Ⅺ ☆
「足がすーすーする……女性は、このようなものを着るのですか……?」
まこと
小雨が降る、平日の昼間。天候は雨。
新品のスーツを着こなした、青黒の髪をした青年が、台場にあるとあるビルの部屋の中へと入室する。
「――初めまして。影塚広といいます。本日よりこの隊に所属します。よろしくお願いします」
特殊魔法治安維持組織の試験を突破し、研修生より、晴れて日本の治安を維持する組織への入隊を果たした、当時一八歳の影塚は、覚えたての敬礼を隊長の前で行う。これから世話になる先輩への、初日の挨拶であった。
「おう、お前か。入隊本試験を過去最高点で突破した期待の新人は」
緊張している影塚の前で席に座っていたのは佐伯剛、当時二七歳、既婚者の男性。
自分よりも多くの人生を経験している者、と言うのは、彼の左手の薬指の光を見れば、なにも言われずとも理解出来た。
しかし、当の本人は砕けた笑顔で、影塚の元に近づくと、硬くなった肩に腕を回す。
「え……」
「悪いが、この隊に来た以上は、お前の成績や実力は過去のものだ。他の隊員一同、平等に扱わせて貰うぞ」
白い歯を見せて、佐伯はにかっと笑っていた。不思議だ。その姿が、まだ出会ったこともない誰かに重なって見えるようだ。
「よろしく、お願いします」
髪をくしゃくしゃにされながら、影塚はこの時は、ぎこちなく微笑んでいた。
――特殊魔法治安維持組織に入った理由は、怒られるかもしれないけれど、本当に友だちの勧めであった。自分が扱う魔法が、他の人よりも優れている自覚はあったが、まさかそれを戦う為に使うことなど、思ってもいなかった。
「なんて贅沢な奴だ!」
じゅうーっ、と竹串が刺さった鶏肉が、香ばしいタレの風味を纏って隅で焼かれる音を聞きながら、焼き鳥屋で佐伯にどやされる。なぜ自分が特殊魔法治安維持組織に入ったのか、という質問に、そう生真面目に答えたからだった。
スーツに臭いが付くからと、白いシャツ姿で、横並びでカウンター席に座った、酒の席であった。
「うげーっ」
「た、隊長……。お酒あんまり飲めないんですから、無理なさらずに……」
第七分隊に所属して、二十歳を過ぎてから、何度かついて行ったのだが、隊長は決まって無理に酒を飲もうとする。そのたびに介抱するのが、影塚の二つ目の仕事となっているようだった。
店を後にし、夕暮れの街中を、影塚は佐伯の腕を肩に回しながら歩く。このべろんべろんな姿を、誰が現役の特殊魔法治安維持組織隊長であると想像できるか。まさしく、仕事終わりのお父さんのような姿に、影塚は内心で苦笑していた。
「どうしてそこまで飲んだのですか……?」
「今度……先輩と飲む約束して……。先輩お酒強いし……俺が、頑張らんと……」
ぼそりと、赤く染まった頬で、佐伯は告白していた。
影塚は隊長である彼の手を取りながら、近くにある彼の家にまで歩いていく。
「今言うのは少々卑怯かもしれませんけれど、佐伯隊長」
「なんだ……言いたいことがあるなら、なんでも! この俺に話せ!」
耳元で大きな声を出され、酒臭い息を味わう。それでも、不思議とそれが嫌な感じでもない。いつも訓練や任務で厳格な姿を見せている彼がこうも駄目になってしまうとは、なんだか新鮮であったのだ。
「……僕に、志藤局長から隊長にならないかとの打診が来ていたのです。第一分隊のです」
「……そうか。まあ、お前ほどの成績ならば、打診が来て当然だな」
赤い鼻の先をすすり、真横で歩く佐伯は呟く。
そんな彼の横顔に、少なくない罪悪感を抱きながらも、影塚は告白する。
「……断りました」
「……」
「僕には、隊長となってみんなの命を預かるような真似なんて、出来ないと……」
怒ってしまっただろうか、と恐る恐る隣の佐伯の横顔を見るが、当の彼の口元は、微かに笑みを帯びている。
