼女は特別だった。
長く艶やかな黒髪に、見え隠れする生白い首筋に、落ち着いた柔らかな物腰に、優しく咲く花のような微笑に──そのすべてに憧れた。
それは、間違いなく初恋だった。
そして今城桜花は自死したのだ。
2
棒立ちで呆然とする夏輝を紅葉が引きずった末、ふたりは馴染みのファミレスで身を落ち着けていた。もっとも、もとより試験に向けての勉強会をするつもりの身である。ファミレスを訪れる予定そのものに変わりはなかったが、しかし計画は立ち消えになりそうだ、と紅葉は嘆息する。
「……桜花さん、だったよな」
「そう見えたわね」
震える声を紡ぐ夏輝に対し、淡々と紅葉は応じる。彼女も驚いていないわけではないのだが、動揺に動揺を重ねたような幼馴染の様子を見ていれば自然と落ち着かざるをえなかった。
「紅葉と違って、綺麗で長い黒髪だったし」
「まあ、そうね」
赤茶に近い色のポニーテールを手すさびながら、渋面で紅葉は頷く。ちなみに地毛である。
「何も考えていないみたいな紅葉の顔と違って、理知的で落ち着いた目つきだったし」
「……そうともいえるわね」
言い方をどうにかしてほしい、と思いながらもかろうじて紅葉は頷く。せめて明るい表情とか、うん。
「いつも落ち着きがない紅葉と違って、冷静で慎重そうな足運びだったし」
「馬鹿にしてるの!?」
「ごめん、冗談。紅葉もかわいいよ」
「…………知らないわよ」
怒るべきか照れるべきか複雑な表情の紅葉にも気づくことなく、冗談めかして夏輝は微笑む。しかしその笑みは普段より精彩を欠いており、彼にも余裕がないことを示していた。
ともあれ、と仕切り直して。
「とりあえず再確認しようか。──桜花さんは亡くなっている。それは間違いないよね」
「あの頃はすごい衝撃だったし、小学校側からもお知らせがあったし、母さんたちも散々話題にしてた。亡くなった、ってことは確実だと思う」
「だよな。俺も絶対信じられないと思ったし、すごく疑ってかかった記憶がある。それでも覆らなかったんだから、亡くなったことは事実だろう。しかし、だとすれば」
「今日見たのは何だった──誰だったのか、っていうことになるよね」
「……幽霊、とか」
「まさか、と言いたいけど……正直否定しきれない」
「全部夢だった、のかもしれないけどな」
すべては春の幻だったのだ、で終わればそれまでなのかもしれないが。実際に見ているものまで疑えば考えることにきりがないから、それは禁じ手ということにして。
「あるいは昔の桜花さんの存在そのものが幻覚だったのかもしれない」
「流石にそこまではないでしょう」
「一応、根拠はあるんだ。小学生だった俺たちの下校時間に、どうして中学生のあの人が一緒だったのか」
「それは、……」
「いや、考えすぎだな。忘れてくれ」
「なら考え方を変えてみましょうか。桜花さんが実は生きていたとしたら、その場合はもっと年をとっているはずよね。昔の姿のままのはずがない。よって生存説は却下」
「死んだあの人の幽霊だとしたら、どうして今になって現れたのか。桜花さんとは別人だとしたら、じゃあ何者なのか。……わからないな」
その後も議論を続けてみたものの、結局有意義な知見は得られずに解散と相成った。もちろん、当然、試験勉強の進捗もない。まあそれは仕方ないとしても。
「あの桜花さんが幽霊だとしたら、今の俺よりも年下になるのか……」
それは奇妙な感慨だった。
姉のように慕った人物だ。紛れもない初恋の相手だ。
そんなひとが自分よりも年下のままの姿で現れたことの不思議である。
なんてことを帰宅後もつらつらと考え続けていた夏輝は、もの言いたげな母親の様子に気づくこともなく夕飯や入浴を終え、早々に自室に戻った。布団に入ってもなお、考えるのは彼女のことだ。それは普段と変わらない日常ではあるのだが、昼間見た光景が症状を悪化させていることには疑いようがなかった。
いつものように。
