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男子寮棟と女子寮棟とを繋ぐ上層階の広い一室。ファミリーレストランのような広さと明るさを誇るこのホールは、談話室と呼ばれ、ヴィザリウス魔法学園に通う魔法生たちの憩いの場となっている。
看板娘となっている心羽が勉強の傍らでせっせと働く中、この春から二学年生になっていた少女たちが、四人掛けのテーブル席に集まっていた。
「ムカつく……」
アップルティーの入ったグラスを机に置き、篠上綾奈がため息混じりに呟く。
「でもでも、泥棒さんは退治できましたよ!」
篠上の隣の席に座る千尋は、レモンティーの入ったグラスを両手で持ち、上品に口を付ける。
「それはそうだけど……問題はあの女の子よ! 危険だから待ってて、って言ったのに……」
篠上はくちびるを尖らせ、ストローを吸う。
「私だって、ちゃんと一緒に戦えるのに……」
「天瀬の力になれたってことは、もしかして付加魔法使いって事?」
向かいの席に座る黒髪の少女、桜庭莉緒が、ミルクティーの入ったグラスの氷をストローでからからと回しながら篠上に訊く。
「……分からない。大急ぎで来たらもう終わってたし。……でも、天瀬は誰にでも付加魔法を許してるわけじゃないはず……」
出会ったばかりの後輩にしては、小生意気だったのが妙に腹が立つ。それだけでは飽き足らず、妙に誠次と馴れ馴れしくて、近づいたりして。
「まあ、天瀬が助かったって言ってたのなら、結果的にあの場は良かったんじゃないかな? ……付加魔法に失敗してるあたしが言うのも変だけど」
同級生の中では少し幼く見える顔立ちをしているが、協調性は高く、クラスの女子の中でも中心にいることが多い桜庭。
そんな彼女を見つめると、篠上は微笑み、軽くため息を溢していた。
「大人な考え。さすがはもう少しで一七歳、ね?」
「ちょっ、そんな変わんないってばっ!」
今月の二〇日で少し早めに大人の階段を上ろうとしている桜庭だが、不敵に微笑む篠上にたじたじとなっている姿は、やはりどうしても同級生よりは年下の後輩に見えてしまう。
「ぎ、逆に言えばこの四人の中であたしが一番お姉ちゃん、って事になるんだからね!?」
えへん、と胸を張り、桜庭はどや顔を浮かべて言う。
「莉緒がお姉ちゃんねえ……。全っ然、想像できないわ」
「……うん、あたしも。妹に恵まれすぎる気がする……」
この場にいる三人を見渡し、桜庭はとほほと肩を落とす。
「そう言えばほんちゃん! 新聞見たよ。水泳部の人魚姫さん」
千尋はそれに対して、少しだけ不服そうに頬を膨らませる。
「新聞部のお友達から取材を受けたときには、まさかあんな事になるとは思っていなかったんです……。水泳部の皆さんからもそう呼ばれるようになってしまって……」
自身のスカートの下から伸びる足と、それを包む白いニーソックスを見つめて、切なそうに千尋はツインテールの金髪を左右に振る。
「そのうち私の下半身はお魚さんの尾びれになって、水の中でしか生きられない身体に……でも、そんなときに、剣を持った勇者さんがやって来て、キスをすれば人間に戻れるのですねっ!」
胸の前で両手を合わせて妄想し、黄緑色の両目をきらきらと、千尋は輝かせる。
「天瀬の事ね……」「天瀬の事だね……」
「えへへ。ばれちゃいましたか」
おとぎ話のような存在も、この魔法世界では案外実在するのかもしれない。篠上と桜庭から即行で指摘され、まんざらでもなさそうだった千尋は罰が悪そうに微笑む。
廊下側で向かい合って座る篠上と千尋の足元には、それぞれの眷属魔法から生み出された使い魔である、子猫と子犬がじゃれあっている。
