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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
涙雨にあなたの真理は霞んでしまう
89/189

「ここだけの話、作者は最初、僕たちが主人公な話を考えていたそうだよ。天瀬くんポジションは後輩の男の子だったとか」

           こう

 漆黒の剣を振るった少年と、それに縋った三人の女性が通り過ぎた後の、ヴィザリウス魔法学園の女子寮棟の通路には、負傷した特殊魔法治安維持組織シィスティムと、彼ら彼女らの流した血が残された。

 騒動を聞きつけた彼らの隊長である日向ひゅうがと、彼の捜査に同行している八ノ夜はちのやがそこへ辿り着いた時には、そんな凄惨な光景が広がっていた。


「これは……負傷者には治癒魔法を!」


 思わず言葉を失いかけた日向は、未だ血生臭さが残る現場を見つめ、急ぎの指示を出す。

 無事だった者は、すでに負傷した仲間への治癒魔法を次々と行っていた。


「うう……」

「確りしろ!」


 血を流し倒れた隊員へ向け、治癒魔法の光が次々と当てられていく。


「一体なにがあった?」


 日向もしゃがみ、女性隊員へ治癒魔法を当ててやっていた。


()()()が……突如、奇襲を……っ」

「剣術士、だと……?」

「雨宮、副隊長と、魔法生二人を、連れて行きました……。申し訳ありません……隊長……」

「構うな。すまなかった……」


 冷静に日向は、苦しむ女性の怪我を治療していた。

 

「……剣による切り傷に、違いはないな……」


 一方で、同行した八ノ夜は顎に手を添えて、傷ついた隊員たちの身体や、魔法学園の通路の至る所に奔っている切り傷を、確認する。


「――剣術士による攻撃に違いないようですね、八ノ夜理事長?」


 背後に立つ日向からかけられた言葉に、八ノ夜はぴくりと反応する。

 振り向けば、険しい表情を浮かべる日向が、こちらを睨むようにして立っていた。


天瀬あませがこの学園で人を斬ったと言いたいのか?」


 眉根を寄せ、八ノ夜もまた、日向を睨んで言う。


「ええ。聞けば剣術士こと、天瀬誠次あませせいじは貴女の腹心の魔法生だ」

「世迷い事を……。アイツがこのような惨劇を望んで引き起こすはずがない」


 八ノ夜はかぶりを振り、腰に手を添えて平然と告げる。


「一体何事ですか……?」


 外の騒ぎにようやく気付いたのだろうか、部屋のスライド式のドアを開けて、通路の様子を確かめようと、女子生徒たちが出て来てしまう。


「え……これって、血――っ!」

「中に入っていろっ!」


 血塗れの通路の光景を前に、一瞬にして怯えた形相を見せる寝間着姿の女性生徒に、八ノ夜が声をかける。

 見てはいけないものを見てしまった女子生徒が慌ててドアを閉め、そしてすぐに、八ノ夜は職員室にいる教師に電話をかけ、アナウンスをするように頼んでいた。

 

「ええ。部屋の中に戻り、絶対に外出をしないように促すよう、放送してください」

「大至急、天瀬誠次の身柄を確保しろ! 事情を問い質すんだ!」


 そんな八ノ夜の背後で、日向が部下たちにそんな声をかけていた。

 咄嗟に振り向いた八ノ夜は「やめろっ!」と幾分かの冷静さを失いかけながら、声を荒げていた。


「しかし八ノ夜理事長。状況が奴の介入を物語っています。それとも、瞬く間に特殊魔法治安維持組織シィスティムクラスの魔術師を斬り伏せ、三人の女性を逃がした剣術士が他にいるとでも貴女は仰るのでしょうか?」


 日向の言葉を受け、八ノ夜はぐっとくちびるを噛む。八ノ夜の中で彼ならば、数多の戦いをこなしてきた彼ならば可能であると言う事が、脳裏によぎってしまう。――しかし同時に、彼が何の意味もなく、致命傷になるほどの怪我を負わせる男などではないことも、八ノ夜は知っていた。

 

「天瀬の元へは私も共に向かう。お前たちの好きにはさせない」

「……」


 そうきっぱりと言い放った八ノ夜の心情の目まぐるしい変化を、日向は内心で感じていた。――隠そうとも、隠しきれてなどいない。それが、東日本の魔術師たちの長に立つ魔女の、心に強く在る存在。

