Ⅰ ☆
「あの天瀬さんの髪型は、昔から興味深いです……。今度寝てるときにこっそりと……」
まこと
その断末魔の悲鳴は、今でもしきりに耳の奥で鳴り響く。
自分が魔剣を振るったとき、間違いなく、傷つく人は生まれた。それが敵であろうが、味方であろうが関係ない。ただ自分が戦えば戦うほど、それに伴い、自分によって守られる人がいて、傷つき、憎しみを抱く人は生まれる。
頭に残るのはやはり、負のイメージだけ。魔剣を振るって生んだ赤の返り血が全て、自分の身体に、激しい雨のように降り注いでくる。
――剣術士……っ!
――よくもやったな!
――化け物めーっ!
全身が、血と涙の雨でずぶ濡れになっていく――。彼ら彼女らの憎悪の声が、今日もまた、頭の中で鳴り響く――。
「――グァっ!」
目を覚ましたとき、目の前に広がっていたのは、魔法学園の見馴れた寮室の天井であった。エアコンから冷気は流れてきているのだが、全身汗だくである。
誠次は汗ばんだ前髪をかき上げ、ゆっくり上半身を起こす。
「また……人を斬った夢、か……」
最初の頃は、目覚めた直後も焦り、現実のもの――厳密には人を斬ったことは確かだが――ではないことに逐一安堵してもいた。激しい戦いを終えたあとは、決まってこのような夢を見る。見ないようにするにはやはり、頭の中に強く残る戦いの記憶を消すこと。その明確な方法にもなっていたのが、誠次の趣味でもある、読書であった。
「……子供の頃に好きだったものが、いつの間にか、こんな精神安定剤のような役割になっているなんてな……」
今となっては、夢が夢であることをすぐに理解できるまでに達観した思考で、誠次は自虐気味に笑う。
時刻は早朝。まだ、日は出ていない。閉め切ったカーテンの先をじっと見つめてから、誠次はもうひと眠りしようと、ベッドの上に横になる。
「父さん、母さん……。あなた方が生きていれば、今の俺を見て、あなた方はどう思うのでしょうか……? 守りたいものを守って、しかし、そのために人を斬って傷つけて……。俺はその生き方を間違ってはいないと思いますが、あなた方は……きっと、悲しむのでしょうか……」
祈りを込め、黒い目を瞑って、開く。幼い頃はすぐ傍で、安心して眠るまで寄り添ってくれた母親の香りも。自分が間違っている事をしたら厳しくも優しく叱ってくれた父親の姿も。自分が守るべきものだと初めて思わせれくれた幼い妹の姿も、もうすでにそこにはいない。
「ヴァレエフ・アレクサンドル……」
最後に、この魔法世界にただ一人、家族の肖像として残されていた彼の名をポツリと呟き、汗を流す誠次は、再び眠りへと落ちていく。
※
八月の終盤。長かった高校二年生の夏休みも折り返しを過ぎ、いよいよ終わりが近付いている。
夏休みを過ごすその時は長く感じるものも、いざ終わりが近付けば短かかったとも感じる。それでも夏の日射しはまだまだ力強く、蝉の鳴き声もけたたましい。
『皆さん。二大魔法学園弁論会開催にあたってのご協力、生徒会一同、感謝します!』
ブルーフレームのメガネ姿で、ヴィザリウス魔法学園生徒会長の波沢香織がお礼を述べる映像が、廊下の至る所でホログラム出力されて流れている。
ヴィザリウス魔法学園にて、本日行われる夏休み中の行事、二大魔法学園弁論会。それは大阪にある日本のもう一つの魔法学園、アルゲイル魔法学園から魔法生たちを迎えて行う、魔法学園夏の最大の行事だ。
その歴史はまだ浅いが、昼は魔法生たちによる魔法世界の魔術師としての自覚を抱いた厳格な弁論会。夜はうって変わって、一夜限りの出会いや別れを夢見る少年少女たちのパーティーと、二つの顔を見せる。
……どちらが本当に高校生たちにとって楽しみなのかは、想像に難くないだろう。
「すーすー……」
エアコンが効いた涼しい部屋の中。幸せそうな顔で眠るのは、天瀬誠次一七歳。魔法世界で魔法が使えない、剣術士と呼ばれる、茶髪の少年だ。
上下黒の半そで半ズボンの寝間着姿で、すーすーと息をして、眠っている。
悪夢はなく、今度は心地よい夢を見ていた気がする。本がそこら中にあって、そのうちの一つが、ゆっくりと近づいてくる。
「まさか、読めるのか?」
喜んで近づいてきた本に手を伸ばすが、その本は誠次の手をするりとすり抜け、なんと、顔面に直撃する。
……それがまだ、新品でも古くても紙の良い匂いがするのであれば目口鼻を塞がれても文句はないのだが、とてつもない悪臭を放っているとなれば、話は別すぎる。
「むぎゅ……っ」