「そうか。まあ、お前らしいな」
言われ、影塚は蒼い目を微かに見開く。
「それに、本来は特殊魔法治安維持組織なんて組織、本当はない方がいいのかもしれないな」
「え……」
「だってそうだろ。昔は警察だけでも十分平和な世界だったんだ。それが魔法と゛捕食者゛って化け物がでて来たから、俺たちのような者がいないといけない。極論、その二つがなくなってしまえば、特殊魔法治安維持組織だってなくなるんだ」
「しかし、それでも脅威は来ます……。隊長の座を降りた僕が言う事で、ないかもしれませんが……」
影塚が落ち込んでいると、佐伯はその背中を、思い切り叩いてやる。
痛い。そう呟いて空いた手で背中をさする影塚に、佐伯は思い切り笑っていた。
「気持ちの問題だ! 隊長でも隊員でも関係ない。人を守ることはいつだって正しいことだ!」
「……そう、ですか」
「それに俺は個人的には、お前が俺の部下でよかったよ。お前が俺と同じ立場の隊長とか、やり辛そうだからな」
「あはは……。それは、僕もかも、しれません……」
佐伯にそのような事を言われて、確かに嬉しかったのは、覚えている。
「まあまた……。ありがとうございます、影塚さん」
「パパだー。お酒臭いっ!」
明美という妻とその子のところへ、酔っぱらってしまった隊長を送り届けた影塚は、「お大事に」と言い残し、玄関から外に出る。
「――ああ、言い忘れていた、影塚――っ!」
ドアが閉まる寸前、玄関に座り込む佐伯が、妻と子に手を取られながら、声をかけてくる。
「なんですか、佐伯隊長。しばらくお酒の席は勘弁――」
影塚が振り向き、ドアを開ければ、そこに広がっていたのは――雨の風景だった。
一瞬で全身をずぶ濡れにする激しい雨と、身体を吹き飛ばさんばかりの激しい風。
髪は伸び、目元を暗く覆う。伸ばしかけた右手の先に見えるのは、現在パーティーが開催されている、ヴィザリウス魔法学園の第一体育館であった。
夢は冷たい雨によって覚まされ、現実へ。あの日と同じだ……――いや、あの何もかもを失った雨の時よりも、激しい雨が、身体を突き刺すように降り注いでいる。
「……あの人は、なんと言おうとしていた……?」
かき消され、忘れて、しまった。もう、思い出せない。思い出そうも、天から降り注ぐ逃げ場のない雨に打たれ、冷え切った身体では、なにも浮かんではこない。降りしきる無情の雨が、この身から一切の感情を奪って、共に流れ落ちていく。
「……そうだ。僕は、あの人の仇をとらなければならない。それが、あの人の為となる……」
再び振り向き、都民館の長い廊下を歩く。館の内部に向かうにつれ、雨の音が徐々に薄くなる。代わりに聞こえるのは、自分の歩く靴の足音のみ。こつ、こつ、と一定のリズムを刻んで歩くたびに、揺れる黒髪から落ちる水滴と、その奥には蒼い光を放つ目がある。
「雨宮。準備は出来たかい?」
影塚がやって来た小部屋のベッドの上には、スーツ姿に着替えた雨宮が、座っていた。
身体中の痛みは続いており、最低限、歩くのがやっとと言う状況だ。そんな中で声を張り上げて行う演説行為など、自分の身体を苦しめるだけだ。
そして、組織の全容を明かす為の、その身を挺した演説。特殊魔法治安維持組織と光安がいる中、そんな事をしようものならば、間違いなく彼らはそれを阻止するために戦いに来ることだろう。
それこそが、影塚らレジスタンスの狙いであった。
「……はい。準備は出来ています」
――無論、そのことを雨宮には通達していない。彼女にはただ、壇上に上がって真実を語ってもらうとだけ、伝えている。
俯きながら返事をした雨宮も、自身の身体がもう長くはないことを悟っているのだろう。
「……」