 八ノ夜美里が、天瀬誠次に対し、決してただの魔法生などではない、特別な感情を抱いていることに。


 誠次がいる男子寮棟の寮室に、特殊魔法治安維持組織シィスティムと八ノ夜がやってくる。


「――ですから、俺はその時間は寮室にいました! 俺の友だちが証人です!」


 玄関に入って来ていた特殊魔法治安維持組織シィスティムに対して、廊下で反論する誠次の言葉を受けながら、隊員らはその奥にいる男子ルームメイトらの顔を窺う。


「本当だ。天瀬は俺たちと一緒にいた!」


 答えたのは、志藤しどうのルームメイトの一人だった。


「お、おう。確かにいた!」

「昼からずっとここにな。本読んだりしてました」


 他の二人も、頷き合う。


「口を合わせた可能性もある。にわかには信用など出来ないな」


 特殊魔法治安維持組織シィスティムは頑なに誠次を疑うが、誠次は首を横に振る。


「友だちとは言いましたが、実際は俺はアイツらとはまだそこまで仲良くはありません! 口裏合わせなど早々しませんよ!」

「「「お前……やっぱり売るぞ……」」」


 腕を振り払って答えた誠次に、志藤のルームメイトたちが後ろの方でズッコケる。


「……こちら男子寮棟、寮室。天瀬誠次には確かにその時間のアリバイがあるようです……」

「提供された電子タブレットの会話履歴を見ても、その時間帯に女子生徒との会話の記録がありました」


 そんな言葉を通信機に吹き込む特殊魔法治安維持組織シィスティム隊員らをしり目に、ほっとした様子で同行していた八ノ夜が胸を撫で下ろす。


「――了解しました。そちらに戻ります」

「……失礼した」


 頭を下げ、再びと特殊魔法治安維持組織シィスティムたちが部屋から外へと出て行った。

 息をついた誠次と、腕を組んで彼らを見送った八ノ夜が、互いの顔を見る。


「剣術士がもう一人って、一体何事でしょうか?」

「私にもわからない。ただ、あれは剣による傷に違いがなかった。それも、レヴァテインと同じほどの切れ味を誇るものだ。魔法ではああはならないだろう」

「レヴァテインと同じって……。実質的にそれは、レヴァテインなのでは……」


 誠次は真剣な表情で、顎に手を添える。あえて言えば、この仕草もまた八ノ夜の癖の影響を受けているのかもしれない。


「あんな魔剣がそこら中にうじゃうじゃあってたまるか。それに私は、お前以外の()()()など断固として認めん」


 八ノ夜は毅然とした口調で、そんなことを言う。


「ありがとうございます……八ノ夜理事長……」


 誠次はそれを嬉しく思い、微かに微笑んでいた。


「お前たちも、よく天瀬を庇ってくれた。有難うな」

「い、いや……別に……」「普通の事を、言っただけです……」「まあ、絶対友だちじゃねーけど……」


 視線を部屋の奥に向けた八ノ夜の言葉に、三人の男子も、ぎこちなく髪をかいたり、足を揺らしたりして、反応する。

 八ノ夜は彼らに笑いかけたのち、


「しかし、やはりこの学園で異常事態が起きていることは確かだ。()()()()()()()()()()()()


 最後に、時に艶やかさを感じさせる長いまつ毛の下で流し目をして、誠次にじっと視線を送り、背を向けていた。腰まではある黒く長い髪が、ふわりと、視界の先で舞っていた。


「……はい」


 一瞬であったが、それこそ魔女に魔法をかけられたかのように……。時が止まったような錯覚で、そんな八ノ夜の言葉を、誠次は真摯に受け止めていた。


         ※


 影塚広かげつかこうによる、雨夜の下での雨宮愛里沙あまみやありさ奪還は、一応は成功していた。

 フロントガラスの向こうで、雨粒が超音波の力で弾かれては、塵となって失せていく。不測の事態に備えて、手動運転をしていた為、両手は必然的にハンドルへ。夜のドライブでも一切気は抜けず、運転席に座る影塚は、張り詰めた身体で、周辺を警戒しながら、車を走らせていた。


「……」


 バックミラーに映るのは、後部座席の光景。そこには、雨と血に濡れ瀕死の重体となった特殊魔法治安維持組織シィスティムの女性、雨宮愛里沙が横たわる。

 そして、彼女の頭を腿の上に乗せた姿勢で座るのが、小野寺理おのでらあやと言う私服姿の少女である。彼女は身体への怪我自体は負ってはいないが、顔の頬や私服には親友だった少女が流した血がべっとりと付着したままで、虚ろな表情で座っている。車の振動に合わせて揺れる身体と頭とツーサイドアップの髪は、糸が切れた人形のようだった。ぐっしょりと濡れた前髪の底にある夏の向日葵のようだった目も、まるで生気が籠っていない。

 幻影魔法による催眠状態のそれと似ており、同じくらいのダメージを、心に負ってしまったのだろうと、影塚は感じていた。

 想定外だったのだ。雨宮愛里沙だけ助けるために現場に介入したところ、そこに魔法生の少女が二人もいたことは、まさに影塚の想定を大きく外れている事態であったのだ。

 

 東京都内の某所。レジスタンスのアジトとなっている都民会館の駐車場に、やがて影塚が運転する車が止まる。

 シートベルトを外しながら、影塚は再度バックミラーでちらりと後部座席を見る。

 治癒魔法を施したものの、雨宮は重体のまま、目を覚ますこともない。

 影塚は落としていた視線を持ち上げ、そっと、理に声をかける。


「……すまなかった。一緒にいたあのを、助けることが出来なくて。だけど、あの場で立ち止まっていたら、きっと三人とも助からなかっただろう」

「私が、巻き込んだ……はるか、を……」

「……」


 文字通りの放心状態で、影塚がどんなに気遣った声をかけてやっても、あやはうわ言を呟くだけだ。

 現役時代でも、そのような風になってしまう人の姿は、何度も見てきた。それは家族や最愛の人を”捕食者イーター”などにより目の前で失った時に起こし、こちらがいくら声をかけても、急に立ち直ることなどまず不可能だ。

 影塚はため息を堪え、運転席から外へ出る。湿る夏の夜風が吹く駐車場で、後部座席に回り、外側からドアを開けた。


「なに!?」


 その瞬間に、目の前で攻撃魔法の魔法式が、あろう事か理の手元から展開されていた。

 回転する円形の陣の向こう側から、理が憎しみを込めた目で、影塚を睨んでいる。


「やめるんだ!」


 しかし、影塚からすれば構築速度はとても遅く、咄嗟に発動した妨害ジャミング魔法により、理の攻撃魔法を粉々に砕いた。今も降っている大粒の雨粒に混じり、理の繰り出そうとした魔法式の残骸たちが、虚しく散っていく。


「どうして私を助けたのよ!? 私よりはるかを助けてよっ!?」


 それでも、泣きじゃくりながら必死に何度も右腕を伸ばし、攻撃魔法の魔法式を浮かべようとしている理であったが、影塚の操る妨害魔法の前では無意味だった。理が伸ばす未熟な右手は、ただただ虚しく空を切っていくだけだ。


「ごめん……でもあの状況じゃどうにもならなかった。僕は少なくとも、あの場で助かる人が多い選択をしたんだ……」


 伸びた前髪を垂らし、影塚は力なく言う。

 

「それに、僕にはどうしても果たさなくてはならない約束があったんだ……」

「約、束……?」


 理が影塚を見つめあげる。約束の為に、瀕死の友だちを見捨てたの? とも言わんばかりに、その二文字が持つ言葉の響きは、少々軽々しくすら感じた。

 しかし影塚からすれば、その言葉は深く身に刻み込み、今彼が戦う原動力となる。彼の長く伸びてしまった青黒の髪からは、幾つもの水滴がぽたぽたと、落ちていた。


「僕よりもずっと正義感があって、勇気があって、家族がいて、まだ死んではいけないはずの人と交わした、死に際の約束なんだ。当時のことを思い出すたびに、僕は何度も思ったさ。……あのとき死ぬべきはあの人ではなく、きっと、僕だったのだろうって……」