クエレブレ帝国の皇女護衛任務を無事に終えた誠次は、顔面に誰かの足の裏を擦り付けられるという最悪の状況で、目覚めを迎える。
「酸っぱ……臭……っ」
誠次が足を振り払うと、その足の持ち主もまた、目覚めたようだ。
「む……天瀬、か……」
「俺、だ……」
互いに寝ぼけ眼を擦り、上半身を起こす、誠次ともう一人の男子。
お互いに寝ぐせが酷いぼさぼさの髪で、歪んだ顔のまま、ぽりぽりと背中をかく。
「……」
「……」
そして、互いに顔を見合わせ、げんなりとし、大きく息を吸い――、
「四人部屋に男八人なんて拷問だーっ!」「弁論会開催に即刻抗議するっ!」
「たった二日だけだ。それに、どうせ明け方までパーティーやってるんだから我慢しろお前ら」
部屋から飛び出す誠次と男子生徒と、通路を歩いていた教師の言い合いの通り、ヴィザリウス魔法学園では膨大な数の来客者を迎えるために、寮室をおよそ半分ほど空ける措置をとっていた。一部の生徒たちには異性の部屋という淡い期待を抱く者もいたが、きちんと男性は男性寮。女性は女性寮の部屋だ。無念、現実は厳しい。
「ぎゅうぎゅう詰めにもほどがあるだろ!? 四人で寝る部屋に倍の人数を押し込めるとかどんな拷問だこれ!?」
教師への抵抗を早々に諦め、部屋に戻った誠次は頭を抱える。
「めがね、めがね……」
元々のルームメイトである聡也も目覚めたようであり、寝起き早々、眼鏡を探していた。それをいち早く見つけて渡してやるのが、残り三名の男子の日課にもなっているのだが、今日はそれが七名もいる。
「かー……」
悠平はまだいびきをかいて眠っており、そっとしておこう。
「おはようございます、皆さん……。とても、狭かったですね……」
小野寺真も目を覚ましたようであり、床の上に敷かれた布団の上で寝ぼけ眼をくしくしとこすっている。
「大体、なんで俺が天瀬と同じ部屋なんだよ!?」
そんな文句を言ってくるのが、同じ部屋に割り当てられたクラスメイトの男子。誠次と朝から目を合わせていた人物である。
「どうせお前の事だから、今日から来るアルゲイルの女子の事も狙ってるんだろう!? せっかくの出会いのチャンスだってのによ!」
もう一人の別の男子も、じゃんけんで勝ち取ったベッドの上から、うがーと頭を抱えて言ってくる。
「人聞き悪いこと言うな! 俺は別にそんな思いで二大魔法学園弁論会を迎えるわけではない!」
誠次が腕を振り上げて反論するが、寝起きの攻防戦は続く。
「やはり風呂とトイレ使用権は昨夜のじゃんけんで勝利した俺たちにあるべきだ! お前は出ていけ!」
……昨夜の陣取りじゃんけんで、誠次は全敗を喫していた……。
「無理だと言っているだろう!? 俺にどこで身体を洗い、用を足せと言っているんだ!?」
「お前の大好きな女子の部屋に行って済ませればいいだろう!?」
「女性の部屋に風呂とお手洗いだけ借りに行けと言うのか!? それだけの為に女性の部屋に行けと言うのか!? すまない、風呂とお手洗いを貸してくれ――って、ただの高度な変態だそれっ!」
と、ベットと布団の上に乗っかったまま、ノリツッコミをする誠次と、誠次と同じ部屋になった男子たちはがみがみと言い争う。
「お前ら……朝から元気すぎるっての……」
そしてもう一人……誠次と同じくジャンケンで負けまくり、床に敷いた布団で眠っていた志藤颯介も、あくびをしながら起きる。
「志藤! 志藤からもなにか言ってくれ!」
援軍を求め、誠次は布団の上でしゃがみながら志藤に窺う。
志藤もまた、寝ぐせでぼさぼさになっている金髪をかきながら、面倒臭そうにして、口を開く。
「……まあ、俺から言わせれば、修学旅行みたいで楽しかった、ぜ……」
「「「「いや、それはない」」」
ジト目でしれっと言う誠次とルームメイトたちに、
「あれ、お前ら本当は仲良かったりする?」
志藤が冷静に答えていた。
その他にも、ヴィザリウス魔法学園の全施設は、たった二日間の会の為の設備に切り替わっていた。
昨年のアルゲイルの会場を見て、ヴィザリウスの三学年生が率先して会場を作る。それを見たアルゲイルの二学年生たちが、来年に行われる母校での開催の為の手本とする。それの繰り返しにより、今までの二大魔法学園弁論会の歴史が紡がれているのだろう。
「――てなわけで! 私たちが紡いだ偉大な歴史の数々を、後輩ちゃんたちには引き継いでいって欲しいってわけ!」
「はい。頑張りますね!」
巨大な衣料店のように何着ものドレスが並んでいるこの場は、元々は魔法生たちが魔法を試す地下演習場である。