影塚はそんな彼女を横目で見つめながら、感情を押し殺し、身を潜めるためのマントについているフードをそっと頭に被せる。暗い影が、影塚の顔を隠すこととなった。
「もしかすれば邪魔する人が現れるかもしれない。だけど、君の演説の間は、僕たちが死力を尽くして守り抜く。君はステージに上がり、全ての真実を話してくれればいい」
「……影塚、さん」
雨宮が苦しそうな息遣いで喋るのを、影塚は表情を殺して聞き続ける。
「今からすることは、本当に、正しいこと、なのですよね……」
「今更迷っているのかい?」
時刻を確認し、影塚は雨宮を見下ろす。
「いえ……。死んでいった仲間の為にも、私は、やります……」
「その通りだよ。君が今ここで話さなければ、この悪夢はいつまでも続いていく。今日、この場で、すべてを変えるんだ」
「……はい」
「大丈夫。……きっと日向も、分かってくれるはずだよ」
分かるさ――大切な人を目の前で失う、胸を裂くような喪失感と、到底抑えることの出来ないであろう、憎しみを。
※
ベッドの上で眠る雛菊はるかの前で、星野一希は彼女の寝顔をじっと見つめ、声をかける。
光安により許された、少ない面会時間であった。無論監視はされており、下手な真似をすれば、はるかの命はない。実質、はるかは光安の人質であった。
「……なんで、だったんだ……」
一見、穏やかな眠りについているはるかの顔だち。幼い頃、隣の家に住んでいた少女のころの面影を、強く残したままのその顔を、じっと見つめる。
理と共に光安の標的であった雨宮愛里沙を庇い、自らの身体を盾にしてまで、攻撃を止めた。
「人なんか、散々斬って来たと言うのに……今更……」
なんで、こんなにも悲しいと感じる……?
赤の他人を斬る時には感じなかったこの感情の揺らぎの理由を知れず、一希ははるかを見る。こんな時、彼女は、教えてくれるのだろうか。
……いや、彼女を傷つけておいて、どんな顔で会えばいい。
自分ならば、犯罪者である雨宮から、理とはるかを救ってやる事が出来ると思った。二人の、戦いとは無縁な少女が、特殊魔法治安維持組織を裏切った雨宮に進んで力を貸すわけがない。人質にとられ、利用されてしまっているのだと思った。
「諸悪の根源は雨宮愛里沙……。あの女だ……」
「――ううん……違、うよ……」
不意に、はるかの声が聞こえた。
驚いて顔を上げれば、ベッドの上に横たわっていたはるかが、薄い色素となった口だけを開けていた。
「は、はる、か……」
「かず、くん……」
昏睡状態から意識を取り戻したはるかであったが、未だ手足の自由は効かないようだ。それに朦朧としたままであり、青い瞳はこちらの顔を捉えられてはいない。
手を握って居場所を教えてやろうとしたが、伸ばした右手こそが、彼女をこのような事態に陥らせた元凶であった。その手が血に濡れている気がして、一希は咄嗟に、引っ込めてしまう。
「理ちゃん、は……?」
「……わからない。けれど、無事だ。……はるかの、お陰で……」
「そっか……。よかった……」
虚ろな青い目を天井へ向け、はるかは微かに微笑む。
「どうして……」
質問にならない言葉を呟いた一希。
はるかは、その声を頼りに、どうにか瞳を動かし、一希を見ようとする。
そんな彼女の瞳を見つめ返すことが出来ずに、一希はそこから、目を背けていた。
「どうして、って……。理ちゃんは、お友だちだから、助けたかったんだ……」
はるかの言葉はか細く、いつにも増して弱々しい。表情も苦悶に満ちており、おそらく光安が怪我を完全には修復していないのだろう。
「僕は君に謝らなくてはいけない……。君を傷つけたのは……僕なんだ……」
「う、うん……。少しだけ、見えてたよ……。かずくんが、光る剣を、投げるのを……」