 自然と右手の握り拳に力を込めていた影塚であったが、詮無いことに気が付き、左手でその腕を抑えつけていた。


「……その人は特殊魔法治安維持組織シィスティムだった。そして、特殊魔法治安維持組織シィスティムによって殺された。今の特殊魔法治安維持組織シィスティムはもう、ただただ己の利益と保身のために、非人道的な行いですら許容する集団に成り下がった。僕は、今の特殊魔法治安維持組織シィスティムを変えると、その人と約束をした。そのためにはどうしても、雨宮愛里沙の持つ情報が必要だったんだ」


 影塚は垂れた前髪の底から覗く双眸そうぼうを、理へと向ける。


「……」


 静かに、また微かにだが、確かな信念と、そこに見え隠れする憎しみの怒りの感情を理は感じ、なにも言えずに無言となる。


「うう……っ」


 そして何よりも、なにも出来なかった自分が悔しくて、理は自分の身体を自分で抱き締めて、泣き出してしまう。


「……ごめんね。僕だって出来れば、全員を救いたかった……。でもそれは、とても難しかったんだ……」


 影塚は理にそう声を掛けると、理に膝枕をされる形で後部座席に横たわっている雨宮の身体を、再びお姫様抱っこの要領で持ち上げ、歩き出す。ぼろぼろになってしまったはるかの私服から伸びる彼女の腕が、だらりと、力なく伸びている。

 理も、まだ泣き跡を顔に残したまま、無言で影塚の跡を追っていた。はるかを失い、雨宮を守ることが出来ず、逆に守られていた今の彼女にはもう、明確な目的も、自ら何かを率先して行うような力も、残されてはいなかった。

 時刻は日を跨ごうとするぐらいだろうか。深夜の時間の都民館の内部は、大きな体育館のようだった。

 大きな窓から差し込む月光のみが明かりとなっているこの場に、影塚と理の足音だけがコツコツと響く。


「――お帰りなさい、元エースくん。おや、そちらのお嬢様は?」


 都民館の中で待っていたのは、影塚が身を寄せているレジスタンスのリーダー、朝霞刃生あさかばしょうであった。

 

「彼女は……」


 影塚が説明をしようとしたが、朝霞は手を伸ばし、「結構」と言っていた。


小野寺理おのでらあやさん、ですね」

「どこかで、お会いしましたか……?」


 誰も信じられないような警戒心を無意識のうちに出し、震える身体と声で理は自分の身体を抱きしめたまま、朝霞にき返す。

 長い黒髪をポニーテールで纏めた容姿の朝霞は「いえ、ただの私の勘です」とだけ告げていた。


「雨宮愛里沙奪還の現場にいた女の子だ。……状況的に見て、巻き込まれてしまったようだ」


 影塚が補足するように告げる。


「そうですか。では、貴女はこのまま魔法学園へ帰りなさい」


 朝霞が理を見下ろして、冷酷に告げる。

 

「え……」


 理が思わず訊き返すが、朝霞は淡々とした言葉を続ける。


「あなたがここにいても、出来ることなどありません。私がお送りしましょう。ご安心を。ヴィザリウス魔法学園へ安全に送り届けますから」


 まるで教師が生徒に言うように、理を宥めるように朝霞は言っていた。


「わ、私は……っ」

「帰ったほうがいい。今日起こったことは、忘れるんだ」


 影塚もまた、理を見て言う。


「……私、は……」


 理は項垂れたまま振り向き、月光を背に浴びながら、とぼとぼと歩き出す。

 傍目から見ても足取りがおぼついていないのは明らかで、放っておけば最悪の事態、と言うこともあり得なくはない状態であった。

 そんな少女の背を見送り、しかし今は優先すべきことがある影塚は、両手で抱えていた雨宮をゆっくりと床の上に横たわらせてから、朝霞を見る。


「あのはあのままでは危ない。せめて、幻影魔法で記憶の消去はしておくべきだ。頼む朝霞」

「フフ。ええ、私に抜かりはありませんとも」


 馬鹿にしているのか、純粋な笑みか。相変わらずどちらにも取れる笑顔で、朝霞は言っていた。

 

「さて。しかしやはり気になるのは、彼女の容態の方です」


 次に朝霞は、雨宮の前まで歩み寄り、しゃがんで手を取る。

 しかし、状態が芳しくないのは彼もすぐさま感じ取ったようで、飄々とした雰囲気はなかった。

  

「……衰弱が激しい。外傷は見てのとおりだが、体内魔素マナの消耗もだいぶ酷いですね。高度な設備が揃った病院に運ぶ必要があるでしょう」

「そうか。……あの時、彼の剣を止めることが出来ていれば……。いやそもそも、彼がいなければ……」


 影塚は悔しく俯く。


「……」


 朝霞の細い目もまた、月明かりに何かを思うように、遠くを見据えていた。


「ひとまず、本城直正ほんじょうなおまさ氏に連絡を入れましょう。そこで彼がどんな指示を下すのか、私たちは楽しみに待つとしましょう」

「了解した。僕は引き続き、治癒魔法を試してみる。……せめて、草鹿くさかさんがいれば……」


 レジスタンスの最大の後ろ盾である本城直正。彼からの指示があるまで、瀕死の状態の雨宮はひとまず、朝霞と影塚が預かることとなった。依然として、予断を許さない状態に変わりはない。


 真夏の熱帯夜の中、差し込む月明かりだけが頼りの都民館の小部屋の備え付けベッドの上で眠る雨宮愛里沙を、影塚は必死に看病していた。

 ベッド横の椅子に座り、額に滲んでいる汗をタオルで拭ってやる。身体は見ているだけでも暑そうで、全身から高温を発していた。

 朝霞を経由して、直正からの判断を待っている状態だ。

 彼女の容態は一定の状態を保ったままで、専門の治癒魔術師でなければ、こちらの操る応急手当程度の治癒魔法ではどうにもならない段階である。それこそ、かつての特殊魔法治安維持組織シィスティムの専属治癒魔術師で、現役時代ならばどんな負傷者も治してきた草鹿ほどの腕がなければ……――。