えっへんと、得意気に胸を張る相村佐代子に、本城千尋が感心したように頷き、改めて壁一面に広がったドレスの数々を眺める。試しにその内の一つを手に取って広げてみると、千尋の表情はみるみるうちに赤くなっていた。
「あの、佐代子先輩……」
「なにー? どうしたの千尋ちゃん?」
「この服も、あの服も……どれもお胸の辺りとか、お腹とか開きすぎて、大胆な気がします……っ」
次々とドレスを取ってみては、千尋は見なかったことにするかのように、それをラックに押し戻していく。
「それもきちんと受け継いでいかなくちゃ駄目だよ千尋ちゃん?」
にやにやと笑いかける相村に、千尋は困惑した表情で首を傾げていた。
「ですがお父様は、このような弁論会は、もっと格式のあるものだと仰っておりましたのですけれど……」
「あー。今年もお父さん来るの? 大臣さんだっけ? ウチ去年生徒会メンバーとして参加したのに、偉い人の顔も覚えて無かったとか、マジ生徒会の自覚なかったわー」
自虐的に笑い、相村はロングポニーの髪をかく。
「ま、それはそれとして、男子のドレスアップ姿も捨てたもんじゃないよ? 意外と見応えあったり!」
「そうなんですか! ……やっぱり、堅苦しい弁論会よりも、そちらの方が楽しみになってしまうのは、この年頃ではやむないことなのでしょうね……。で、でも私は大臣の娘として、真面目に弁論会に取り組まなければっ!」
大臣の娘としての自覚を胸に、あくまで生真面目に弁論会に参加しようとする千尋が、なにかの誘惑を拒むように、懸命にツインテールの髪を左右に振っていた。
「ああお父様……。私は、私はいったいどうすれば良いと言うのでしょうか……!」
※
外は快晴であり、八月も終わりに近づいているが、まだまだ夏の強い日差しは続いている。
そんな熱気の中、いよいよヴィザリウス魔法学園は、大阪からの来訪者を大多数迎えることになる。弁論会開催を翌日に控え、ヴィザリウス魔法学園には大勢のアルゲイル魔法学園の生徒たちがやって来たのだ。白が目立つ学園に、黒い制服を着た大勢の魔術師たちが来訪したのである。その規模は、数百人ほど。明日の本番ともなれば来賓者も多く訪れ、ヴィザリウス魔法学園内の人口密度は大きく膨れ上がる。
白亜の学園の廊下を歩いていても、黒色の制服姿の彼ら彼女らは、よく目立っていた。
「そうですか。お姫様は無事に、クエレブレ帝国へと帰ることが出来たのですね」
「大阪の人にはかなりの迷惑をかけてしまったようだけどさ……」
誠次と小野寺はそんな白と黒の廊下を歩きながら、会話をしていた。学園が休みの日は私服姿で出歩いても構わないのだが、弁論会開催期間中の今は風紀を守るためという名目で、学園内で過ごす時は制服着用が義務付けられている。……夜の部での大胆なドレス姿に風紀も何もあったものではないと言うご指摘は、ごもっともである。
「そんな人たちが今ここにいると思えば、うかうか目も合わせられない……」
とほほ、と肩を落とす誠次に、隣を歩く小野寺はくすりと微笑んでいた。
「そう気落ちしなくとも。天瀬さんは人を助けるために戦ったのですから、多少なりとも分かってくれるとは思います。ましてやお姫様ですよ!? 男子の憧れです!」
「あ、ありがとう、小野寺。ティエラさんも、ちゃんと小野寺に感謝していたぞ」
「い、いえいえ。自分は、少しだけしかお役に立てませんでしたし……」
漫画喫茶で戦ってくれた小野寺たちも、あの後無事に東京に戻ることが出来ていたようだ。
小野寺は謙遜して、前を向いていた。
「誰かの為になるのに、多いも少しもないと思うけどな」
誠次がそう呟いていると、前の方から、見覚えのある少女が息を切らしながら走ってやって来ていた。その娘は厳密にはヴィザリウスでもアルゲイルでもない、無所属の少女だ。
「せーじっ!」
狐の耳と尻尾のような特徴的な髪形をした、心羽である。
「心羽? 一体どうしたんだ?」
立ち止まった誠次が驚いていると、心羽もまた、切羽詰まった様子で目の前で立ち止まる。
「お、お願いします! 助けてくださいっ!」
ぺこりと頭を下げてくる心羽に、誠次と小野寺は顔を見合わせていた。
ところ変わって、ヴィザリウス魔法学園の談話室。本来は緩やかな空間で、男子生徒女子生徒関係なく会話を楽しんだりお茶会をしたりしている長閑なまさに魔法生憩いの場も、今この瞬間はすっかり様変わりしてしまっている。
――がやがや。――わーわーっ。
