Ⅳ
「親父……テレビ独占するなよなぁ……」
ゆうへい
――それは確かに、嬉しさよりも、複雑な気持ちを抱いたことだったと思う。
「――俺が、第一分隊の隊長になれと、言うのですか?」
当時の局長であった、志藤康大の口から直接告げられた言葉に、まだ一隊員の身分であった日向は、黄色の目を大きく見開く。
「ああ。君の魔法戦の成績や任務への態度。総合的な判断の元、我々本部は、君を第一分隊の隊長へと任命したいと考えている」
眼鏡をかけた秘書が見守る中、局長であった志藤の言葉を受け、硬直した身体は、やはり咄嗟には動かない。
ようやく、日向は軽く首を横に振る。
「同期で言えばわ、私よりも、影塚の方が成績は上です。それに、人望もある……。俺よりは、影塚の方が適任だと思います。魔法学園時代からの仲です……彼は、彼こそが隊長に相応しい男です!」
誰にでも優しく接し、他薦ではあったものの、学級委員として活動し、それでいて魔法の成績もトップクラス。
学生時代から彼の傍で、彼の事をずっと見ていた日向からすれば、影塚を推すのは当然の事でもあった。特殊魔法治安維持組織の為にも――そして何よりも、唯一無二の、友がもっと相応しい役になるべきだと。
しかし、当時の局長は、難しそうな表情で首を横に振る。
「それなのだが、彼は辞退した」
「っ!? 何故です!?」
「自分はまだ隊長になれる器ではない、とな」
日向がじっと黙っているのを見た志藤は、慌てた素振りで、影塚を庇うように言葉を続ける。
「第一の前期隊長は、任務中の自分の判断ミスで、多くの仲間を゛捕食者゛により失った責任を重く受け止め、辞職してしまった。部隊員を扱う隊長と言う身分が、どれだけ重いかを、彼はよく理解している。そして、なにもそれは君もだ」
叩き上げでこの役職までこぎつけ、特殊魔法治安維持組織の局長としても、評判の良い志藤は、冷静に日向に声をかける。
――だが、すべての人と人が、相性がいいと言うわけでは、決してない。千差万別の思想を持つ、個人個人の間では、志藤と日向の相性は、まさしくそりが合わないのであった。
「そのうえで、俺は日向。君に隊長として第一分隊を指揮してもらいたいと思っている。影塚の代わりは、君しか考えられなかったんだ」
影塚の代わり。それは何気ない志藤の言葉。しかしその言葉こそが、日向の耳に、強く、残酷にまで重く、鳴り響く。
「わかり、ました」
長い沈黙の後、日向はそう言い、深く頭を下げる。
「……日向。これは強制ではない。影塚のように断っても、良いんだぞ?」
志藤からすれば、二人が同い年で、友人同士で、共に優秀な魔法の才を持った者同士から来る、配慮の言葉のはずだった。
しかし日向からすればそれは、彼への対抗心をただただ増やしていくだけであった。
「いいえ。私は、特殊魔法治安維持組織第一分隊の隊長として、任に就きます」
「そうか。ありがとう、日向」
志藤は安心したように、ふっと微笑む。
その笑顔を、当時の日向は、複雑な感情で受け止めるしかなかった。
「部隊の人員の役職選択は君の自由になる。ただ、副隊長だけは、こちらから任命させてもらう。いいな?」
そして、後日――。
晴れて特殊魔法治安維持組織第一分隊の隊長となった日向の前に現れたのは、自分よりたった一つ下の、銀髪の女性隊員であった。
台場にある特殊魔法治安維持組織本部のロビーにて、女性は歩いて来た日向の前に立ち、ぺこりとお辞儀をし、頭に手を添え、敬礼をする。
「初めまして。本日より特殊魔法治安維持組織第一分隊の副隊長として、任務にあたります、雨宮愛里沙と言います。本日から、お世話になります」
当時の自分より一つ下の一八歳と言う、若い女性ではあったのだが、入れ替わりや移り変わりの激しい現場では、別に珍しいことでもなかった。何よりも自分ですら、最年少の隊長となったのだから。