 雨宮愛里沙逃亡の情報が新派から入って以降、全力で彼女の奪還に取り組んだ影塚もまた、自身の身体の疲労を感じとり、うつらうつらとしていたところだった。


「――お久しぶり、で、す……影塚、さん……」


 微かに耳に届いたか細い声にはっと気がつけば、なんとベッドの上に横たわっている雨宮が、口を開けていた。


「雨宮!?」


 影塚はすぐに、スポイト容器に入れておいた水を、一つ年下の彼女の口元にあてがっていた。

 雨宮は水を美味しそうに飲むと、苦しそうに、濁ってしまっている緑色の目を開ける。


「髪、随分と、伸びましたね……」


 薄っすらと微笑む彼女に、少なくない罪悪感を抱きながらも、影塚も笑い返してやる。


「生きていてくれて、良かったです……。今の特殊魔法治安維持組織シィスティムにこそ、貴男のような存在が必要、なんです……」

「僕は、守るべきだった隊長ですら守れず、自分の命を守った臆病者だ……。あの時僕が、追ってきた日向ひゅうがと戦っていれば……」


 ――いや、そもそも僕が、あの時に第一分隊の隊長の任を引き受けていれば――。後悔と懺悔は続く。

 大雨の下。真っ白な砂浜の上の赤い血の記憶を思い起こし、影塚は悔しく唇を噛みしめる。あの日以来、あの日の出来事は何度も夢に出た。そのたびに違う結末を願うが、結果は同じだった。


「……ごめん。日向は、君の部隊の隊長だったね……」


 そして、今目の前で風前の灯火の命を燃やす女性の姿もまた、あの時を彷彿とさせる。

 その部隊の副隊長でもあった雨宮は、しかし重そうな顔をゆっくりと横に振る。


「いいの、です。あの人は……変わってしまった……」


 日向の忠実な相方として戦ってきたはずの彼女は、虚ろ気な目を埃が舞う天井へと向ける。そこでは差し込んだ月光が、青白い綺麗な線を描いているようだった。


「去年起きた局長とあなた方の裏切りの際も、私は日向隊長を信じて彼と共に戦った。その時に、私も気づくべきだったんです……。貴男方が、正しかったのだと……」


 振り絞るような声にも力は入っておらず、しかし影塚にはこれ以上どうしてやることもできず、ただただ雨宮の言葉を無言で聞いていた。


「それでも私は彼を信じた。心の何処かでおかしいとは思っていても、私は決して、彼から離れられなかった……」

「雨宮……?」


 影塚が雨宮をじっと見つめると、雨宮は、乾いた唇の端を、穏やかに上げていた。

 

「そうです、影塚さん……。波沢茜なみさわあかねさんが貴方に対して思っていた感情と同じように、私も、日向さんの事が……好きだったんです……」

「あ、茜が……」

「ふふ。鈍感なのは、変わらないんですね……」


 立ち尽くす影塚に、雨宮は薄く笑う。


「私を助けてくれた女の子もきっと、私を斬った男の子に対して、同じような気持ちだったのでしょう……。そう見えました。なので、私はあのを恨んでなんかいません。助けてもらいましたし、恨むことすら、できません……」

「雨宮。君の身体は――」

「ええわかっています……。もう、()()なのでしょう……?」

「……っ」


 意識を取り戻したときから、どうやら雨宮は分かってしまっていたようだ。

 影塚はなにも言ってやることが出来ずに、肯定も否定もせずに、口籠る。

 その反応を見た雨宮も、覚悟を決めたように、虚ろな瞳をそっと閉じた。


「これは、()()()()()()()()()()()()()、日向隊長を止められなかった……私への、当然の報いなのです……。私は、あの人を……ずっと傍で、支えていきたかった……共に歩みたかった……」


 共に過ごした日々を思い出してか、雨宮は悔しそうに、息を呑む。


「私からの、お願いです……。せめて、私に残された時間で、私の知る情報を使って……特殊魔法治安維持組織シィスティムを取り戻して下さい……。そして、可能であれば、もう一つ……」

「なんだい?」


 苦しそうな呼吸をしながら、最後の願いを言おうとする雨宮の手を、影塚はそっと取ってぎゅっと握ってやる。


「貴男に……影塚さんに、言うのは、酷かもしれません……けど、どうかお願い、です……。友だちのはずの、日向蓮ひゅうがれんを、救って、下さい……」

「僕は……」


 彼女の最後の願いに、影塚はまたしても、肯定も否定も出来ずにいた。

 自分の尊敬していた隊長を裏切り、追い詰め、殺害した張本人だ。雨の日の記憶は、影塚の頭の中でトラウマとなって、憎しみと怒りで強く残っている。それを、赦すことが出来るのか――?


「……」


 影塚の返事を待っているようだった雨宮であったが、先に体力が尽きてしまったようだ。

 今一度、深く苦しい眠りへと、彼女は影塚に手を握られたまま、落ちていった。

 判断には、長い時間がかかった。そして送られてきた、朝霞からの通信。


「――っ」


 その内容を確認した影塚は、今一度深く息を吸う。

 そうして、気を失った雨宮をじっと見つめた影塚は、握っていた彼女の冷たい手を、彼女の傷ついた腹部の上へとそっと戻す。


「……ごめん雨宮。どうやら君の願いは――叶えられそうにない」


 諸悪の根源は、今の新崎しんざきが支配する特殊魔法治安維持組織シィスティムにある。やはりそこを、根本的に変革させねば、きっと悲劇は繰り返されることだろう。


「日向……僕は君を、なんとしてでも討つ……っ!」


 これ以上、無意味に傷つく人が生まれないためにも……――。それこそが、影塚広のかつての友への答えだった。影塚は確実に本日起こるであろう激闘に備え、眠る雨宮の側で休息をとる。


