5 ☆
ヴィザリウス魔法学園の学園食堂は、図書館と同じく、それ一つが独立した棟、食堂棟に建てられている。
昨年の昼は、そこへ全校生徒の数千人余りが駆け込むので、下級生である誠次たちは居るに居れない事態となっていた。購買で弁当などは買えるし、なんなら自分の寮室で作ってしまうと言う強者もいた。
そして迎えた新学期。誠次が身に付けている青いネクタイや青いラインの制服は、今や二学年生の証だ。
「……ここが!」「学食……!」
ようやくまともに入ることが出来た施設の全体像を見渡し、誠次と志藤は驚嘆する。
二階建ての棟内に足を踏み入れた途端、料理の香ばしい薫りが漂う。男子も女子も関係なく訪れている事を見るに、やはり繁盛しているのだろう。
厨房を見渡せば、白い割烹着を身に付けたおばちゃんたちが、食べ盛りの学生たちの為にせっせと働いている古き良きなんとやらな光景があった。チルドや冷凍保存解凍食品が当たり前の世の中だが。なんと全て手作りとのこと。
「学生証を使えば、どれでも無料。ただし一日に三品まで、お残し厳禁。だってさ」
「はーい」
志藤の説明に、誠次はほとんどうわの空で答え、学生証を片手に広い食堂内を歩く。気分だけで言えば、テーマパークのレストランにいるようだった。
「おっ。剣術士くんもとうとう学食デビューか?」
三学年生となった緑色のラインの制服を着ている先輩男子が、集団で声を掛けてくる。彼らはここでも先輩であり、当然の如く集団で椅子に座っている。
「はい。オススメのメニューとか、何かありますか?」
「そりゃお前、牛カツ定食だろ。あの滲み出るジューシーさは、他じゃなかなか味わえないぜ?」
「兵頭先輩だって、朝昼晩三食牛カツ定食食ってたから、あんな身体になったんだぜ?」
「あの兵頭先輩も!?」
かつての生徒会長の勇姿を思い出し、誠次は声を荒げる。
「食い続けたら、俺も兵頭先輩のようながちむちな身体になるのか……」
「お前はどこ目指してんだよ……」
持ち上げた自分の両手を見つめる誠次に、志藤がツッコんでいた。
そうと聞けば、もう牛カツ定食を頼まずにはいられない。誠次と志藤は早速、おばちゃんが待ち構える学食のカウンターまで向かう。志藤も冷静を装っているが、何だかんだで牛カツ定食を頼むつもりのようだ。
「牛カツ定食? ああ、今日はもうおしまいだよ」
「「マジですか!?」」
「うん、マジ」
おばちゃんは「悪いねえ……」と申し訳なそうに苦笑していた。
「で、ですが、まだ昼休みになったばっかりのはずですよ!?」
空中で流れるホログラムのテレビ画面。そこに表示されている時間を確認し、誠次は慌てておばちゃんに訊く。
「牛カツ定食はうちの大人気メニューだからねぇ。材料は大量に仕入れてるけど、いつもすぐになくなっちゃうのよ。まさに秒速でね」
「早、すぎる……」
志藤も肩を落とし、落ち込んでいるようだ。
「ごめんねぇ。他のメニューも美味しいから、ぜひ頼んでって頂戴!」
「「はい……」」
苦い食堂デビューとなった二人は、それぞれたぬきうどんときつねうどんを頼み、皿の乗ったトレーを持って席へ向かう。やはり食堂は混雑しており、席もすぐに埋まっていっている。自家製のコシの強い弾力ある手打ち麺が美味しいと言う、うどんが伸びてしまわないうちに、急いで二人は空いている席を探す。
「あれ、香月じゃね?」
志藤がクラスメイトの少女の姿を見つけ、誠次も視線を合わせる。
「本当だ。何悩んでるんだ?」
誠次が見た香月の姿は、椅子に座り、自分が頼んだメニューに顎に手を添えて難儀しているところだった。
前の席がちょうど二つ分空いていたので、誠次と志藤は香月の元まで向かった。
「よ。一人か?」
志藤が声を掛けると、はっとなった香月が顔を上げる。
「別にお昼ご飯を複数人で食べないといけない決まりなんてないから。こんにちは天瀬くん、し……しんどうくん」
「志藤な。……しかしよくレパートリー尽きないよな……」
志藤の名前を覚えていないシリーズは、なぜか香月の中で恒例行事となっている。