後藤夏輝は今城桜花のことを考えながら眠りにつく。
3
そして数日後、夏輝は死んでいた。
夏輝自身ではなくその試験が。あるいは爆死といってもよい。爆発的な死滅である。何が爆発するのかは不明だが。
「夏輝、このあとは部活して帰るの?」
「今日はそのまま帰るよ。走る気分にはなれないし」
「ふうん……」
「紅葉も部活ないのか? ないなら帰ろうぜ」
「そ、そうね」
誘われたことを内心喜びながらも紅葉は頷いた。周囲の女子からの羨望の視線が心地いい、とまでは流石に思わない。いや普段ならそう思うこともないわけではないのだが、今はそれ以上に重要な話題があることを察していた。
「結局あの日から桜花さんのことを見かけたか?」
「ううん。夏輝のほうは?」
「俺も見てない。おかげで試験勉強に集中できなかった」
「また出てきたら、それはそれで勉強できないと思うけど」
「う……それはそうなんだが」
今城桜花の幻影のような少女を見かけた、その翌々日から学期末試験が始まったのだ。夏輝は見てのとおり酷いありさまで、紅葉もあまり身が入らなかった。
「二年に上がったら挽回しなくちゃね」
「そうだな。……そうなるといいな」
「他人事みたいだけど夏輝のほうが酷いからね」
「はい、がんばります」
話を試験直後の学生らしいものに移しつつ下駄箱にたどり着く。そこで上履きを脱ぎながら夏輝は眉を上げた。
「なんだか外が少し騒がしくないか?」
「……言われてみれば。桜の満開にはまだ早いと思うけど」
「それは登校のときにも目に入るだろ」
話していても仕方がないということで、多少急ぎ足で外へ。試験が終わった解放感に満ちた表情の生徒たちに混ざって歩いていくと、校門のところに人だかりができていた。そしてその先に──亡霊の姿。
「幻じゃ、なかったのか……」
それは幻以上に幻想的な光景だった。桜並木と舞い散る花びらのなかで、校門の脇にひっそりと佇む少女。風に吹かれて揺れる長い髪、輝かしい春の情景に儚く霞む美貌。
誰かを待っているような、と見えたのは果たして正しく。夏輝と紅葉が校門に近づいくと、こちらへと向き直った。
折り目正しく、姿勢良く、薄く微笑んで。
「お久しぶりです」
その言葉に、ふたりは咄嗟の反応を返せず。一拍おいて小首を傾げ、寂しげに頷いて。少女は、名前を口にした。
「今城、雪奈です──」
──今城桜花の、妹の。
4
「そういえば、桜花さんが地下道についてきたのは妹さんを送るためだった、と聞いた気がするな……」
数日前と同じファミレスに腰を落ち着けて、開口一番に夏輝は言った。
「その反応ですと、どうやら本当にわたしのことを忘れていたみたいですね……せんぱいは」
「うっ。その、あの人が亡くなってからはいろいろなことで頭がいっぱいだったというか、あまり思い出したくなかったというか……」
「なるほど。わたしのことなんて思い出したくなかった、と」
「うぐ。いや、そういうわけではなく……」
「ふふ、冗談ですよ。仕方ないです。だって、せんぱいは──姉さんのことが好きだったのですものね」
「…………いやはや」
なんともやりづらい、と夏輝は呻いた。ただでさえ初恋の人にそっくりな顔をしているのに、その顔でその人のことを話してくるものだからたちが悪い。おまけになぜか初恋の相手だと露呈しているし……いやそれはともかく。いまだに今城桜花のことばかり考えている夏輝にとっては、好みの顔面ど真ん中なのである。向かいあって座っているだけでもなんとなくどぎまぎしてしまう。
一方、隣に座る紅葉は現状を結構楽しんでいた。なにせ後藤夏輝というのは、なにごともへらへらと笑いながらそつなくこなしてしまう人間なのだ。そんな幼馴染が一方的にやりこめられる場面など、そうそうあるものではない。
とはいえ、いつまでも彼で遊んではいられない。そろそろ話を先に進めよう、と紅葉は口を挟んだ。
「それで、雪奈ちゃんは結局何をしにきたの?」