「僕は、取り返しのつかないことをしてしまった……。二人を助けようとしたつもりが、巻き込んでしまったなんて……」
「ううん……。私がいつも、優柔不断だから。あの時だって……」
精いっぱいの力を振り絞り、はるかは首を横に振っている。
「でも……不謹慎かもしれないけど、少し嬉しいな……。今この瞬間だけは、昔の、優しいかずくんに戻ったみたいで……嬉しかった……」
「……っ」
――今目の前にいる風前の灯火の命の少女を救う方法はただ一つ。雨宮愛里沙の演説の中断、彼女の殺害及び情報の破棄。そして、もう一人の剣術士――天瀬誠次の排除だ。
最後の可能性として、彼と共闘し、共に光安を打倒する道も提案したが、結局彼は断った。
力なく微笑むはるかの顔から、次第に力が抜けていく。
今は再び、永い眠りへとついた幼馴染の少女を見つめ、現在時刻を確認する。
「……大丈夫だ。僕は必ず、君を救う。本当に傷つくべきは君のような心優しい人ではなく、魔法を悪に使う犯罪者どもだ……」
だらりと垂らした金髪の底から覗く青い瞳に光を宿し、一希は横に伸ばした右手から眷属魔法を起動し、妖精たちの国から、裏切りの魔剣を、引き寄せた。
※
ヴィザリウス魔法学園の図書棟に臨時滞在している特殊魔法治安維持組織は、難しい判断を若干二一歳の青年隊長に委ねられていた。
「レジスタンスが、雨宮愛里沙による演説を行う、だと……?」
体育館を警戒していた部下の口から出た信じがたい言葉に、日向は黄色の目を見開いた。
「体育館での会話を傍受しました。確かに、本城直正氏の声に違いありません。姿は確認できませんでしたが……」
音声のみ出力される直正の演説のような口調以外にも、何者かと何者かが言い争っているような声が収められている。
そのうちの一つに、日向は確かな聞き覚えを感じていた。
――僕の復讐の邪魔をしないでくれ……――。
(この声……まさか……っ)
「これが本当だとすれば、即時中止にするべき事態ではないでしょうか?」
女性隊員が日向に進言する。
一つ間を開け、ようやく生返事をした日向は、険しい表情を浮かべていた。
「しかし、プラフの可能性もある……。まさか、光安もいる中で、本城直正氏がそこまで危険な真似を犯すのか……?」
「その光安はなんと?」
通信相手はもう一人、不穏な動きを見せている光安の動向を探らせている部下の男は、日向の問に難しそうな表情を浮かべていた。
「返信ありません。それどころか、特殊魔法治安維持組織は今回の件からは手を引けとの一点張りで……」
特殊魔法治安維持組織、光安の他にももう一つ、レジスタンスまでもがこの争いに介入しているとの情報が入ってきたのた。
「そこまでして特殊魔法治安維持組織の実権を握りたいか……」
日向は長い髪をかきあげ、焦りから、無意識のうちの舌打ちを行う。
すでに光安の思惑に、日向は気づいていた。特殊魔法治安維持組織よりも早く雨宮愛里沙の身柄を確保し、特殊魔法治安維持組織に対する取引の材料にするのだと。
『ひ、日向隊長っ!』
負傷者まで生んでしまい、重苦しい空気が漂う図書棟の中、急に切羽詰まった女性隊員、近藤の声が聞こえてくる。
「今度はどうした……?」
机の上に手を置き、日向が通信機をオンにすれば、焦る彼女の上半身が画像と共に浮かび上がる。
近藤は、雨宮の行方を知る最重要人物として小野寺理をマークしていたはずだが。
『小野寺理ちゃんが、部屋を出ました!』
「……いつの間に、復帰したという事か?」
『みたいです。現在は弁論会夜の部に参加するために、地下演習場のドレスルームで着替えを行っている模様です。不審な動きは、今のところ感じられません』
雨宮愛里沙の現状を知り得る最有力人物として、あくまで合法的な監視を行っていたターゲットが突然部屋を出たとの情報が、日向の元へ届く。