「複数人の女性から付加魔法を受けて戦う、か……」
グラスの氷を意味もなくストローで回し、篠上は頬杖をついて呟く。
「でもやっぱり、一番大変なのは天瀬なんだよね……」
「私たちの事を気遣ってくれていると言う事は、分かります……」
桜庭も千尋も、視線を落としている。
「……」
そして、四隅の奥で今の今まで”黙々と勉強をしていた゛少女も、その手をようやく止める。
「――頬にキスぐらいは、その……良いのではないかしら……」
予想だにしない、発言をしながら。
「急にどうしたのこうちゃん!?」
隣の席の桜庭が、距離を取るように慌てる。
「それか、一緒にお風呂に入ると言うのも、まあ……」
なくはないわね、と顎に手を添える香月詩音は、無表情のままで言う。
「いきなりハードル高くない!?」
「やけに具体的ですね……」
篠上と千尋も、香月を訝しんで見つめる。
「も、もしもの話よ……」
香月は素知らぬ顔で再び勉強を始めようとするが、
「……いつしたの?」
篠上が底冷えするような冷たい視線と声音で、斜め前に座る香月に詰め寄る。女の勘が、全てを告げていた。
それを受け、香月は「……っ」と言葉に詰まりかけながらも、白状した。
「……大晦日と、みんなで箱根に行った時に、我慢、出来なくて……」
「”にゃあーっ”! いっつも莉緒や千尋や詩音ばっかり! それにあの生意気な後輩もなんなのよーっ!」
意味不明な叫び声で、篠上がじたばたしだす。
「あ、綾奈ちゃん落ち着いて下さい!」
「心羽ちゃん甘いもの! なにか、甘いものをいっぱいしのちゃんにあげて!」
「はーい!」
千尋と桜庭が篠上を慌てて押さえる中、火種を放り投げてしまった香月は、この上なく申し訳なさそうな表情をしつつも、やはり彼女に対する゛根本的な劣等感゛は拭いきれず。
「大丈夫よ、沢山食べても。食べた分の脂肪は、貴女の場合全部胸に行くのだから。……科学者を両親に持つ私にも分からない人体化学のメカニズムが、そこにはあるのよ……」
「その、ちょっと上手いこと言ってしまったわ自分、って顔が今の私には不愉快よーっ!」
「みゃう?」
なにやら様子がおかしい頭上のご主人様に、眷属魔法で生み出された使い魔である子猫が腕をくしくしと舐め、首を傾げていた。
鮮やかな花が色づき、暖かい日々が続く魔法学園の春。少女たちが彼を想う感情にも、昨年とは比べ物にならないほどに強く、色づいていた。
魔法が使えない剣術士が、複数人の少女の付加魔法の力を借りて戦うと言う戦闘方法は、去年の文化祭の時、全校生徒に知れ渡る事となる。ちょうどまだ、太刀野桃華が現役アイドルだった時に、彼女の付加魔法を゛見せびらかした゛事により。
当時生徒会長であった兵頭賢吾の作戦もあり、剣術士の存在は認められてはいたが、全ての人の支持を集めることは、やはり不可能に近い。むしろ、まだまだ否定派の方が多いだろう。
「――本当、あり得ないんですけど!」
その最たる例が、四人の少女から離れた席に腰掛ける、ヴィザリウス魔法学園の生徒会執行部書記、火村紅葉だろう。
四人は周囲には聞こえないように談話室内にある仕切られた個室の中にいたのだが、聞き耳を立てている火村には無意味だった。
「水泳部じゃ大人しくて真面目で優等生なあの本城さんまであんなにデレデレで……。なんなの、あの天瀬誠次とか言う男子っ!」
「――バレンタインの時、誰それ、って言ってたじゃん」
二人掛け用のテーブル席に向かい合って座る、生徒会執行部の会計の相方、水木チカは、相変わらず持参している自前の折り畳み式持ち運び型デスクトップパソコンを広げて、ネットゲームらしきものを嗜んでいる。さすがに目立つので、お気に入りの高性能遮音性を誇るヘッドホンは首にかけているが。