そして何よりも、隊長よりも年上でかつ先輩の副隊長では、連携に支障が出ると判断した志藤の計らいもあるのだろう。
「出身はアルゲイル魔法学園です。どうぞ、よろしくお願いいたします」
こちらこそ、よろしく頼む。律儀に目の前で敬礼をする新人の女性に、日向はそう言葉を返していた。
雨宮は魔術師として申し分なく、また部下としても忠実に、日向の命に従い、任務を遂行した。
人員の変更は幾つもあったが、雨宮だけは、副隊長として代わる事は無い。言うなれば、パートナーのような存在であった。
そして起きた、自分の中でも最大の戦いでもあった、昨年の北海道での、総理大臣を巻き込んだ反乱事件。白亜の獣が蹂躙した、地獄のような戦場で、日向と雨宮は二人の学生と共に、戦った。
「――行くぞ香月!」
「ええ、天瀬くん――!」
一振りの剣を持つ少年と、それと共に戦う銀髪の少女。
雨宮もまた、多くの怪物を相手に戦っていた。隊長と副隊長として、本来あまりこのような言葉は使いたくはないが、結束や絆と言ったものは、確かに強くなっていたはずだった。
※
真夏の日射しが照り続ける自然公園に、白いサマースーツ姿の青年たちが大勢いた。公園の駐車場には何台もの車が、花見や花火大会の日のように大量に止まっており、一般人の立ち入りは規制され、公園の中にいた人も軒並み退去させられた。
数時間前に降った雨の影響により、緑豊かな公園には、雨上がりの気配が漂っている。蜘蛛の巣の繊細な糸には多くの細かな水滴がつき、天を臨んだ夏の羽虫たちを妖しく誘う。雨粒が奏でる音色の調が終わったとばかりに、蝉たちは再び鳴き声を上げていた。
公園封鎖に反対する人もいたが、それらには理由すら明かされず、無理やりに退去させられる。そんな時に特殊魔法治安維持組織は、法律で禁止されている幻影魔法を使ってもいた。
「……」
公園内を忙しなく動き回る青年たちを束ねるのは、それらと同年代か、それらよりも若い眉目秀麗な男だった。
「――日向隊長。よろしいでしょうか?」
「……」
「日向隊長?」
部隊員の声に我に返り、日向は耳を傾ける。
日向蓮。二一歳にして、優秀な魔術師たちを寄せ集めた隊の隊長である。
同じ隊に所属し、しかもよりによって副隊長という身分の女性が、とある機密情報を持ち出して特殊魔法治安維持組織から逃亡した。その女性の名前は、雨宮愛里沙。北海道の戦いを始め、自分の右腕として常に共に行動をしていた、忠実な部下のようだった彼女が、急に特殊魔法治安維持組織を裏切ったのだ。
日向自身、今朝その知らせを受けたときは大きな衝撃を味わった。それは、日向以外の彼女をよく知る第一分隊の隊員たちも同じだったようだ。
「……お察しします。まさか、雨宮副隊長が仲間を傷つけたなんて……」
彼女は特殊魔法治安維持組織の本部にて、実戦訓練の最中、突如として仲間へ魔法で攻撃を開始し、追撃を躱しながらもたった一人で逃走したそうだ。
「アイツはすでに敵だ。同情などせず、粛々と任務にあたれ」
まさか部下にそのような気遣いの言葉をかけられ、日向は冷静に言い放つ。それが、誇り高き特殊魔法治安維持組織のあるべき姿だと、言わんばかりに。
そうだ……雨宮愛里沙は、味方を裏切った、敵なのだ……と。
鑑識の結果、この自然公園の川沿いの道で愛里沙の大量の血痕が見つかった。なんでも、台場にある特殊魔法治安維持組織本部内で機密情報を盗み出し、激しい魔法戦を繰り広げ、負傷した後、下水道を通ってここまで逃げてきたらしい。
真夏の公園の中、虫たちの鳴き声と共に、過去を回想していた日向は、そこで生まれた僅かばかりの迷いを振り切り、冷酷に告げる。
「彼女の行方について、何か分かったことは?」
白いクールシャツ姿の女性隊員が、会話が終了する頃合いを見計らっていたかのように、日向の元にやって来る。