「わかった。近藤は引き続き、小野寺理の監視を継続しろ。なにか不審な動きを見せたら、すぐに俺に報告してくれ。現状、雨宮の元へ繋がる重要な手がかりの一つだ」
『了解しました』
そうして通信を終えた日向の姿を、この場にいる部隊の隊員たちがもれなく見つめている。
彼ら彼女らの身の責任を負うのは、他でもない、今この瞬間彼ら彼女らに指示を下す自分だ。慎重すぎると言われようとも、それもやむなしであろう。
「本城直正氏の元へ数名で向かう。もしもこの音声データの内容が本物であれば、雨宮愛里沙の身柄の引き渡しと、データを要求する」
何もかもが不確かな状況の中、しかし、確かなことは一つあった。
体育館の音声データに乗っていた、途切れ途切れの男の声。――間違いない。奴が、この魔法学園の中にいる。
(影塚……。二度も逃げたお前が……俺に立ち向かって来るつもりか……)
※
『わかった。近藤は引き続き、小野寺理の監視を継続しろ。なにか不審な動きを見せたら、すぐに俺に報告してくれ。現状、雨宮の元へ繋がる重要な手がかりの一つだ』
「了解しました」
隊長である日向と通信を終えた女性隊員は、ドレスルームとなっている演習場に来賓者という体で潜入していた。
周りはみんなきゃぴきゃぴの女子高生だらけであり、近藤はそんな彼女らを、羨まし気に見つめながら、自身もドレス姿に着替えていた。あくまで潜入の為に、である。
「それにしても……」
無数のドレスが並ぶ演習場の中、視線の先では、オレンジ色のツーサイドヘア―が舞っている。
髪型や顔は間違いない。情報として回ってきた小野寺理そのものだ。だが、明らかに彼女が彼女らしくはない部分が、一つある。
「あの娘、あんな、ダイナマイトボディだったっけ……?」
自分の身体と見比べて、愕然とする近藤。
数日前、眼鏡を落としてしまい、コンタクトレンズを着けている最中だ。きっと、度が合っていないのだろうと、近藤は小野寺理を見つめて思っていた。
ヴィザリウス魔法学園の地下演習場。着替え用のドレスがずらりと並んでいるここでは、未だに今宵のパーティー参加用の艶姿に悩む女子魔法生たちが多くいた。
その中で、橙色の髪をツーサイドヘア―で束ねたとある少女が、ピクリとも動かず、俯いている。
「理ちゃん、どうしたのー?」
着崩した制服姿で周囲を歩き回る女子たちに声をかけられ、理は真っ赤に染まった顔のまま、どちらを見ることもできずに、手探りでドレスを捜している。
「うわっ、理ちゃんそれ着るの!? めっちゃ大胆!?」
「い、いえ! 理、いや……こんなのっ、着るわけっ、ないじゃんっ!」
理は慌てて他のドレスを探すために、あっちこっちをふらふらと行ったり来たり。
何故か一向に顔を上げようとはしない彼女の奇っ怪な行動を、周囲の女子たちは首を傾げて見守っていた。
※
――数時間前。
一人取り残された少女は、寮室のベッドの上ですすり泣き続ける。
今思えば、すべて浅はかだった。
自分にだって、誰かを助けたり、救うことだって出来ると思った。自分が惚れた、男の子のように。
でも、思っていたよりも現実は甘くなく、また、私という存在は矮小でもあった。
助けると決めた女性の命を危険に晒し、同じく守ると胸に決めていた親友にも逆に守られて、挙げ句置き去りにした。
「……っ」
眠ることもできずに、布団にくるまって、一二時間が経とうとしていた。
合法かも分からないまま取り調べに来た特殊魔法治安維持組織の質問にも、無気力なまま答えた。結果的に、事件に巻き込まれた女の子、と言うレッテルを貼られ、特殊魔法治安維持組織は退散していたが。
「いっそのこと、私ごと……」
あの夜に一希が放った紫色の槍を思い出し、理はクマが出来た顔でぼそぼそと呟く。