「それは波沢生徒会長に配慮してたの。生徒会長だって……その、゛そのうちの一人゛、なんでしょ?」
「生徒会長本人も言ってたしね。……嬉しそうに」
「ぐ……っ!」
ぼそりと他人事のように水木が言えば、火村は抑えきれない感情を右手に込め、美味しい美味しい苺のショートケーキにフォークを突き刺す。
「あむっ! わ、私は認めない! あんなの、おかしい!」
「でも、水泳部として助けられたお礼はきちんとするべきだと私は思う」
分厚い眼鏡のレンズに、モニターが写し出すフラッシュを何度も反射させながら、水木は言う。
「私たちは生徒会のメンバーなわけだし、時には感情を殺して職務をしないと。全校生徒の模範にはなれない」
「水木は感情を殺しすぎてる気がするんだけど……」
甘いスポンジケーキをもぐもぐと咀嚼し、火村は水木を見つめる。
「そんな事はない。今も画面の向こうにいる顔も知らない相手に、内心で○ねとか思ってる」
「怖っ! むしろ相手に感情送りつけるタイプ!?」
カタカタとブラインドタッチをしてみせる水木と会話する火村は、盛大にため息を吐く。
「分かってる……。お礼はきちんとする」
「それでいいと思う。それじゃあ私は、寮室に戻るね」
一人の友人として、火村の相談に乗ってやっていた水木は、眼鏡をかけ直しながら、立ち上がる。
「初めての談話室、もういいの?」
「やっぱり私は五月蝿いところ苦手。部屋で静かにしている方が良い」
「まあ同感。私も泳いでた方が、気が紛れる。東京に来たばかりははしゃいでたけど、今じゃ田舎の大自然が恋しいわー」
火村は日焼けしたお腹回りを見せるほど、椅子に座ったまま大きく伸びをする。自然豊かな田舎で育った身としては、周囲を気にせずよくやる行為だった。
「じゃあね、火村。助けてもらったお礼は、忘れずに」
「気は乗らないけど分かってるー……。はあ……」
お互いに軽く手を振り合い、二人の二学年生生徒会メンバーは、談話室で別れた。
大切なマイデスクトップパソコンを抱え、ヘッドホンを頭に装着した水木は、すっかり日も沈んで締め切ったカーテンが垂れ並ぶ学園の廊下を、一人で歩いて行く。
「しょうがない……」
水木はブレザーのポケットに両手を入れ、深くため息をする。
最後まで気乗りしていなかった火村の姿を思い浮かべ、水木は単なる些細な親切心から、くるりとUターンをしていた。
※
くすぐったいような優しい女子の手つきが、誠次の後頭部からそっと離れていく。
薬品の匂いが漂うここは、ヴィザリウス魔法学園の保健室だった。テーマパークほどはある広大な敷地を誇るこの東京の魔法学園に、一つしかない保健室とあってか、その大きさは職員室以上だ。もっとも、このご時世で怪我をすればすぐに治癒魔法を掛けられるので、使用されるのはほぼほぼ体調不良の患者か、天瀬誠次のような魔法が効かない者に限られる。後者のみの利用で考えるのならば、使用者は一人だけとなるので、ベッドが十も並んでいるこの保健室は広すぎるのだが。
「ありがとうクリシュティナ」
「いえ。ご無事で何よりです、誠次」
保健室の白いベッドに腰掛け、誠次はクリシュティナによって眼帯を付け替えて貰っていた。
別に体調が悪いと言うわけでもなく、ここがこのような行為をするのに適した場所だから、と言うわけで、ここで右目の具合を診てもらっている。
「眼帯の付け替えだったら、俺一人でも教えてくれれば鏡を見て出来そうだけど」
「い、いけません! 目は大事なところですから、必ず補助者が必要だと、アメリカのお医者様が言っていました! 本当です!」