「古いものから使い回していくつもりだから、安心して頂戴」
「ぶはっ。使い回すって、相変わらず面白いな」
誠次がくつくつと笑えば、
「出来ればもう勘弁してほしいのと、相変わらず俺の右隣の奴の笑いのツボはよく分かんねえ……」
がっくしと肩を落とす志藤も、まんざらでもないように苦笑していた。
「前の席、良いか?」
「ええ、どうぞ」
誠次が尋ね、香月は頷く。
「ありがとう――って、はあ!?」
香月の手元を何気なく見て、誠次は思わず叫ぶ。叫んだ誠次が持っていたたぬきうどんが丸ごと宙を舞い、再び手元のどんぶりへと収まる。そこまで驚いたのだ。何故ならば、香月の手元には、紛うことなき牛カツ定食があったからだ。ほかほかと湯気が立っているその美味しそうな見た目は、思わずよだれを垂らしてしまいそうなほど、食欲をそそられるものだったが。
「何をそんなに驚いているのかしら」
誠次の余りある反応に、香月は若干引いてしまっている。
「そ、それは、牛カツ定食だよな!?」
「えっ、あっ!? マジだっ!」
誠次の言葉に、隣の志藤も気づく。
「凄いわ、よく牛カツだと分かったわね。九割方は豚カツと言うのだと思うのだけど。……さすが一パーセントの存在である貴方ね」
香月は無表情ではあるが、感心するように、誠次を見上げる。
「魔術師じゃなくて剣術士だからな……て、そうじゃなく! 間に合ったのかそれ!?」
「間に合う? ええ、別に……」
いまいち意味が分かっていないようで、香月は小首を傾げている。
「状況的に考えてダッシュしただろ!?」
志藤も納得がいかないように香月に詰め寄るが、香月は白い眉根を寄せる。
「ダッシュ? 私は別に、お腹が空いたから”ふらっと”食堂に向かっただけよ。そこでオススメと言われて、思わずこれを頼んでしまったの」
しかし香月の手元にある牛カツ定食は、お味噌汁とご飯と漬物の量こそ減っているが、肝心の牛カツはまだ綺麗な楕円形のままである。
美味しいものは最後に残しておくタイプ、と言ったよくある理由では、香月の気難しい表情を見るにないだろう。
「あ、でもそういえば香月、お前肉嫌いだったよな!?」
志藤が思い出す。
一方、その隣で誠次は椅子に座り、大人しくたぬきうどんに七味を掛けて、ずるずると食べ始める。
「ええ、そうよ。だから悩んでいるの」
なるほど。それで一人で定食相手に顎に手を添えて悩んでいたのか。遠くからだったらずっと見ていられていそうだった光景の理由に納得した誠次は、もぐもぐとコシのあるうどんを咀嚼する。うん、美味しい。
「だったら交換しないか? 俺のきつねうどんあげるからさ!」
一方で志藤は、自分のきつねうどんを香月の目の前に差し出す。
しかし香月はきつねうどんを、とりわけうどんの上のお揚げを、軽蔑の目で見つめる。
「……キツネはもっと嫌い。前に私の使い魔のウサギが、キツネに追いかけ回されたから」
食を諦めない志藤の手元のうどんを眺め、香月は嫌悪感を示す。
「どういう状況だそれ!? 食えないんだろ肉? だったらいいじゃんかよ!?」
「確かに私はお肉は嫌いよ。あの肉の油が喉の奥を通過すると、全身が気持ち悪くなってしまうの……」
香月は箸を握り締め、口惜しそうに呟く。
「だったら――」
「でも、嫌いなものもちゃんと食べないと、大人になれないから」
香月は意を決したように、分厚い牛カツを一切れ箸でつまみ、持ち上げる。さく、ときつね色の衣が音を立てて、男子陣から見ればとてつもなく美味しそうなものだが。
「嫌いでも我慢して……ち、ちゃんと全部食べるわ」
拒否反応だろうか、牛カツを摘まんだ箸を持つ香月の白い右手が、ぷるぷると震えている。
「いや何もここで我慢しないで良いと思うんだっ! き、嫌いなものが一つや二つあっても良いって思うぜ!? な!?」
「志藤……」
食い意地を張る志藤の右肩に、ふと誠次がぽんと手を乗せる。
「天瀬! お前がなんか言えば、香月も俺たちに牛カツ定食をくれるはず――」
「観念して、温かく見守ろう」
「お前は何だよっ!?」