「あら、えっと……前原先輩もお久しぶりです」
「紅葉でいいわよ」
「ええ、前原先輩」
「…………」
「…………」
「……えっと、俺からも訊いていいかな。今日はどうして高校まで?」
瞬間的に軋み始めた空気に耐えかねた夏輝が尋ねると、途端に雪奈は表情を和らげた。
「せんぱいのご質問でしたらお答えしましょう。……とはいっても、どこからお話しすべきか──」
「確か、桜花さんが亡くなってから今城家は引っ越しをしたんだよな」
「ええ。そうですね、まずはそこから説明いたしましょうか」
以下、時折少女同士がいがみあうのを夏輝が仲裁しながらも雪奈に聞かされた話をまとめると次のようになる。
まず姉の桜花が亡くなり、それを機に今城の一家は遠方へ引っ越していった。当時の雪奈は小学三年生と微妙な時期だったが、幸い転校先の小学校でもほどほどに馴染むことができた。そのまま彼女は中学に進学。そこではいたって普通の学生として過ごしていたが、高校受験に際して以前の家へと戻ることを決意。反対する保護者を押しきって自分の主張を通し、現在夏輝が通っている高校を受験。それほど偏差値が高くはない学校なので合格は確実と判断し、合否発表よりも一足先に引っ越しを決行。荷物を整理すると、以前の知己との旧交を温めるため、ひとまず先輩になるであろう夏輝のもとを訪れた。
……という話を聞きだすまでに結構な時間を費やしたあたりに、紅葉と雪奈の犬猿ぶりが知れるのだが。
「ここ数日は試験日程の最中と母君に伺ったので、こうしてお会いするのは今日になりましたが」
「あ、もしかしてこの前俺の家にきていたのか? それであの十字路を通って帰った、とか」
「おや、ご覧になっていましたか」
「そういえばあの日は母さんがなにか言いたげだったような気もするな。このことだったのか……」
「試験勉強の邪魔をしてはいけないと思って数日お待ちしたのですが、その様子ですと逆効果でしたか……?」
「いや大丈夫。心配されるほどのことじゃないよ。ははは」
夏輝は乾いた笑みを浮かべ、雪奈は心配そうに眉を寄せ、紅葉は肩を竦める。
そんな一幕がありつつも、数日前に生じた疑問は氷解していた。実のところは謎でもなんでもなかったわけである。今城桜花に妹がいることをすっかり忘れていた、という手落ちさえなければ。
小学生当時の雪奈と現在の彼女が似ても似つかないから、という言いわけもできなくはないが。本当に、生前の桜花の生き写しなのだ。
「事情がわかったらどっと疲れが湧いてきたな……」
「試験疲れじゃないの?」
「それもある。ここ数日はあまり寝られなかったし」
茶々を入れてきた紅葉に応じて、改めて雪奈に向き直る。
「というわけで、話はまた後日ってことでもいいか?」
「構いませんよ。これからはいつでもお会いできますから」
「悪い。埋め合わせは必ずするからさ」
「なんでもする、ですか」
「そこまでは言ってないけど……。紅葉はどうする?」
「夏輝は先に帰っていていいよ。あたしは少し残るから」
「そっか。じゃ、お先に失礼」
自分が注文した分の代金をきちんと置いて去る夏輝を横目に、雪奈は眉をひそめている。
「ちょっと待ってください。せんぱいがお帰りになるならわたしもお暇したいのですが」
「あたしは雪奈ちゃんと話がしたい」
「わたしに前原先輩と話すようなことはありません」
「まあ、そう言わずに──」
夏輝が充分に離れていることを確認して、紅葉はにっこりと笑う。
「夏輝の話だよ」
「……そう言われてはお断りするわけにもいきませんね」
今日で一番に真剣な表情をして、今城雪奈は居ずまいを正す。
「お聞きしましょう」
5
一方で。
少女たちと別れた少年は、路上を歩きながら独りごちる。
「……幽霊はいなかった。この前見たのは雪奈だった」
今城桜花が死んでいることに、もはや疑いはない。
だとしたら。
「どうしてあの人は──自殺したんだろう」