誠次の目に前に座り、茶色い髪を胸の前で二房で束ねている少女、クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルはそう言い張る。
「本当だったら君を私たちの部屋に招いて、ゆっくり看病を……と言いたいところだったが、女子寮棟に君が来ては騒ぎになってしまいそうだしな」
誠次の真後ろに立ち、少しばかり不満そうにしているのは、銀髪のロングヘアー姿のルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトと言う、日本人ではない長い名前を持つ少女であった。
どちらかと言えばルーナによくある、印象的なすらっとした目鼻立ちは、北欧人の血筋によるもの。二人は元々ロシアより更に北にあった極北の王国、オルティギュア王国出身者である。昨年の晩に日本にやって来て、様々な出来事を誠次たちと共に乗り越え、今ではヴィザリウス魔法学園の魔法生として、ここで高校二学年生として、日本で初めての春を迎えていた。
「貴方の為です。サボらないで、明日もここに来てくださいね?」
中国系ロシア人の血を引くクリシュティナは、どちらかと言えば東洋人らしい可愛らしい顔立ちで、誠次の顔をそっと見上げる。
「今日の分のお薬はもうお飲みになられましたか?」
「いや。あの後に理事長室に呼ばれて、まだ夜飯も食べていないんだ」
「そ、それはいけないな。なにか食べるものを持って来ようか?」
ルーナが心配そうに誠次を見つめる。
「ありが――」
「――持ってきたぞッ!」
それはまさに、神がかり的なタイミングだった。保健室の番人、ダニエル・オカザキが両手いっぱいの食材を抱え、穏やかでむしろ居心地よかった保健室へ、戻ってきたのだ。
「今、我輩が真心込めた料理を作ってやろうッ!」
久しぶりに訪れた保健室の常連客の一人となっていた誠次に、嬉しそうなダニエルは筋骨隆々の裸エプロン姿を見せつける。下は相変わらずの下駄に、ふんどし一丁と、一体誰が見て喜ぶのだろう出で立ちだ。
「我が祖国に旅立っていたらしいな!? そこで、またしても騒動に巻き込まれたと聞いたッ!」
「は、はい……」
数日前まではアメリカの大地を踏んでおり、そこで、色々な経験を乗り越えた。それ以前にも、多くのものを学び、戦い抜いた一年間だった。決して、無駄にはならないだろう。
誠次はダニエルと目線を合わせられず、あっちこっちを見て返答する。
「フム。この手料理は我輩からの労りの気持ちだッ! 存分に受け取ってくれッ!」
「は、はい……っ!」
インパクトがありすぎる保険医を見るのは初めてなのか、ルーナとクリシュティナは一切の動きを止め、戦慄している。その気持ちは、わかる。
「ルーナ……クリシュティナ……。今日は、ありがとうございましたっ!」
「待て誠次っ! なぜそんなに涙を呑んで頭を深く下げる!? 君は、君は今から……何か命の危機に晒されようとしているのかっ!?」
だとすれば引けはしない、と勇敢にもルーナが誠次とエプロン姿のダニエルの間に立つ。
「ム。ロシアより来た麗しき女子生徒よ、我輩と勝負をする気かね?」
「っ!? やはり敵はアメリカか……手強いっ!」
「ロシアとは長年の因縁の相手でもある。いくら愛しの生徒と言えども容赦は出来んぞッ!」
睨みあう、生徒と保険医。
どうにかしなければと思いながらも、いまいち腰を上げる気がおきず、誠次は冷静沈着なはずのクリシュティナを見る。
「……では私は、派閥は中国で良いでしょうか」
とうとう諦めたのか、それとも何かが彼女の中で眠れるトラを起こしてしまったのか、クリシュティナまでもがそっと立ち上がる。
「く、クリシュティナ……」
広大な国土を誇る国々の出身者に挟まれ、ロシア生まれ日本育ちの純日本人である誠次はげんなりとしてツッコむ。