         ※


 東京の高級住宅街にある一軒家の一室。そこの窓にも、大粒の雨は叩きつけるように、降り注いでいた。

 

「……」

 

 魔法執行省大臣、本城直正ほんじょうなおまさは窓のカーテンを手で払いのけ、外に広がる夜景を眺めていた。

 時刻は零時を過ぎ、いよいよ今日は二大魔法学園当日だ。昼から夜にかけての喧騒は嘘のように静まり返った静寂の夜で、直正は一人、ワイングラスに注いだ赤ワインをたしなむ。無論、数時間後に控える大臣としての出席の行事に、支障はきたさない程度にだ。


「朝霞から連絡か」


 机の上に置いてあった電子タブレットの着信を受け、直正は立ったままそれを起動し、内容を確認する。


「――なるほど。雨宮愛里沙くんの奪還には成功したが、当の彼女は重症を負い、意識不明の状態か」

『ええ。少なくとも、我々の治癒魔法では治療に限界があります。状況的には()()()と同じでしょう』


 奪還には成功してくれたようであったが、雲行きは怪しかった。

 朝霞が言うには、奪還作戦の際に邪魔が入ったとのこと。できれば無傷で手に入れたかった女性の負傷は、直正が思い描いていた計画プランの修正を余儀なくされた。


「せめて今は、雨宮愛里沙君を特殊魔法治安維持組織シィスティムでも光安でもなく、我々が奪取出来たことを喜ぶとしよう……」


 オールバックにしてある髪をかきあげ、直正は一つため息を零す。

 黒革の椅子に座り、窓の外の夜景を再び眺める。二階の自室のここからでも、窓の外に広がる光なき夜の都会の光景は見渡すことが出来た。


「……ここに来るまで、多くの罪なき人々が犠牲となってしまった」

『……』


 直正がぽつりと呟いた言葉を、タブレットの画面先にいる朝霞は無言で聞く。


薺紗愛なずなさえがこの国を支配し、光安と言う組織が生まれ、徐々にこの国は腐敗していった。魔法世界の広がりと、比例するようにな」

『仰る通りだと思います』

「……私もまた、長くそのような腐敗と権力と闘ってきた。そうした長い闘いの果てに、ようやく舞い込んできた現状打破の鍵が雨宮愛里沙、彼女なのだ」


 グラスに注いだ赤い液体と、そこに反射する自分の真剣な表情を見つめ、直正は言う。


「私の願いは、この国と魔術師たちの未来が明るいものとなっていることだ。今よりこの国が平和であり、人々が魔法による慶福けいふくを享受する魔法世界だ」

『ご息女のことも思っての発言、でしょうか』


 朝霞にそんな指摘をされ、直正は椅子に座ったまま、気恥ずかしそうに軽く顎を引く。


「それもあるだろうな。……私は、この魔法世界の未来のためにこの身を捧げる覚悟で、今日という日をずっと待ち望んでいた」


 ニ大魔法学園弁論会。その予定日が示す今日という日のカレンダーを睨み、直正は言う。


「……薺による悪しき支配から脱却できるかもしれないチャンスだ。逃すわけにはいかない」


 無念にも散っていった人々の思いを背に、直正は非常とも取れる、とある決断を下す。

 今一度顔を手で覆い、オールバックの髪をかきあげた後にはもう、良心の呵責かしゃくと言った、一切の迷いはその険しい顔立ちからは捨てていた。


「命令だ朝霞刃生。雨宮愛里沙くんに治癒魔法を施せ。せめて今日の夜までに、話すことができるまでにはな」


 電子タブレットのホログラム画像の朝霞は、やや面食らったような表情をしていたが、すぐに頭を下げる。


『承知しました。しかし、先にも伝えましたとおり、彼女の損傷は酷く、我々の治癒魔法でも全快は難しいです。彼女自体の体内│魔素マナの消耗も激しい。言うなれば、動かなくなった時計に手荒い油をして、無理やり起動させるようなものです。その時計は一周ほどの動きはするでしょうが、秒針はすぐに止まることでしょう』

「分かっている。……せめて、今夜まで保たせてくれればいい」


 直正の選択に、朝霞は改めて頷いた。


『分かりました。ではただちに、彼女に治癒魔法を施します』

「頼むよ」


 そうして通信を終えようとする朝霞に、直正が今一度声を掛ける。


「朝霞。一人の女性の命を糧としたこの私の選択を、果たして非情と思うか?」


 画面に映る朝霞は、無表情を崩すこともなく、青い瞳で直正をじっと見つめたままだった。


『私は貴方様のお考えに賛同いたします。ただ、一つ言えることがあるとすれば、そうですね……――』


 押し黙った直正に、朝霞はやや考えるような素振りをして、告げる。


『反対する者は必ず現れるでしょう、と伝えておきましょう。それがかつて、貴男の言う理想に共感した者であれば、尚の更です。くれぐれもその()()()()()()()()()()()()よう、ご注意を』

「肝に銘じておこう。それでも我々は……突き進まねばならないのだろうさ」


 直正は机の上にあったワイングラスの赤ワインを、心の中に在った良心と言う感情ごと、一気に飲み干していた。グラスに滲んだ赤い液体の残滓をじっと睨めば、もう立ち止まることは出来ぬのだろうと、不退転の決意を胸に秘めることが出来た。



         ※


 光安が臨時的に拠点としている、ヴィザリウス魔法学園近くの商業ビル施設。その中では、多数の光安の隊員と、星野一希ほしのかずきがいた。

 そしてもう一人、血なまぐさい争いの場には相応しくはない、優しそうな顔立ちをした少女も。


「はるか……」


 部屋の中に収容された、瀕死の彼女の名を呟き続け、一希はだらりと髪を垂らす。

 すると、部屋の中から光安の治癒魔術師が一人、硬い表情で出てきた。はるかの容態に、変化があったのだろうか。


「はるかの容態は!? 助かるのか!?」


 一希は座っていたベンチから立ち上がり、はるかへの治療を終えた男へ問う。

 