達観した表情で微笑む誠次に、志藤がツッコむ。
「そうよ……二人ともちゃんと見てて。……私が頑張って牛カツを食べるところを!」
「頑張れ香月!」
「いやなんで見ないといけないの!? 誰も幸せになってねえ!」
香月が悪戦苦闘して牛カツを食べる姿を真正面から、誠次と志藤はうどんを啜りながら見ているのであった。
「また、麺が伸びてやがる……」
食い意地もほどほどに。志藤のきつねうどんは関東らしい濃く甘いかつお汁を盛大に吸収し、膨れ上がってしまっていた。
「んっ。……も、も、お、お手洗いに……行って、くるわ……」
残さずに最後の一切れを食べ終えたところで、香月は両手で口を抑え、椅子を引いて立ち上がる。小さな顔の両頬が膨れ上がっている様は、さしずめ食べ物を大量に口に含んだハムスターのようだった。
「皿、片付けておくよ……」
「はりが、とお……」
綺麗に残さず食べていた香月のトレーを引き寄せ、誠次は心なしか大きく見える努力した香月の背を見送っていた。ご飯の入っていたお椀も米粒一つなく、宣言通りだった。
自分との戦い(?)に勝利した香月の、どこか神々しく見える背中を見送っていると、背丈の高い体格の良い男子生徒が、香月と入れ替わるようにやって来る。
「ハッハッハ。席空いたっぽいから、座るぜ?」
クラスメイトで友人の、帳悠平だ。誠次にすればルームメイトでもあった。
誠次と志藤もまだまだ食事中であり、帳を快く迎えていた。帳はすでに食事を終えていたようだ。
テストのことなど、適当な会話で盛り上がっていたところ、帳が「ところでさ」と突然神妙な顔をする。
「なあ天瀬、志藤」
先に昼飯を食べ終えた誠次と志藤は、電子タブレットを意味もなく起動し、また意味もなくアプリを開いては閉じたりを繰り返しているところだった。
「お前らこの春、義理の妹って、出来たか?」
「いや、出来ないけど」
志藤がさらりと答える。また帳が好きな何かのアニメの話だと思っているようだった。
誠次も最初はそうだと思い、「そうだな」と適当に相づちを打つ。
「そっか……。まあ、そうだよな」
帳はふぅと、決して軽くはないため息をついている。
一体どうしたのだろうかと、誠次はグラスの緑茶をストローで吸いながら、思い悩んだ様子の帳を見つめる。
「あのさ。……俺、実は出来たんだ、義理の妹」
「「おおう!?」」
それはそれは、電子タブレットから出力された青白いホログラム画像に砂荒しが走るほどの、驚きようだった。
「言うタイミング、ミスっててさ……。まずはお前ら二人に話しとくわ……」
帳も困ったように、誠次のと比べれば焦げ茶色な髪の毛をかいていた。
「やべーわ! テストのことなんか見事に吹っ飛んだわっ!」
「義理の妹、だと? ……いきさつを詳しく聞こうじゃないか」
志藤がひっくり返りそうになっている隣で、誠次は机の上に両肘を乗せ、組んだ手を鼻の下に添えて帳を見つめる。
目の前に座る帳はやや迷いながらも、口を開く。
「親父が言ってたんだ。……高二の男子の春には、義理の妹が出来るもんだって……」
「お前ん家どうなってんだよ!? 普通出来ねーよ!?」
志藤が腰を浮かしている。
「で、でもやっぱ妹って、可愛いのか?」
「義理な」
「義理の妹!」
しかし、志藤もまた興奮を隠しきれず、帳に訂正されながらも訊く。
「いやぶっちゃけまだ出来てから二日目だし……。いまいち実感がねえんだこれが」
帳は困ったように髪をかく。
「出会って間もないのであれば、実感が沸かないのも無理はないだろう」
腕を組んでうんうんと頷く誠次に、
「義理の妹が出来たことに対する呑み込みは早いのな……」
志藤がげんなりとツッコむ。
「俺はまだ信じてねーぜ? じゃあさ、見た目は!?」
「それは可愛いぜ。アイドルみたいでな」
「うお、マジか! 写真ねえの!?」
「探せばあると思う。すぐ見つかるだろうし、きっとどれもキラキラ輝いてるはずだ」
出会ってまだ二日しかないと言うのに、まるでどこかにしまってあると言うような帳の物言いだった。