「――なにやってるんですか……?」
保健室に来客があったことに気づいたのは、誠次の言葉の後だった。
水色の髪をした、眼鏡姿の女子がおっかなびっくりに、保健室の入り口からこちらを覗いていた。どこかで見覚えはあるのだが、誠次にはぴんとこない。
「ム。なに用かね!?」
裸エプロン姿のダニエルを見ても、その少女は対して動じず。どこか気だるそうな視線を、ベッドの上に座っている誠次へと向けていた。
「生徒会として、ちょっとだけ言いたいことがありまして。天瀬誠次に」
「俺か?」
名指しされ、誠次は思わずベッドから立ち上がる。
「そう。私の眼鏡の度がずれてなければ、一年前から進化して、背中と腰に一つずつ剣を持っている特徴的なフォルムをした貴方」
「なんだそのゲームのモンスターみたいな言い方は……」
少女の中で今の自分は、さしずめ第二形態と言うやつだろう。
「生徒会って……ああ、生徒会の人か!」
ようやく思いついた誠次が、水木チカの顔をまじまじと見る。クラスも違うので、ほぼ初対面であった。
「ん。影が薄いのは、自覚してるから、別に覚えてもらっていなくても傷つかない」
「え、いや、あの影が薄いって言うつもりじゃなくて……」
誠次は両手を振る。
水木はぶ厚いレンズの奥の瞳で、誠次をじっと見つめ、
「……変な人?」
「そう言うつもりでもない!」
「貴方が」
「俺かよ!」
誠次は慌ててツッコむ。内心では怒らせてしまったのだろうか。
水木は相変わらず誠次を不思議そうに見つめながら、眼鏡の奥の瞳をダニエルと二人のクラスメイトへ向ける。
「天瀬誠次と二人きりで話がしたいのですけど。良いですか?」
こちらの意思云々と言うよりは、周囲の許可を求めてくる。
「別に悪口を言いに来たのではありません。嫌がらせでもないので、安心してください」
水木のその言葉を聞き、ルーナとクリシュティナも、やや強張っていた身体を解したようだ。
「初日からありがとうなルーナ、クリシュティナ。また明日も頼む」
誠次は腰掛けていたベッドから立ち上がり、水木の元まで向かう。
「あ、明日はやはり保健室以外の場所にしよう誠次!」
「ムッ!? 手作り料理は寮室の前まで運んでおくぞッ!」
「お大事に、誠次……」
保健室を出て、水木と廊下を道なりに進む。
「すっかり人気者、みたい」
「ダニエル先生はともかく、ルーナとクリシュティナはもう、ただのクラスメイトって関係じゃいられないところまで来ているから」
「マンハッタンのニュースは見た。あの場で何をしていたのかは詳しくは知らないけど、さぞ大層な活躍をしたに違いない」
「活躍と言われても、剣で人と戦っただけだ……。ルーナとクリシュティナと百合先生を守れたことは、本当に良かったけど。でも……人同士と戦って、活躍と言われても素直には喜べない……。……戦う覚悟は、もうとっくに決めたけど」
背丈はこちらより低く、歩幅も小さいはずの水木に歩みが遅れてしまい、急いで後を追う。
「波沢生徒会長は貴方の事を高く評価している」
水木の口から出たヴィザリウス魔法学園の生徒会会長の少女の姿を思い浮かべ、誠次は即答する。
「香織先輩とも色々な事を乗り越えたからな」
「しかし一方で、貴方に対する偏見の目は、未だにある」
「心得ている。迂闊な真似はしないつもりだ」
淡々とした会話を続け、人目のない特別活動棟にまで歩いた所で、水木は立ち止まる。
「火村紅葉と言う女の子、知ってる?」
「火村……?」
誠次は咄嗟に思いつけず、首を傾げる。
「日焼けしていて、赤みがかった髪で、水泳部」
「えーっと……」
「胸……まっ平ら」
まっ平。そのヒントで、誠次は思いつく。