と、そこかしこで聞こえてくる高校生のお喋り声。そして、席に満杯の人と、未だにカウンターに並んでいる人の群れ。百人は入ることが出来る昔ながらのフードコートのような造りの談話室に、ヴィザリウスとアルゲイルの魔法生たちが所狭しといた。
普段はここでウェイトレスをやっている心羽に連れられ、この場にやって来ていた誠次と小野寺も、この大盛況の光景を見て二人とも気圧されていた。
「毎度、食堂と言い談話室と言い、明らかに容量オーバーなんだよな……」
「もともとはかつてあった普通科の高校を無理やり最新鋭の魔法学園化させたのですから、縦に長く横に狭い構造が完ぺきにアダとなっていますよね……」
小野寺が冷静に分析して、そのような事を言う。
「お願いせーじ……。心羽とマスターと真由佳ちゃんだけじゃもう大変で……」
しゅんと沈みこんでいる心羽の狐の耳が、本人の心情を表すかのように、しゅっと折れ曲がっている。
「わ、分かった心羽。俺もウエイトレスとして手伝おう。確かにこれは大変そうだ」
「自分も手伝います。心羽さんの使い魔のイエティを、ここで使っても大騒ぎになりそうですしね」
誠次と小野寺が交互に言えば、心羽は表情を明るくする。
「ありがとうせーじ! ええと……」
小野寺を見つめて口籠る心羽に、小野寺は口角を上げて応じる。
「小野寺真です。漫画喫茶では貴女の使い魔に助けられました、心羽さん。あれだけの使い魔を使役できるなんて、貴女はずいぶんと魔力が高いんですね」
「ありがとう小野寺先輩!」
誠次と小野寺は、心羽に案内されて、一旦カウンター裏の従業員用の部屋へと案内される。
持っていたレヴァテイン・弐を降ろし、心羽に手渡された従業員用の制服に着替える為だ。
「せーじはこれ! 小野寺先輩は……せーじから一つ小さいサイズ……だよね?」
「は、はい……」
どこか残念そうに、小野寺は心羽から一回り小さいサイズの制服を受け取っていた。
「よし。正直言ってこれは厳しい戦いになるだろう。気合入れるぞ、小野寺!」
すでにウエイトレス用の制服に着替えていた誠次は、前髪をかき上げ、髪留めでそれを止める。
小野寺もまた、「魔法で背が伸びればいいのに……」とぶつぶつ呟きながら、ウエイトレス用の制服を着る。
その後、心羽先輩が誠次と小野寺へ談話室での働き方のレクチャーをする。心羽は初めて出来た後輩を前に、とても張り切っているようだった。
「おお二人とも、ありがとう」
そこへやってくるのは、談話室のマスターである男性、柳俊哉だ。魔法学園影の支配者、校長先生である。
「早速ですまないが、私は材料の買い出しに行かなくてはいけない。専門のものだから、私が行かなくちゃいけないんだ。簡単な料理とか飲み物は機械が作ってくれるから、君たちは出来たのを運べば良いからね」
「「はい」」
柳はそう言いながらも、忙しそうに自分が着ている制服のエプロンの紐を解いている。
「では、頼んだよ。大丈夫。バイト代は奮発するから」
柳もいなくなってしまい、誠次と小野寺の二人は増々気を引き締める。
「では行きましょうか、天瀬さん」
「ああ。俺たちが力を合わせれば、きっとなんとかなるさ!」
誠次はそうやって意気込むが、結果から言ってしまえば、地獄であった。
「すげー。東京のビル見られるぜ!?」
「私ココア飲みたーい」
「明日の夜のパーティー相手、やっぱ現地調達すっか?」
がやがやとした喧騒に包まれる談話室で、誠次と小野寺はテーブル席と厨房を行ったり来たり。カウンターは心羽と真由佳に任せているのだが、そちらもそちらで大変そうだ。まさしく雪男の手も借りたい状態であったが、出したところでたちまち大騒ぎになることだろう。
「こんなに、忙しいとは……っ!」
「め、目が回りそうです……!」
「これ、頼んだのと違うんだけど」
「「すみませんっ!」」
もはやどちらがなにを担当しているのかもよく分からないところまでくれば、小野寺の方がようやくなにかに気がつき始める。
「天瀬さん……よくよく考えれば、このお仕事、二人だけではなくもっと人を呼んでやるべきだったのでは!?」
「人件費削減だそうだ! それに、柳さんは俺たちの力量を信じてこの任を与えたんだ! 遂行せねば、あの人の期待を裏切る真似になりかねないっ!」
「とんだブラックバイトでした! 二人では手に余り過ぎている気がしますけれど!?」
「だからと言って、炎上動画は絶対にネットに上げるなよっ!?」
「心得ていますっ! って、そもそもそのような行為すらしませんしっ!」