「はい。付近一帯の監視カメラ映像を調べたところ、雨宮と思わしき女性が映っているものが、何台かありました」
女性隊員は宙に何枚かのホログラム映像を浮かべ、それらを全て日向に向ける。なんてことはない。海外テレビドラマやゲームでよく見るような、監視カメラ映像を見守る監視室のような光景が、日向の目の前に広がっているのだ。自然公園の真ん中で。
はるか昔に比べて解析度も類を見ないほどに高くなった監視カメラの映像内で、自身の相方として傍にいた女性の姿は、鮮明に判った。
「確かに雨宮だな。彼女を支えて歩いている二人の女性は……学生か? 帽子で顔がよく見えないな」
橙色のツインサイドの髪とセミロングの髪をした若い私服の少女二人組によって、雨宮は両肩を支えられて歩いているところであった。少女は二人とも帽子を被っており、微妙に顔が見えなくなっている。
「その線が高いと思います。そこで、監視カメラの映像を元に、この三人の向かった先を付近の地図と結びつけると……」
女性が空中に魔法で線を描き、拡大表示した近辺の地図に彼女が辿ったルートを書き示す。魔法による白く光り輝く線は、地図の中央のところで止まった。ちょうど、監視カメラの映像も、そこで止まっていた。
「雨宮愛里沙元副隊長は、ここにいる可能性が高いかと」
「……っ」
日向はその地点を見つめ、思わず絶句する。
――果たしてこれは、一体なんの因縁なのだろうか……?
微かに思い出すのは、数年前の自分の記憶や、雨の中、かつての味方をこの手で殺した瞬間の事であった。
「ヴィザリウス、魔法学園……」
かつて多くの事を学び育った、魔術師たちの白亜の城の中に、彼女はいる。
※
魔法生の夏休みの第三土曜日。時刻はすっかり、夕暮れとなっていた。
天瀬誠次は寮室にて、冴えない表情で、二人の女性と同時ホログラム画面通話を行っていた。
「――というわけで、本当にすまない……。俺と小野寺がパーティーに参加出来なくなってしまったんだ……」
『こうして連絡をしてくれたという事は、少しは自覚があるようね』
そんな冷たい声を容赦なくかけてくるのは、香月詩音であった。表情こそいつも通りの無表情ではあるが、十中八九怒っている。
「はい。あの、談話室で喧嘩を止めてくださり、本当にありがとうございました……」
『まあまあ、小野寺くんも酷い怪我とかなくて、安心したよ……』
もう一人は、桜庭莉緒。ほっとしたように、画面の先で胸を撫で下ろしている。
そんな桜庭の対応を横にすれば、香月も自分が器の小さい女性だと思われたくはなかったのか、やや怒りを抑えてくれたようだ。
「俺と小野寺はパーティーに参加出来なくなってしまったけど、どうか気にせずにパーティーを楽しんでくれ。香月も桜庭も、去年のアルゲイルでの弁論会の夜のパーティーには、一応参加しただろ? みんなに勝手とか、教えてくれると助かる」
誠次はそんなことを言うが、呆れかけているのは香月であった。
『あら? 私は貴男と一緒に戦って、まともにパーティーも参加していない気がするのだけれど』
「ま、まあそうだな……。だから、今年こそはちゃんとパーティーに参加してほしいんだ」
ぐさりと、言われるべきことを確りと香月に言われた誠次は、頬をかきながら言う。
『うーん……。たぶんみんな、天瀬が来ないんじゃパーティー参加しないと思うけどな……。なんだかんだあのパーティーって、交流会みたいなものだし』
桜庭がうーんと考える仕草で、天井の方を見上げながら言ってくる。
『まあ、ある意味よかったかもしれないわね。沢山の女の子を引き連れてこれ見よがしに練り歩いている男の子なんて、悪目立ちしまくりだし』
「どこの殿様だ……って、俺の事か、それ」
冷静な香月の言葉に、誠次がそっとツッコむ。