――また、誰か来たようだ。ドアが開く音が、分厚い布団の向こうで聞こえてくる。ルームメイトが去った後に冷房も切っているため、とてつもなく暑い部屋の中、ゆっくりと近づいてくる足音が一つ。
ピッ、と音が鳴ったかと思えば、冷房が作動したようだ。中に入ってきた人がつけたらしい。
足音は、蹲ってべそをかく理の前で、止まった。
「――理」
聞き覚えのある、男子の声だった。
思わず顔を上げてしまうと、そこには相変わらず、優しそうな顔立ちをした穏やかな男子が立っていた。
「――真兄……」
小野寺真。同じ時に生を受けた、双子の兄だった。
夏休みのうちに東京の実家に帰ってきても、ちゃんとした会話すらしなかった兄が、目の前に立っている。
泣き顔を見られた、と言う段違いの恥ずかしさを噛み締め、理は咄嗟に顔を下ろす。
そして、そんな妹の態度も、兄はわかりきったかのように、受け流していた。
「先生に呼ばれて来た。みんな理の事を心配している」
「私のことなんか、心配されてない……。はるかの行方が、心配なだけ……」
「先生も大騒ぎしている。一体何があったんだ……? 話してくれないか、理」
真はベッドの前に立ったまま、理を見下ろしている。
「……」
「こんな暑い部屋の中で、布団にくるまって……死ぬ気だったのか?」
「……」
「……」
真は無言で、理を見つめたまま、ぎこちなく視線を逸したりしていた。
そして、何かを決心したかのように、ひとつ大きく息を吸い込む。
「自分の事で落ち込んだり悩むのは良い。けれど、他の人が関わっているのならば、その人の為にも立ち上がるべきだ」
「もうどうにもならない……」
「諦めては駄目だ、理。その女の子を助けなくちゃ!」
真は理に詰め寄るが、理は怒鳴り返していた。
「だから、もうどうにもならないんだってばっ! どっか行ってよっ!」
「断る!」
真がぴしゃりと、怒鳴り返す。
温厚なはずの兄のまさかの怒鳴り声に、理は思わず、蹲っていた身体をぴくりと動かしてしまう。
「え……」
「ご、ごめん……びっくりしたかな……」
真は少しだけ気恥ずかしそうに、彼女と同じ色の髪を手でかいて微笑んでいる。
「僕の友だちの……真似なんだ。でもきっと、彼なら、君を前にしたらこう言うと思う」
「勘弁してよ……。お兄がお兄じゃないみたい……。誰の真似よ……」
「天瀬誠次さん。去年の春からずっと、僕の憧れの人だった」
真はそう言って、右手をぎゅっと握り締める。
「嘘でしょ……。あれのどこが……」
「アイドルのライブを一緒に見に行ったとき、事件に巻き込まれてしまって……。僕はなにも出来なかったけど、天瀬さんは率先してみんなを助けようとした。天瀬さんは僕から見れば、ヒーローみたいなものなんだ」
真は瞳を閉じ、過去を回想するようにしていた。
「いつかは僕も、天瀬さんのように、正義の為に戦いたい。それでいて誠実に、誰かの為になりたい。夢見た憧れのヒーローが、同じ部屋にいるなんて、今でも僕は信じられないよ」
胸に手を添えていた真は、そっと、橙色の瞳を開ける。
「……でも、僕はどう足掻いたって僕のままだ。天瀬さんのように剣は使えないし、勇気があるわけでもない……。だけど、せめて頑張って走って、追いついてみようとは思うんだ」
兄の覚悟の声と言葉を受けた理は、そっと、被っていた布団から顔を覗かせる。
優しいけど頼りなくて、頭はいいけど勇気がない印象だった兄が、ほんの少しだけ、凛々しく見えていた。
「お兄……?」
「そして……天瀬さんがかつて出来なかったことを、僕はやり遂げたい。妹を守る……」
真はそう言って、理に向かって手を差し伸ばす。
思わず手を伸ばそうとした理であったが、すぐに俯いてしまう。