そうして、誠次と小野寺が身を粉にして働いている最中にも、悲しいことに些細な小競り合いは起きてしまう。よりにもよって談話室の中で、ヴィザリウス魔法学園の魔法生とアルゲイル魔法学園の魔法生の間で、何やら揉め事が起きているようだ。
「な、なに事だ……?」「な、なんでしょう……?」
あわわと慌てている心羽と真由佳をカウンターの裏に避難させ、誠次と小野寺は頷き合い、騒動の現場へと向かう。客同士のいざこざをどうにか治める。これも従業員の仕事なのだろうと、どこからともなく沸いた責任感を、互いに胸に秘め。
「はあ!? だから、おめえらの勘違いだって言ってるだろ!」
黒い制服を着たアルゲイルの魔法生男子が数名、威圧的な態度で壁を作っていれば、
「気のせいなわけがあるか! 恥を知れ、アルゲイルの魔術師ども!」
白い制服姿のヴィザリウスの魔法生男子が数名、高圧的な態度で立ち向かっている。
女子も普通にいる中、両勢力は睨み合い、一歩も引く気はないようだ。
「一体何事だ!?」
「落ち着いてください!」
人混みをどうにかかき分け、誠次と小野寺が対立する二勢力の間に割り込む
「お前、天瀬か!?」
対立する二勢力のうち、ヴィザリウス魔法学園陣営の男子生徒の方から、聞き覚えのある声がする。
「そう言うお前は、男子サッカー部次期キャプテン候補通称フィールド上の魔術師!?」
「説明どうもありがとう! そうだ俺だ!」
ヴィザリウス魔法学園の白い制服を身に纏い、フィールド上の魔術師はふっと前髪をはらう。
「何をしているんだ!?」
「こいつらが、俺たちサッカー部の女子マネージャーに手を出そうとしたんだ!」
指をびしっと、対立するアルゲイル魔法学園の男子生徒たちへ向け、フィールド上の魔術師は声を荒げる。
一方で、アルゲイル魔法学園側の男子生徒たちの方は、丸刈り頭が目立っていた。
「だからお前たちの勘違いだと言っているだろう!? サッカーボールの蹴りすぎで脳みそが足に行ってるんじゃないか?」
「野球バカどもが! 貴様らほど無駄に金属の棒を振り回しているわけじゃない! その頭はなんだ? 日光の浴びすぎで爆発したのか!?」
どうやらアルゲイル魔法学園側は野球部員たちだったようで、まさに不毛な争いを繰り広げている。
「やめてください!」
そして、騒動の発端となった女子マネージャーは、フィールド上の魔術師の後ろに隠れるようにして立っている。
「私、好きな人がいるんです!」
「大丈夫だ! 君の事は、俺が守る!」
フィールド上の魔術師が叫び、魔法式を目の前に展開する。
「やる気かてめえ!」
それを見たグラウンド上の魔術師たちもまた、攻撃魔法の魔法式を作り出す。周囲の人の悲鳴も疎らに感じるほどの眩しい光が、ヴィザリウス魔法学園の談話室で輝き始める。
「や、やめろフィールド上の魔術師! お前、まだ次の大会があるんだろう!? 暴力で問題になって、出られなくなってもいいのか!?」
誠次が腕を振り払って叫ぶが、フィールド上の魔術師は額から汗を流し、薄く笑う。
「止めるな天瀬……。男には、どうしてもやらなきゃならない時があるんだ!」
「ふ、フィールド上の魔術師……。お前……」
「いえなに納得しかけているんですか!? 止めませんと!」
拳を収める誠次に、小野寺が真横からツッコむ。
「ハッ! 魔法はやめろ! ここが滅茶苦茶になる!」
しかし、遅かった。白魔術師と黒魔術師の引くに引けない睨み合いが、とうとう戦いにまで発展してしまう。
魔法――ではなく、物理によって。
さすがに魔法戦は冗談にならないと最後の理性が働いてくれたのか、睨み合っていた両者の距離が一気に縮まり(物理的に)、魔法ではなく拳が繰り出された。
途端、騒ぎ立てる周囲の魔法生や、危険を察知して逃げようとする魔法生。それぞれが動き出したとき、止めようとしていた誠次と小野寺はいざこざの最前線に巻き込まれてしまっていた。
「ふざけんじゃねえ!」
「それはこっちの台詞だ!」
ガラスやら何やらが割れる音や、椅子が倒れる音。それと同時に頭に血が上った男子生徒たちの怒声が耳元でこだまする。
「お、落ち着いて下さい皆さんっ!」
「やめろってっ!」
誠次と小野寺にとって不運だったのは、このような場面で理性的に語ろうとすればするほど、標的にされやすくなってしまうことを、知る由もなかったことだ。ましてや私服でも、魔法学園の制服でもない今の姿である。
そして、悲劇は起こる。
――べむんっ!