「あ、思い出した!」
「絶壁で思い出すとは……」
「いつの間に呼称が増々酷くなってないか!?」
変なところを指摘された誠次は顔を真っ赤にし、クールな水木に対して声を荒げる。
「水泳部の一件で、火村は一応貴方に感謝している。ただ、火村は少し貴方のことが気に入らないみたい」
「そ、そうですか……」
突っかかってきたので分かってはいたが、改めて言われると、中々どうして応えるものだ。
「でも、悪くは思わないで欲しい。魔法学園にいようと、貴方は他の生徒と違うと言う事には変わらない」
「……分かってる。俺は剣術士だ。魔術師じゃない」
水木は右手を見つめる誠次を相変わらず不思議そうに見つめていた。
「私は生徒会として、学園の為に頑張りたいと思ってる。火村も、同じ気持ち。だから仮に火村から何を言われても、挫けないで」
「く、挫けないで……? あ、ああ分かった」
相当嫌われているのだろうか、水木の忠告に、誠次は恐る恐る頷く。
「これをわざわざ伝えに来てくれたのか?」
「そう。問題の芽は早めに摘んでおく。面倒臭くならない為に」
「分かった、ありがとう。生徒会とは、またどこかで関わるかもしれない。その時はよろしく頼む」
「頼まれた」
……どこか奇妙な会話だったが、生徒会会計の水木はうんと頷いていた。
「もし火村に何か言われて挫けそうになったら、私に言ってくれても良い」
「? 俺が水木に何か言うのか?」
「口喧嘩なら負けない自信がある」
「俺に救いはないのか」
※
翌日。入学式の翌日から平常授業が早速始まる為、新たな教室に集った2-Aのクラスメイトたち。
「おはよー天瀬、スイ部の俺の彼女から聞いたぜ? 初日から大活躍ってな」
「えっ、お前らいつの間に付き合ってたのか!?」
「格好つけて助けてもらったところ悪いな。まあ贅沢言うなって」
確かに、とクラスメイトとの会話に苦笑した誠次は教室内を歩き、自分の席へ。
「おはよう志藤」
「うぃっす」
一つ前の席には、当たり前のように志藤颯介が座っている。
中学生時代からの友だちであり、この学園を過ごすうえでは欠かせない大切なクラスメイトである。
「「テスト……」」
春もうららに、互いに悩みの種は同じであった。このヴィザリウス魔法学園は、四月の末に普通科も含めた定期テストがある。内容的にはほぼ、昨年度までの復習だろう。
「春休み中にばっちり宿題もあったし、これじゃあまるで新学期って気がしねーっての……」
志藤は大あくびをして、眠たそうに目を擦る。
「また赤点取ろうものなら、俺は八ノ夜さんにデンバコを確実に粉砕される……」
まるでアイスの棒を半分に折るように、目の前でどや顔を浮かべてペン型の電子タブレットを破壊する恐ろしい魔女の姿を思い浮かべ、成人するまでは未だしがない召使いの身分の誠次は戦慄する。事実、ゲーム機などはその被害にあって来た。
「魔女なのに物理ってどーよ……」
志藤は苦笑していた。
目の前に座るこの気さくな友人は、しかし一年以上前まではどちらかと言えば、こちら以上に座って何かを学ぶと言う事が苦手なくちだった。それが今では、ぼちぼちではあるが、自分なりに納得をして、人目に見えぬ努力をしているらしい。本人曰く、誰かに努力しているところを見られるのは恥ずかしいとの事。
そうするようになったのはきっと、彼の家の事や、昨年末に起きた彼を取り巻く環境の変化が大きく影響しているのだろう。
「……俺も志藤に負けないように、頑張らないとな」
その環境の一つであるに違いない自分も、この魔法学園で確実に成長していく友に負けられない思いだった。
「お手柔らかに頼むぜ、剣術士殿」
ほっとするのは、彼が持ち前の明るさの象徴でもある、笑顔はいつまでも変わらない事だろうか。