「ベタ誉めじゃねーかよ……。んな事言ってると、ハードル上がるぜ?」
志藤が試すようにして言っている。
「まあ帳って、俺たちの中じゃどこか゛兄貴゛みたいじゃないか? 気さくな感じの良い兄さんみたいな」
誠次が顔を上げ、帳と志藤を交互に見ながら言う。
「お兄ちゃん、なんて、ある意味似合ってるよ」
「ハッハッハ。サンキューな天瀬。それだったら、妹を紹介するよ。自慢の、妹だ」
にっこりと微笑む帳である。そして、何かの合図を送るように、軽く手を挙げている。緑色の視線と動作は、誠次と志藤の後方へ。
期待に胸を踊らせ、顔を上げた誠次と志藤は、同時に振り向いていた。
「へえー」
「へっ!?」
志藤と誠次。寄ってくる帳の義理の妹を見た互いの反応は、異なっていた。
桃色の髪に、赤いふちの眼鏡。しかしそれは、本来ある彼女の可憐で華やかな姿を隠すために敢えてしている、偽りの仮面のようなものであった。
「――お兄ちゃん!」
駆け寄ってくる少女――帳結衣は、振り向いた誠次と志藤の目の前で立ち止まる。
「お友達さん?」
にこにこと笑顔を見せる結衣を見上げ、思わず震え上がる誠次は首をぎこぎこと動かして、帳を睨む。
「と、帳……。妹って……」
「義理な」
「ぎ、義理の妹って、まさか……」
すかさず指摘され、言い直した誠次はごくりと唾を呑む。
「帳結衣です!」
「へー。一見地味そうだけど、よく見るとめっちゃ可愛いじゃん!」
正体に気づいていない志藤が、結衣をじっくり見つめて言う。
「ほら、アイドルの桜ちゃんに似てる! あんまり詳しくねーけどテレビよく出てるあの娘!」
「「……」」
志藤の何気ない言葉に、戦慄する二人。
「ありがと、志藤先輩っ!」
「まあな」
言葉を失う二人の前で、悲しいかな照れ臭そうに志藤は笑っていた。
「あ、天瀬先輩。”お久し振りですね”」
結衣は誠次の背中の鞘に収まっているレヴァテイン・弐に手を添え、ぼそりと告げる。
「お、お久し振りっ、です……」
まさかの事態に硬直して膝の上に両手を添え、気を付けの姿勢をする誠次は、自分の横を通りすぎて行く結衣を目線だけで追いかける。
結衣に気づかれぬ間に、どう言うことだ、と帳に瞬きで信号を送るが、帳からの返答は、それはこっちが聞きたい、と言わんばかりの困り顔だった。
「知ってんの、天瀬?」
志藤が「へぇ」と呟き、背もたれに背中を預ける。
「が、学園紹介の時、ちょっとな……」
「そう。ちょっとだけ」
……ぐさっ。にこりと微笑む結衣の言葉は、刺々しい。
「ゆ、結衣……。魔法学園は、気に入ったか?」
帳が助け船を出さんとばかりに、兄さんっぽい事を言っている。
「うん! 高校はずっと前からここにするって決めてたし、来れて良かった!」
「そ、そうか。ハッハッハ……」
「でも。四月中にテストがあるなんて、意地悪ですね。魔法実技試験なんて私たちは明らかに勝ち目がないって言うのに」
結衣は不満そうにしながら、兄である帳の隣に座る。
「どんな人が私の相手なんだろうなー。まあ、やるからには全力で勝ちを狙うつもりですけど」
結衣は勝ち気な表情で頬杖をつき、誠次を見つめる。自分の扱う魔法に自信がある、と言うだけの理由ではなく、並々ならぬ情熱を、感じる。
「――私から言えることは、あまり先輩を舐めない方が良いわ、と言うことくらいかしらね。みんな、それなりに強いから」
いつの間にかにお手洗いから戻ってきた香月が、机の横に立っていた。すると、机の下から香月の使い魔である白いウサギが顔を出し、香月の足下に寄り添う。
「……そんなつもり、ありませんよ」
結衣は香月を見つめ上げ、すぐに視線を落とす。
「そう、なら良いわ。あと……あとでサインをくれると嬉しいわ」
香月の言葉に、結衣は驚く。
「どういう事?」
なぜ後輩のサインを欲しがるのかと、志藤が四人を見渡す。
「せっかく前の文化祭の時に来てくれた際、サインを貰えなかったから」
香月は机の上に飛び乗ったウサギの大きな耳を、優しく撫でてやる。
アメジスト色の視線は、椅子に座る誠次へと向けられる。