流れ攻撃魔法ではなく、流れ拳が運悪く、誠次の頬に直撃した。
「静観してんじゃねえ!」
最後まで理性的にこの場を治めようと努めていた誠次の頭の中のなにかが、ぷつりと切れかける。
「心羽さんと真由佳さんはカウンターの裏へ隠れていてください! 天瀬さん!?」
怯える心羽と真由佳を隠していた小野寺が、目の前でぷるぷると震える誠次を見て、まさかと青冷める。
「さっきから下手に出ていれば……貴様ら……っ!」
「天瀬さん!? 落ち着いて下さいっ!」
咄嗟に誠次の後ろに立ち、拳で対抗しようとする誠次を羽交い締めにする小野寺であったが、そんな彼の後頭部にも、運悪く投げられたグラスが直撃し、中に入っていた水が小野寺の橙色の髪から借り物の服までをびしょびしょに濡らした。
「……」
ぽたぽたと、髪の先から何粒もの水滴を垂らして、小野寺は自分の身に起きた事を、次第に理解していく。
「お、おい、小野寺? 大丈夫か……?」
一瞬だけしんとなった気配の中、誠次がずぶ濡れの背後の小野寺に声をかける。
小野寺はそっと、誠次を抑えていた自分の両手を離す。
そして、誠次の後ろで大きく息を吸い込み、
「みんな……仲良くしろーっ!」
と叫び、拳を掲げて騒動の真っ只中へと突撃していった。
「言ってることと行動が真逆だーっ!」
とツッこみながら、誠次もまた小野寺の後に続いて、喧嘩騒動の真っ只中へと、ドロップキックをしながら突撃する。
一一人対九人の相手に新たな二人の勢力が加わり、談話室内で三つ巴の殴り合いの戦いが勃発する。
「テメェ天瀬っ! 日々の恨みつらみ、ついでに晴らす!」
そう言いながら殴りかかってきたのは、なんとヴィザリウス魔法学園側の魔法生だった。
「お前らこそ! サッカー部なら喧嘩でも足を使えーっ!」
「確かに言われてみれば……って、そうじゃな、グボァ!?」
誠次は向かってきたその手を取り、一本背負いで同級生を机の上に背中から倒す。
そうすると、多勢の相手が瞬く間に誠次を取り囲み、腕を掴み上げてくる。
「野球部ならば、バットの一つでも持ってきたらどうなんです!?」
そんな誠次の窮地を、濡れた髪の小野寺が横から跳び蹴りをして救い出し、続いて向かってきたアルゲイルの魔法生の手を、姿勢を低くして躱す。
勢い余ってつんのめり、前へと倒れかけるアルゲイルの魔法生の頬を、誠次がすかさず右手で殴る。
誠次は拳をぐっと持ち上げ、小野寺がしゅっと両手を構え、
「「暴れるなーっ!」」
多勢を相手にほぼ互角に立ち回る二人が、腕まくりをしながら声を張り上げれば、
「「「いやお前らがだろう!?」」」
その他魔法生たちがそう言葉を返す。
ガラスが割れる音はまだまだ響き渡る。すでに何発かの攻撃を顔に食らってしまっていた誠次が、アルゲイルの魔法生の制服のネクタイを掴みあげる。
「なぜヴィザリウス魔法学園の女子マネに手を出そうとした!?」
「俺たち……マネージャーいねえんだよーっ!」
「ふざけるなーっ!」
誠次はそう叫び、男子の頬を殴る。
「あれ……。なぜ、俺は……殴られ、た……?」
「貴様らは、そんな思いで甲子園を目指していたのか!? 違うだろーっ! この〇ゲーっ!」
「車の中かここはっ! お前こそ、鬱陶しい前髪なんとかしろーっ!」
「これはお洒落だ! 常人には理解出来まい!」
後ろからやって来たヴィザリウス魔法学園の生徒の足蹴りをひらりと躱し、誠次は逆に抑え込み、床の上に組み伏せる。
「小野寺! そっちは平気か!」
「ええ……! しかし、多勢に無勢……。顔と腹に何発か喰らってしまいました……っ」
そう言いながらも小野寺は、アルゲイルの生徒の拳を一歩引いて躱し、懐に素早く潜り込み、顎を掌底で突く。
顔を抑えて後退したアルゲイル魔法学園の生徒を見て、誠次はほくそ笑んだ。
「だがその程度でくたばるほど、陸上部でやわな鍛え方などしていないようだな」
「当然です天瀬さん……! そちらこそ、調子に乗ってやられないでくださいよね?」
「ああ……。しかし、゛捕食者゛と言う共通の敵がいながら、ここでも人間は分かり合えないとは……虚しいな……」