「きっと無理……」
「やる前から諦めたくはない。これも、天瀬さんの受け売りだけどね」
真はそう言って微笑んでいた。
強くなってきた雨と風の音が、窓の先から聞こえてくる。その向こうで、まだ誰かが助けを求めて待っているかもしれない。
そうだ。自分がくよくよしていたって、自分のせいで傷ついた人の為になるはずがない。殻に閉じ籠っていても、なにも変わらないし、状況は悪くなるだけだ。
問題は、そこから再起の仕方だった。プライドや羞恥、年頃の少女の引くに引けない難しい感情が、最後まで邪魔をする。
それでも、しばらく見ない間にすっかり頼もしくなった兄がこちらに手を差し伸ばしてくれている姿を見れば、その手を取りたくなってしまった。きっと、彼を取り巻く環境――すなわち、天瀬誠次が、頼りなかった彼を変えていったのだろう。
「なによ……お兄のくせに、生意気……」
理は自分から被っていた布団をどかすと、目元に残っていた涙の跡を、ごしごしと擦る。
久し振りに身体を動かしたからか、関節は重く、パキパキと骨の音も鳴る。全身はぐったりしたままだが、動けないわけではない。
「理。一体何があったんだ? 僕に話してくれ」
「うん……」
そうして理は、昨日起きたことを話し出す。
信じていた一希にも裏切りのようなことをされ、極度の人間不審に陥っていたはずだった。
しかし、兄である真の優しい表情を見れば、それはそんな心の痛みさえ和らげてくれるようなものだった。
「そんなことが……」
真はあごに手を添えて、沈痛な面持ちで理を見つめる。
「私にも出来ると思ってた……。でも、駄目だった……」
「今も学園にいる特殊魔法治安維持組織は、雨宮愛里沙さんを追っている。そして、星野一希と言う人と、その味方の組織、光安。そして、現在雨宮愛里沙さんを確保しているもう一つの組織。この三つが、雨宮愛里沙さんが持っている情報とやらを取り合っていると言う事か」
「うん……」
「少なくとも、この件は魔法学園の教師に伝えるべきだ。理が一人でどうにかできる問題じゃない」
「待ってお兄! 私、迂闊に外に出られないの!」
女子部屋の出口に向かおうとした真の腕を、理は掴んで止めていた。
「特殊魔法治安維持組織がさっき来た……。廊下にもいるって、友だちが教えてきたから、絶対私のことを監視してる。雨宮さんのことを知っている人として。私が変な動きをすれば、すぐに捕まっちゃう……!」
「確かに。でも真実を知るのは理だけだ。どうにかして理を、特殊魔法治安維持組織から発見されないようにしないと……」
あごに手を添えて思い悩む真の、兄の姿を、理はじっと見つめる。
そして、なにか閃いたかのように、手をぽんと叩いた。
「そうだ。アリバイを作るっていうのはどう?」
「アリバイ? 刑事ドラマでよくある、犯人の工作のようなものかい?」
「うん。それも、双子の私たちが出来る、入れ替わりのトリック!」
~解決策を教えてやんよ!~
「僕は一体、どうすれば……」
かずき
「ん? どうした星野」
みしぇる
「ミシェル先生」
かずき
「僕は将来、やはり闇墜ちする運命なのでしょうか……」
かずき
「馬鹿野郎ッ!」
みしぇる
「闇堕ちは甘えだっ!」
みしぇる
「ええ……」
かずき
「男だったら、腕相撲で勝負しやがれ!」
みしぇる
「腕相撲……」
かずき
「腕試しってことですか」
かずき
「ああそうだ」
みしぇる
「男だったら、その交わる腕の中で分かり合うこともあるだろう!」
みしぇる
「ネバーギブアップだ!」
みしぇる
「ありがとうございます」
かずき
「僕、腕相撲で対決してきます」
かずき
「これはこれで、平和じゃないかな……?」
はるか
「俺の主人公ムーブの意味はいずこへ……」
せいじ