「落ち着け。大丈夫だ。一命は取り留めた」


 一希に両手を掴まれながら、光安の治癒魔術師は表情を変えることなく言う。


「そうか……よかった……」

「……やれ」


 それに安堵する一希をよそに、光安の治癒魔術師は、目線で仲間らに、とある合図を下した。すると、部屋のすぐ外で待機していた他の光安の魔術師たちが一斉に近づいてきて、一希へ向けて拘束魔法を浴びせる。


「なに!?」


 目に見える魔法の白い紐が身体に巻き付き、不意打ちを喰らった一希は成す術もなかった。身体に白く光る魔法の紐が巻き付き、両手を背中で回された一希は、悲鳴を上げていた。


「何をする!? やめろ!?」


 うつ伏せの姿勢でその場に倒され、背中を上から押さえつけながらも、一希は抗おうと身体をよじらせる。

 光安は瞬く間に一希を制圧し、あろうことか、部屋の扉を開けて見せ、そこへ向けて破壊魔法の魔法式を展開してみせる。

 部屋の中のベッドの上には、はるかが眠っている。


「よせ! はるかは関係ないっ!」


 がんじがらめの腕をどうにか曲げ、魔法式を組み立てようとする一希を、のしかかる光安の男がさらに体重を加えてくる。多勢に無勢。一希はどうにもならずに、光安によって這いつくばらされていた。


「――ずっとこの時を待っていた。星野一希」


 這いつくばりながら顎を持ち上げた一希の目の前で、男ははるかへの攻撃魔法の魔法式を展開したまま、高らかに笑う。


「彼女の命が惜しければ従え! 我々に服従するんだ!」

「……なにが、望みだ……っ!」


 未だもがきながら、金髪の先先から汗を垂らし、一希は頷く。


「我々の望みは勿論、奪還された雨宮愛里沙の身柄の確保と情報の奪取だ」


 この場のリーダー格である、一希の目の前に立ち塞がる男が、薄暗い照明の中で、薄笑いを浮かべて言う。


「そしてもう一つある――ヴィザリウス魔法学園の魔法生であり、剣術士、天瀬誠次への復讐だ」

「……」


 一希はその名を聞いた瞬間、青い目を大きく見開き、ぎろりと向ける。


「先日の皇女暗殺任務失敗の腹いせか……」

「これは正当な報復だ! 薺総理は最後まであの子供を殺す事を躊躇った。だが、このままでは我々の面子は潰れる。そこで星野一希。対等の力を持つお前が、天瀬誠次を抹殺するんだ」

「薺総理は彼の殺害を認めてはいない。これは、彼女の意思に刃向かう事になるが? 総理大臣への忠義とやらはどこへ行った?」


 一希がそんなことを言い返せば、光安の男は苛立ち混じり、一希の目と鼻の先にまで歩み寄る。

 痛みが来る。そうと直感したすぐあと、一希の予想通りに、光安の男の靴底が、一希の頭部を踏みつけた。


「かは――っ!」

「舐めた口など、もうしないことだな。部屋の中にいる女の身が心配ではないのか?」

「……っ」


 鼻から血を流しだした一希は、くちびるを噛み締める。


「天瀬誠次は、我々を散々コケにした……。今こそその報いを味合わせるのだ。天瀬誠次を討ち、雨宮愛里沙とデータも始末しろ。さもなければ、あの女の命はないと思え」

「……それが国家組織のやり方か……っ!」


 堪らず一希が刃向かえば、帰ってくるのは頭を床に押し付けてくる男の足の痛みであった。


「同じ穴のむじなの分際で、よく言えたものだ」

「僕は正義の為に戦った! そのうえで邪魔をするものがいたならば……この魔法世界の平和を脅かす存在がいたから……僕は剣術士として、人を斬っただけだ!」


 一希がそう応えるが、向こうはまともに受け止めることもしなかった。


「御託はもう聞き飽きた。天瀬誠次と雨宮愛里沙を殺せ! そして、データを破壊しろ! さもなければあの女もろとも殺してやる!」


 数日前に受けた屈辱の怒りに狂う光安の男らは、同じ得物を扱う剣術士である一希に、彼に対したものと似たような心情を少なからず抱いていた。罵声を浴びせ、身体を蹴り、一希へ忠誠を誓わせようとしていた。


「ぐ……っ。わか、った……っ」


 殴る蹴ると言った暴行を受けた一希は、そんな言葉と共に、自分に降りかかった暴力が止んだのを悟る。

 痣が出来た顔や、血が滲んだ口の中の唾を呑み、一希はそっと顔を上げる。

 全ては、はるかを救うために――。


「僕が……剣術士を……天瀬誠次を……斬り殺す……――」


 ――友だちだ。

 365日。ちょうど一年ぶりに出会った同い年の男子は、そんなことを、去り際に言ってきた。最初は、顔すらも覚えてはいないものなのだろうと思っていたし、なにせこんなに長く伸びた髪だ。思い出と言ってもそれほど強いものでなく、ましてや彼にとって、それはきっといいものではなかったはずだ。

 大阪のスラムで、共にひったくりの犯罪者を追い、そこで互いの価値観の違いから、ちょっとした口論へ。仲直りはしたものの、それ以上、言葉には出来ないような壁のようなものを感じ、結局親しく話した覚えも、なにもない。

 

 ――だから、だったのだろう。

 日本科学技術革新連合本部で、こちらが光安の一員としてテロリスト討伐の任を受けた際に、彼はクラスメイトの少女の為に、駆け付けて来ていた。そして、彼の背を後ろから剣で貫いた。

 一人の男を斬った。殺そうとした。邪魔だから。いつも通り、変わらない理由だ。

 もうその頃になれば、人を斬る事に躊躇しなくなっていたはずの自分は、彼の背を後ろから斬った時も、そうとしか思えなかった。


 それが果たして、友だちと言えるのか。違う、そんなのは絶対に、友などとは呼ばない……。

 騙したと言うのに、アイツはどこまでも間抜けで、浅はかで……青臭くて、家族を失った境遇が、似ていて……――。


          ※


 雨は一旦止み、分厚い雲が、夜空には広がっている。月も星も天の先に消え、文字通り、漆黒の闇がそこにはあった――。

 