「いや、お前が一番、暴れてんだよ……。゛捕食者゛、今関係ねえし……」
悔しがる誠次に、彼によって床の上に組み伏せられている男子がそっとツッコむ。
「細かいところは気にするな……男だろ!?」
「ええーっ!?」
頬に殴られたあざ傷をつける誠次がぐっと力を込めれば、男子生徒は悲鳴を上げていた。
「お前も陸上部関係ねえ! ってか、女なのに強くないか!?」
「女……? ……自分は、男だーっ!」
後ろからアルゲイルの魔法生に、禁断の言葉を言われ、とうとう小野寺の中の理性も完全に吹き飛んだ。
振り向きながら強烈な右ストレートを、女と言った男子にお見舞いし、ふんと鼻息を荒く立つ。
冗談ではなく、男の身体は宙に吹き飛ぶ。
「ああ……。貴男が言う女に殴られても、男なら、文句言えないですよね……?」
「ヒィッ!」
その後も、談話室で起きた小競り合いが繰り広げられることになる。
それを終わらせたのは、誰かが放った幻影魔法であった。突然、魔法の光が談話室の中で広がり、暴れる魔法生たちを瞬く間に包み込んだ。
光はすぐに収まり、誠次が掴みあげていたアルゲイルの魔法生は、なにが起こったのかと目の前で首を傾げていた。
これには驚いた誠次も、目の前で殴り合い、ネクタイを掴んでいた腕を離し、一気に静かになった周囲を見渡す。
散々暴れていた小野寺も、すっかり汚れてしまった制服姿で何事もなかったようにきょとんとしている。
「あなたたち、なにやってるのよ……」
談話室の女子寮棟方面のドア入り口付近に立っていたのは、香月詩音だった。冷静な彼女の声が、火照った身体の全てを冷ましていくようだった。
そして、男子寮棟方面からは、騒ぎを聞きつけたヴィザリウス魔法学園の教師たちがやって来る。
改めて見渡せば、騒ぎの現場となった談話室は荒れ果てており、割れたガラスや折れ曲がった椅子が転がっていた。今まさに、観葉植物の折れた枝が完全に分離し、染みだらけの床の上にぽとりと落ちる。
幻影魔法で騒動を収めた香月を初めに、教師陣の介入もあり、暴れていた双方の魔法生たちは大人しくなる。顔や全身にあざや汚れが付いた誠次と、小野寺も。
※
「――殴り合いの喧嘩って、旧世紀のヤンキーかお前らは……」
数分後。中央棟の職員室に呼び出された誠次と小野寺は、自分のデスクの椅子に座る担任教師である林政俊に呆れられていた。彼のデスクの上には、ホログラム画像で事件の報告書が。
「酒場で殴り合いするくらいなら、せめて外で魔法使ってやれや……」
「酒場ではなく、談話室です……」
「俺は魔法が使えませんが……」
面倒臭そうに呟く林に、小野寺と誠次が応える。
不服そうに、不貞腐れた表情で横を向く誠次に、申し訳なさそうに、意気消沈した様子で俯いている小野寺。二人の着ているウェイトレスの制服はボロボロとなっており、顔には殴られた痕や、ガラスで裂いた傷があり、絆創膏も貼っていた。
「にしても、剣術士はともかく、穏やか博識ボーイまで喧嘩に乱入するとはな」
職員室にて担任の林に説教を喰らう、未だ汚れたカフェ店員服姿の誠次と小野寺は、喧嘩の最中は熱が籠もっていた身体も、今はひんやりと冷え切っているようだ。
「珍しいな? お前さんがこうやって怒られるなんて」
ともかく、と言われてムッとする誠次の横で、温厚な性格の小野寺もまた、やや口を膨らませていた。
「……自分だって、男です。ㇺかって来るときや、やり返したい時だってありますから」
そう言った小野寺のジュースやコーヒーなどで濡れた髪の横顔を、誠次も意外に思い、じっと見つめていた。まるで、雨に打たれた後のように、小野寺の橙色の髪は暗く湿っている。
「仕掛けてきたのは向こうの方です! 俺たちは、最初は、その……止めようとしましたが……」
口答えをするが、語気は次第に正当性という絶対的な自信を無くしていき、誠次の言葉はしりすぼみとなる。
林は面倒臭そうに、後ろ髪をぽりぽりとかいていた。