にかっ、と笑った志藤の前で、誠次もまた微笑んでいた。
「――はよっす、マイスチューデンツたちー」
ここは変わってほしいのだが、担任の林はいつもチャイムが鳴り終わってから教室にやって来る。酷い時は、湯気が立つコーヒーカップとサンドイッチを両手に、教卓で堂々と朝飯を食べながらHRを行うと言う奇天烈な事態も、起こっていたりする。
「入学式、お疲れさん」
教卓に両手を乗せ、林はにかにかと笑う。
目線が合った誠次は、面白くなくそっぽを向いていた。
「早速だけど、みんな大好きテストちゃんが月末にある。去年も受けたとは思うけど、普通科は前年度までの復習。んでもって、魔法実技。今度はお前らが後輩に魔法学園の厳しさを教え込む番だ」
林のその言葉に、クラス中が緊張感に包まれる。
一年前の懐かしい記憶を思い出し、誠次も内心でやる気を込める。自分のこの学園に対する考え方、そして、今に至るまでの自分の剣術士としての在り方が大きく変わるきっかけとなった、大切な試験だったと言えよう。
「先生。でも確か去年は後輩の相手は、選抜された先輩だけだったっスよね?」
志藤の言う通り、昨年は確か成績や素行が優秀との理由で選抜された先輩と戦った気がする。自分の相手は今や生徒会長となっている、波沢香織であった。
「いい質問だこと、残念青春男」
「そのあだ名もう勘弁して欲しいんっスけど……」
にやりと笑う林に、げんなりする志藤であるが、きっとあと二年はこれが続くことなのだろう。自分が剣術士と呼ばれるのも、きっと。
「今年は新入生の数が半端ないから、総出で掛からないと大変そうだって事で、クラス全員でだ」
(やるからには全力だな……!)
昨日の女子プール突撃により、男子からも女子からも、誠次に対する後輩の信頼は当然のごとく地に墜ちていた。この試験での戦闘で、先輩としての、また剣術士としての威厳を取り戻す為、誠次は内心でやる気に満ち溢れていたのだが。
「――と言いたいんだが剣術士。お前だけ見学だ」
「何でですか!?」
「いや、論外だろ……」
思わず椅子から立ち上がって抗議する誠次に、林は面倒臭そうに髪をかく。
「お前だとまともな戦いなんてならんから、一年の担任との協議の結果だ。その分座学頑張れよ」
「ば、馬鹿な……っ!」
「休めてラッキーだろ?」
各自座学も頑張るようにとの言葉を林は残し、HRは終わっていた。
「座学頑張れと言われても、俺は座学が魔法学以外が苦手で……」
ぐったりと項垂れる誠次の前の席で、志藤は気の毒そうな視線を送る。
「そんな落ち込むなって。とりあえず昼休みには、俺たちのオアシスが待ってるんだし」
「オアシス……?」
はて、と誠次が下げていた頭を上げる。
すると志藤は、こちらの悩みなど些細なものだと言わんばかりのいつもながらの明るい笑顔で、指を鳴らすのであった。
「学食っ! 結局去年は何だかんだ購買ばっかで済ませてたし、今年は進級してようやく゛中年゛にもなったことだし、学食行くのが超楽しみだった。行こうぜ!?」
そんな志藤の、満面の笑みも、誠次にとっては大切な思い出の色の一つだった。生まれや家柄も関係なく、この先も頼りになる友だちとして大切な時を過ごしていきたいと、誠次は思っていた。
「ああ、楽しみだな」
昨年と比べて背負うものがだいぶ増えた身体は、昼飯時を楽しみに待つのであった。
「へへ。だろ?」
――背負うものが増えたのは、特殊魔法治安維持組織の元局長と言う偉大な肩書の父親を持つ、目の前で机の上に腰掛ける少年も、同じであったようだ。彼が腰掛ける机の下の引き出しには、司法関係の大量の参考書が、所狭しとぎゅうぎゅうに押し込められていた。