「何処かの誰かさんが、私の目の前で倒れて、ね」
「香月……」
はっとなる誠次に、香月は少しだけ、恥ずかしそうにそっぽを向く。
「安心して。あの時の事は、忘れないから。ずっと、いつまでも……」
そう語る香月の優しい言葉と美しい声は、まるで昔からずっと言われ続けていた言葉のように、誠次の記憶に強く残っていた。
※
「――桃華ちゃんって、あ……あの文化祭の時のアイドル!?」
「「気づくの遅いなっ!」」
学食を出て、ようやく気づいた様子の志藤に、誠次と帳がツッコむ。
「眼鏡かけてたし髪もばっさり切ってたしよ。そもそもあんま知らなかったし……」
「まあ確かに、眼鏡かけてたし髪もばっさり切ってたし、俺も気づかなかった」
「お前らなあ……。まあ眼鏡かけてたし髪もばっさり切ってたし、俺も気づけなかったけどさ」
志藤と誠次と帳は、同じ斜め上方向を眺めながら、回想するように呟く。
「でも、何で桃華ちゃんが帳んところの妹に?」
「元アイドルが義理の妹とか、普通じゃないぞ」
「いやそもそも義理の妹が出来るのが普通じゃないし……」
志藤の言葉に、誠次がぼそりと呟くが、帳が苦笑する。
「親の都合で、ちょっとな……」
帳は頬をぽりぽりとかいていた。
深い詮索は無用、か。誠次と志藤は無言で頷き合い、まず志藤が大きな声を出した。
「まあ、良かったんじゃねーの? ヴィザ学来れて嬉しそうだったし。あのまま無理にテレビ出させ続けるよりは、普通の女の子の生活を送らせてやるのもさ」
面倒見もよく、志藤は言っている。
「ああ。桃華さんが望んだんなら、俺たちがとやかく言うこともないな。これは俺たちだけの秘密にしよう」
誠次も気前よく頷けば、
「助かる二人とも。いや、本当にお前らで良かったぜ」
ほっとひと安心した様子の帳であった。
「そうだ。帳が二人もいることだし、名前で呼んでくれていいぜ? 悠平、ってな」
「悠平、へい!」「へい、悠平!」
「おい……馬鹿にしてないよな……?」
にこやかに瞳を瞑って腕を持ち上げた悠平に、誠次と志藤は身の危険を感じて慌てる。
「まったく。じゃあ礼に今度、飯でも奢ってやるよ。俺の学食二品分使ってな。ちょうど旨いメニュー、今日食ったんだ」
「へえ、何食ったんだ?」
誠次が訊く。
「牛カツ定食」
「「お前は食えたのかよっ!」」
※
四月末のテストが近づき、魔法学の授業も実戦を想定したものが一気に増えていた。二学年生になれば実戦を想定した授業となる。それはあらかじめ言われてきた事であり、ここで根を上げようものならばすなわち、この先魔法世界で魔術師として自立する事は難しいと言うことにもなる。
演習場では、2―Aが魔法実技の授業中だ。
「《エクス》!」
「ぐわっ!?」
この魔法世界で詠唱と言う行為は、俗に言う魔法を発動する前の前口上のようなものではなく、単に仲間との連携や、乱戦での同士討ちを防ぐ為、発動する魔法の名を言うことを意味する。
詠唱をきっちりと行い、クラスメイトの男子を倒したのは桜庭莉緒だった。
「やるな桜庭」
魔法が使えず、試験にも参加できない誠次は、さながらコーチのように、演習場内を巡回する。たまに攻撃魔法があらぬ方向へ飛ばされて来たときは、ヒヤリとはするものだが、まだまだ無属性のものが多いので、無傷でいられている。巡回はそれゆえの特別行動のようなものだ。
「うん! 特訓したからね!」
頬から汗を一筋だけ流しながらも、桜庭は張り切って答える。
「去年の春からは考えられない成長だな」
「そ、それはお互い様! まあ……元々天瀬は凄かったけどさ」
桜庭は誠次の背中と腰にある一対の剣と、誠次自身を見つめながら言う。
去年の春、初めての魔法実技の授業では、誠次と桜庭はペアを組んで防御魔法の習得をした。桜庭はお世辞にも魔術師向きの才能とは言えなかったが、努力を重ねて来た結果が、今に表れてきている。
「こうちゃんやみんなにも感謝してる。才能がなかったあたしを見捨てないで、親身になって魔法を丁寧に教えてくれて」