誠次は胸元の青いネクタイを解きながら、ふうと息をつく。今日はもう夕暮れで、寮室の外に出ることもないだろうと、掃除の為に着ていた制服を脱ぎ、私服になる為だ。目の前にある窓の外には、茜色の空が広がっている。
「ともかく、今回の件は本当に申し訳ない。普段から世話になっている人の事も考えないで、迂闊な行動をしてしまった俺の責任だ。綾奈と千尋、ルーナとクリシュティナにも、俺の口から伝えておく」
「――おい天瀬! 夜飯出来たぞ! 早く来い! さもなきゃお前の分も食ってやる!」
ふと、後ろの方から志藤のルームメイトに声を掛けられる。
誠次は振り向きながら「すまない、すぐに行く」と返答し、再び香月と桜庭を見る。
「俺はこの弁論会を、出来れば良い思い出になるようにしたかった……。すまなかった、二人とも……」
誠次が重ねて頭を下げれば、二人とも、お互いの顔を確認するようにして見合う。どうやら香月と桜庭は同室であったようだ。
『気を落とさないで天瀬くん』
『そうだよ。当日は小野寺くんと一緒にこっちの部屋来れば? トランプとか、カードゲームとかで遊ぶ?』
「ありがとう。しかし他の女性に気を遣わせるわけにはいかない。反省の意を込めて、部屋で大人しくしているよ」
『そっか……。なんだか天瀬、ものすごく逞しくなったと思ったら、変なところで変わってないよね』
桜庭にそのような事を言われ、誠次は恥ずかしさを感じ、黒い瞳の視線を微かに動かす。
「それは褒められてるのか、笑われているのか……」
『半分半分、かなあ?』
苦笑する桜庭がうーんと顔をひねりながら、誤魔化すようにして言ってくる。
「結局、二年生になっても戦ってばかりいるな、俺は……。海にも行けなかったし、すまないな、桜庭、香月」
『謝らないでってば。今年いけなくても、また来年があるよ! 来年が駄目でも、再来年も!』
桜庭に励まされ、誠次もまた、顔を上げることが出来ていた。
『いい機会だから、ゆっくり過ごすのも、いいかもしれないわ。私は一人で、《インビジブル》を使ってつまみ食いでもしてくるから』
『だからこうちゃんそれ卑怯だ!? あ、でもよかったら、美味しそうなの持ってきてほしかったりしなかったり……』
そんな会話をする二人の少女を見つめ、誠次は微かに、微笑んだ。
「ありがとう、二人とも」
『じゃあ、また何かあったら連絡して頂戴、天瀬くん』
『暇つぶしの話し相手だったら、私でも大丈夫だよ?』
そうして電子タブレットでの通信を終えた誠次は、夕食を用意してくれたみんながいるリビングへと向かう。
「凄いな。パスタなんて、作れるのか?」
「フン! パスタぐらいなど、男でも作れて当然だ! 和風ツナパスタだが、有難く頂くことだな天瀬誠次!」
「ああ、ありがとうな。美味しく食べるさ」
毎度のこと、当然のことながら、食堂はすでに満杯だ。よって、料理は寮室で手作りだ。男の料理である。
志藤のルームメイトの美味しい手作りのパスタと小皿を、誠次たちは順次食べていた。
※
ほかほかのご飯にお味噌汁。そして焼き魚と小鉢と言った食事を、雨宮愛里沙はヴィザリウス魔法学園の寮室でとっていた。
これは全て、小野寺理と雛菊はるかがヴィザリウス魔法学園の食堂から運んできたものだ。他のルームメイトはちょうど食事や、ヴィザリウス魔法学園のイケメン漁りとやらに出かけており、同室には理とはるかしかいなかった。前者はともかく、後者は明日の本番に備えたフライングスタートであろう。
「もぐもぐ……」
負傷した身体を自分の治癒魔法で修復し、今では綺麗な姿勢で正座をして、食事をとるくらいには回復していた。服は(サイズ的な問題で)はるかの私服だった。
「ええと、ここまでの情報を整理しますね……」
机を挟んで右隣に座る理が、雨宮に確認をとるようにして話をする。
「貴女は現役の特殊魔法治安維持組織で、理由があって今は特殊魔法治安維持組織から逃げていると」
「……はい」