「そりゃあやられたらやり返せとは言ったが、無駄に騒ぎを大きくしろとは言ってねえぞ。個人的な心情を混みにすれば、お前らを庇いたくはなるが、そうすればアルゲイルの方からはヴィザリウスを贔屓してると思われちまう。よって、処罰は対等だ。悪く思うな?」
林の言葉に、誠次と小野寺は揃って頷く。両者共に、半分ぐらいは納得はしていない面持ちのままだった。
勿論、数多くの学生を見てきた林からしても、二人が全てに納得していないと言うことは気付いているのだろう。
「処罰だが。当日夜の体育館でのパーティー参加を禁止することにした。これは談話室で暴れていた全ての生徒に平等に与える罰則だ。あと、談話室の片づけと、始末書と反省文の提出もな」
「そ、そんな……」
「自分たちは、夜のパーティーに参加出来ないと言うわけですか……?」
誠次と小野寺はショックを隠しきれず、林を見る。
「昼の弁論会は参加して良いが、夜の部は駄目だと言うわけだ。その時間は、寮室で待機するように」
「……分かりました」
小野寺が先に頭を下げ、誠次も続くようにして「すみませんでした……」と言って、頭を下げる。
「悪いな。ほな、行ってよし」
そう言って机の上に報告書を放った林の説教が終わり、二人は揃って職員室を後にした。
廊下に出た二人は、職員室の壁を背に、肩を落とし合う。
「……申し訳ないです、天瀬さん。あの時、自分がもう少し理性的になっていれば……」
「俺こそ、殴られてついかっとなって、やり返してしまった。まさか、夜のパーティーに参加できなくなるとは……」
「自分は元々あまり興味はありませんでしたが、いざ参加出来ないとなると、結構なショックですよね……」
二人はとぼとぼと歩いて、寮室に向かう。
「それにしても、俺も意外だった。喧嘩の最中はそこまで頭が回らなかったけど、小野寺まで介入してくるなんて」
汚れた顔のまま、小野寺はやや恥ずかしそうに、廊下の窓の方へ視線をやっていた。
「だから……自分だって、やられたらやり返したくなりますってば……。結果はぼこぼこにやられ返されましたけど……」
「多勢に無勢だったからな。香月が来てくれなかったら、きっとあのままやられていただろうな……」
ひりひりと痛む口の中をそっと舌で労りつつ、誠次は言う。
小野寺も自分の右腕にそっと治癒魔法をかけていた。
「でも、あの小野寺真が――」
「し、しつこいですよ天瀬さん!? だから自分だってムカついていたんですってば!」
「すまない。それほど意外だったんだ」
不意に夏の終わりを感じさせるような昼下がりの窓の外の景色を眺め、小野寺は小声で呟く。
「明日の夜、どうしましょうか?」
「うーん……。あ、例年やってる、ほぼだいたい二十四時間テレビを見ないか?」
「あ、そう言えば放送日、明日でしたね。ほぼだいたい二十四時間やるんですよね」
「そう。ちょっと長引いたりしたりもする、ほぼだいたい二十四時間テレビ。最後の方は二人で歌おう」
そんなことを言い合いながら、ウエイトレス姿の男子二人は寮室まで歩いていく。
窓の外では、快晴の空が広がっていた。ただ、折しも日本列島にまたしても接近している夏の台風により、これから天気は大幅に崩れるらしい。
例え傘を差したとしても全身を濡らすであろう雨の気配は、すぐそこまでやって来ていた。
~根無し草剣術士~
「香月……一つ頼みがあるんだ……」
せいじ
「どうしたの天瀬くん?」
しおん
「今晩だけ、俺を泊めてくれないだろうか!?」
せいじ
「……」
しおん
「どうして?」
しおん
「とあるやんごとなき事情で……」
せいじ
「風呂とお手洗いが使えないんだ」
せいじ
「私以外に女の子がいるし」
しおん
「無理ね」
しおん
「そうだよな……」
せいじ
「俺は、どうすれば……!?」
せいじ
「……」
しおん
「はい、ひとまずはここを頼って」
しおん
「この地図は……?」
せいじ
「河川敷の橋の場所よ」
しおん
「大丈夫、放課後に毎日様子を見に行ってあげるから」
しおん
「せめて! 初期装備に段ボールください!」
せいじ