優しく、思いやりのある少女たち。だからこそ、桜庭を含めて自分に付加魔法と言う力を貸してくれるのだろうと、誠次はしみじみ実感していた。
桜庭は今や珍しい部類に入る黒髪の横髪をそっと触り、おもむろに赤く染まった顔を、誠次の耳元まで近づける。
「付加魔法も、頑張るからね?」
ぼそりと、周囲には聞こえない程度の小声であったが、その言葉に確かに込められた熱を感じ、誠次は思わずびくりと身体を震わせた。
「あ、ああ。俺も桜庭の付加魔法がどんな力なのか、少し楽しみでもあるんだ」
「期待させた分、後悔はさせません!」
大きめな胸を揺らし、えへんと胸を張る桜庭には、今まで付加魔法が失敗してきた過去と言う後ろめたさを感じさせないものだった。
「そう言えば、桃華ちゃんヴィザリウス魔法学園に来てくれたんだね」
「え、どうしてそれを?」
桜庭を見つめ、誠次は驚く。
「ええっ!? しのちゃんが話してて、廊下ですれ違ったけど、あれはどっからどう見ても桃華ちゃんじゃん……」
「よく気づけたな!」
「逆によく気づけなかったね!?」
桜庭は信じられないようで、誠次を見つめる。
「逆にどうして分からないかな……」
桜庭は肩を竦め、くすくすと微笑んでいた。
「桃華ちゃんに謝った方がいいよ。気持ちを分かってもらえないと、結構ショックだと思うから」
「そうだな。そうする……」
桜庭のアドバイスを受け、誠次は無念だと視線を落とす。
桜庭は誠次を心配そうに見つめ、ぽんと、レヴァテイン・弐を背負ったその右肩に手を添える。
「へーきへーき! みんな天瀬の事は信用してるし、桃華ちゃんも優しいから、分かってくれるって」
目の前に立ち、こちらを元気づけようとしてくれる桜庭に、誠次は微笑む。
「……優しいのは、桜庭もな」
「え。……うん、ありがと」
どこか切なそうに緑色の目を伏せたのも一瞬のこと。桜庭はすぐに顔を上げ、にこりと笑顔を返していた。
「桜庭! 次は俺と勝負だ!」
「うん、良いよ! 本気で行くからね!?」
クラスメイトに声を掛けられ、桜庭は気合いを込めて立ち向かう。
しかしきっと、そのいくらか幼く見える横顔の奥では、同年代の少女たちの中でもより多くの事を考え、憂慮しているのだろう。
「でもどうして、桜庭の付加魔法は受け付けないんだろうな……」
去り行く小柄な背中を見つめ、誠次は悩ましく顎に手を添えていた。
「天瀬! ふぉとんあろー、ってこれでいいの?」
「いいや、魔法文字が一文字ミスっている。それだと発動は出来ない」
誠次も声を掛けられれば、持ち合わせの魔法学の知識を使い、クラスメイトに教える。
手元で浮かばせた魔法式の周りをぐるぐると回っている魔法文字を指差し、誠次は女子のクラスメイトに教える。
「あ、サンキュー天瀬! 本当、天瀬魔法使えてたら、無双じゃん!」
「俺にはこいつで十分だ」
「天は二物をうんたらかんたら、ってやつ?」
「まったくだ」
背中と腰のレヴァテイン・弐を見せつけ、誠次は答える。かつては魔術師に憧れて魔法学を猛勉強した身であったが、今となってはそんな夢をどこかで割り切れるところまで、大人びたとも思える。無論、魔術師になると言うことは諦めてはいないが、剣術士としてこの魔法世界で生きる覚悟が備わったのだ。
「誠次」
一通りクラスメイトに攻撃魔法を教えていた誠次の元へ、近寄ってくる男子生徒が一人いた。
友人でありルームメイトの、夕島聡也と言う男子だ。眼鏡を掛けた知的な男子で、誠次も勉強で分からないことがあったらよく教えて貰っている。
「どうした聡也? 聡也が俺に訊きたいことなんて、珍しいな」
「違うんだ。ただ一つ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
聡也は静かに頷く。
ただならぬ友人の様子に、誠次も全身を聡也へと向ける。
聡也は、二つ上の兄譲りの切れ長な赤い瞳を、誠次の背中と腰の剣に交互に向けてから、意を決したように告げてくる。
「放課後、俺と本気の勝負をしてほしい」