「……」


 ソファに仰向けで寝転がり、暗い部屋の中で読書をしていた誠次は、本を持ち上げていた手を休ませるためにも、開いた本で顔をタオルのように覆っていた。古紙の臭いをつんと感じながら、やはり、電子書籍の方が何かと便利なのだろうかと、しみじみ思う。

 時刻は午前零時をとうにすぎ、いよいよ今日は二大魔法学園弁論会当日。ルームメイトたちはすっかり寝ており、彼らの睡眠の妨げにならぬようにと、誠次は電子タブレットのライト機能を使ってまで、旧式の紙の媒体による読書をしていたのだ。


「ふわぁ……」


 だいぶ眠くなってきた。もう、悪夢は見なくて済むのだろうか。読んでいた本に刻まれた文字にそう念を送りながら、誠次はそっと、本を閉じる。

 後頭部に枕代わりに添えてい左腕を寝たままの姿勢で伸ばし、ソファの上でだらしなくあくびをしていると、不意に視界の真横で、白い湯気がもくもくと立っていた。

 何事かとぎょっとした誠次は上半身を起こすと、そこにはにっこりとした笑顔で、お湯が入ったカップラーメンを差し出してくる友だちの男子の姿があった。


「びっくりした……。火事かと思ったぞ」

「んなわけねーだろ」


 そう言って苦笑するのは、志藤颯介しどうそうすけ。共に深夜まで起きていた志藤が、こちらの知らぬ間にカップラーメンを作ってくれていたようだ。

 

「ありがとう。小腹が空いていた」

「お湯余っちまってたし、二つあったし、お前が起きてて丁度よかったわ」


 志藤はそんなことを言いながら、誠次の足元にちらちらと視線を送ってくる。

 なんのことか、すぐに理解した誠次は身体を起こし、ソファの半分を開けてやる。背もたれをジャンプで軽く飛び越え、志藤はすぐに誠次の隣へと座った。

 そうして真横から志藤が差し出してきたカップラーメンを、誠次は「ありがとう」と言って受け取る。

 ぺりぺりっ。二人して蓋を剥がし、割り箸を持っていると、誠次はジト目で志藤を見た。


「……お揚げ、志藤の方、二つある……」

「悪く思うな。そこは俺の方が高い方だろ」

「ちぇ。ま、それはそうか……」


 誠次はぶつぶつと言いながらも、ずっずと、ダシの効いたスープを啜る。

 隣に座り志藤は、やはり見た目によらない育ちの良さから、両手を合わせて「頂きます」と言った後、誠次と同じく熱々のスープを啜る。

 白い湯気が顔にそっと当たり、少しばかり湿った顔を二人は同時に上げ、至福のひと時を過ごしていた。

 

「……眠れなかったのか? 走ったり、お前は朝の特訓してるんだし、いつもは早く寝てるんだろ?」


 しばし麺を啜っていると、志藤がそんなことを聞いてくる。


「ああ。でも別に、八人もいると言うのが、嫌なわけじゃない」


 穏やかに微笑みながら、誠次は深い眠りについている残り六人のルームメイトたちを見渡す。

 エアコンが効いている涼しい部屋の中、腹を出して寝ている寝相の悪い奴や、小野寺のように枕をぎゅっと抱き締めて、眠っている人。色々な姿が、そこにはあった。


「……」


 彼らの姿をじっと見つめてから、誠次は手元のカップラーメンに視線を落とす。

 隣では、志藤がはふはふと、油揚げを咀嚼しているところだ。


「……最近、よく悪夢を見るんだ。人を斬って……その血を浴びる。そんな時の寝起きは、汗だらけでさ」

「なにそれ。最悪じゃん。どうせ汗かくなら、女の子とイチャイチャしてる夢見ろよ。篠上しのかみとか、ルーナとかと――」

「そりゃあ俺だって、見られるならそっちのほうが見たいさ。香月こうづきも、千尋ちひろも捨て難いぞ――」


 時間帯もあるのだろうか、ちょっぴり下世話な話になるのも、この二人にはありがちな流れであった。

 しかし、周りの人は寝ているため、あくまでひそひそ声である。


「……俺はいつか、報いを受けるのだろうか……」

「……報い?」


 うどんを箸でつまみながら、そんなことを言った誠次に、志藤が首を傾げてくる。


「人を斬った事……」


 そのような夢を見ていれば、自然とそんな考えも抱く。


「まだ迷ってんのか?」

「いや……。ただ、俺の心情と世間の捉え方では、やはり事は違ってくる。いくら正義の為とは言え……それはやはり、個人で設定した価値観によるエゴになってくる。相手からすれば、俺は人を斬る狂人だ」


 ずるずるとうどんを吸ってから呟いたそんな言葉は、とても隣に座る中学時代からの友の顔を見ながら言えることではなかった。

 

「ま、俺はお前のことをよく知っちまってるし、怖くなんかないし、お前の事は間違ってないとは思うけど。お前を知らない人からすればお前のやってることは、ヤバいことなのかもな」


 カップラーメンを机の上に置き、志藤は両手を頭の後ろに回し、ソファの背もたれに寄りかかる。


「何よりハーレムとか、全国の男共が許さないっての」

「今はそこの話じゃないのだが……まあ、それもあるだろう……」


 誠次は膝の上に肘をつき、自嘲気味に視線を落とした。


「……いくら気前のいい言葉を並べても、結局は俺は、みんなに嫌われたくはないのかな……。だとすれば俺は、なんと浅はかな正義の元、刃を振るい、そのために多くの女性を必要としている。……ただ、それも結局は言い訳に過ぎないのかな……」

「普通、か。思えばお前も、もしかしたらありがちなそこらの男子高生の一人になってたのかもな」


 志藤はそんなことを言い、どこか面白そうに、腹を抱えて笑いだす。しかし、やはり声は出せずに、口元を手で抑えていた。


「い、今更想像できねーっ。天瀬がなんか、俺みたいに軽い口調なの」

「そこが問題か……? 俺、そこまでおかしいのか……?」

「ああ。とびきりな。でも、それも含めてもうお前……魔法世界の剣術士さん、だよ」


 志藤にそのような事を言われ、誠次はやや小恥ずかしく、微かに顔を赤く染める。


「……まあどうせ受けるんだったらさ。報いなんかよりは、報酬の方が嬉しいか。やっぱ金か?」

「……いいや。俺は、みんなの笑顔が見られれば、それでいいよ」


 誠次は微笑み、再び温かいスープを啜る。なんだか、身も心も温かくなっている気がする。

 そんな誠次の姿をじっと見つめた志藤も、具がなくなったスープに口を付けていた。

 