「ここにいることは誰にも言っては駄目で、公共の病院とかも行けないんですよね……?」
「……ええ」
左側に座るはるかも、綺麗に焼き魚の小骨と身を分けて食べ続ける雨宮に尋ねていた。
「理ちゃん。それって……つまり……」
「あの人が本当は悪い人って可能性も、無きにしもあらず……」
こしょこしょと小声で話をし、はるかと理が顔を見合わせる。もしかしたら、助けてはいけない人を助けてしまったのかもしれない。そうして、恐る恐る雨宮の方を同時に見た二人であるが、当の雨宮は、お味噌汁のお椀を持ち上げてずっず、と飲んでいた。
「ふぅ……」
お椀から口を離し、一息ついて見せる、幸せそうな顔。特殊魔法治安維持組織とはお堅い組織のイメージが理の中であったのだが、彼女を見ていると、なんともそれが崩れていく。
とてもなにかをしでかした悪人のようには見えず、理はひとりでに落ち着く。
布巾で口元を拭いながら、雨宮は申し訳なく頭を下げている。
「この後は、どうする気ですか……?」
はるかがそっと尋ねる。
「身体の完治まで身を潜めて……その後は、逃げ続けるしかない」
雨宮は俯いて言う。
逃げると言っても、明確な逃げ場などないと言うのは、理にもはるかにも、雨宮の様子で分かりきっていた。
「……っ」
そして、雨宮自身もまた、自分の身体が完全には回復出来ていないことを悟っていた。指先を動かすだけも、必ずどこかが痛む。そのような状況で、かつての仲間からの追跡を躱し続けるのは、困難であることもよく知っている。
「特殊魔法治安維持組織は元々、魔法犯罪者を取り締まるための組織のはずです。貴女を見つける事なんて、簡単なのでは?」
「貴女、特殊魔法治安維持組織について詳しいようね」
雨宮が理を見る。
ずばりと言われた理は、恥ずかしそうに、座っている姿勢の太股の間に両手を入れてもじもじとしていた。
「……ある人が、その組織に入ることを目標にしていて……それで私も、詳しくなれたならなって、思っていて……」
「……」
はるかも、その人の事を知っているようで、理の事を見つめていた。
「……そう」
雨宮は二人を交互に見つめてから、頷いていた。
「……貴女の言うとおり、このままでは私は捕まってしまうでしょう」
雨宮はそう言いながら、おもむろに立ち上がり、寮室内で干してある破れたスカートのポケットをまさぐる。そこから取り出したのは、カードの束であった。うち一枚を、指先の感覚が鈍ってしまっている雨宮は取り損ねたようで、ひらひらと舞って床に落ちるが、雨宮はそれには気が付かずに、振り向いていた。
「そうなる前に、これを、託すべき人に託さなければならないの」
雨宮はそう言い、手に持ったカードの束を二人に見せる。
そのカードの山は、上にローマ数字、下の方に英語のような文字が刻まれている。中央にはなにか、絵のようなものが描かれている。最初はトランプかと思ったが、理には見覚えがないものであった。
「あ、それってタロットカード、ですか……?」
一方、隣にいたはるかは、このカードの正体が分かっていたようで、やや声音を張り、答えていた。
「凄いね。よく知ってるじゃん」
「お、お母さんが占いとか、好きで……」
理が感心すると、はるかは恥ずかしそうに身を縮こまらせてしまう。
はるかの指摘通り、雨宮が大事そうに持っていたカードは、タロットカードの束であった。占いなどで用いられ、正位置や逆位置によって全く異なった意味を成すと言った、難しいカードだ。
「そう。これを、ある人に託さないといけないの」
雨宮はそんなカードの束を、大事そうに握っている。
「な、なぜタロットカードなんかを……? そんなの、ネットで買えば良いのに……」
こんなものを配達するために、雨宮と言う女性はボロボロになったのだろうか。当時の理は、ずいぶんと意地悪な配達でも任さられたようだと言った感想しか、思い浮かばなかった。
「……とても大事なものなの。これを持ち出すために、私以外にも仲間が犠牲になってしまった……」
犠牲。そんな言葉を呟いた雨宮は、悲し気に緑色の目を潤ませ、伏せてしまっていた。
そんな彼女の悲しむ姿を見れば、理はやはり、手を貸したくなってしまうのだ。ここで生まれている正義感とはやはり、消極的なはるかを前にした時の心情と、よく似ている。
「その、タロットカードを渡さなくてはいけない人って……?」
理が慎重に尋ねる。
雨宮は二人の少女を交互に見つめ、そっと口を開いた。
「本城直正、魔法執行省大臣。その人こそ、今の特殊魔法治安維持組織を変えられるかもしれない人と、仲間からは言われたの」
「そう言えば、そのお仲間の人は……?」
はるかが問う。
すると、雨宮は再び目を伏せる。
「みんな、やられたわ……。特殊魔法治安維持組織の局長が、私たち裏切者をあらかじめ、罠に嵌めて……」
「罠……?」
聞き馴染みのない言葉を聞き、理は首を傾げる。
「あの人は悪魔よ……。私たちに餌を与えて、そして、釣り糸にかかった者を容赦なく殺す。そこには慈悲もなにもありはしなかった……」
言葉を濁しながら、雨宮は自身の腕をそっと抱き、呟いていた。
「特殊魔法治安維持組織がそんな事を……」
理もまた、ぞっとする思いで呟く。
「ごめんなさい。ただ……今の特殊魔法治安維持組織は情報を得るためであったら、私と関わった人への幻影魔法による拷問も辞さない。信じては貰えないかもしれないけれど、今のあそこは、そんな状況なの。だから、貴女たちもとても危険な状況にある」
よって、と雨宮は次には、それらしい鋭い目つきをして、二人の女子高生を見つめる。覚悟はしている、と言いかけた理の口を閉ざすには充分すぎるほど、この国の魔法の秩序を守るために務める人の目つきであった。
「もしかしたら、命の危険だってある。私は貴女たちを出来れば守りたいと思っているけれど、それでも相手は強大よ。それでも貴女たちは、私に協力するつもりなの?」
理が信じられないように、口に手を添えている。世間から見ても、昨年の特殊魔法治安維持組織局長の粛正報道以降は、特殊魔法治安維持組織は新たな体制を築き、変わったと言われていた。それが非道の行いをしているなど、国民の知る事実とは大きく異なっていた。
「あ、理ちゃん……やっぱり、やめた方が……」
雨宮の言葉を受け、はるかも悲し気に視線を落とす。自分たちがこれ以上関わっても、危険なだけだと、理に訴えるように、服の裾をそっと引っ張る。
雨宮の言葉にはちゃんとした重みがあり、はるかはともかく、理の心も大きく抑えつけられる。
――しかし、そうして自分から引き下がり、今では遠く離れてしまった思い人の姿が脳裏に浮かび、理は懸命に食い下がっていた。
「お、お願いします雨宮さん。私は、貴女の事を助けたいんです!」
顔が熱くなるほど頬を赤くして、理は叫ぶように訴えていた。
それに対しても、雨宮はそっと、優しく笑うだけだった。
「ありがとう。でもここまでやってくれただけでも、充分助かったの。貴女たちは普通の学生なんだし、関わっちゃ駄目」
「でも、このままじゃ貴女は……」
きっと、逃げられない。相手は犯罪者追跡の魔術師のプロだ。そして、彼女を助けることなど、矮小な自分ではなにも出来ない。理性ではそうだと分かっていても、理はもう諦めたくなかった。
「理ちゃん……もう、私たちに出来ることは……」
はるかが理を宥めようとしているが、理は真っ直ぐと雨宮を見据えたまま、視線を逸らさないでいる。
「本城直正さんにその大事なカードを渡す。そうすれば、特殊魔法治安維持組織は昔のように戻るのですか?」
昔に戻る――。そうすればきっと、彼だって……。
それははるかの願いでもあるはずだと、理はそう胸に決め、雨宮に食い下がる。