「こうして友だちと二人、横に並んでカップラーメンを啜る。ありきたりだけど、些細だけど……それが幸せなんだと、俺は思うんだ。人を喰う怪物がいる、こんな魔法世界の中ではさ」

「……はあ。そんな事言われたらな……」


 志藤は金髪の髪をがしがしとかく。


「お前が見ちまってる悪夢、俺が肩代わりできる魔法とかあれば、いいんだけどな」

「……ありがとう志藤。でも、こうして話したことで、少しはあんなのを見る確率も減ると思う。それで十分だ」


 スープを残さず飲み終えた誠次は、その場で再び伸びをする。

 用意してたのなら、後片付けはするよ。誠次は志藤にそんなことを言い、志藤の食べ終えたカップラーメンの容器と自分の分の容器を持ち、台所へとそっと抜き足差し足で向かっていた。


「……なあ天瀬」

「どうした、志藤?」


 薄暗闇の部屋の中で、聞き馴染んだ友の声を受け、誠次は振り返る。

 志藤はソファに座ったまま、どこか真剣な眼差しを、こちらへと向けていた。


「今日の事で、特殊魔法治安維持組織シィスティムはやっぱ、変えなくちゃいけないって思った。それは俺が学生だからとか、俺の父親がアレだった……じゃなくて、そんなのは関係ない。一人の人としても、あんなのは間違ってるってな」

「……」

「例え周りに何と言われようが、俺も俺なりに、俺の正義を貫く。……ただそれを、お前には聞いていてほしかったんだよ」


 どこか恥ずかしそうに、志藤は鼻の先を指で少しかき、そんなことを言っていた。

 誠次はふっ、っと微笑み、頷いてみせる。


「志藤。今、飛び切り恥ずかしい奴だぞ!」

「はあっ!? お前にだけは言われたくねーよ!?」


 ソファから跳ねるようにして立ち上がった志藤に、誠次も笑いながら大声を出していた。


「ははは! どうせならみんな起きろ! 枕投げするぞ!」

「――そんなこったろとは思ってたぜ!」


 そんな言葉と共に、がばっと起き上ったのは、帳悠平とばりゆうへい。起き上がりながら、白い枕をすでに手に持っており、それを誠次に向けて投げ飛ばす。

 

「帳お前! 起きてたのかよ!?」


 唖然とする志藤の目の前で、誠次は悠平の枕を顔面に受け、しりもちをついていた。


「深夜アニメをリアルタイム視聴我慢して今日は録画してるんだ。でも、こうまで話されちゃ、もう合わせて寝る意味ねーだろ!」


 悠平ははっはっはと笑いながら、部屋の電気を点ける。

 そしてさらに、寝起きの良さと朝の強さならばNO1の夕島聡也ゆうじまそうやも、ベッドの上からむくりと起き上がる。

 

「くそ……戦うのか!? 迎撃するぞ! でも――眼鏡がないっ!」

「飲み込みはえーし、お前はまだ眼鏡探してたのかよ!?」


 恥ずかしさを誤魔化す為にもか、志藤が大声でツッコむ。

 こうなってしまえば、もう他のルームメイトも、起きざるを得なかったようだ。


「まさかみんな、起きてたのか……?」

「だって、カップラーメンの美味しそうな臭いがしていたんですもん……っ」


 寝ぼけている小野寺がベッドの上からずるりとこけてしまっている中、志藤のルームメイトたちも、枕を片手に、誠次へ向けて迫り来る。


「テメエ天瀬! 寝かせろや!」

「断る! どうせ俺は明日の夜のパーティーに参加できないからな! 道連れ上等だ!」

 

 誠次は枕を背中と腰に装備し、基本は投げられる運命にある腰の枕に、そっと左手を添える。


「一人くらい女子差し出せこの野郎! お前なんか、大嫌いだ!」

「俺はそうとは思わない! みんな大切だ!」

「みんな大切ってお前、やっぱり……俺の事が……。そっちの気もあるのか、お前はっ! っていうかもはやそっちの気の方が強い気がする!」

「いや、だからなんでいつもそっち方面に持っていくんだ!?」


 などと言い合い、白い枕が羽を散らして飛び交う男子寮室の中。

 呆気にとられていた志藤もまた、飛んで来た枕を両手でキャッチし、苦笑する。


「やべえよ……。こんな事してたら、親父に怒られちまうのにな……」


 ぎゅっと、両手で手元の枕を強く押す。

 

「――志藤!? 助けてくれっ! アイツら枕投げのルール違反だ!」


 誠次の声がする。どうやら、助けを呼んでいるようだ。

 颯爽と人をたすける。そんな意味が、あるらしい――。

 僅かばかりの迷いを振り切った志藤は、渾身の力を込め、枕を投げつけていた。


「枕投げにルールもクソもあるかってんだ! 法律違反上等だ!」

「それでも特殊魔法治安維持組織シィスティム局長の息子か!?」

「お前に言われたくないっての、天瀬!」


 ……この後、岡本おかもと先生に叱られたのは、言うまでもないだろう……。

~ブラ=サガリ~


「終わりだ一希! 地の利を得たぞ!」

せいじ

           「僕を見くびるなっ!」

                かずき

「やめておけ!」

せいじ

「お前は俺と同じ道を辿る筈だったっ!」

せいじ

「共に悪を討つはずのお前が、悪になるとは!」

せいじ

「魔剣を持つ者が、悪に墜ちた!」

せいじ

           「お前が憎いっ!」

                かずき

「お前は友だちだった……信じていた……」

せいじ

           「……」

                かずき

「……」

せいじ

           「これ、僕が負ける方では……?」

                かずき

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