雨宮は一瞬だけ驚いたように緑色の目を見開くが、すぐに冷静に戻り、うんと頷いた。
「約束します。特殊魔法治安維持組織は必ず、元に戻してみせます」
そう告げた雨宮の背後。夕焼けが滲むビルとビルの間の道路を、無数の特殊魔法治安維持組織先頭車両が走る。
目的地はただ一つ。二大魔法学園弁論会開催を翌日に控えた、多くの魔法生を抱えるヴィザリウス魔法学園である。
※
一日の終わりと夏の終わりが近づく中、ちょうど今は、四年に一度の世界スポーツ大会の真っただ中だ。時差の影響で、開催地はまだまだ昼のようである。よって、屋外競技も開催されている。
「おい、日本人選手が活躍してるぞ!」
「狭いな、もっと身体寄せろっての!」
「無茶言うな!」
白熱したスポーツ観戦により、テレビを前に盛り上がる光景は、いつの時代になっても変わらないものだ。かつて白黒テレビであった昭和の時代には、家庭用テレビが店先に並んだ時、そこに流れている電波上の映像を一目見ようと、多くの人が押し寄せていたそうだ。
誠次たち八名の男子は、ソファからはみ出しかけながらも一台のテレビにくぎ付けとなる。他にも視聴方法などはあるが、如何せん場の空気とは怖いものである。
「次は陸上競技ですか……?」
端っこの方にいる小野寺が、どうにかしてみてみようと、その場で軽くジャンプしたり、端からそっと覗き込んだり。
そんな小野寺を見た誠次は、彼の為にもと、彼の華奢な肩に腕を回して身体を引き寄せた。
「うわっ、あ、天瀬さん!?」
「これなら見やすいだろ?」
にこりと誠次は笑い、肩同士、と言うよりは、身長差の影響で胸元に顔を寄せる小野寺を見る。
小野寺もまた、顔を上げて誠次と視線を合わせると、こくりと頷いていた。
男同士ならば別に平気であろう。どくどくと鳴る誠次の心臓の音を聞きながら、誠次に肩を組まれる小野寺は、テレビを見る。
「彼のスプリント力には目を見張るものがあります。身体の体重移動も、紛れもなく超一流です」
「へえ。やはり、専門家の意見があると見方も変わってくるな。俺は陸上は、ただ純粋に足の速さのみを追求するだけだと思っていた」
「勿論、突き詰めればそこにたどり着くわけですけれども、そうするための工夫を、様々とこなしていくものですよ」
真剣な表情でテレビを食い入るようにして見る誠次の横顔を見つめ、彼の胸元に手を添え、小野寺は言っていた。
しばし、穏やかな時間を八人の男子たちは過ごしていたが、そこへ嵐の来訪者がやってくることとなる。
寮室のドアフォンが、何者かによって鳴らされたのだ。そして、廊下の方から聞こえてくる、怒声に似た騒ぎ声。
何事かと、誠次たちは顔を見合わせる。
「――失礼。私たちは特殊魔法治安維持組織だ。ドアを開けてほしい」
「「特殊魔法治安維持組織……」」
そうした言葉と共に反応できたのは、誠次と志藤であった。
~夏のテレビ争奪戦(遠距離から)~
「もしもし天瀬?」
もみじ
「火村か、どうした?」
せいじ
「どうしたじゃないってば」
もみじ
「今ほぼ二四時テレビ、耕哉くん踊ってる!」
もみじ
「見なさい!」
もみじ
「はあ!?」
せいじ
「すまないが俺はスポーツ大会の方が重要だ」
せいじ
「そちらを見る」
せいじ
「そんなもん録画で見れば良いでしょう!?」
もみじ
「仮にも水泳部ならば」
せいじ
「君こそ、水泳を見るべきだ」
せいじ
「今は生徒会のお仕事頑張っているので」
もみじ
「水泳中止中でーす」
もみじ
「そう言えばそうだったか」
せいじ
「なら、弁論会頑張ってくれ」
せいじ
「あんたなんかに言われるまでもないんですけど」
もみじ
「でもま、ありがとうとは言っておく」
もみじ
(そんなに言うのなら……あとでちょっと、見ておくか……)
せいじ
(耕哉くんのステージ衣装、アイツ似合いそうなんだけどなー……)
もみじ




